同僚の観察
同僚視点。
~今日の同僚~
深く、熱い溜息が聞こえた。発生源は隣の男。
容姿が優れて社交的、気配りも上手く、仕事に関しても有能な男。あの来栖グループの御曹司、来栖鷹矢その人だ。そういえば誰かが麗しの王子様とか言ってたような。
「はぁ・・・」
今日の来栖は真っ赤な顔しての出社だった。厳密に言えば左頬に綺麗な手形が付いていたのだ。
麗し王子の秀麗なお顔に意味深な赤色が乗っているものだから、女子社員の悲鳴は鳴り止まなかった。
慌てふためく周りを余所に、本人は席に着くなり熱い溜息を落とし始めた。
こんな状態の来栖は、あれだ。高梨絡みだな。斜め前に座る高橋と目があう。高橋も同じ考えに行き着いたらしい。
来栖はとうとうやらかしたのだろうか。高橋の顔は冴えない。俺も同じような顔だろうなぁ。
「・・・鳩子っ・・・はあぁ・・・」
・・・やめろ来栖っ。熱い吐息を何度も繰り返すな。妙に粘っこいのは気のせいじゃないよな?。
手形付きの頬だけを考えたら、来栖が高梨に対してとんでもない暴挙に出たことは間違いないだろう。だけど溜息に混じる熱情はなんだ?。暴挙に出たとしたら来栖の失恋は決定だ。死にそうな溜息だと納得するが、この熱く身悶えを起こしているような溜息の意味するところは?。
下の名前を無意識に呟いてるのいつもと変わらないけど・・・。
隣を見れば溜息のわりには手元が動いている。頭の中が他のことに占領されていても仕事はきっちりこなし、ミスはしないタイプなんだろうな。同時に複数を掛け持ちしても、完璧にこなす姿が容易に想像できる。羨ましいほどの天才型だな。
「どうしたらいいんだ・・・」
苦悩とともに呟かれた言葉。
仕事は有能だし、カリスマ性があり人を惹きつける能力は抜群。社交的で紳士な振る舞いは、多くの女性を魅了し憧れを抱かせる。だけどそれ以上に同性にも受けが良かった。あの顔で下ネタを平気で口にしたり、酒を飲んでは同じように馬鹿をする。ノリのよさも抜群で引き際も心得ているから、一緒にいて楽しい人間だ。
そんな男が、不器用な恋をしている。
「・・・鳩子って小悪魔系なんだな・・・」
!
ぐふっ
腹の底から、とてつもない勢いで込み上げた笑いの弾丸は、どうにか堪える事ができた。
小悪魔系?誰が?あの高梨を指して言ってるのか?どうみても人畜無害な高梨を?
おいおいおいおいっ、凡人の俺は掛け持ちで仕事が出来るほど器用じゃないんだぞ。くそっ、震える指先が書類を上手く捲れないじゃないか。
視界の端に映る来栖はどんな顔をしているのか見当もつかない。
顔を上げ、チラリと来栖を見るが本人は高梨をガン見しているため確認がとれない。視線を移すと来栖の前に座る高橋と目が合った。苦い顔をして静かに首を振る高橋。見ないほうが良いらしい。
~少し前の過去~
職場に現れたときから目立つ男だった。颯爽と歩き、耳に馴染む穏やかな声をしていた。
来栖グループの御曹司と聞いた時はびっくりしたが打ち解けるのに時間は掛からなかった。容姿を除けば普通の青年と変わらないが、初日からの仕事振りをみると凡人でないことは充分だった。要領がよく、物怖じしない姿勢に好感がもてた。そして礼儀正しく穏やかな好青年は上司にも受けが良かった。
あ、女性の受けがダントツに良かったな。
わざわざ来栖を見にフロアまで降りてくる秘書もいたし、受付も目の色変えて愛想振りまいていた。
そろそろ女性に囲まれているのが普通の光景になりそうだと皆が思っていた頃に、来栖から高梨のことを聞かれた。目立たない高梨は背景に埋没する地味な同僚だ。来栖に指で示されて、ようやく高梨のことだと気付いたくらい。
高梨の席は窓側で扉側。部屋に入ったものはほぼ高梨に気付かない。観葉植物に近いものがある、溶け込んでいるのだ。
来栖に高梨の名を告げるとすぐに自分の仕事に戻った。集中していると違和感を感じた。顔をあげると斜め前に座る高橋が眉を顰めて来栖を見ている。つられて俺も見るが、この位置からは何も見えない。もう一度高橋を見ると手招きされた。適当に書類を掴むと高橋の席に仕事を装って移動した。
高橋のPC越しに見える来栖の顔は何というか、
乙女だった。目が輝き、頬が紅潮している。
「20分くらい経つ」高橋は言う。来栖のことだろう。爽やかな好青年が一転して乙女になるとは世界は不思議だ。
