九話
ハウィンツが、逸る心臓に手を当てて緊張した面持ちでいると、ハウィンツの異変に気付いたリズリットが心配そうに視線を向けて来る。
「──お兄様? どうしたんですか……! お顔が真っ青です……っ!」
「──え、?」
そんな顔色になっているのだろうか、とハウィンツは自分の頬にぺたり、と手のひらを当ててみるが温い体温が手のひらに伝わるだけで、何も感じ取る事は出来ない。
常と違う自分の兄の様子に、リズリットはおろおろとし出すと、「早く邸に戻った方が、でもどうやって!」と慌てている。
リズリットに大丈夫だ、とハウィンツは声を掛けるが、顔色が悪い人間が大丈夫と言ってもその言葉を信じる事は出来ない。
リズリットはふるふると首を横に振ると、その場に勢い良く立ち上がる。
「──私、馬車の御者を呼んで参ります……! お兄様を早く邸にお連れしないと……っ」
それで、お医者様に診て頂きましょう! と声を荒らげるリズリットを静止しようとハウィンツが唇を開き掛けた所で、二人は背後から声を掛けられた。
「──ハウィンツ? それに、リズリット嬢? こんな所で奇遇だな」
「ディオン卿!」
背後からやって来て、声を掛けたのはディオンで。リズリットはハウィンツの友人であり、この間街でディオンに助けて貰った事もあって信頼しているのか、パッと嬉しそうに表情を輝かせて振り返った。
そのリズリットの笑顔を視界に入れた瞬間、ディオンは僅かばかりに瞳を見開いたが、その軽微な変化にはリズリットもハウィンツも気付く事は無い。
「──どうした? 顔色が悪いぞハウィンツ」
「え、ええ? そんなにか? 何処も体調は悪くないんだが……」
困ったように眉を下げるハウィンツに、リズリットは味方を得たとばかりにぐいぐいとハウィンツに身を乗り出すと、唇を開く。
「ディオン卿もお兄様の顔色が悪い、と仰ってます! ですから早く邸に戻った方がいいです!」
「──何だ、ハウィンツお前体調が悪いのに駄々を捏ねてリズリット嬢に迷惑を掛けているのか?」
「ち、違うっ! そんな事は──っ」
「そうなのです、ディオン卿……! 体調が優れないようなので、馬車の御者を呼んで来て、馬車まで運ぶのを手伝って貰おうとしているのですが……」
困ったように眉を寄せて話すリズリットに、ディオンは「なるほどな」と呟くと突然その場に精霊を呼び出した。
「──は!?」
驚きに目を見開くリズリットとハウィンツに、ディオンはなんて事のないように精霊に頼み事をする。
「悪いが、この男をマーブヒル伯爵家の家紋が付いた馬車まで運んでやってくれないか? 馬車に乗せたらそのまま伯爵邸まで行くように御者に伝えてくれ」
「ちょ、ちょっと待てディオン……! お前っ最上級精霊になんて事を……!」
「──? 精霊は人間の頼み事を意外と楽しげに聞いてくれるぞ。ああ、リズリット嬢はうちの馬車を呼んで安全に送り届けるから心配しないでくれ」
すらすらとハウィンツに説明をするディオンに、リズリットもこくこくと頷く。
体調が悪そうな自分の兄を一刻も早く邸に戻らせたいのだろう。
「お兄様、お願いします。お医者様にしっかり診てもらって下さい」
「──うぅ……っ。……分かったよ、リズリット……。ディオン、悪いが妹を頼むよ」
「当然だ」
ハウィンツの言葉に些か食い気味に返答をしたディオンに、リズリットもハウィンツも気付かない。
お互いが、お互いを心配し過ぎていて些細な事には頭が回っていなかったのだ。
三人のやり取りを見守っていたディオンの精霊は、話が終わったのだろうと判断するとのっそりと体を起こし、銀の毛並みが美しいその背中にハウィンツをぽいっと乗せると軽やかな足取りで公園内にある馬車止めの方向へと走って行ってしまった。
あっという間に遠くなっていく姿に、リズリットは驚いたような表情を浮かべてその様子を見詰める。
ディオンは、呆気に取られた表情を浮かべるリズリットを隣でうっとりと瞳を細めて見詰めると、「そうだ」と唇を開いた。
「リズリット嬢。先日は贈り物をありがとう。リズリット嬢はとてもセンスが良いんだな」
ディオンは嬉しそうに瞳を細めて、自分の腰元にある剣の柄に手をやると視線を下へと向ける。
ディオンの視線を追って、リズリットも視線を下に向けると、ディオンの剣帯に先日リズリットが選んだ贈り物がキラキラと太陽の光を受けて輝いている。
「と、とんでもございません……っ! お使い頂いて嬉しいですっ」
「ああ。とても綺麗だったから、毎日使用する剣帯に付けさせて貰った。ありがとう」
ディオンのお礼の言葉に、リズリットは嬉しそうにはにかむと頬を薄らと染めた。
(可愛いな……)
リズリットの笑顔を真正面から直視してしまったディオンは、太陽を直視してしまったかのような眩しい物を見た時のように瞳を細めると、自分の眉間をぐりぐりと親指で押す。
(こんなに可愛くて大丈夫か……? リズリット嬢の笑顔を見た者は他に居ないか? 倒れていないか……?)
