先のことは分からない
「昼飯食ったのか?」
「うーん、微妙。鷹矢さんの御両親と食べたんだけど、緊張して食べた気がしない」
「え、今朝、会ったのか。そこまでの話が進んでいるんだ」
「変な意味じゃないよう。これから長期間、海外に行くからその前に顔見せって感じだと思う」
「鳩子の言う変な意味の意味がわからん。ただの恋人が両親に顔見せっておかしいんじゃないか?」
「こ、恋人ってっそんな。別に何も」
「朝帰りして、ベッドでイチャイチャして、ディープキスした上で恋人じゃないほうが異常だろうが。そんなふしだらな女に育てた覚えはない」
「でも・・・」
鳩子の頭の片隅には否定のない不安がある。
休憩所での耳に入った会話。
あの時に話題にのぼったゲームの標的が自分なのか。別れ際にそれは判明する。
(嫌だな。聞きたくないけど・・・)
「結婚を前提にした恋人だよね」
遠くにお出かけしていた鷹矢が帰ってきたのかと振り向けば、変わらずに目は遠くに馳せていた。
「なあ、鷹矢さん大丈夫なのか?」
「う。私に聞かれても。あんなテンションの鷹矢さん見たことない気がする」
打算的なものが感じられない素の状態。正しくは無かもしれない。
「そこ、引っ付きすぎ」
「あ、お帰りなさい。鷹矢さん」
「情報に踊らされたのは反省するとして、鳩子の理想が弟みたいな人っていう馬鹿な話が事実無根と分かっただけでも良しとするか」
(まだその話だったんだ)市也は密かに思った。
「・・・もしかして鷹矢さんが豹変したのってその為だったんですか?」
「豹変ってほどじゃないと思うけど、全く見向きもしない鳩子が僕を見てくれるからね」
「確かに、あんなに人懐っこくされると邪険にはできない・・・」
初期の頃は王子様みたいだなぁと憧れに似たものを感じた。だけど、王子様は遠くから見るものだ。
その頃に休憩所での鷹矢の話を聞く。正体を見てしまった感はあるけど、何も思うことはなかった。
仕事の手伝いを申し出てくれると、それには裏があると知っていたので思いっきり邪険にしていた。
ところが頼りにされたり、甘えてこられると困惑した。ちょっと弟たちの幼い頃に似ている気がした。
従兄弟なんだから、市也たちと面影の共通点はあったのかもしれない。
「さて、お前は帰れよ。これから鳩子と出掛けるんだから」
「「は?」」
「ほんと、ハモるよね」
「突然、帰れって言われても、ここ鳩子の部屋だし」
「私、聞いてないですよ。どこに連れて行かれるんですか」
「あ、内容はバラバラなんだね」
「夜に友人たちと約束してるから、その前に服を揃えて、時間が余るようなら映画でも行く?たしか犬の映画があったよね。見た?」
「見てませんけど。その、友人って何で・・・」
「鳩子を紹介する」
「もしかして、その、休憩所の人たち、ですか?」
「休憩所の人?違うけど、誰、それ」
「私、知ってるんです。鷹矢さんが最上階のフロアでお友達と色々話していたのを」
鷹矢は見当もつかないようだ。眉を寄せて考えているが演技している風には見えない。
「もしかして錦に話たことか?・・・鷹矢さんが女性を食い物して遊んでいるって」
頷く鳩子と、
「言いがかりだ。俺に恨みがあるなら堂々と言えよ。鳩子に妙なことを吹き込むなっ」
怒る鷹矢。
「言いがかりも何も、鳩子本人から聞いた話です。俺は錦からですが・・・次の標的が鳩子で弄ぶつもりだと聞いたんですけど」
「な、」
絶句する鷹矢は、襲い掛かるように鳩子に近寄った。
「誤解だ、噂だよ。悪意による中傷なんだよ。誰にそんなことを吹き込まれたんだ」
