第三話:嗤い
橋本から急に話しかけられたあの後は、結局誰かに話しかけられることも名前を呼ばれることもなく、ただ一日が終わった。
けれど、憂鬱さと自身の五感にまとわりつく違和感は解消しなかった。
「いったい何が、どうして……」
唐突に現れた出来事に、原因が判明せずどうすれば良いか分からないまま、不調な体を誤魔化し、放課後のホームルームの時間を過ごしている。
「死んだら、楽になれるのかな……」
死んで何になる、だよね。そもそも、死んだあとの処理を誰がやるんだ。
「いけない、そんな事を考えちゃ」
教卓の報に目を向けると、朝の二人が立っていた。
「皆! 今日もお疲れ様! アタシらがでてきたのは、桜竜祭:武ノ式について! で、競技は皆授業でいっぱいやってるから順調そうじゃん? なんだけども、ダンスの練習全然できてないよね! ってことで放課後三十分だけ練習します!」
「いやーあのダンスダルすぎっしょ! な! お前ら! 帰ろうぜ!」
「いやマジでな」「はよ帰ってアペやりてぇんだけど!」
四、五人の男子がうだうだと立ち上がると、綾野が「ちょ―っと待てぇ!」と、声を張り上げ手を広げる。
「リョーヤさあ、お前がそれを言ってどーすんだよ! つかオメーらも乗るなっての。帰ろうとすんな、戻れ戻れ!」
笑い声が少し起こる。悪ノリというやつか。坂井もそうだが、この手の面白さというのがあまり良くわからない。
「ダンスは以前の主題歌で踊ってみたのやつね! 何人かはノリで覚えてる人いるんだけど、ダンス苦手な人もいるよね? てことでダンス室で練習します!」
「野郎共のお前らは半分が適当なのかわからんが、少しだけシゴキまーす。特にメガネ、お前のことだぞ」
「……」
「うっわ、クッソ嫌そうな顔してんなぁ! 逆に燃えるわ……! 今日は覚悟してろよ坪谷」
ガリ勉野郎、という言葉が似合うメガネ男子、坪谷は大きなため息を吐き大学試験の赤色の問題集を持って立ち上がると、ひとりでに席から立ち上がり、教室の扉をドンッと強く開けて出ていった。
「へ? いやいや、なにアイツ? は? マジ感じワッル!」
「リョーヤ……。ま、まあまあ! とりあえず時間勿体ないし、皆ダンス室行こ!」
皆が綾野の言葉を聞くと、ぞろぞろと開きっぱなしの扉からダンス室に向かって出ていく。
僕も彼らに続いていこうとする。
ズキッ……。
「イッ……!」
頭が割れるような痛みが一瞬だけした。
あまりの痛さに目をつむり、膝をつき、縮こまってしまう。
痛みで埋め尽くされる頭の中で、ボソボソと男の声が聞こえた。
(――へ、――へ……)
何へと言っているのだろうか。
いやそれどころじゃない。
「ダンス室へ行か……」
ズキズキッ!
