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弟わんこの片思い  作者: 苺屋カエル
1/22

犬、懐く?

高梨鳩子は相手に気付かれないように、そっと時計を盗み見た。

呼び止められて5分は経つ。

一日の終業を後に大きな声で名指しで呼び止められた。目立つことを良しとしない鳩子は振り切ることも出来ずに今に至る。

鳩子はこれまた気付かれないように溜息をこぼし、今度は時計ではなく目の前の男をみた。

名前は来栖鷹矢。鳩子が勤める会社グループの御子息だ。いかにも坊ちゃま然とした穏やかな微笑、生活や人生に余裕のある人特有の自信に満ちた雰囲気を纏っている。身なりも清潔で気品がある。その日の仕事に追われ、疲れたサラリーマンとは違い、一日の仕事を終えた今もどことなく優雅である。


つまりは仕事してないんじゃなかろうか?と鳩子は考える。


「高梨さん、聞いてる?」

「はいはい、聞いてますよ」

「ほんとにね他意はないんだ。でも高梨さん、いつも親切にしてくれてるし、他の人と違って僕が社長の息子ってとこに重点置かないじゃない?。だから、その、お礼を兼ねてバースディプレゼントでも、ね?」


慎重に一言づつ言葉を捜しながら綺麗な声で語る。他意はないと言いつつも、その声の温度からは僅かに好意も見える。首を少し傾げて微笑む顔は少しだけ恥ずかしそうに赤い。

鳩子は来栖と反対方向に首を傾げて考えた。

いつの頃からだろう。来栖が妙に懐いてくる。この前も海外視察の土産として小さなネックレスを貰った。そして今度は誕生日のプレゼント。


「何が良いかな?あっ、遠慮しないで言ってくれると嬉しいな」

来栖の様子は社会人の男のそれではない。無邪気で人懐っこく、鳩子に喜んでもらいたい一心の期待を振りまいてる。

通り過ぎる社内の人間が興味津々でこちらを見てくる。只でさえ、この来栖という男は人目を惹く容姿と肩書きを持っているのだ。あそこにいるのは来栖狙いの山口嬢ではないか、受付の西沢嬢の視線も痛い。鳩子は目立ちたくないというのに。


鳩子は決心した、はっきりと断りを入れよう。そして二度と仕事以外では声を掛けないでくれ、とズバリ言ってしまおう。口を開き、来栖の目をみて、


「・」


口を噤んだ。

鳩子はこの手の男に弱いのだ。自覚ありの重度のブラコンで弟タイプの男には強く物を言い出せない。ついつい甘やかしてしまうし、ついつい貢いでしまうし、ついつい守ってあげたくなる。残念なことに来栖は鳩子の理想の弟像No1で、子犬のように無防備な笑顔で懐いてくれるのは嬉しい。

そしてもう一つ、重度の犬好きでもある。鳩子よりも大きな背丈で「さあ、ボクを撫でて、たくさん褒めて」と訴えかける来栖の期待に満ちた子犬の瞳は、鳩子を寛容にさせ聖母にもなれる自信がある。つまりは全てを許してしまいそうなのだ。


しかし、このままでは駄目なことは明白。鳩子は注目を浴びるのなんてゴメンだし、来栖を挟んで女の修羅場に身を投じる羽目になるなんて断固拒否する。


「高梨さん、ここじゃナンだしどこかの店に入らない?ゆっくりお茶でも飲んで考えてよ」

まずい、ゆっくりなんてしてられない。来栖には悪いがこれ以上関わりたくは無い。

「あっあっ、そっ、そうだ。私、はちみつワンタのベーカリーハウスが欲しいです」


「・・・えっ?」


聞きなれない言葉に来栖の動きが止まった。

「子供の頃、はちみつワンタのベーカリーハウスがすっごく欲しかったんです。それが良いです」

にっこりと笑顔の鳩子と違い、来栖の顔には困惑の色しかない。

「じゃ、楽しみにしてます。でも無理をしないで下さいね」なんせベーカリーハウスも、はちみつワンタも何年も昔に生産終了したのだから。

「では、失礼します。今日は弟が久しぶりに家に寄るので早く帰らないと」

呆気にとられる来栖を横に、鳩子はこのチャンスに帰ろうと踵をかえそうとしたが来栖に腕を掴まれた。


「まっ、まって、高梨さん。ごめん、他は?他はないのかな?。アクセサリーとか、そうだブランドで僕の知ってるとこで良ければ案内するよ」前半は焦った顔で、後半は素晴らしい思いつきに笑顔で捲くし立てた。

「いえ、他は全くいりません」きっぱりと言い切る鳩子に驚いた。

「もしかして、負担に感じたかな・・・」寂しそうに来栖は長い睫を伏せる。

そんなことないよ、落ち込まないでと鳩子は来栖の頭をなでなでして、よしよしと励ましたいのを懸命にこらえた。


「高梨さん、気を悪くしないで欲しいんだけどバッグとかなら駄目かな?。今使っているのは、かなり古くなってるみたいだし、買い換える手間を省く気持ちでプレゼントさせてくれない?」寂しそうな瞳に健気な色をみせて鳩子を見つめる来栖。受付の西沢嬢の視線が鳩子を仕留めんばかりに尖っている。

鳩子は自分のカバンを目線の高さまで持ち上げて検分した。言われてみれば随分と草臥れているのに気付いた。

「確かにボロですね。でもこれは可愛い弟に買ってもらったんです。まだまだ使います」というより、使えます。壊れるまで使います。正直に言うと来栖の目が少々尖ったようにみえた。

「それは、・・・高梨さん、弟さんからのバッグを壊れるまで使わなくても良いと思います。高梨さんみたいに物を大切に使うのなら僕のお勧めのブランドがありますよ。使いやすさは定評があるし、壊れにくくて古さを感じさせない。職人が一つ一つ丁寧に作ってありますし、女性の人気も高くて有名です。きっと気に入りますよ」言葉の端々に苛立ちが垣間見える気がした。

来栖はふっと息を吐き出すと、さっきまでのことはなかったようにニッコリと笑顔を浮かべた。

「そうだ、今度の休みの日に案内しますよ。一緒に選びましょう。ねっ、決まり」ぐっと手に力を入れた。鳩子は未だに腕を掴まれているのを改めて意識した。

「いえ、結構です。今度の休みは丁度近くのデパートで得倍市があるんです。そこで弟に買わせます。ではこれで失礼しますっ」

掴まれた腕をブンブンと振り解き鳩子は来栖に今度こそ掴まれまいと一目散に駆け出した。

後ろから鳩子を引き止める声が聞こえる。追いかける気配はないが走り続けた。

そもそも声を掛けられた最初に立ち止まらなければ良かったのだと心の底から反省をしていた。


(危ない危ない、思わず絆されそうになってしまった)

鳩子杯、弟だったら最高だグランプリ、現在ぶっちぎり1位独走。の来栖に決して気を許しちゃいけない。

鳩子は知っている。来栖という男は、本当は「僕」とは言わないことを。遠慮がちに頬を染めたり、悲しそうに睫を伏せることも、健気に譲歩してみせることも、決してしない男なのだ。

何故、鳩子が弱いとされる弟タイプを演じてまで近づいてきたのかは謎のまま今日に至る。


(容姿が良いもんだから無碍にできないのよね。あぁあれが本性なら良いのに。勿体ないなぁ)

本当に残念だ。鳩子は可愛い弟がいるであろう家に向って、そのまま走って帰っていった。


大変な見切り発車なため、タイトルに偽りありの可能性がございます。

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