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弟わんこの片思い  作者: 苺屋カエル
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秘密の業務連絡

鳩子の朝は早い。

誰も出社していない時間に入り、前日に行われた仕事のまとめをしておく。足りない連絡事項をメモに記しそれぞれの机におく。その後、必要な書類と不要の書類をあるべき場所に配置する。

最低限の下準備を終えると、一見、暗号の様なクセのある文字と数字を並べたメモを手に3階のフロアから7階のフロアへと移動した。


今日の来栖は寝不足だった。

どうも鳩子が関わる何もかもが自分に有利に進まない。鳩子の誕生日が近いの口実に呼び止め、そのまま食事にでもと運ぶつもりが、あっというまに逃げられてしまった。ヘマばかりしてる。どんな方法で女性を口説いていたのか思い出せない。こんなに難しいものだったか?過去の自分を振り返っても、思い通りにならない女性はいなかった気がする。何が違うのか分からない。


寝不足で重い頭を抱えたまま、来栖はいつもよりも早めに出社した。

エレベーターに乗り、最上階のフロアを目指すつもりが7階のフロアを押す。来栖を乗せたエレベーターが7階に上がり音もなく扉を開く。


朝の静かなエレベーターホールでは鳩子と中年オヤジが抱き合っていた。


動けない来栖をそのままに、音もなく開いた扉は開いたのと同様に音もなく閉じた。


(あぁ夢だ。すっげえ現実感がないし。今のは幻覚だ。寝不足かと思っていたけど、本当の俺はまだベッドの中だ。夢だ。夢、夢がきっと何かを暗示しているだけだ。よりによって鳩子とおっさんがだっ、だきあ、う、あー、もう、どんな深層心理なんだよ)


脳内で一通り混乱した来栖だが、閃きとともにある考えに突き当たった。狂ったようにエレベーターの開きボタンを連打、僅かに開く扉に体をねじ込ませホールに躍り出る来栖。人の気配と騒がしさに体を離す二人が驚いた顔をした。

「来栖さん、これは・・・」鳩子の小さな声が静かなホールに落ちる。


「こっ、この痴漢野郎っ。鳩子から離れろっ」怒声をあげ二人の隙間に無理矢理入り込み、どさくさに紛れて鳩子を引き寄せ抱き締めた。暖かな温度と柔らかさに眩暈がした。寝不足の頭が揺れる。


「怖かったね、もう大丈夫だよ。こんな朝早くにド変態行為に及ぶ真性の痴漢野郎がいるなんて世界は残酷だ。よりによって犠牲者が鳩子、君が被害にあうなんて信じられないよ」悲劇だ。

「あっの、落ち着いて下さい。この人は、痴漢ではありません」ぎゅうぎゅうと締め付けてくる腕に声が潰れる。

「可哀想に、ショックで混乱してるんだね、大丈夫。僕がついているよ。ただちに上層部にも警備の強化を申し付け、二度とこんな悲劇で君を傷つけさせたりはしない」

「来栖さん、混乱しているのは貴方です、彼は痴漢ではなく、」男を庇う鳩子に苛立ちが沸いた「鳩子が優しいのはわかるが犯罪者を庇うことはないんだよ。騙されてるんだ君はっ、こんな中年で腹の出たハゲで水虫の、妻子持ちでいやらしい狸。若けりゃ動物でも良いっていう男に決まってる。そもそもこの男は、高校生を筆頭に筋肉馬鹿の3兄弟を息子に持ち、奥さんの尻に敷かれたうだつの上がらない冴えないオヤジなんだ。そんな、そんな男を相手に不倫なんて、不倫なんてっ。鳩子っ不倫は犯罪なんだよっ、鳩子が不倫してるなんて嫌だっ」鳩子を掻き抱き魂の叫びをぶつける来栖。当初の痴漢説から、爛れた不倫説に考えはスライドしたようだ。


「来栖さんどうか落ち着いて、落ち着いて相手の顔を見てください。・・・酷く罵ってますが相手は貴方の実の叔父さんですよ」

「大丈夫かお前。そもそも私のどこが中年で腹の出たハゲの水虫なんだっ」

来栖鷹矢の叔父、来栖銀字は中年であることに間違いはないが、腹は出ず、濃い黒髪を丁寧に整えている。叔父とあってか容姿は似ているものがある。水虫かの判断は銀字の容姿を見る限り結びつかない。

「妻子持ちで筋肉馬鹿の3兄弟の息子がいることは事実でしょう。銀字さん、私は失望しました。貴方が何所で痴漢しようが誰と不倫しようがどうでも良いですが、純粋な鳩子を餌食にするのは許せません。来栖家を敵に回した事を後悔するが良いっ」

少々芝居がかった暴走気味の甥と同僚を前に呆気にとられる銀字と鳩子。もっとも鳩子は来栖(同僚)の腕の中で身動きが取れない。

「私も来栖なんだがな」銀字の言葉を聞き流し、来栖鷹矢は腕の中の鳩子を見つめた。

「鳩子・・・鳩子の様な清純な女性が、この邪悪な中年に誑かされたことを思うとそれだけで胸が痛む。だけどこれは悪夢なんだよ、悪い夢から目が覚める時が来ただけだ。僕は君の傷を癒すためにはどんな事でもすると誓うよ。幸せになろう鳩子・・・あぁ、鳩子っ」

抱きしめた鳩子をそっと離し、小さな両手を硬く握り締めて引き寄せた。感極まった来栖は、

「・・・今夜、両親に会ってくれるね?」うっとりと甘く、懇願を秘めた声音で鳩子ににじり寄る。息が荒い。


静かなエレベーターホールに鈍い音が響いた。来栖の脳天を見事な手刀で一撃を喰らわせた銀字は、倒れこむ甥を鳩子から引き剥がし床に転がした。


「「・・・」」


「すまないね、鳩子ちゃん」こんな甥で。

「いいえ、実害はないので」今のところ。


「こいつ本当に大丈夫か?もっと理性的な男と思っていたんだが」変な病気か?と久しぶりにあう甥に不審を募らせる。

「錯乱したんでしょうかね。今日は行過ぎた感じですが、いつもこんな風ですよ」

「ん、そうなのか。こいつも変わったって事かな」しみじみと鷹矢と鳩子を見比べる。

「しかし面倒なことになってしまったね。私としては君をまだ秘密にしておきたかったが、鷹矢の様子からみると打ち明ける必要がありそうだ。・・・いいね?」

「言っておきますが銀字さんのせいですよ。こんな公共の場所でいきなり抱きついてくるなんて、どうかしています」

「まあまあ、鳩子ちゃんだって抵抗しなかったじゃないか」

「しましたよっ。自覚ないでしょうが来栖さんも銀字さんも馬鹿力なんですよっ」

ぷりぷりと腹を立てながらエレベーターに向う。カゴは7階に止まったままだ。

「来栖さんのことは任せました。どんな結果になろうと私は銀字さんに付いて行きますからね。嫌だと言っても離れませんから。忘れないで下さいよ」赤くなった顔を隠すように俯いたままエレベーターの扉は閉まった。


「鳩子ちゃんって健気だなぁ」ほのぼのと緩んだ顔で呟く銀字の足を、地獄の亡者こと来栖鷹矢が怨念を込めて掴んだ。

「破滅させてやる。お前は現代の病巣だ。地獄に落ちれ」涙声に聞こえるのは気のせいではないだろう。

「落ち着けよ。ここじゃ詳しく話せないから上に行くぞ」自分の息子を筋肉馬鹿というが、こいつも結構なモンじゃないか。


鳩子の朝は早い。秘密の用事があるからだ。

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