「え、えっと」
指差す先には焦る鷹矢の顔。
「覚えてないんですか?最上階の休憩所で、お友達三人と話していたでしょ、確か・・・」
鳩子がおぼろげに伝えた日付、そして職場に友人が現れたのは一度しかない。心当たりがある。
「俺、何の話をしてたか、な。多分、嘘だからそれ全部」
話題に覚えはないが、あの友人と話す内容に良いものは一つもないだろう。
鳩子の様子では、聞かれたらまずい話題であるのは間違いない。
「鷹矢さんの女性遍歴とか、結婚観とか、あとは好きなスポーツと、学生時代の人がデキ婚だとか」
「遍歴とかないから、食い物にしたことはない。それから鳩子を弄んでもない」
「で、でもミスなんとかで優勝したサクラさんとか、才女で名高いナナさんに、ジュエリー店経営のサワコさん、ネイルアーティストのヒヨリさんに・・・」
「ストップ、ちょっと待って。そこまで」
しどろもどろになる鷹矢に余裕の表情はかけらもない。必死に抜け道を探しているようだが鳩子の情報はほとんど正確なのを市也は知っている。
「鳩子が、思うようなことは無い」
「私が思うようなことってなんですか」
面白くなさそうに頬を膨らませる。
「その、結婚の話題とかは一度ものぼってない。将来を考えたのは鳩子だけだ」
将来を考えない遊びはしてたんじゃないのか?市也は思うが声には出さなかった。
鷹矢の回答が気にいらない鳩子は、つん、と顔を背ける。肝が冷えた鷹矢は慌てた。
「過去のことだよ。鳩子と知り合ってからは一度だって他所を見たことはない」
懇願し、鳩子の手をさすりながら反応を待つ。
「・・・美人揃いの中で、どうして私なんですか?」
震えそうな声から始まったのは、鳩子が不安に感じる種。
「鷹矢さん、本当に覚えてないの?それともそんな振りしてるの?鷹矢さんが皆の前で言ったの、覚えてるでしょ。美人に飽きたからって次は変わった子を相手にするって」
「別れるまでがゲームなんでしょ、来栖の家に相応しいのは隣にいても見劣りのしない美人が良いって」
「暇つぶしなんですか?」
手を包む鷹矢の暖かさがいつか離れるのかと思うと悲しい。
暖かいこの温度を知っている女性にも、教えた鷹矢にも腹が立つやら悔しいやらで、お腹がグルグルと渦をまくのが気持ち悪かった。
「確かに、そんな事を言ったと思う、けど・・・」
常に相手は美人と称されるタイプが多かった。鷹矢は打算で外見と実力も兼ね備えた女性を選んでいたからだ。出会うたびに最も利益がある女性を探していた。
付き合い始めはそれなりに好きだった女性に魅力を感じなくなる。
隣を歩く女性と街を歩く女性に差はない。
自分の腕に体を寄せて歩く女性を見下ろしても感じるものはなかった。
隣を歩く女性と街を歩く女性。
自分の腕に体を寄せて歩く女性。一緒だ。ただの他人と変わりない。
美人なのだろう。才能もあり、それに見合う努力もする女性たちだ。
好きだったはずだ。結婚で契約するビジネスパートナーを探しているんだから、好きな相手じゃないと。
選んでいる相手は、名前も知らない他人と同じで、鷹矢の特別ではなかった。
「鳩子は特別なんだ。それだけでは不安なのかな?」
「不安ですよっ。あんな話を聞いたんだもん。私が、鷹矢さんの周りには居なかった、変わったタイプだから話のネタに付き合うんでしょ」
本人を前に問い質すとだんだんと腹が立ってきた。
「そ、それで休憩所にいたお友達に見せて笑うんでしょっ。それで次はどんな女性を狙って遊ぶんですかっ。美人ばっかり見てるから私が特別に見えるだけでっ、しばらく付き合ってたらポイ捨てするんでしょ。私なんて鷹矢さんからしたらソレと同じなんだ」
