勇者一行、魔王城に到着
勇者一行が魔王城に辿り着いた。
なんてことはない。いつも通り、玉座に座って魔道書を読んでいると突然武装した勇者たちが広間に入ってきたのだ。
数を数えると、全部で六人。男五、女一。全員実戦でしか培われない筋肉のつき方、顔つき、隙のない構え。これまでの旅が壮絶だったんだろうなということで見てとれる。
ため息が出る。
いつかこんな日が来るのだろうなとは思っていた。
それを少しでも先延ばしにするために、魔王は生まれてからずっと、人間に見つからないようとにかくひっそりと暮らしてきた。
そんな努力は虚しく、勇者一行は今まさに魔王城に着いてしまったわけだが。
初めて見た勇者は思っていたのとは全然違った。
それでも一目で勇者だとわかるほど、特別な人間だった。
白髪に美しい金の瞳。白いまつ毛に縁取られ、瞳そのものが宝石のように見える。
そして子どものように小柄で華奢。
小さな両手を使って、大きく美しい聖剣を構えている様はいじらしいほどだった。
だが身なりのほうは酷い。
髪も肌も血と汗と汚れに染まり、服なのか布なのかわからないほどに汚い布切れ身にまとっている。
後ろに控えている数人の仲間たちも、同じように汚れ、傷つき、その姿がいかにここまで来る旅が過酷だったかを物語っていた。
ほんと、わざわざ来なきゃいいのに。
「あなたが魔王か?」
剣を構えたまま勇者が言葉を発した。
感情の読めない声色だった。
『いかにも。儂が魔王だ。それで? 用件は』
ぱたん、と魔導書を閉じ、玉座の肘置きに肘をついて、もっともらしく言ってみる。
用件なんて本当はわかりきっている。
魔王を殺しにきたのだ。
他の生物がわざわざ魔族に会いに来る理由など、それ以外ない。
魔族は有害だ。
その中でも魔王は災害級に厄介だ。
同族である魔族以外の生物は、魔王の声を聞けば死ぬ。
もしくは血反吐を吐いて錯乱する。
赤子や小動物なら魔王がため息をつくだけで殺せるし、池に手を突っ込めば2秒で魚が浮いてくる。
花を見つめればまるで早送りでもしたようにみるみる枯れる。
そこらへんの木に立ちションでもすれば、どれほど大木でも見る間に朽ち果て、そこら一帯に当分植物は生えない。
でもこれは全部わざとじゃない。治したくても治せない体質のようなものだ。
そして魔王ほどじゃないにしろ、他の魔族もそういう有害体質をもっている。
だから魔族は他の生物の目に触れぬよう、とにかく徹底して身を潜めて生きる。
まあ魔族がどれだけ気を遣おうと、人間からすればそんなことは関係ないらしい。
『儂を殺しにきたのであろう?』
勇者が黙ったままだったので、話しかけてみた。だが勇者は表情を固くし、強く剣を握りしめたままこちらを見つめるだけだった。
『はぁ……おぬしらも大変じゃな。魔族の瘴気に耐性がある人間は、魔族討伐に行かなきゃならないのであろう? 儂に会いに来るのが役目とは、なんとも可哀想に』
ため息混じりに皮肉ってみる。
殺しにきた相手とは言え、せっかく初めて同族以外と会話できるチャンスなのに、何も言葉が返ってこないことに落胆していた。
「私たちはこの役目に誇りを持っています!」
声の主は勇者の後ろに立っていた、修道女のような格好をした少女だった。
『そうだな。で? 殺すことに誇りを持たれるほど、存在そのものが有害である我々魔族は、一体何のためにこの世に生まれたのだ? 仮に儂ら魔族がこの世から1匹残らず消えたら、おまえの誇りとやらはどこにいくのだ?』
「あ……」
「僧侶は黙ってろ」
口を開いたのは意外にも勇者だった。先ほどの感情のない声とは違って、明確に呆れと怒りを含んだ声だった。ただそれは魔王に対するものではなく、少女に対するもののように思えた。
『儂らだってこの体質のせいで他のすべての生物に迫害され続けて困っておる。悪意を持って攻撃しているわけでないのに存在そのものが有毒と言われたらどうしろというのじゃ? おぬしら人間側がどうにか対策してくれればいいものを、それも一向に無理なようじゃし』
頬杖をついたまま勇者一行をちらりと見る。
言ってはみたものの、魔族の瘴気は人が行う鍛錬や修行で耐性がつくものではないことは魔王もわかっていた。
だが、稀に____本当にごく稀に生まれる、瘴気の影響をほとんど受けない特殊体質の者たち。
人間たちはそれを赤子の頃から厳しく訓練し、魔族を殺すことに特化した存在に育てる。
これが勇者一行と呼ばれる集団の正体だ。
魔族の瘴気の影響がない人間たちなら友達になれそうなのに、と思ったけど、勇者たちだって他の人間の手前そんなわけにもいかないか。
