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episode1 依頼

肺の空気を全て出し切る。また新しい空気を肺に入れる。


3度目の深呼吸を終えた時には、見えている景色が変わる。




 「ゾーン」極限の集中状態。ゾーンに入ると、時間の進み方がゆっくりに感じたり、音がよく聞こえたり、感覚が研ぎ澄まされる。




「なんか見えた?」


「お前と同じものかな」


粕井≪かすい≫はなーんだと言いながら、キャンパスノートを閉じた。


「今回の依頼はこれで報告しちゃうね」


そう言いながら粕井は事務所へ帰ろうと歩き出した。その時、


「あの、、!」


若い女性の声だからって振り向かなきゃよかったな。と、思い出すと今も後悔する。






ここは埼玉県の川越駅から、歩いて15分のところにある、探偵事務所【umbrella】。


メンバーは俺と粕井のふたり。俺の名前が佐嘉≪さが≫で、2人の頭文字を取ったら“かさ”になるので決まった社名である。


【umbrella】は珍珍珍という麻婆豆腐だけは世界で1番美味い中華料理屋の2階にある。


扉を開けると来客用のソファが向かい合って置いてあり、衝立を挟んでデスクが3台置いてあるのみの事務所だ。




「お2人が例の粕井さんと佐嘉さんなら、分かると思うんです」


「もうわかった!やる!この会話めんどくさい!」


粕井が折れたみたいだ。仕方ないので俺も付き合うことにし、


扉を向いて座っている粕井の隣に腰をかけた。




「今からこの部屋のどこかにボールペンを隠します。お二人は部屋から出ていてください。3分後に入ってきていただき、ボールペンを見つけられるかがテストです」


「それって2人でやらなきゃだめ?佐嘉だけでよくない?」


「それなら1人ずつやりますか?」


「…2人でやる」




「なぁ、あの三崎≪みさき≫って女、誰から俺らの話聞いたんだと思う?」


身長は2センチ俺の方が低いはずなのに、下から覗き込んでくる粕井の眉がハの字になっている。


「確かにな。そうじゃなきゃお前みたいなガラ悪い奴に話しかけないよな」


粕井は見た目が派手だ。金色の短髪で、身長は181センチ。


両耳に大きめなピアスをつけ、サングラスは必ずつけている。


「だから、お前のかっこいいと俺のかっこいいは違うの!


俺からすればお前のかっこよさは何もわからん。ジャケットなんて着てると肩凝るだろ?」


粕井は基本パーカーかTシャツしか着ない。


それに比べて俺は、ジャケットに白Tシャツという、至ってシンプルな服装だ。


「探偵は目立つなって基本だろ」


「2人組探偵の片方はヤンチャそうなのも基本だろ」


そう言われるとちょっと納得してしまう自分が悔しい。


「お待たせしました」


少しドアを開けた、三崎の声が聞こえた。




「今部屋のどこにボールペンがあるかわかりますか?」


そういうのはお前だろと、顔で粕井に言われた気がした俺は、小さくため息をつきながら目を閉じた。




肺の空気を全て出し切る。そして新しい空気を吸い込む。それをまた全て出し切る。3回出し切ったところで、空気を吸い込みながら目を開ける。


人は極度の集中時に、脳内で神経伝達物質「エンドルフィン」が分泌される。

これは"痛み"を"快感"に変える物質と言われているが、俺と粕井の場合少し違う影響も及ぼすらしい。


周りの雑音が何も聞こえなくなる。部屋を出る前に見た景色と、今の景色の違いを確認する。カーテンの揺れが大きくなっている。三崎の着ている長袖のカーディガンの右袖が少し長くなっている。デスクの上に置いてあるファイルの一つが、少し傾いている。


「ボールペンは2本隠したろ。1本は右袖の中、もう1本はそこのデスクのファイルに挟んでる」


「…ほんとだったんですね」


自慢げにニヤニヤしている粕井の顔を横目で見て、お前何もしてないだろと、思いながらまた小さくため息をついた。




「どうしてわかったんですか?不思議な力があるとだけは聞いていたんですが」


「誰から聞いたかわかんないけど、俺らは何も不思議な能力を持ってたりするわけじゃないんだ。簡単に説明すると、人はすごい集中するとゾーンって状態になる。それは周りの時間がゆっくり進むように感じたり、今よりもっといろいろなことに気がついたり、感じたりすることができる。そのゾーンに俺らは自由に入ることができて、ゾーンを人より使いこなすことができるだけ。みんなできるもんだと思ってたよ俺は」


