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弟わんこの片思い  作者: 苺屋カエル
16/22

浮かれた人に落とし穴

鳩子はこの時まで扉について感想を抱くことは無かった。

(重そう、高そう、こげ茶・・)

重厚な扉はまさしく扉だった。鳩子の小さな部屋に付いている扉なんて、廊下と部屋を仕切るだけの紙に思えてくる。

選民思想の高そうな扉を前にして鳩子の緊張は最高潮に達した。

「来栖さん、私やっぱり帰ります」

「気分でも悪くなった?」心配そうに額を触られて罪悪感が募る。

「う、ううーん。まぁ、気分が悪いような、お腹が痛い気がする」

「二日酔いじゃないよね。風邪かな。早く中に入って休もうか」

「あ、あ、待って。嘘です、緊張して仮病を使いました」

結局は部屋の中に入るのだ。逃げ場を失った鳩子はつまらない嘘を早々に暴露した。

「緊張?なぜ?僕の両親に会うからかい?」

「そうです。マナーなんて全然知らないんですよ。住む世界が違うって言ったら怒ります?でもそうなんですよ。絶対に失敗する、失敗して失笑されたら立ち直れないよ」

「住む世界って・・・僕の両親だよ。普通のおっさんとおばさんだから」

「来栖さんの価値観は変動してます。あのレベルは普通じゃありません」

「マナーについても、正式な場ではないから多少のことでは咎められない。それに父も母もその辺りは大らかだからね。行き過ぎない限り心配はいらないよ」

鳩子は多少のことがどれくらいまでなのか、行き過ぎない限りの限界はどこまでなのか、じっくりと時間をかけて相談したかった。

「やっぱりダメかもしれません。何でいきなりなんですか、心構えが全然です。普通はですよ、その、こ、こい、び・・・」

「恋人?」

「え、えぇ、そのそれに。その、親御さんに会う時ってもっと、うっかり会うとか、ばったり会うとか、お家にお邪魔した時のついでに挨拶をするものじゃないんですか?・・・ちょっと聞いてます?」

知らずにしがみ付く格好で来栖の腕を引っ張っていた。来栖は悟られないように柔らかな感触を楽しむ。

「聞いているよ。鳩子、偶発的なものを期待して待っているだけでは契機を逃すと思わない?攻める時はとことん攻めないと」来栖は腕に当たる感触を更に味わうために、やや鳩子に寄りかかる。

「何ですかその顔。私が焦っているのがそんなに面白いんですかっ」皺になれーと怨念を込めながらスーツを握る。

「誤解だよ。鳩子ってさ、真冬の肉まんみたいだよね。柔らかくて暖かくてふわふわして気持ちが良い」


それはどういうことだろう。

悪口のようだが褒められている気もする。鳩子は悪口かどうかの判断に迷った。


「じゃ、行こうか」微妙な沈黙が流れたが来栖が扉に手を掛ける。

「ま、待ってください・・・やっぱり、こんな立派なところで会うのってまずくないですか?大丈夫なんですか?」

鳩子は自然消滅か、来栖から別れを切り出されて破局を迎えるのだと予想していた。ところが会社ではチーフ、重役、銀字さんの目の前で不本意ながら盛り上がってしまった。昼食でも退社時でも、暇さえあれば来栖はわざわざ注目を集める言動を繰り返す。二人の関係を問われたことはないが嫉妬絡みの視線と陰口はヒシヒシと感じるのだ。

(プラス、今から御両親に会うんだよね。これで別れましたー、なんてなったらどうなるの?)

お互いに無事じゃ済まない状況に陥るのは必至だ。来栖がそこまで考え付かないとは到底思えない。

(じゃ、どうなるの。結婚とか?。まさかね、私では釣り合いが取れないし)

横にいる来栖は見劣りしない程度の女性を希望している。常に人の輪の中心にいるような来栖とでは鳩子は対極の位置にいる。


「もう、いい?」すぐそばに来栖の顔があるのに驚いて、ぐるぐるした思考から一気に意識が浮上した。

「小さな失敗を笑うような人達じゃないよ。失敗しても大丈夫、僕がいるからね」照れくさそうに笑って、そっと手をつないでくる。

考えなきゃいけないことは多くあるのに鳩子は考えるのを放棄した。

まだ緊張はあるけれど来栖にそっと微笑み返す。つながれた手が強く握りこまれる。包み込む強い力が頼もしくて好きだった。


「言い忘れてたけど、今から僕のことは名前で呼ぶこと」

「・・・は?名前?下の?」笑顔に見惚れた鳩子はきょとんとした。

「当然。来栖と言われたら全員が自分のことだと思うだろ?」照れた顔はどこへやら、一転して勝ち誇ったように意味ありげな視線を寄越す。先程のほんわかした空気はどこへ行ったのだ。


