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空の楽団  作者: FStK
3/3

Tact.2



『――繰り返す! 第一戦闘配備発令! 奏者(プレイヤー)は速やかに配置につけ! 第一戦闘配備――』



 ノイズ混じりに聞こえてきたアナウンス。今にも落ちそうな車内案内表示板には『敵襲』の二文字が点滅しながら流れていた。


「くそっ、せっかくの休日だったってのによぉ」


 実際には休日はパーになっていたわけだが、向けるべき怒りの矛先ができたようで思わず声に出してしまう。

 飛んできたガラスの破片で腕に切り傷ができたようだがこちらは問題ない。床にぽたりと赤く点が落ちるのが見えて額に手をやると濡れた感触がした。頭を打ったときに額を少し切ってしまったようだがそこまで大きな傷ではなさそうだ。

 とっさにコートを広げて盾にしたおかげか致命傷になるような大きなガラス片が体に到達することはなかったようだ。上司からもらったコートをばさりと広げて破片を払い落とす。見れば今のですっかりボロボロになってしまったようだが、脱いでいてよかった。破れた裏地を無理やり引き裂き、ハンカチをガーゼ代わりにあてがってから頭にきつく巻く。垂れてくる赤の鬱陶しさが軽減されただけ十分だ。

 やはり俺には不相応だったな、とぼろぼろのコートを見て思う。短い付き合いだったがあとで礼だけは言っておこうと心に決めて車内を見回した。

 先ほど「伏せろ」と叫んだ青年は、衝撃で多少ふらついているようだが大きな外傷はなさそうだ。真ん中で騒いでいた二人組も、多少のけがはしているようだがそこまで重傷ではないことに安堵する。


「あ……あぁ……」


 前方で腰を抜かしている軍人の視線の先、血だまりの中で今まさに息絶えようとしている中年男性の姿があった。飛び散ったガラスが全身を襲い、さらに首の血管を裂いてしまったようだ。座り込んで必死に両手で出血箇所を押さえているようだが、あの量ではもうだめだろう。男性の体がゆっくりと斜めに倒れ、首元を押さえていた手がずり落ちていく。広がっていく赤の中で男性は動かなくなった。この状況では本当に運が悪かったとしか言い様がない。悔しさとどうしようもないもどかしさに奥歯を噛みしめた。


「おい。そこの、怪我は」


 軍人の容態を確認しに行こうと頭を動かした瞬間、ぐら、とめまいがして座席をぐっと掴んで倒れそうになる体を何とか支える。頭を打ったのがまずかったか、それとも寝不足が祟ったか。


「あ……腕と、顔を少し……あと――」


 受け答えの感じから頭は問題なさそうだ。反対にこちらはまだくらくらしていた。しかし様子がおかしいところを見せて周りをこれ以上不安にさせるわけにはいかない。


「ねえ、なんなの……あれ……」


 床にへたり込んだままの少女が外を見上げて震える声で呟いた。


「あれが人類の――いや、世界の天敵『四鬼(しき)』だ」


 青年の言葉に恐る恐る皆それぞれが同じ方向を見つめる。

 そこに見たのは巨大な影。

 見間違うはずもない、天敵の姿。

 巨大な操り人形のようにぎこちない動きを見せたかと思えば、糸が切れたかのように急に動きを止める。不気味なそれはよく見るとあちこちボコボコと蠢いていて、無数の影が集まって出来ているかのようにゆらめいている。吸い込まれそうな影の中、頭部と思われる箇所に目と思われる光が見えた。ぼんやりとした黄色のようなその光もぐるぐると蠢き、どこを見ているのかまるでわからない。さらには大きな影からぼとぼとと零れ落ちるように無数の小さな影がその足元から這い出てくる。

 再び動き出した巨大な影はゆっくりとした動作で、再び列車へと手を伸ばす。衝撃に何とか耐えて影を見るとその手の中に先頭車両だろう列車の一部が握られていた。握り締めて壊すわけでもなく、かといってそれを食べるわけでもない。やつらの目的は金属でも人間そのものでもなく、それらが持つ『色』なのだ。

 やつの手の中の車両が砂嵐のような黒い影に包み込まれ、みるみるうちに色が抜け落ちてモノクロへと変わっていく。

 捕食ならぬ、『捕色』。

 色の消えた車両を満足そうにその目を細めて見つめると、子どもがおもちゃに飽きてしまったかのように放り投げ、そのまま列車はぐしゃりと音を立てて地面へとめりこんだ。そして残った他の車両へと視線を向ける。

 ぞわりと背筋に嫌なものが走る。


 ――捕色()われる。


 本能が危険を告げる。逃げなければ。そう思うのに体は上手く動かない。

 大きな影は別の車両に手を伸ばし、先ほどと同じようにまた色を吸い取っていく。

 この車両は比較的後方に位置していて、やつとはまだ距離がある。急にこちらに向き直って襲ってこない限り、前方の車両から順々にやられていくことだろう。だとしてもそこまで時間は稼げないと思っていたほうがいい。やられる前にどうにか生存者を連れて脱出しなければ。

