八話
名前しか知らぬ令嬢のお茶会に誘われても、いくら何でもそのお茶会に進んで参加する気持ちは無いのだ。
リリーナ以外に、どんな令嬢が参加するのかも分からない状況で素直に参加を承諾する事など出来ない。
以前のリズリットであれば、もしかしたら折角誘ってくれたのだから、と相手に気を使い参加を決めてしまっていたかもしれないが、過去の出来事に懲りてからリズリットは安請け合いをしないようにしている。
「ですので、安心して下さいお兄様。今後は、親しい方以外の招待はお断り致しますから……」
「そうか……? 無理はしていない?」
「ええ、勿論」
にっこりと笑みを浮かべて答えるリズリットと、ハウィンツの姿をディオンは上階から見守りながら、ほっと安心したのか溜息を付いた。
「リリーナ・ロードチェンスか……何を企んでいるか詳しく調べる必要があるな」
ディオンは先程、リリーナが姿を消した方向へ視線を向けるが、何処に消えてしまったのか分からず、再度リズリットに視線を戻すと掴んでいた手すりから手を離し、踵を返す。
先程の令嬢──リリーナのこれからの行動に注視しなければならない。
相手がいくら中級精霊の祝福持ちだと言っても、最上級精霊の祝福を得ているディオンには造作もない事だ。
ディオンは、先程呼び出した精霊とは別の精霊を呼び出すとリリーナの行動を探るように頼み、自身はリズリットの見守りに再度戻る事にした。
あれから時間が幾ばくか経過し、リズリットとハウィンツは夜会をお暇する事に決めた。
主催の伯爵と、伯爵夫人には会場に着いた後直ぐに二人で挨拶に向かっているし、リズリットはハウィンツと何曲かダンスも踊っている。
二人で壁際にあるソファで少しだけお喋りをして過ごし、これでお暇しても失礼に当たらないだろう、と言う時間が経過している。
「お兄様は、もう良いのですか……? 今日も私以外の方とダンスを踊っていないですが……」
「え? 俺がリズリットを置いて他の令嬢とダンスを踊るなんて有り得ないでしょ」
リズリットの言葉に、さも当然とばかりにあっさりと言葉を返されてリズリットは呆れ半分、諦め半分の心地で苦笑する。
ハウィンツが満足したのであれば、リズリットももうこの夜会に滞在し続ける意味は無い。
「──分かりました。それでは帰りましょう、お兄様 」
「ああ。そうしようか」
リズリットとハウィンツは、にこにこと笑顔で会話をしながら、夜会会場を離れる事にした。
「──帰るのか。それなら良かった……」
ディオンは、聴覚を共有している精霊から得られる言葉達に安堵すると、自身も帰宅の準備をはじめる。
警備の任務でやって来たが、リズリットが帰宅するのであれば、この場に留まり続ける意味は無い。
「邸に戻ったら、リズリット嬢の明日以降の参加を調べなければいけないな……」
先日、リズリットの兄ハウィンツが恐ろしい言葉を口にしていたのだ。
「リズリットに合うような人物と結婚させる」と。
「うかうかしていたら他の男に嫁いでしまう……どう阻止したものか……」
後日、ディオンの住む邸宛にリズリットが送り主の贈り物が届き、ディオンは更にリズリットにのめり込むようになる。
「この間、街へ出ていた理由はこれだったのか……」
ディオンは先日、街中でリズリットが困っている場面に遭遇した、と言う体でディオンは困惑しているリズリットを助け出した。
突然知らない男に話しかけられたリズリットの恐怖は幾ばくだろうか。
と、ディオンは自分の胸に手を当てて考える。
それなのに、リズリットはあの後も街へ買い物に向かい、ディオンの事を考え、ディオンだけのためにこの贈り物を送ってくれたのだ。
「──お礼など、気にしなくても良かったのに……」
ディオンはそう言葉にしながら、それでもリズリットからの贈り物が嬉しく、だらしなく頬を緩めてしまう。
ディオンは綺麗にラッピングされた贈り物を指先で大事そうに摘むと、破顔した状態のままで腰に下げていた剣を外した。
ディオンは、腰のレザーベルトに取り付けられた剣帯から剣を外し、剣帯の鞘を通す場所の細長いレザーの紐で編み上げている部分に指先を通し、紐を解く。
そして、解いた紐にリズリットから返礼として贈られたディオンの瞳の色にとても良く似ているアメシストの宝石が装飾として使われたアクセサリーを紐に通して再度、解けないようにレザーの紐を編んで行く。
