9話 平穏を揺らす新たな気配
水曜日。 深夜のお茶会。
この日はいつもと違い空気がピリついていた。
エレシャ、ナディル、ティアは健希が見せてくれたタブレットを前に固まる。
「なるほど。 そういうことですの」
「どうりで」
ナディルが忌々しげに、タブレットに映る『今秋、リニューアル版リリース!』の文字を睨みつける。
「……どうりで、見覚えのない男が『副団長』などという肩書きを引っ提げて私の背中を守ると言い出すわけだ。 以前のシナリオではあそこは空席だったはずだ。 過保護な新人といい全く……」
「ティア様も何かありましたか?」
唯奈がおずおずと尋ねるとティアは力なく頷いた。
「ええ。 博覧会の特別審査員として現れた『隣国の若き公爵様』に新作のお菓子を酷評されたわ……でも、酷評したわりには毎日お店に通い詰めてくるの。 あれもこの『追加攻略対象』というものなのね?」
「つまり、リニューアル版が出ることによってエレシャ嬢、ナディル嬢、ティア嬢の世界に少なからず影響を及ぼしてるということか」
結城が抹茶ムースとごま団子と柏餅を運んできた。
タブレットを握りしめる健希の手が震える。
「あのう……」健希が消え入るような声で絞り出した。
「……ファンのみんなにもっと楽しんでもらいたくて……まさか本人たちがこんなに実害を受けてるなんて思わなくて。 俺、とんでもないことをしちゃったのかな」
そこには『既存ファン驚愕の恋のライバル大増量!』というキャッチコピーが躍っていた。
「健希さんが悪く思う必要なんてありませんわ。 あなたはその世界をより良くしようと全力を尽くしただけなのでしょう? それに実害だなんてとんでもない。 むしろわくわくしてきましたわ」
エレシャの言葉にナディルとティアの表情が引き締まる。
「ああ。 ちょうど退屈していたところだ。 平和を勝ち取ったのは我々だというのに、後から現れた新参者に『副団長』の座も私の背後も易々と譲るつもりはない。 どちらがこの世界の平和を守るにふさわしいか身を以てわからせてやるまでだ」
「私も負けていられないわ。 酷評されたままで終わるなんて嫌! その公爵様に、私の新作で『参りました』と言わせて完膚なきまでに胃袋を掴んでみせるわ!」
ティアも拳をぎゅっと握り、悔しさを決意に変えて顔を上げた。
「ほんとは俺が力になりたいところだけど、まだリリース前だから詳しいことは言えないんです。 申し訳ない」
「謝ることはない。 敵の弱点を覗き見して勝とうなどとは思わん。 私は正々堂々と戦う……いや、向き合う」
ナディルのたくましい言葉に健希の肩の力が抜ける。
「今回は一人ではないですものね」
エレシャがそっと、ティアとナディルに視線を向けた。
「ええ、そうね。 以前の私なら公爵様に否定されただけで『自分には才能がないんだわ』って殻に閉じこもっていたかもしれない ……でも、今の私にはここがあるもの」
ティアが愛おしそうに柏餅を見つめた。
「そうですよ! 私も結城さんもみなさんの味方です。 ティア様のこんなに美味しいクッキーやケーキを酷評する公爵様にぎゃふん!……じゃなくて『これがないと生きられない』って言わせちゃいましょう!」
ティアにエールを送る唯奈が健希と結城にクッキーを勧める。
「……美味しい。 甘酸っぱいジュレが挟んである」
健希の横で結城も頷きながら食べる。
「みんなに『美味しい』って言ってもらえたことが私の本当の自信。 私の味をぶつけるわ!」
ティアの瞳に宿る、職人としての強い光。
それを見て「ティア様かっこいい……!」と小さく拳を握りしめる唯奈。
「そうだ。 お前の菓子にケチをつけたその『隣国の公爵』とやらに 跪かせて、おかわりをねだらせてやればいいのだ」
ナディルがごま団子を頬張り、ニヤリと不敵に笑う。
その言葉に、不安げだったティアの表情は完全な「戦う職人」のものへと変わった。
「ええ! 私の新作で、その高慢な鼻をあかしてやるんだから!」
「ふふ、頼もしいですわ。 私もその『お節介な文官』をどう黙らせるか、じっくり味わいながら考えますわ」
エレシャが抹茶ムースを上品に口へ運ぶ。 ふと、その動きを止め凛とした声で続けた。
「……けれど、この新キャラの出現はまだまだ序の口でしょうね。 これから理不尽な強制力があるのか、はたまた私たちを試すような未知の試練が待ち受けているのか……受けて立ちましょう。 私たちが勝ち取ったこの平穏、そう簡単に書き換えさせはいたしませんわ」
その言葉にナディルとティアも力強く頷き、店内のピリついていた空気は作戦会議を控えた心地よい緊張感へと変わっていった。
健希も自分を責めるのをやめ、たくましい令嬢たちの姿をしっかりと目に焼き付けている。
「(……ああ、そうだ。 私が大好きなこの人たちは、いつだって自分の足で立って運命を切り拓いてきたんだ)」
画面の向こう側の存在だった彼女たちはもうどこにもいない。
喜びも怒りも、そして未来を勝ち取ろうとするこの熱量もすべてが「本物」なのだと、目の前で談笑する令嬢たちを見ていて、唯奈は改めて胸が熱くなりエプロンの裾をぎゅっと握った。
「……唯奈さん? どうしたの? そんなに気合の入った顔をして」
ティアに聞かれてハッと我に返る唯奈。
「いえ、あの、私に何かできることがありましたらなんなりとお申しつけください!」
「ありがとう……じゃあ来週はうんと美味しいお茶を淹れてくれる?」
「はい! かしこまりました!」
「私、好きよ。 あなたが淹れるお茶」エレシャが微笑む。
「私もだ。 これを飲むと不思議と落ち着くんだ。 向こうでは常に神経を張り詰めているが、ここへ来てお前の茶を飲むと自分がただの『一人の人間』に戻れる気がしてな。 来週も楽しみにしているぞ」
ナディルがお茶を飲み干し、満足げに目を細めた。
その言葉に唯奈は胸がいっぱいになり弾けるような笑顔で答えた。
「はい! お任せください!」
虹色の扉が、静かに夜の店内に溶け込むように明滅を始める。
「では、来週は……その不躾な新参者たちを、私たちがどう『教育』して差し上げたか。 愉快な報告を楽しみにしておりますわ」
エレシャを先頭に、令嬢たちはそれぞれの世界へと背筋を伸ばして帰っていく。
見送った後に残ったのは、抹茶の芳醇な香りと明日へ立ち向かうための確かな熱量。
和カフェ まおり。
世界の書き換えという波が押し寄せようとも、この場所の灯火が消えることはない。
彼女たちの新しい物語は今まさに始まったばかりだった。