粕井の説明を聞いても、完璧に理解は出来てないような三崎だが、俺もそれ以上の説明はできない。


「なるほど。なんとなくはわかりました。そしたら依頼をしたいのですが」


「ちょっと待って。まずこっちから話してもいい?俺らのことを誰から聞いたのか、俺らの仕事料は聞いてるのか。先に教えてもらいたいんだけど」


そうだそうだ!と粕井も気になるようだ。


「私は三崎雫っていいます。降山大学2年で、心理学を勉強してます」


「もしかして錦≪にしき≫先生の…?」


「その通りです。今のもゾーンですか?」


「いや、これは推理にもならないレベルだよ…」


錦先生は、俺と粕井が探偵をすることになった人だ。俺らの能力のことも、使い方もほとんどは錦先生に育ててもらった。


ただ錦先生からの紹介なんて、今まで一度もなかったのだか。


「そしたら仕事料については知ってる?」


「すみません。それは聞いてないんです。」


「だよね〜。錦先生って大事なことは何も言わないでしょ?そしたら説明するね。俺と佐嘉は2人で1つの仕事を受けます。料金はどんな案件でも必ず40万。その他経費は払ってもらいます。そして期限は1ヶ月。これ以上は絶対にやりません。理解した?」


「料金は分かりました。それなりに用意してきたので大丈夫です。でもなんで期限は1ヶ月なんですか?」


「それ以上は時間がなんとかする問題しかないじゃない。原因と現状は1ヶ月あれば突き止められるからね。それ以上は俺らじゃなくて依頼主の問題になるってこと」


「…分かりました。そしたら依頼をしてもいいですか」


「そしたら契約書と料金払ってもらっていい?」


粕井のこの時の笑顔はいつみても幸せそうだ。






「ストーカーがいるんです。多分同じ大学にいると思うんですけど、誰かわからないので見つけてほしいんです」


「それは俺らじゃなくて警察じゃない?」


「そうですよね。でも自分の思い込みでストーカーなんかいなかったら恥ずかしいじゃないですか。だからストーカーが誰か突き止めて、警察に行こうかと」


「恥ずかしいってだけで40万よ?お金あるなぁ」


「高校の時から貯めてきた貯金です!もしストーカーが思い込みなんてわかったら、恥ずかしくて大学に通えないじゃないですか!それで40万は安いです!」


俺と粕井は5歳しか年齢が違わない年下の女の子に対して、少し年の差を感じた。安くないだろと思えるやつが相棒で良かったとも思えた。


「とりあえず依頼は受けるよ。錦先生の紹介なら元から断れないし」


俺は三崎にそう言って、詳しい話を聞くことにした。




三崎の話によると、ストーカーがいると思う出来事が2ヶ月前から起きているらしい。誰かからずっと見られてる気がする。知らないTwitterのアカウントからDMがたくさん送られてくる。その内容も身近な人しか知り得ないようなことばかり。


