弟と姉
「・・・そうですか・・・分かりました」
太ももから手が離れたと思ったら、市也の沈んだ声がして顔を上げた。
「分かってくれて嬉しいよ」
晴れ晴れとした笑顔の鷹矢とは対照的にどんよりとした市也。
「鳩子のことは諦めてくれるね。本当に良かったよ」
「きっかけはどうであれ・・・本家の伯父さん伯母さんも、それに父も公認なんですよね。あの父が何も言わないんです。本気なのは、分かりました」
意気消沈する市也。
話をろくに聞いていないので沈む理由に検討がつかない。
「鷹矢さん、何を話したんです。うちの市也を苛めてませんよね?」
「鳩子もそれ言うの?ずいぶん仲が良いんだね・・・」
晴れ晴れとした笑顔に影が差す。
まるで嵐の前触れだ。
「え、ええ。そうですよ、勿論です」
大きく息を吸って、
「市也くんは私の弟なんですからっ」
奇妙な静寂が鳩子の部屋を覆う。
「・・・だよね。市也くん」
静寂に頼りなさを覚えた鳩子は助けを求める。
「鳩子」
がっちりと鳩子を捕獲した鷹矢は先ほど聞こえた意味不明な単語を聞く。
「弟って、僕が知ってる意味の弟?」
「多分、そうです、よ」
真剣な顔はかっこいいが少し近い。
「市也が弟ということは僕と鳩子は従兄妹、ということになるんだけど、これまで会ったっけ?まさか隠れていた?」
「いえ、会ってないし、隠れても、はありましたが」
「何で隠れるのさっ。もっと早くに出会っていたら・・・まって、肝心なことだけど従兄妹と結婚は出来るのか?。ここにきて禁断愛とか変なオプションいらないし・・・どうなってんだよ」
呻く鷹矢。
「・・・鷹矢さん、もしかして鳩子と俺たちのこと、ご存知ないんですか?」
「意味深な言い方すんな。鳩子とお前らの関係だろ、可愛い鳩子とストーカーたち、合ってるだろ」
「全然違いますよ、ストーカーはどっちかと言うと鷹矢さん・・・じゃ、ないです」
微笑みとともに無言の威圧を察した鳩子は失言を訂正する。
「鳩子のお父さんと銀字さんが大学時代の友人なんだろ。細かくは聞いてないが、交流の場でお前がストーカーになったんだろう。こんなに可愛らしく健気でセクシーな鳩子に惚れない男はいない。思春期のお前が憧れるのは当然だが、彼女は高嶺の花だ。すっぱり諦めてお前に見合う程度の女で我慢しておけ」
過剰な鷹矢の愛のフィルターを通すと鳩子はセクシーになるらしい。
微妙な顔した市也と絶句する鳩子。
(セクシー・・・どの辺りが?なだらかな数字のスリーサイズで?)
「いやらしい目で見るな。痴漢(銀字)の息子はストーカーか、お前の家は呪われてるぞ」
「呪われた家と親戚関係の鷹矢さんにはどんな呪いがあるんでしょうかね。強姦魔ですか」
「鳩子と結ばれた俺を妬むのは理解する。心の底から同情と哀れみが溢れ出てくる。無様だな、負け犬」
隙さえあれば本題から離れて険悪になる二人に感心する。
「鷹矢さん、あの、銀字さんが話したのかと思ってたんですけど・・・」
とりあえず、市也との関係が誤解されているのなら正さなければならない。なんといっても彼らは弟たちなのだから。
「私、銀字さんとこに養女になるんですよ。その話は前々からあって・・・」
鳩子は幼い頃に母と死別した。
その後、数年間は父と父方の祖父母と暮らしていたが上手くはいかなかった。
母を深く愛していた父は、どこかバランスを崩していた。変わり者で通っていた父は祖父母と折り合いが悪く、母の死後は酷くなるばかりだった。
限界を感じた父は幼い鳩子を連れて、突然、銀字たちの前に現れた。
事情を察したのか、それとも父に何か感じるものがあったのか、あっという間に鳩子は来栖銀字の元に身を寄せることになる。
父は仕事で不在になりがちで、鳩子は年を重ねるにつれて高梨の家よりも来栖の家で過ごすほうが多くなった。
中学も高校も来栖から通い、成人式の振袖は父でも祖父母でもなく、来栖のみんなが選び成人の日を祝った。
「昔から養女の話はあったんです。ようやく鳩子が了承して、父も母も喜んでます。勿論、俺たち兄弟も」
「いっちゃん・・・」
はにかんで微笑みあう二人。
「見つめあうんじゃない。それと・・・その話はなかったことにしてもらうからね」
地獄の淵から怨嗟の声がする。
「鳩子の苗字を変えるのは俺だから、ね」
有無を言わせない気迫が鷹矢から放たれる。
「「え、そんなこと?」」
「なんでハモるのさ。そんな事でも重要なんだよ。鳩子の戸籍を変えるのは俺」
「結婚しないって言ったじゃないですか」
叫ぶ鳩子。
「鳩子は遊び相手なんですかっ」
怒鳴る市也。
「ちょ、近い。お前は寄るな」
鳩子を確保し、市也は蹴落とす。
「結婚しないと言った覚えはないんだけど」
「・・・言いましたよ。さっき、綾子さんに聞かれて考えてないって」
「?。ごめん、鳩子がどれを指してそう思っているのか分からないけど、誤解だよきっと」
「でも・・・」
休憩所で聞いた話をここでするには戸惑いがあった。聞いた時には感じなかった、正体のない不安が込み上げてくる。
「僕の戸籍に入るのに、銀字さんの所に入らなくても良いだろう?養女になると問題も出てくるだろうし・・・醜聞は避けたい」
「しゅうぶん・・・」
「どう言う意味ですか。鳩子はうちの家族です」
怒りをこらえて市也は言う。
「家族、ね。それが外の人間に向けて言ったところで誰が信じる?年頃の愛らしい女性が、動くものには飛びついて盛るような男と暮らしていた。邪推されてもおかしくないだろう」
「な、なにもないです。市也くんたちとはずっと兄弟のように過ごしたんですよ」
聞かれて困ることは一つとしてない。堂々と胸をはって答えられる。
「嘘か事実かなんてどうやって見分ける。どうやって証明する?」
いつになく冷たい態度に鳩子は泣きそうになる。
拒絶されたのだろうか。
鷹矢は信じていないのだろうか。
「本当に変なことはありません。鷹矢さんは、し、信じてくれないんですか?」
刑の宣告を待つようにじっと身を潜めて鳩子は待った。他の人は関係ない、一人に信じてもらいたい。
「変なことはなかった・・・信じられる要素が、あるの?」
大きな怒声とテーブルに載せられていたお皿が落ちる音。
市也が鷹矢に掴みかかったのを呆然と見ていた。