 前方の車両の入口の扉は衝撃で歪んでしまっていて通れそうにない。

 生存者を集めて後方から出るしかない。乗客に声をかけようとしたその時だ。

 割れた窓から小さな黒いものが上がってくるのが見えた。

 三つに分かれた指のようなもので器用に窓枠を掴みながらよじ登ってくる。子どもほどの大きさのそれは、外の大きな天敵と同じように影をゆらめかせながら近づいてくる。闇の中で白く瞬くつぶらな瞳。


「何してる! 早く逃げろ!」


 声をかけるのとほぼ同時、影は少女たちのすぐ側の窓から車内に文字通り転がりこんできた。ボールのようにコロコロと数度回転して止まる様子は、幼児がぺたりと床に座っているようにも見えた。頭を振るような動きをしたかと思うと、よちよちと立ち上がり車内を見回した。そして俺たちを認識したのだろう。その目がにやりと笑うように細められる。人形のように愛らしいのはそのシルエットだけで、中身は色を狙う天敵そのものだ。


「早く、先輩、逃げないと……っ!」


 少女とその相方も腰が抜けてしまって立てないようで、それでも何とかしてやつから離れようと這いつくばって逃げてくる。

 ゆらめく闇が目をつけたのはすでに事切れた男と、広がる赤、そして先ほどの衝撃で負傷した軍人だ。不幸なことに、彼らのいた前方車両にはこちらよりも『色』が多かった。やつらは動かない色に優先的に群がっていく性質がある。その不気味な目にはさぞ魅力的に映っていることだろう。

 大きな影と同じように動いては止まってを繰り返してはいるが、確実にその距離を詰めていく。

 軍人は怯えて銃を取り出したが、恐怖からその銃口の照準はガタガタにぶれてしまっている。

 影は彼と俺たちの間にいるので、銃はこちらを向いていることになる。


「くっ、来るな!!」

「おい、待て! 撃つな! 一般人に当たったらどうする!」

「うわあああああっ!!」


 こんな状況で静止の声が届くはずもない。乾いた音が続けざまに聞こえる。

 こちらにまで衝撃が飛んでくる。こんなくそったれな状況だが、仲間に撃たれて死ぬなんてたまったもんじゃない。

 なんとか少女たちを自分の後ろまで退避させる。ブレブレの銃弾も運よく全員が回避できたようだ。あれだけ震えていたら当たるものも当たりやしない。そう分かってはいても、自分のいる方向に銃口が向けられている、それ自体が脅威でもある。


「撃つな! その仏さんには悪いが、今のうちに早くこっちへ来るんだ!」


 影は男も銃弾も無視して、床に転がった男へとよたよたと向かっていった。


「どうする? こっちのドアも開かない。何かに引っかかって通れるほど幅が確保できない」


 銃弾が飛び交ったばかりだというのに、青年は冷静に逃げ道を確認していた。驚いて言葉を詰まらせていると、「聞いているか?」と少し苛立ったように青年は言った。


「あ、あぁ。それなら窓はどうだ? 何か敷いてガラスに触らないようにすればどうにか……」

「あいつらがいる外に出るんだと言ってか? あんなに腰の引けた連中がそうそう動けると思うか? 無理だ」


 あまりにも落ち着いているものだから、まるで長年訓練を積んだ軍人のようだった。訓練だけではなく、まるで実戦をいくつも経験してきたような……。

 影が入ってきていた窓からは出られそうだが、そちら側にはおそらくもっと影がいるだろう。まだ入ってきてはいないものの、ちらちらと影が見え隠れしている。向こう側から出るのは無謀にもほどがある。それに外側を覆うパイプが破損しているとなると、空気も心配だ。早いところマスクを手に入れる必要もある。


「今のうちに早くこっちに来い!」


 腰が抜けたままなのか未だに逃げてこない軍人に再度声をかける。

 いくら別の獲物に夢中になっているとはいえ、こちらから不用意に近づくのは危険だ。ゆっくりとこちらへ逃げてきてくれればと思ったのだが。


「無理だ……無理なんだ……!」


 先ほどは気付かなかったが、軍人はどうやら足が折れているようだった。折れただけであればまだよかっただろうが、彼の折れた足を縫いとめるように何かが突き刺さっていた。あれではすぐに動けるはずもない。それがなければ少女たちのように這ってでもこちらへ来ることはできただろう。だが――。


(判断が遅かったな……)


 逃げ出すには時間が足りなすぎた。

 頭を働かせるのが遅すぎた。

 あの影を排除するのに、せめてまともな装備があれば。

 けれど、それを扱える人材もいやしない。あの軍人も旧式の銃しか持っていなさそうだ。あれではまともなダメージも入らないだろう。


「――なぁ、あんた軍人だろ。なら銃くらい持ってるんじゃないのか?」


 先ほどから青年の言葉に驚かされてばかりいる。


「……持ってはいる。だが古いタイプのだし、何より……カバンの中だ」

「どこだ?」


 カバンの中にホルスターごと入れていたのだが、先ほどの衝撃でかなり前の座席の下まで転がってしまっていた。


「…………あそこだ」


 影を倒せるかもしれない武器は、その影のすぐ側にある。しかもカバンをすぐに開けたとしても、銃を取り出して適切な弾を装填して撃つまでに無事でいられるかどうか。


「…………あぁ」


 溜息混じりに青年が小さく唸った。


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