ディオンは大真面目にそう考え、周囲の者の心配をして周囲を見回す。
だが、周囲の人間達はリズリットとディオンに視線を向けている者は居らず、ディオンはほっと自分の胸を撫で下ろした。
「あの、……ディオン卿?」
リズリットは、突然しかめっ面で黙り込んでしまったディオンに、何か失礼な事を言ってしまっただろうかとおろおろとしながら話し掛ける。
「──はっ。いや、すまないリズリット嬢。少し意識が飛んでいた」
「え、えぇ!? 意識が!? 大丈夫ですか……!?」
わたわたと慌てながら、心配そうにディオンを見上げて来るリズリットに、ディオンは薄らと頬を染めるとリズリットからそっと視線を外す。
「──んんっ、その、最近良くある事だから気にしないで欲しい……。あー……リズリット嬢、馬車を呼んで君を送って行くから行こうか……」
「あっ、はい……! すみません、ありがとうございます……!」
ディオンは柔らかくリズリットに微笑むと、公園内の馬車止めへとリズリットを伴い進んで行く。
「今日は、リズリット嬢はハウィンツと公園に来ていたんだな?」
「あ、そうなんです……! お天気が良かったのでお兄様と一緒にお出掛けしようか、と話になって、ここに来たんです」
「ああ、確かに。今日は外に出るのに丁度良い気候だな。折角外に出て来たのにハウィンツの体調が悪くなってしまって残念だし、心配だな」
「ええ、そうですね……兄も普段あまり体調不良になったりしないので心配です」
二人で並んで馬車止めへと進みながら、話をする。
馬車止めに到着したディオンは、馬車止めにいる公園管理の男に馬車を一台手配するように伝える。
直ぐに管理の男が馬車を手配してくれて、馬車がやってくるとディオンは手を差し出してリズリットが馬車に乗り込むのを手伝う。
続いてディオンもリズリットの後に馬車に乗り込むと、馬車はマーブヒル伯爵邸へ向かって走り出した。
一足先にマーブヒル伯爵邸に到着したハウィンツは、げっそりと顔色を真っ白にしたまま馬車から降り立った。
「──あら、お兄様!?」
「ああ……ローズマリーか……」
「えっ、ちょっ、どうされたんですか……? お顔が真っ青ですよ!?」
馬車が正門に着いてハウィンツが馬車から降りた所を、丁度庭園でお茶をしていたローズマリーが見付け、ハウィンツに駆け寄る。
常に無い状態のハウィンツの様子に、ローズマリーが慌ててハウィンツに手を貸すと、馬車の御者も降りて来て、ハウィンツを支える。
「いや、リズリットと公園を散策していたんだが……何だか急に体調が悪くなってな……」
「急に体調が……? あら、やだ。お兄様冷や汗までかいているじゃないですか」
「ああ……、なんだろうな……、何だか急に寒気がして、恐怖を感じたんだよな……」
ふるふるとその恐怖心を振り払うようにハウィンツが頭を振るが、その足取りは覚束無い。
まるで、何か恐ろしい物に遭遇した時のようなハウィンツの姿に、ローズマリーは首を傾げながら何とかハウィンツを邸の玄関まで連れて行った。