「ぜひとも可愛い声で鷹矢さんと呼んでね」

「なっ!」耳に甘い声を吹き込まれて心臓が一気に跳ね上がる。


問答無用で扉は大きく開かれた。




「父さん、母さん、遅くなりました。こちらが僕が紹介する高梨鳩子さん」

((僕???))過去、一度も僕なんて言ったことのない息子を前に両親は揃って首を傾げた。

「は、はじめまして。高梨鳩子と申します。鷹矢さんとは同僚です・・・。いつもお世話になっております」

緊張に声が震えそうになる。

「まぁ、可愛いお名前なのね。はじめまして、母の綾子です。綾ちゃんって呼んでね」優しく鳩子を見守る自分の息子の姿。呆気にとられていた綾子は慌てて鳩子に向き直る。

「年を考えてください。痛々しいですから」鷹矢の母を見る視線が数倍冷たい。綾子はつい、いつもの鷹矢だと安心してしまった。

「父の隼人です。お父様と呼んでもかまわないよ」軽いノリでウインクをする姿が様になっていた。美男美女に揃って微笑みかけられた鳩子は上の空に。

「ああ、それは良いな。鳩子、ぜひそうするべきだ」さらにその息子に見つめられると、なんだか穴があったら入りたいような気持ちになる。

薦められた席に向かう途中、鷹矢にこっそりと話しかけられた。

「・・・父も母もあんな調子だから相手にしないで。困った性格だよね」

「え、そんなことないですよ・・・」

否定はするものの想像以上にアクの強そうな御両親だな、と失礼なことを考えていた。



食事会といっても軽いもので鳩子はほっとした。

なかでも可愛らしく盛られたサンドイッチがお気に入りで、嬉しいことに鷹矢がこまめに皿に載せてくれる。そうでなければ手を出すことも出来なかった。

綾子も隼人も寛いだように、自由に食べては喋り、笑いあっては場を和ませていた。

会話の主導は綾子が握っていて隼人はそれに相槌をうつ。鷹矢は積極的な会話をせずに鳩子の給仕に熱心だった。たまに振られる会話に鳩子は緊張するが鷹矢がサポートしてくれる。


「鳩子ちゃん、海外ドラマに興味は?」振られた話題の一つに鷹矢が嫌そうな顔をした。

「またそれですか」

「またって何よ。私の趣味にケチをつけるつもりなら鷹矢さんは加わらなくても結構よ。それで興味はあるのかしら?」

「海外ドラマですか。流行の韓流ものは全然・・・見てません」

「そっちじゃなくてアメリカものよっ」指をピッとたてた綾子は、水を得た魚の如くイキイキと話し出す。


「主役の人がとっっても素敵なのよね。ちょっと隼人さんに似ているし」

目がキラキラして熱く海外ドラマを語る綾子。誰かに語りたくて仕方がなかったようだ。

「頭が良くて、知識が豊富で、立ち姿がびしっと決まってて、座る姿はセクシーで」

「俳優ですから当然ですよ。不細工なら主役になれません。鳩子、これも美味しそうだよ」甲斐甲斐しく鳩子に給仕を続ける鷹矢。

「鷹矢さんは黙ってなさい。それでね、小さな手掛かりから犯人像を絞り込むときの自信に満ちたセリフがかっこいいのよ」

「そうなんですか」

「そうなのよっ。ドキドキしてたまんないわぁ」

「血圧が高いんじゃないですか。それか心臓の病気かもしれませんね。鳩子、これも食べて」皿の上が山盛りになってきた。

「鷹矢さんは会話に入ってこないでちょうだいっ。・・・でね、彼は私生活で問題を抱えているけど決して負けないのよね。物静かな反面、犯人と対峙すればタフで冷徹で・・・悪を決して許さないワイルドな一面がまた素敵なのよねぇ」ほう、と熱い溜息。