その日、意識がお花畑に飛んだと思われた来栖は、どんな手を使ったのか仕事は仕事としてしっかり終わらせていた。
それから度々、来栖が高梨に視線を送るのを感じた。高橋が言うには凝視しているらしい、例の乙女なキラキラで。
来栖は積極的に高梨に近づいているようだが、分が悪い試合だ。そっけないを通り越して冷たい処遇に少なからず同情を覚える。冷たくされても笑顔で一歩ひく来栖は、席に戻るたびに口を引き締め仕事に没頭する。
女性に言い寄られたことは星の数ほどあるのだろうが、来栖から動くことはないのかもしれない。可哀想なくらい失敗している。
地味な高梨に関する情報といえば、ブラコン、くらいだ。
以前、高梨の弟が話題になった。写真をみた女子社員曰く、二人はまるっきり似ていないらしくて、弟のほうはかなりの美形らしい。興味はなかったが、あまりにも力説するので見せてもらった。嫌な顔もせず、嬉々として高梨は携帯を開けた。待ち受けには仲良く寄り添って映っている男女がいた。弟のほうは確かにハンサムだった。そして似てない。写したのは高梨だろう構図で、ほっぺたを弟の首辺りにひっつけている。弟メインに撮りたかったのか高梨の顔は画面の左下斜めの隅に。それでも満面の笑みの高梨に(あっ高梨こんな顔するんだとそちらも驚いた)弟は視線を寄こすだけの無愛想なものだが、腕の位置からして高梨を抱き寄せているんだろう。仲が良いというか、危ないというか。
来栖の目を多少覚ます気で教えた「待ち受けは弟のブラコン話」には困惑に導いただけだったようだ。
ブラコン話は来栖の目を覚ますことはなく、彼は恋の病に日々悩んでいた。席が近いために来栖の焦燥と不安定さが分かる。変わらず仕事はこなすが、凝視する来栖が怖いと高橋が零した。
容姿が良く、身分もしっかりとした社会人で同僚だが、プチストーカーと言われたら否定できない。パワハラでもセクハラでも訴えられるのは時間の問題だ。
見かねた高橋が高梨の犬好きを教えた。どんな些細な情報でもないよりはマシだろうとの判断だが、これが上手いこといったようだ。何でも来栖は犬を飼っているらしく、その話で盛り上がったみたいだ。深い安堵が広がった。そんなに好きなら犬を連れた散歩デートも簡単じゃないか。来栖本来の魅力を使えば、急な話ではない。紳士的と評判の男に誘われても危機意識は薄いはず。上手くいけば次回のデートも可能だ。
これで同僚からストーカーを出さずにすんだ。
ところが来栖は思いもよらない行動に出始めた。
来栖は好青年で穏やかながらも堂々とした覇気をもち、スマートで紳士な振る舞いの青年だ。が、何時の間にやら、高梨の後を追いかけるワンコになっていた。
以前は高梨に拒絶されたら「残念だけど今度」と言いながら爽やかな笑顔と共にあっさりと引いたものが、今やグイグイと迫り、拒絶を見せようものなら悲しげな目をし、悲壮感を漂わせ高梨を有耶無耶に丸め込んでいると聞く。
その後も彼は涙ぐましい努力で、高梨の気を引こうと纏わりつき、玉砕している。あれほどの熱い好意にさらされてもあしらえる高梨は怪物じゃないだろうか。
~今日の同僚にもどる~
「はと・・・、たっ高梨さん、いつも一人でお昼食べているよね?良かったら今日は僕といっしょに「いえ、結構です」
あぁ、高梨、せめて最後まで言わせてやれよ。何があったのかは知らないが少し可哀想だ。尻尾をブンブン振って御主人様の関心を得ようとした来栖があまりにも憐れだ。
落ち込んだ来栖が複数の女性社員に連れて行かれている。チヤホヤと美女に囲まれる来栖をやっかむ者など、ここにはいない。
今や尻尾は力なく垂れ、寂しいそうな目で高梨を見ているのに「お気になさらずに、どうぞ」と笑顔で手を振っている。笑顔のタイミングが違うだろう。同情するぜ。
飼い主に捨てられた、いたいけな子犬の眼差しを綺麗に無視して高梨はでっかい弁当箱を取り出した。
俺は時々自問する。来栖の変貌はブラコン情報と犬好き情報を後にした時からなのでは?あいつを迷宮の中に放り込んだのは俺達の責任なのだろうか。
斜め前の高橋と目が合う。
以前の来栖のほうが有利だった気がする。今では御主人様を慕う弟分のワンコにしか見えない。
「飯、行くか?」
「あぁ、そうだな」
高橋とは奇妙な罪悪感で繋がっている。
今更ですが、この作品に愛憎関係はでてきませんよ。
それから年齢制限をかけておけばと後悔。来栖の粘着的なとこをもっと踏み込みたい。