第一話:憂鬱な登校
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ーーキミハ#####ーー
声が、聞こえた気がした。
まぶたを開け、目を覚ます。
音が聞こえない、声も出ない、何を見ているのか何もかもが真っ黒な場所。
自分が、どこに居るのかもわからない、漆黒の世界。
ふと、無意識に歩いてることに気づいた。
足があるように思う。
その空想の足の感触を頼りに、その足で、歩く。
歩く足の感覚を頼りに、進み続ける。
やがて、そんな暗闇の中で、目の前の奥の方に小さな光が浮かび上がる。
その光に向かって歩み始める。
光に向って歩いていると、違う光が横から浮かび上がった。
一歩、また一歩と足を踏み入れた横へ、ポツリ、ポツリと色や形の違う様々な光が生まれてくる。
後から、違和感を感じる。
形が曖昧な影が前方に見え、後ろを振り向く。
そこには、激しく輝く一つの大きな光があった。
それは、暗闇を否定するかのように光を強め、膨張していく。
けれど、その大きな光が膨らんでいく中でその内側にポツリと黒い影が見えた。
その瞬間、輝きが失われ、膨張もピタッと止まる。
やがて、輝きを失ったそれは、内側からジワジワと黒色へと変色していく。
そんな光景を見た僕は、疑問が湧くと共に無意識にそれに向けて手を伸ばしていた。
それに触れようとしたとき、全てが黒に染まりきり、破裂した。
黒を辺りに撒き散らし、周りの光を次々と黒い影に沈めていく。
降りかかる黒色に自身も染まりながら呆然と見ていると、また後ろから光が照らしてくる。
僕が目指していた光だ。
その光は、またも同じく“否定”していた。
しかし、光の烈しさが先程のものとは比べ物にならないモノだった。
まるで、光ろうとしていたモノが黒く散った末路を消し去るように。
なによりも、その黒い影の存在を拒絶するように。
僕は、ただそこに佇んでいた。
止まることなく膨張していくその光は、やがて僕を飲み込み、全てを飲み込んでいく――。
この時、僕の思考は光に支配され、#%●▼に満たされていた。
僕が僕で、無くなっていくようだった。
僕は、それが――で、――で、――で、とても――で、仕方なかった。
だから、僕は――。
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『間もなく、ミサキ、ミサキ。お出口は左側です』
アナウンスの声が聞こえた。
学校の最寄り駅の名前が聞こえたので、眠っていた座席から、手すりにしがみつき立ち上がる。
目元を触ると、濡れていた。袖で急いで拭う。
変な夢を見たせいか、体が気持ち悪い。
正直、休みたい。
けれど、僕は高校生。
「学校に行かなきゃ」
電車を降りて、腕時計を見ると、時刻は午前七時半を回っていた。
七月十二日。今日は一学期最後の週の始めだった。
「……暑い」
夏の気候が生み出す蒸し暑さが電車を出ると直撃する。電車内より熱いから、更に汗が吹き出す。
頬から滴り落ちそうになる汗を、スクールバッグから取り出したハンカチで拭いながら、長い階段を人の流れに合わせて登る。
改札を出ると、街が広がる。
ミサキ市、都会の中では割と落ち着いた場所で、人混みが激しいのは、朝のこの通勤ラッシュと帰宅時ぐらいだ。
通学路へ歩き始めると、段々と同じ高校の制服を着た生徒達がそれぞれ歩いてるのが見えてくる。
そんな通路の中で僕は、心の彩りを題材とした小説を開く。この通路は幸い人混みが少ない上に、交差点も少ないので、本を読むにはちょうど良かった。
僕は、他人と違う部分を変えなきゃならないようで、この本を定期的に読んでいる。
