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弟わんこの片思い  作者: 苺屋カエル
5/22

箱の中で

鳩子はエレベーターホールでの珍事を無かったことにして仕事に没頭した。あれから来栖鷹矢は戻ってこない。


「よーしっ、行ってくるぞっ」中谷チーフが声を張り上げて立ち上がった。勢いがついた椅子が噴き飛ばされ、偶然にも彼の後ろにいた男性社員が巻き込まれる。

「あっはっはっ。すまんすまん。重要な会議を前に緊張しているかもしれん」わはは、と快活に笑う中谷チーフは緊張とは無縁の豪胆な男だ。繊細とも縁は無いだろう。

「じゃぁ、行ってくるぞっ」と職場全員に報告するかの如く再度、大声を上げてドカドカと大股で歩き出した。行く先々で女性社員の悲鳴が聞こえる。すまんすまん、と反省なく豪快に笑うチーフと、不幸にも出くわした女性社員の悲鳴とざわめきが遠ざかっていく。来栖とは違う意味の、目立つ男の退場で職場には静けさが戻った。


鳩子は小さな溜息をついて中谷チーフの机に忍び寄った。

(やっぱり忘れてる)

書類一式が置き去りにされている。あれで優秀な男というから不思議だ。


エレベーターに乗り込むチーフを見つけ慌てて駆けた。チーフの目に留まるように書類を振り、アピールするとチーフは気付いてくれたようだった。「やあ、高梨くん。熱烈な歓迎だな」と何故かエレベーターに引き摺りこまれた。鳩子の後ろで扉が閉まる。

「熱烈なのは嬉しいが、私には可愛い妻子がいる身だ、困った困った」困ったようには聞こえない。

一気に脱力した鳩子は反論も出ずに書類を渡した。「おやっ?書類を持って来てくれたのか」良い子良い子と頭を撫でられる。「チーフの机には、ちゃんとメモを置いていたのに忘れるんですから」呆れた声を出した。鳩子は大きな体の中谷チーフの影に人がいるとは思わなかった。


「鳩子・・・」嫌な予感がした。


エレベーターの奥、チーフの影に真っ青な顔の来栖鷹矢がいた。

「きっ、君はいったい。叔父のみならず、市也の馬鹿とも・・・あぁ、そうか・・・これが、これが魔性の女ということなのか?・・・君は何人もの男を手玉に取っているんだね」弱弱しい声。目にした事実が信じられないといったようだ。

「ちょっと、人聞きの悪いことを」鳩子の反論は遮られた「だってそうだろうっ」鋭い声が狭いエレベーターの中に響く。

「朝は銀字さんと抱き合ってたじゃないか。それにアノ市也とも親しくしてデートだって?それから今のはなんだ、チーフに追いすがっていたじゃないか」

今日の来栖はオカシイ。鳩子は厄日だと痛感した。朝の占いを馬鹿にせずにチェックしておくんだった。きっとラッキーアイテムは階段だ。


「そんなに幾人もの男を手玉に取るくらいなら、僕を弄べばいいのにっ」唐突な発言を繰り返す来栖。

「来栖さん、それは・・・」違うでしょう。とんでもない言い掛りだ。

「はっ、判ったぞ、僕はなんて愚かな男なんだ」ふらついた体を来栖は壁に背中を付けて支えた。鳩子は今後の展開が悪いものだと悟った。

「この焦燥した気持ちが鳩子の望みなのか?こうやって僕を弄んでいるんだね?心を掻き乱し冷静な判断を鈍らせて、ヘマをする滑稽な姿の僕をみて笑っているんだろう」「ちっ違いますよ」どんな悪女なんだ。慌てて否定するが来栖は聞いていない。

「君を口説こうと必死になっていたのが馬鹿みたいだ」悔しそうに呟かれた言葉。

来栖の思い込みの全てが事実無根なのだが鳩子は一切、反論しないことにした。このままいけば来栖は勝手に鳩子に幻滅し関わらないだろう。仕事はやりにくくなるが、彼は本来いるべきの来栖グループの中枢に戻るだろう。魔性の女なんて噂をばら撒かれたらかなりの痛手だが、退社にいたるまではないと思う。


「君はその可愛い顔で、僕を振り回したのか・・・」片手で顔を覆い俯く。

かなりむず痒い台詞を聞いたが、逃げ出したいのを必死で堪える。打ちひしがれる来栖をみると犯してもいない罪を錯覚して自責の念にとらわれる。うっかりゴメンねと言い出しそうで怖い。


覆っていた手をゆっくりとおろし顔を上げた。そこには辛そうに歪めた切ない表情があった。


「鳩子、頼む、別れてくれ」

唐突な発言に目をむいた。別れるもなにも、二人の関係は只の同僚でしかない。


「他の男と縁を切ってくれ、お願いだ。僕だけをみてくれ」膝をおり、鳩子の手を自らの額にあて懇願する。動揺し手を取り戻そうと引くが鳩子の力ではびくともしない。突然のことに悲鳴をあげようにも喉に張り付いて空気の漏れる音しかしなかった。

「くっ来栖さん、離して」かろうじて出る声が震えて頼りない。

鳩子の思考では想像も及ばない、来栖の不思議な脳内。その摩訶不思議な脳内では鳩子がどのように変換されているのか、よりにもよって「なんて奥ゆかしいんだ。これも魔性の駆け引きなのかい?」などとのたまい、うっとりと見上げてくる来栖。


(ああぁ、駄目だ。絆されそうだよ。早く、すっぱりと拒絶をしないと)