「ッッ!!!」
声が出なくなる。頭をかち割られたような激化した痛みが、頭全体に走り、崩れるように横になる。
意識が朦朧としていく。痛みの衝撃で思考が何かに支配されていく。
(ジ……ジ……)
「……」
耳障りな音が聞こえる。
痛みで何も考えられない。それなのに、体が勝手に動いていく。
勝手に、ダンス室のある方向とは反対側へ、フラフラとした足取りで歩く。
階段につくと、トン、トン、と足がゆっくり動きながら上っていく。
僕の意識が、暗い何かに侵食されていく。
(――へ、――へ……)
ひたすらに、体が動いていく。
導かれるように、フラフラと動いていく。
足が止まる。
痛みが薄れ、目を開くとそこはドアがあった。
ドアノブに手をかける。
《暗証番号を入力してください》
アナウンスがされる。
何も知らないその暗証番号をピ、ピ、ピ、と意思のない自分の手が勝手に入力する。
6XX-X1X8
カチ、という音が鳴り施錠が解除された。
(屋上へ)
ハッキリと屋上と聞こえた。
ドアを開け、その先へと進むと、曇りがかった空が広がる場所に出た。
「……屋上」
正方形状のコンクリタイルがマス目状に敷き詰められた床。その溝が、ずいぶんと苔生している。
そこでをあぐらを組んで赤本を開いている人が独りそこにいた。
「……坪谷?」
「……お前誰?」
「僕は蔵部、蔵部理。同じクラスの」
「はあ、同じクラスのヤツかよ、メンドクセエ。つか、そもそもなんでお前ここに入れたんだよ。関係者か?」
「いや、体がこう、なんというか勝手に……。でもそれは君もだよね?」
「裏技」
「うら、わざ?」
「……なんでここが閉まってるか、知ってるか?」
「いや……わからないけど」
「昔、ここで自殺した人がいた」
「じさ、つ……?」
「そして、その事件の死者の身元が不明のまま。というより、その死体が行方不明のまま、理由もわからずただ閉鎖されている。そして、このドアの暗証ナンバー。推測だが、その事件に関連する数字が用いられている」
「理由がわからないってどういう」
「そもそも、何故お前が“そのこと”を知らない上でここに立ち入ることができたのか。それが今の問題だ」
「それをいったら、さっきも言ったけど君だって」
「俺はハッキングして入った、事件の真相を知るために」
「ハッキング?」
良くわからない言葉が出てきた。
「ハッキングも分かんねえのか? まあいいや、無理矢理こじ開けたという認識で頼むわ」
坪谷が苔生した地面から立ち上がり、ズボンに付いた汚れをはらうとこちらに近づいてくる。
「そんで、お前はどうして入れたんだ?」
「……分からない。ただ、身体が勝手にここへ」
「……」
眼鏡越しにある鋭い目が、こちらの意図を読むように目を覗いてくる。
「……良く見たら目の色に違和感があるな。まるで、死んだような」
「……アハハ、良く言われる」
(ハハハハハハハ、アハハハハハハハ……)
笑い声が聞こえる。
「うわぁ……。俺の親切心からの言葉な。お前、真顔で笑ってんの怖いぞ」
「やっぱり、笑い方変だよね、僕。……あれ」
(アハハハハハハハハ、ハハハハハハハハハハハハ……)
また、木霊するように、笑い声が至るところから聴こえてくる。
いや、普通の笑い方じゃない。
このかんじ、不快だ。
「何か、今気分が悪くなる笑い声が……」
「は? 笑ったのはお前だけだろ?」
『楽になれ』
「! ……」
「んだよ、気色割いなおい、お前?」
急に、視界の色が失われ、瞬時に真っ暗になった。
勝手に動き出す身体。
どこかへ向かっている。
「――? ――。――! ――!」
体の外側から、音が聞こえる。
だめだ、どうにも聞こえない。
フラフラと進むと、踏み込む場所が無くなっていた。
何処かへ、落ちて……。
……?
不意に腕が引っ張られ、身体が横たわると、視界が広がり辺りが色付いていく。
「おめえバカじゃねえのか!? 事件の二の舞いになりてえのかよ!!!」
「……。え、僕、今何を……?」
上体を起こし、前を見ると、フェンスのない場所があった。
「なん、だこれは……。くそ、怨念にしてはあまりにも粘着しすぎてる!」
フェンスの無いところから、黒い影が登ってきている。
あれは、何だ?
「坪谷。あれ、あの黒い影は」
「クソ、タダの怨霊だと思っていたが……」
「ハア!? 最悪だな……チッ! クソ、やっぱ祓ねえっ! ああなるほど、厄介だなこの事件! あのクソ野郎、“暗化”は専門外だっての……!」
「あんか……?」
「とにかく逃げるぞ!」
「あ、ちょっと待って」
僕は、坪谷と共に走る途中で、もう一度その場所に目を向ける。
そこには、黒い人影がこちらを睨みながら佇んでいたように見えた。