僕にないもの。それは、感情の劇的な変化、例えば情熱、愛、欲望といったもの。
感情が全く無いわけではない。けれど、周りの人と比べたりすると、やはり無いと言える。
記憶の片隅にある誰かの言葉が、その小説を通して再生される。
『一度限りの「青春」を、理はどう生きるんだろうな。俺は、楽しみだよ』
「青春……」
通路を歩く同じ高校生の生徒や、周りの同じ年代の人達を見る。ふと、教室の片隅で覗いた光景を脳裏に浮かべた。
自分の可能性を信じ、その瞳に火を点け目標に向って全力になる人。
好きな人がいて、その人との関わりで一喜一憂する人。
憧れの人がいて、その人の事を考えて自分なりに頑張る人。
友人と気持ちを共感し合ったり、傷つけ合ってその度に仲直りして、切磋琢磨する人達。
自分の好きなものに没頭して、無我夢中になっている人。
成功や失敗、幸せや不幸、正と負の感情、その時その時に得られる情動。
色んなことを、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、緊張したり、悔しがったり、泣いたり、悩んだり、苦しんだり、分かち合ったり、楽しんだりして、生きる事を経験し成長していく人の心。
心躍る出来事に出会い、人生に夢中になる。そんな時間を過ごしたことが、僕の人生には今のところ一度もない。
何より僕は、幼い頃に親やその周りの人達が向けていた期待を裏切っていて、現状は全くの落ちこぼれだ。
「……」
「オハー! クーラべッ!」
「おわっ」
「歩きながら本読むなよっ!」
漠然とした思いにふけていると、後ろから背中を思いっ切り叩かれ、本を手放してしまい、危うく落としそうになる。無事に本を右手で掴み、少し屈みながら痛む背中を左手で擦って横を見ると、ニヤついたマッシュヘアの塩顔イケメンが肩をまわしてくる。
因みにクラベは、僕の名字だ。
蔵部理、僕の名前だ。
「……坂井か。相変わらず、僕に対しての朝の挨拶が酷いね」
「おう。蔵部は相変わらずそのオツな髪型と、死んだ魚の目をしてんな!」
軽い罵倒を挨拶に絡んでくるこの面倒な男子は、別のクラスの同級生。名前は、坂井雅也。色んな人にちょっかいをかける、気分屋のお調子者だ。
こんなんだけど、いざという時に人を助けることのできる割といい男で、どんな環境でも臨機応変に行動できる、らしい。自称だから正直分からない。なにより中性顔で、容姿が整っている。なので、結構モテる。そんでもって綺麗な彼女がいる。
「はあ。それより、君の彼女は?」
「アイツ朝機嫌悪いっていったろ……?」
え、もしや坂井彼女に朝の仕事押し付けてきてないか……?
「君はまた……全く。じゃあ、いつもの男女メンツのトコ。ほら眼の前で歩いてるでしょ?」
そういって、僕は反対側の歩道に向けて指をさす。
男女四人のグループが、談笑しながら歩いていた。
「いやぁ、オレにとっちゃ、アイツラ眩しすぎんだってぇ。あの中に突っ込んでくのは、朝からしんどいっつーの」
「朝からしんどいのはこっちのセリフなんですが?」
「いいじゃんかよ、たまには俺のカマチョに付きアデッ!」「うおっ」
坂井のうざ絡みが発動する中で、少し揺さぶられると、彼は肩組みを外し、頭を擦っていた。
再び後を振り向くと、これもまた見慣れた黒髪長髪の美人女子が、垂れ目を細めて坂井を睨みつけていた。
「マ〜サ? アンタのせいで朝クッソ忙しかったんだけど!?」
「ヒッ!! ナ、ナンノコトカワカリマセヌナァ?」
「……」 「イッデェェ!!! ナナ様許して! ホント、朝仕事サボってすみませんでした!!!」
「許さん」「イデデデデデ!!! タンマ、タンマ、タンマ!!!」