「鳩子、愛しています。君が他の男と別れられないというのなら、いつまでも待つよ。だけど僕を一番目の男にすると、最後は僕のところへ帰ってくると誓ってくれ」内心慌てる鳩子を置いて話は突飛な方へと、鳩子悪女説を前提に話が進んでいる。来栖に嫌われるのなら我慢もできるが、このままだと他に複数の愛人を持ちながら健気な来栖を弄んでいる本物の悪女としてレッテルを貼られかねない。


「あっぅ、すみませんけど」お断りしますという言葉は割り込んできた声に続かなかった。

「良かったな、高梨くん。ここまで男に言わせるなんて女冥利に尽きるってモンだ。わっはっはっ、そうかそうか、高梨くんと来栖のボンボンが纏まったか。めでたいなぁ」わっはっはっ。

「へっ?」来栖に気を取られて中谷チーフの存在を忘れていた。この悲劇は残念なことに、これで終わりではなかった。

「おやおや、鷹矢さんは随分と情熱的でお父様の隼人会長を思い出しますな」

「ご婚約者もいらっしゃられず、先代は随分と御心配されておりましたが、これで一安心でしょう」

「本当に。こんなところで鷹矢君のプロポーズを目にするとは思いもしませんでしたが」

鳩子が振り向いた先はエレベーターホールとなっていた。開いた扉の先のホールには、重役達が一連の騒動を見守っていたらしい。

「おめでとう、来栖くん。結婚式は是非、呼んでくれよっ」チーフは御丁寧に扉が閉まらないようにしていた。


驚愕に固まった鳩子の下から、未だに手を握り見上げてくる来栖。「鳩子、返事を・・・」期待に満ちた目。来栖だけじゃない、重役達もこのショーの結末を期待している。

(うう、流されるっ・・・)

ひしひしと、来栖から、そして後ろにいる重役からも圧し掛かる期待という名のプレッシャー。


「やはり、僕だけでは物足りないのかい?」悲しそうに俯く来栖。重役連中のブーイングが巻き起こる。


「高梨くん、可哀想だろう。照れてないでハイって返事してやれよ。他に男の愛人抱えてもいいっていう奇特な奴なんだ、二度とこんな良い条件はないと思うがな。・・・あっ、もしかして焦らしてんのか?いやぁ、魔性の女の手管を見れるとは思わなかったな」余計なことを言う笑顔の中谷チーフ。一点の曇りもない笑顔だ。因みに、来栖の中では鳩子の愛人疑惑にチーフが含まれていることに彼は気が付いてはいない。


世界中が鳩子に期待しているような錯覚を起こした。鳩子が「ハイ」とプロポーズを受けることを皆が信じている。いつの間にプロポーズが行われたんだろうか?5分前まで来栖とは同僚の関係で、それ以上はない。仄かに好意らしきものは感じたが、恋慕の情と言い切るには曖昧すぎた。今朝の奇行は除く。


助けを求めて後ろを振り返る。重役の中には二人の状況を心良く思わない人もいるはずだ。来栖は跡取りな訳だし、鳩子に至っては魔性の女、複数の愛人を持つ悪女。希望を持って探す先に、重役連中よりも少し離れたところに銀字の姿見えた。眉を寄せ難しげな顔で二人を見ている。彼なら助けてくれると思ったが目が合った銀字からは、「・・・市也とのデートは有効だよね?」アイツ楽しみにしてるんだよー、と。助けはないらしい。


孤立無援の中で「おともだちからなら・・・」と譲歩の提案をした。


「んー、高梨くん、流石は稀代の悪女だな。まぁ、頑張れよ来栖くん。結婚を前提にした交際ってのも良いモンだろう」

「それもそうですな。婚約中に身辺整理を兼ねて・・」などなど、好き勝手なことを言い出した。

お友達なのに結婚がちらつくのはおかしい。流され続ける鳩子は訂正する元気を奪われつつあった。

来栖に握られた手をみた。昨日は腕を掴まれ、今朝は抱きつかれ、今は手を握られている。長い指をした大きく綺麗な手。来栖の顔を見ると恥ずかしそうな嬉しそうな血色の良い表情。

(手から栄養が取られていく気がする)

あんまり嬉しそうなんで、立場も忘れて引きつりながら笑い返してしまった。日本人の悲しい性。

笑顔の鳩子に堪えきれなくなった来栖が猛然と抱き締めにかかった。大型犬が飼い主にじゃれつくように体全体で喜びを露にする来栖。誤解を招くとは考えずに、これまたつい、手をまわし背中を撫でてしまった。


重役とチーフは、お熱いことで、おやおや最近の若い者は、お盛んだなぁとそれぞれ勝手なことを良いながら、本来のあるべき仕事をしに会議に向って行った。


エレベーターに取り残された二人。ゆっくりと閉まる扉を見送って銀字はようやく息を吐き出した。甥の奇行と突飛な言動に笑いを堪えるのは強い自制心と忍耐を要した。

(何で、あんな芝居がかったことが出来るんだ)ヨロヨロとふらついて壁に背中を預けたり、鳩子の手を額に当てたり。常にクールな甥の芝居に腹が捩れるかと思った。鷹矢が本気であればあるほど、滑稽なのだ。

大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。まだ仕事中だ。


ふと、銀字は呼ばれたような気がして閉まったエレベーターを見つめた。悲鳴が聞こえたようだが気のせいらしく、皆が待つ会議に向う。今頃二人の話題で持ちきりなのかもしれない。


後に知ったことだが、エレベーターの悲鳴は、来栖に唇を奪われた鳩子の驚愕の叫びだったらしい。



箱の中=エレベーターの中。

鷹矢は常にこんな感じになります。

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