「ワイルドで素敵・・・」

「私生活のストレスを犯罪者にぶつけてるんでしょ。鳩子、おかわりは?」

「女の子の会話に口出しするんじゃありませんっ。子供の頃は素直な可愛らしい子だったのにすっかり捻じ曲がって」

「女の子の会話??。はっ、母さんご自分の年を考えて下さい」鼻で笑う。

「生意気だわ。隼人さぁん、何とか言ってやって」それから二人をそっちのけで始まるいちゃいちゃに呆気にとられる鳩子。


「仲が良いですね」新婚夫婦でも恥ずかしくなる熱々ぶりに鳩子は目が泳ぐ。

「そうだね」父が甘やかすから母が増長すると信じて疑わない息子は冷めた目で見ている。

「僕たちも負けないくらいイチャイチャしよっか。将来、子供が拗ねてしまうくらいに」

「な、なんのことですか?」精一杯、無表情を装うが赤くなる頬は止められなかった。


「私の勝ちよ!」

綾子の声に二人揃って注目すると勝ち誇った綾子がいた。

「ほーら見なさい隼人さんっ。あのラブラブな二人。鳩子ちゃんたら鷹矢のプロポーズを受けたのよねー。これで違っていたら詐欺よ」最後は隼人に向かって言った。

「落ち着きなさい綾子。子供の話題がたまたま出ただけで判断するにはまだ早い。それにその問題はそっとしておこうと言ったばかりだろう」

「あら、負け惜しみは良くないわ隼人さん。この勝負私の勝ちよ。約束は守って頂戴ね」

「・・・やはり息子の結婚問題を賭けの対象にするのはよろしくない。無効かな」

「いまさらだわ。これで海外ドラマは一日一話の制限を解除ねっ」

やったーっと喜ぶ綾子を、鳩子は呆然と、鷹矢は引きつった顔をしていた。


「どういった話ですか?。父さん、母さん」静かな声の分、鷹矢の怒りのレベルがうかがえる。

「え、えぇーと。何だったかしら」打って変わってしおらしくなる。

ほっそりとした指先を顔に添えるだけで男を虜にする儚さと可憐さが滲む。あいにく息子が相手なので綾子の色香も無駄に終わったが。

「人生の岐路に立つ息子をネタに賭けですか?」

「あら、いけない?言っておきますけど、私は鷹矢さんを信じていたわ。鷹矢さんならプロポーズの一つや二つかるーく成功させるくらい簡単よね。だけど隼人さんたら先のことはわからないからって消極的なのよ」しおらしくしても無駄と悟った綾子は一転、開き直る。

「それで内訳は」

「私は鳩子ちゃんがプロポーズをすでに受けているのに賭けたわ。母ですもの、子供を信じて当たり前よ。それに鷹矢さんが断られる理由があって?。私の息子だもの当然だわ」そんな綾子を鷹矢は苦い顔で見ていた。

「けど隼人さんは、まだその段階じゃないって言い張ってるの。あろうことか鳩子ちゃんとは恋人でもないだろうって。そんなの変よ。鳩子ちゃんが鷹矢さんを嫌いだったら二人でホテルになんていないもの。慧眼の優れた隼人さんにも間違いがあるのね、今回は私が正しいのよ」

ふふふ、と軽やかに得意げに笑う綾子は豊満な胸を強調するよう背を反らす。


「で、お二人とも、式の予定は決まっているのかしら」

輝く瞳は期待と興奮でいっそう煌めき瞬いている。


「・・・考えていません」小さく押し殺すように否定した鷹矢に鳩子の動きが止まる。


「母さん、その話はいいでしょう。正式なものは別の日に」まるで話題に触れられたくないと言わんばかりに強く拒絶した。

「あら、仕事が遅いのね」つまらなそうに眉を寄せた綾子。

ショックを受けていた鳩子は、夢見心地だった世界からパリンと弾けて覚醒したように一気に冷静さを取り戻した。

「いずれにしても、まだ先のことです。互いの問題も残されていますからね」

「問題ねぇ。ぜーんぶ解決するまで先延ばしにしてたら、いつのことになるのかしら?」

「ともかく母さんには関係のないところですので。引っ掻き回さないでくださいよ」

それからは、なんですってと綾子が憤慨して母子の舌戦が始まった。だから鷹矢は気づかなかった。

蒼白な顔して表情の抜け落ちた鳩子のことを。


(考えてないって・・・そっ、そうだよね)

鷹矢に否定されたことが想像よりもずっと強い力でもって鳩子を傷つけた。

やがてぎこちなく笑みを浮かべて取り繕う鳩子を隼人だけが痛ましそうに見ていた。

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