「なんか声潰れてて、アニメのモンスターの鳴き声みたいだ……」
ヘッドロックをキツめに決めているこのナナ様改め、柳原七華は、坂井の幼なじみで彼の彼女だ。
家が隣同士な上に、どちらも両親が忙しいので実質同居状態らしい。と、いうことは……。
「まっで、あだまが、あだまがいだい」
「食器洗わない上に、遅れもしないのに『ヤッベー遅れるー!』って言って家飛び出て、弁当忘れたどっかのお馬鹿さんのせいなんだけど、ね! そもそも兄として恥ずかしくないの!? せーちゃん可愛そうでしょ!」
やっぱり家事をサボっていたようだ。
せーちゃん、星梨ちゃんは坂井の妹で十歳も年下なのだそう。
というか、坂井は妹のことをたいそう可愛がってたはずだけど。
「あの、はい。眠たそうにしている星梨を抱き上げようとしたらイヤイヤいわれて、はい」
あー、そういうこと。いや、拗ねて逃げるのはちょっと。うん、やっぱりいい男ではないかもしれないこの男。
「あんたがそーやっていつもしつこいからだよ。次からは拗ねないでちゃんと自分の仕事すること。はい、お仕置き終わり」
崩れ落ち、膝をついてボサついた頭をおさえる坂井。
なんというか、ショゲながらヘッドロック決められてるのはシュールだったな。
……こんな時は、とりあえず笑っとけばいいのかな。
「アハハハ」
「笑うんじゃねえ……。ってか、やっぱお前の笑い方変わってんな。その笑っていながら真顔ってのが怖い」
僕の笑いがおかしいせいで、坂井にひかれた。
そう、僕は表情が乏しいんだ。悲しい。……本当に悲しいのか曖昧だけど。
「あー、蔵部ごめんね? 朝からうちのバカヤがバカダルい絡みをしてきてさ」
「いや、そんなことは」
「あーもお! バカバカ五月蝿えぞ! 今度のテストでぜってえ……」
「ハイハイ、ワタシにいつになったらマウント取れるんだろうね」
「こんの……!」
「はあ。いいかげんにしないと、【すりつぶすよ】」
一歩、柳原が踏み込んで坂井に迫る。……威圧感が凄い。
「ひっ……! ん? これは、あのシーンの!? 真似てくれたん!? すっげ! やっぱ容姿も相まって完成度高いなぁ! 台詞だけじゃなくて、やっぱコスプレしてくれよ!」
「あー、こうなるよねやっぱ。真似るんじゃなかった……」
「気の変わり具合が、凄まじい」
「ヤッバテンション上がるぅ! あ、でもまずはせーちゃんに謝らなきゃ! 一回帰ります! ……あっ」
彼のテンションに取り残された柳原は、帰ろうとする坂井の腕を掴み、鬼の形相で睨みつけている。
ちなみに、坂井の好きなRPGのキャラクターに、柳原はスタイルも見た目もどうやら似てるらしく、事あるごとにその事を僕や他の人達にいいまくって自慢している。
それで、さっきの柳原のセリフは坂井曰く敵を脅すシーンらしい。
そのゲームをやったことないから、全然分からないけれど。
「……学校、行きたくないだけでしょ! せーちゃんなら、私がもう学校まで見送った! あんたの仕事だったのにまったく、おフザケはここまでにして! ほら行くよ。そ・れ・に、今日ウチ等のクラス、マサが日直、ね!」
「イヤあ! あっちょ、首根っこ引っ張んないで! 冗談だって! 分かった、素直に行くから! 普通に歩かせて!」
速攻で連れて行かれていかれた朝の嵐。なんというか、いつも通りだな。
(一学期終わりの週だってのに何て歓迎だ。それにしても、暑いな……)
ため息を一つ吐き、本をスクールバッグにしまう。
夏の日差しに脳と体が焼かれる前に、玄関に駆け足で向かった。
時刻は七時半を回っている。
「っ……」
僕は校門を通過する時、何故か不意に胸騒ぎを覚えた。
「今日は今までで一番、憂鬱だな」