直近では自販機で買った飲み物についてのDMが来たそうだ。


また部屋に自分のサイズぴったりのドレスが届いたこともあるそうだ。


「え、ピッタリってそのドレス着たの?」


「そりゃドレスが届いたら着てみたくなるじゃないですか!」


「そうなのか…佐嘉、これが俗に言う女心ってやつ?」


「いや多分違うな。俺もわかんないけど」


「とにかく、色々とこれってストーカーじゃないかなって思うようなことがよくあるんです。調べてください」


「分かりました。それでは本日6月13日より1ヶ月間の契約で依頼を受けます。何かあればここにご連絡ください」


仕事用の携帯電話番号を伝えて、今日は三崎を帰した。


「それじゃ明日大学行ってみるか。錦先生にも挨拶しに行かないとな」


粕井は少しだけめんどくさそうな顔しながら頷いた。






「お久しぶりです。錦先生」


中庭のベンチで、缶のマックスコーヒーを飲んでいる、巨体を見つけ、後ろから声をかけた。


「そんな甘いの飲んでると、いよいよ履けるズボン無くなりますよ」


「わかってねぇな粕井は。体に悪いものほど美味いって決まってんだよ。それがこの世の摂理だろ?」


「俺らがマックスコーヒー飲んでも体に悪くはないんですよ…」


呆れながら錦先生に言うと、そっかそっかと言いながら、自分の腹部をさする先生は、白いシャツを着ているせいか、ミシュランマンにしか見えなかった。


「先生はなんで俺らが来たかわかってるでしょ」


と粕井の問いに、少し笑いながら


「三崎ちゃんだろ?あれは俺には無理だ。時間が足りねぇ」


「だからって俺らかよ!絶対めんどくさいから俺らに擦り付けただろ!」


「大学の教授ってのも暇じゃねぇからな。お前らみたいな若者はいっぱい働け」


「時代的にパワハラになるぞ…」


俺の言葉に、生意気言ってんじゃねぇと笑いながら言う先生は、相変わらず俺らもつられて笑ってしまうほど豪快な笑い方をしていた。




「君は錦先生の授業を受けてる生徒だよね?少し話を聞いてもいいかな」


心理学の授業が終わった時に、教室から1人で出てきた女子生徒を捕まえて、話を聞くことにした。


1人で教室から出てくることが重要だ。友達と授業を受けている子は、周りをあまり見ない。1人でいる人の方が周りの人をよく見ているものである。


「ほんとにそうなんですよ!変わってるっていうか、少し気色悪いんですよね」


最初は怪訝な顔をしていた女子生徒だが、5分もすると向こうから話してくるようになる。


この話術は粕井の生まれ持った才能だ。


「少し話聞いただけでもわかるわ。でもそんなに独りでずっと過ごしてるの?さすがに誰か1人くらいは友達いない?」


「ほんとにいないの!読書してる時もあるし、スマホ見てる時もあるし、ぶつぶつ言いながら天井ずっと見てる時もあるし。仲良さそうな人といるとこなんて見たことないもん」




じゃーねーと手を振りながら、粕井と連絡先を交換した女子生徒と別れた。


「由衣ちゃんが言っていた三崎の雰囲気と、俺らが話した三崎の雰囲気違くない?」


先程の女子生徒の下の名前が、由衣だと初めて知ったことはおいておき、粕井の意見には同感だ。


「学校の三崎を知っている奴らは、確かにストーカー被害にあってるって言っても、信じなさそうだな」


「キャラ作ってんのかな」


「だとしたらキャラミスだろ」


「あの…!」


急に2人の会話に知らない声が入り込み、会話が止まった。後ろからの呼び声に振り向くと、短髪でスラッとている、爽やかな好青年が立っていた。


「どうした男前」


「いや、今の会話って三崎についてですか」


「いきなりどうした男前」


「少しだけ会話が聞こえて…もしかしたら何か知ってるのかと思ったんで…」


「ん?君と三崎の関係は?」


「同じ高校だったんですけど、大学入ってからだんだん元気なくなってきて、気になってたんです。何かあったのかなって」


「なるほど。つまり男前君は三崎さんの元カレってやつか」


「え…違いますよ!」


「あれ。三崎さんからそう聞いてたんだけど違ったのか」


「…一応高校の時に付き合ってました。あなたたちは何なんですか?」


「一応探偵かな」


粕井から肩を叩かれて、”ゾーン”の状態から戻ってきた俺は、


「よろ…しく」


ずっと話してなかった為か、声が出なかった。




「え!雫から僕の事は聞いてなかったんですか!」


「うん。元カレって言った時の声のトーンが少し上がって、話すピッチも上がったからね。うちの佐嘉ちゃんにかかればすぐわかっちゃうよ」


「カマかけられたのか…探偵ってすごいな…」


頭をポリポリ掻きながら、顔の中心にしわを集めているのに男前が崩れないのも、才能だなと思った。


「山瀬 遼≪やませ りょう≫っていいます。ご存じの通り、雫とは以前付き合ってました。大学に入ってすぐにフラれちゃいましたけど。それでも最近は会えば話すし、そんなに気まずくなったりしてなかったんです。でも最近の雫は何か思い詰めてるのか、周りを寄せ付けないようになってるんですよ」


「何か思い当たることは?」


「あんまり思いつかないんですよね」


「あんまりっていうと、何か思いつくことはあるってこと?」


「ありますけど、それであそこまで思いつめることはない気がするんですよね。だってあんな感じになったのも僕と別れてからだしそれもあるかなって。さすがに雫から別れ話をしておいて、ああにはならないかなとも思うし」


「なるほどね」


人が生活をしているのであれば、もちろん何か出来事は必ず起こる。その結果、何を思うかやどう行動するかは、当事者によって変わるものである。自分にとって大したことないと考えていても、本人がどう思うかなんてわからないものだ。


「可能性は片っ端から検証したいから、思いつくことは全部教えてほしいんだ。今って話す時間ある?」


「バイトまで2時間あるんで、学食行きません?」


俺が何か答える前に、唐揚げ定食ある?と行く気満々の粕井は、すでに財布を出しながら歩き始めていた。


「ねぇ!学食ってどっちだっけ?」


これだから唐揚げしか考えてない奴は…


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