『だからおまえら勇者一行は多くの儂の同族を殺し、そしてわざわざここを探し出してまで最も強い瘴気を吐く儂を殺しに来た。そうじゃな?』
「……殺しにきたわけじゃない」
表情を変えず、勇者が言った。
『ではなにをしにきた?』
「……今は言えない」
「封印か? まあ好きにすればよい。儂は抵抗せん。ただひとつ言っておくが封印したからと言って儂の呼吸が止まるわけではないぞ。無意味なことじゃ」
「封印もしない。僕は貴方と対話しに来たんだ」
『儂だって同族以外の生き物と喋ったの初めてじゃしたくさん喋りたいけどおぬし全然喋らぬではないか。儂ばっかり喋っておる。何か言いたいことがあるならはっきり申してくれんか?』
「……それは……申し訳ない。僕もすごく緊張しているんだ。あなたを傷つけたくない。ただあなたともっと喋りたい。やっぱりそう思った。間違ってなかった」
『は? ポエムみたいな喋り方やめてくれる?』
一瞬の沈黙。勇者は少し赤面して、初めて感情を見せたように思えた。
「……だから……えっと……あなたに聞きたいのはつまり……」
言い淀む勇者。だが突然意を決したように顔を上げると、魔王の目を見つめて言った。
「……人間みたいに生きたいか?」
「………………」
魔王は黙った。途端に怒りで体が膨れたように見えた。握りしめた玉座の肘置きがボロボロと音を立てて崩れる。勇者は顔色ひとつ変えなかったが、後ろにいる仲間たちには緊張感が走った。
「……答えられないか?」
『……いや? 別に? 答えられるがおぬしには教えぬ。どうせ理解できぬ。ただ___……あまりに無礼な質問で驚いただけじゃ』
「……どうか怒らないで、ただ話を」
『儂は怒ってない!』
気がつくと魔王は勇者の声を遮って大きく叫んでいた。勇者達は途端に身を固くし隙のない構えをさらに固め、魔王の一挙手一投足に注視した。
『儂は恨んでない』
ゆっくりと、呼吸を整えて言い直した。
『……恨んではない……ただ、儂は、魔族はみんな生まれてきたこと自体が可哀想じゃと思っているだけじゃ』
勇者以外の数人が辛そうに俯いた。
魔王はその様子に思わず鼻で笑った。
『おぬしら人間は儂らのただの呼吸のことを瘴気と呼ぶな?』
沈黙。勇者たちから返答はない。
『儂はなにか悪いことをしたか? 儂は……儂らは普通に息をしているだけで邪悪か? 生まれてきたこと自体が間違いか?』
勇者達は変わらずただ黙るだけ。だが、なぜだか勇者の瞳の煌めきだけが強まっている気がする。
『殺してやりたい。だけどそれ以上に、殺してほしい。迫害されるだけの人生はごめんじゃ』
____……もうどうでもいいのでな。
儂だって他と共存する上で生物として致命的な欠陥すぎるだろと思ってるし、とはいえ治しようもないし。早く消えたいとずっと思っていた。
そんなことを考えている間も、勇者は無造作に伸び切った前髪の隙間から、金色の瞳を弾けるように輝かせながらこちらを見つめていた。
相変わらず感情が読めない。強いて言うなら……期待?
期待に目を輝かせているように見えるけど、でも何故?
遂に儂を倒せそうだから……?
なんとなく別の理由の気がした。
___おぬしは儂を倒しにきたんだよな?
そう聞こうと口を開いた瞬間、先に勇者が呟いた。
「それなら……魔王。どうかあなたを、祝福のない世界へ」
勇者の剣先から流星群のような光が放たれ、魔王の体全てを包み込み、視界は弾けて流れていく星で覆われた。暖かいような冷たいような、不思議な感覚だった。抵抗する間もないほどあっという間の事だった。元より魔王に抵抗する気もなかったが。
弾ける視界と不思議な感覚を味わいながらぼんやりと考えていた。
勇者の言った言葉。
“どうかあなたに、祝福のない世界を”
そう言った? 祝福のない世界……祝福のない世界ってなんだ?
『これ以上、今以上、祝福がないことってあるか? 存在するだけで、息をするだけで、声を出すだけで、許されないようなこの世界よりも残酷な場所があるなら! 見せてみろ! 世界中の生き物から拒絶される気持ちがおまえにはわからないんじゃ! よかったな! 魔族のおかげで、おまえらは生きる意味のある人生! 必要とされる人生! 儂のおかげで! 儂らのおかげで!』
どうせ死ぬなら、と躍起になって叫んだ。これ以上に祝福がない世界があるなら、そこはきっと地獄だ。
笑いながら涙が出そうになったのに、それより速く自分がどんどん小さく丸まっていく感覚と共に気を失った。
最後の一瞬、流れ星の隙間から儂の魔道書が床に落ちるのと、なぜか心配そうな顔をした勇者が見えた気がした。
「いってらっしゃい、どうかご無事で。祝災の魔王」