ソレと指差したのはお菓子の空箱だった。愉快なキャラがのっている。
「外側が面白いから買ったけど、全然美味しくないし」
「今日がお別れなんでしょう」
「どうしてそうなる」
痛む頭を抱えて鷹矢は呻く。
「あれだけ告白して態度で示して、それでも鳩子には伝わってないのか」脱力する。
「・・・演技かと」
「ストップ。もうそれ以上は駄目。俺が傷付く。鳩子を弄ぶなんて考えたこともないよ。仮に、そうだとしても公になる振る舞いは避けたはずだろ。両親にも会わせない」
「そう、だけど・・・。鷹矢さんのことだから後から上手くフォローすると思ってた」
「母さんを見ただろ。フォローしている間に、そうだな、今頃は式場選びだろうね」
考え込む鳩子を見て切なくなる。
気持ちが充分に伝わってないのもあるけど、鳩子はずっと疑心のうちにいたのかと思うと早く誤解が解ければ良い。
「僕は真剣に鳩子とのこれからを考えている。結婚を前提にしているが、鳩子は考えてないだろう?。それでも僕の見ている先には鳩子がいる」
「・・・先のことは分からないのに」
「そうだね。明日にでも僕たちは籍を入れているかもしれない」
楽観する鷹矢に少し救われている。
「今夜、別れるてるかもね」
つい、いじわるをしてみた。
「一時間後には受胎してるかもね」
「・・・」
短い悲鳴をあげて鳩子は距離をとった。
「そうだよ、先のことは分からないだろ。こうやって鳩子の部屋にいるのも昨日の僕には分からなかった。鳩子も、だろ?」
すっと上半身を寄せると軽く唇にふれる。
「ほら、ほんの少しの未来さえも分からなかっただろ」
成功した悪戯を喜ぶ、照れた鷹矢を見て胸がいっぱいになった。
優しく先導するように指先を包む暖かさは、この数日で鳩子の肌に馴染んだものだ。
「鷹矢さん、どうしよう。問題は解決したのかな。いっぱいいっぱいで分かんない。嬉しいのかな、でもすっごい、苦しい」
悲しくないのに涙があふれてくる。笑うたびに大粒の雫がぽたぽたと落ちて、それさえも嬉しい。
耳元で囁かれた言葉は、鳩子の心の奥深くに根付いた。
「う、裏切ったら、皆に言いつけますからね。今までの人たちがどんなだったか知らないけど、別れるときはみっともなく足掻きますから。ドロドロの愛憎劇で昼ドラみたいにストーカーして、もし新しい恋人が出来たら影でいじめるし、鷹矢さんの性癖を世間に暴露して、銀字さんに頼んで来栖グループを乗っ取ってもらうし、あと、あといっちゃんに闇討ちしてもらうから」
ここまで来たからには後には引けない。好きとか愛とかを突き抜けて、この人の一番近くにいたいと誓った。
盛り上がる二人を適当に写メして市也は弟たちと両親に送った。
危惧していた、鳩子が弄ばれている線は払拭されたが複雑な思いは変わらず。
鳩子がしがみ付いたまま訴えてる内容はヤキモチを含んでいて鷹矢をおおいに喜ばせている。
現場はベッドのため、このまま雪崩れ込むのも可能だろう。その証拠に鷹矢が市也に出て行けと無言の威圧を飛ばしている。
(そうはいくか。鳩子が喰われるのをみすみす見逃すほど、祝福はしてない)
市也はどっしりと腰をおろしたまま鳩子の目が覚めるのを待つ。
鷹矢の怒りは恐ろしいが、鳩子がいればまず大丈夫だろう。
最強のカードの切り方を学びつつある市也である。
(闇討ちか、一人なら無理だけど四人でいけば大丈夫だろう)
父と弟たちなら喜んで参加してくれそうだ。