「──藤の花、みたいだな……」
ぽつり、と呟いたディオンの声は喜色に染まっておりディオンが動く度にその藤の花をモチーフにした装飾品は揺れ動く。
剣を抜く際の腕の動きを妨げないような、ほんのささやかな程度の装飾品。
黒いレザーの剣帯に、藤色のその装飾品はとても映えていてリズリットのセンスがとても優れている事が分かる。
きっと、ディオンの職業柄、色々と考え込んでくれたのだろう。
その気遣いがとても嬉しくて、ディオンはその装飾品を自分の指先で愛おしそうに撫でると今日もまた、リズリットの見守りへと向かった。
「──……、?」
「リズリット? どうした……?」
リズリットは、視線を感じて振り返るが振り返った先には公園の芝生で同じようにまったりと寛いでいる人達が視界に映るだけで、不審な者の姿は映らない。
リズリットと共に、国の国営公園へとやって来ていたハウィンツはリズリットが突然振り返った事に不思議そうな表情を浮かべて問い掛けるが、リズリット本人も首を傾げて不思議そうな表情を浮かべている。
「いえ……。何だか、誰かに見られているような……感じがしたのですが……私の気の所為だったみたいです」
お兄様と一緒に居るから、きっとお兄様に見惚れている女性が熱視線を送っていたのですね。とリズリットは微笑むとハウィンツに笑い掛ける。
「見られている……? それはここに来てから?」
ハウィンツは、自分にはその視線を感じなかった事から些か真剣な表情でリズリットに問い掛けるが、リズリットはふるふると首を横に振ると「気の所為」だったみたいです、と明るく答えた。
本当にリズリットの気の所為なのだろうか。もし、本当に誰かがリズリットに視線を送っているのであれば、とハウィンツが周囲を見回しても視界に映るのはごくごく普通の和やかな雰囲気だけで、リズリットとハウィンツのように、公園で景色を楽しみ談笑している人々しか居ない。
家族連れだったり、恋人同士の逢瀬だったり、友人同士だったり……、と様々な人が居るが、その中でリズリットやハウィンツに視線を向けている者は誰一人として居ない。
(誰が、何を目的としてリズリットに視線を向けていた……?)
リズリットは「気の所為」と言っていたが、その言葉を鵜呑みにするハウィンツでは無い。
リズリットは、幼い頃から人の目を気にして周囲の観察を常にしていたような子である。
周囲から兄と姉と良く比較され、良く大人達や子供達の噂話に上がっていた為、自分に向けられる視線や、それこそ悪意に敏感である。
(リズリットが見られていた、と言う気がするのであれば、それは限りなく実際に起きている事になる……だが、誰が何の目的で……?)
この間、リズリットと侍女のメアリーが街へ買い物に向かった時に話し掛けられた青年が関係しているのだろうか。
それとも、それとは全く関係の無い誰かがリズリットに視線を向けているのか。
ハウィンツは、自分の隣でのほほんと穏やかに微笑み、景色を楽しんでいるリズリットにちらり、と視線を向けて様子を伺う。
(──リズリットが気にしていない、と言う事は危険は無い、と言う事か……?)
その時、ざざっと強い風が吹いて、リズリットの髪の毛を風が攫い、頬に髪の毛が掛かってしまった。
「──ああ、リズリット。髪の毛が乱れてしまったね」
「──あっ、お兄様、ありがとうございます」
髪の毛が乱れてしまったリズリットにハウィンツは手を伸ばし、その乱れた髪の毛を自分の指先で軽く直してやる。
お礼を言って、見上げてくるリズリットにハウィンツも微笑み返してやりながら無意識にリズリットの前髪を撫でてやった。
瞬間。
──ぴりっ、と。ハウィンツの背中に強い視線が突き刺さり、ハウィンツはびくりと肩を跳ねさせると勢い良く背後を振り返った。
「お兄様?」
リズリットの不思議そうな声が聞こえたが、ハウィンツはリズリットの言葉に答えない。
リズリットの髪の毛を直してやり、頭を撫でた瞬間、ハウィンツの背中に痛い程視線が突き刺さった。
ハウィンツは緊張にバクバクと早鐘を打つ心臓に手を当てた。
(──今のは、? 嫉妬……だろうか……? 何なんだ、一体……)