第六話:溜まる涙は燃ゆる沼へ、沼の主は君を見る。
「……ここ、は」
蒼い空間、暗く湿り気を感じる空間に、気づいたらいた。
その空間に鳴り響く、静けさを奏でる音。
波紋を生むその音は、僕の胸の中を霞んだ青色に染め上げる。
その音を聞く度に、感じたことのないものが、その空間の背景を通して、奥底から滲み出してくる。
痛みよりも苦しい、別の何か。
「寒気がする……。?!」
胸の中を何かが、ガンジガラメのように思考を制御してくる。
水溜まりに足元をすくわれて、溺れていく。
「な!?」
溺れ、沈み、落ちていく……。
やがて、ソコは熱を発し始める。
焼かれていくその青さは剥がれ落ち、マグマのごとく揺れ動く赤さを放つ。
冷たさを感じたその水溜りは、マグマの沼となり、虚しい空間を覆い尽くしていく。
僕は、赤く染まったその中で、底が見えるところまで沈むと、黒い影を見つける。
ゆっくりと、僕の体が降りていく。
地に足が付く。
その隅っこには、縮こまるように膝を抱え、地べたに座っている同年代と思われる少年の黒い影があった。
「“キミ”は、一体……。ッ!」
彼に触れようと手を伸ばした瞬間、彼の体が燃え上がる。
制御しようのない熱が、彼を覆いつくす。
マグマの沼地にいる彼の感覚が、間接的に伝わってくる。
脳裏に、電流が走る。
迸る感情。
繰り返される、情動。
身が凍てつき震えるほど寒く、焼けるほど激情した心は炎となり、その炎に溺れるほどに黒く染まり、熱で焼け焦げ塵となった心は、再び訪れる震えるような寒さを振り解く為に燃やす。
繰り返される、※※。
後悔をも焼き尽くす、※※。
「“キミは”……自殺したの?」
僕の声に反応し、彼は伏せた顔を上げる。
瞳は赤く染め上がっている。その瞳から、さっき感じた苦しみを感じる。
その瞳から、涙が流れていた。
「泣いている……?」
僕は、無意識のうちに彼の前に立っていた。
「キミは、どうしてここにいるの……?」
『ッ!!!』
彼の赤い瞳が、こちらを睨みつけると、謎の炎の力で吹き飛ばされる。
『ニクイ……ニクイニクイ!!!』
「ニクイ……? あ゛ッッ」
胸の内側から、焼かれていく。
僕の胸の中が、彼のマグマの沼と一体化してしまう。
“ニクイ”という言葉を発したときに感じた、全てを赤く塗りたくるような燃え上がる感情が、僕の胸の中から止まること無く溢れ出ている。
〚許せない、何もかも。全てアイツラのせいだ。けど、何よりも許せないのは……〛
熱い、意識が遠のくほど焼かれるその炎は、感情だった。
〚誰だ。何の為に、俺の中に……! ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな!!!〛
「く、ぅ゙、ぁ」
『キエロ……キエロ!!!』
マグマのような血とそこから噴き出す炎が、彼のうずくまった体から吹き出す。
そうだ。これは、『怒り』だ。このマグマの沼を連想させる感情の正体は。
留まることの知らない荒れ狂う情動。
『怒り』は、まさに制御の利かない炎そのもの。
炎が一帯に広がる。
怒りの沼に沈められていく……。
胸を締め付けてくるものを忘れたいが為に、全てを燃やし尽くそうとしている。
目の前の“人だった者”。その存在に対して、僕は締め付けられるような感覚を覚える。
〝ああ、何と醜悪で穢らわしい存在か。虚しい、感情という虚空の中に溺れた哀れな存在だ。否定せよ、あってはならんのだ〟
耳元で声が聞こえた。眼の前にいる彼を、この手で無かったことにしなければならないと。
足が彼の方へ進んでいく、彼の鬱陶しい炎と感情を受けながら、前へ前へと進んでいく。
『ナンナンダ、オマエハ!!!』
なぜ僕は焼かれないんだろうか。そんなことを考えているうちに彼の目の前に立っていた。
近くにいると寒気を感じる。
何かをごまかしているのか。
「……君を、否定する」
僕は、いつの間にか手にもっていたそれを彼の頭へ振り下ろした。
(……あれ、僕はいったい何を)
何故、僕はこんな鋭利なモノを持っているのだろうか。
振りかざしたそれを、止めることができない。
(なんで、なんで僕は)
「あ」
肉が裂ける音がした。
骨を擦り、絶つ音がした。
皮を千切る感覚が、人を斬り落とす感覚がそれから全て手に刻まれた。
転がる頭が、目の前に在る。
頭が、マグマによって溶かされていく。
マグマに沈んでいく頭のない体を、ぼーっと眺めていた。
「あ……あ……」
言葉が出なかった。
憤怒、憎悪、悲痛、絶望、鮮血、猟奇的場面……。
そんなものを、どうして僕は経験しているのか。
そもそもここはどこだ。
考えることができない。
眠い、ひたすらに眠い。
そうだ、この眠気に委ねよう。
そうして、あおむけに倒れたその空には、なぜかいた。
沈んだはずの死体が。断ち切ったハズの体が。
全身打撲の血みどろな西宮大輔の死体が、こちらを見ながら燃え続けていた。
――そう、これは夢でしかないんだ。




