七話
ディオンは、ぐっと自分の身を乗り出すと、瞳を細めてリズリットに近付く令嬢を凝視する。
距離があるこの場所からははっきりとは分からないが、先日の夜会でリズリットを悲しませた令嬢達では無さそうな事が伺える。
「──そもそも、あの時にリズリット嬢を傷付けた令嬢三人は今日の夜会には来ていない筈……。そうすると、今度は誰だ……?」
また、ハウィンツ目当ての令嬢だろうか。
そして、ハウィンツに近付く為にリズリットを利用したり、嫉妬のぶつけ先にしようと考えている令嬢なのだろうか。
ディオンはそう考えると、先程リズリットの見守り役をお願いした自分の精霊が何処にいるかを確認する。
本来の姿に戻った精霊──まるっとしたシルエットの小鳥は、リズリットの頭上にあるシャンデリアの上で呑気に欠伸をしている。
慌てた様子も、ディオンに判断を仰ぐ様子も無い事から、相手は悪意を持ってリズリットに近付いているようでは無さそうだ。
「──本当に、ただ単にリズリット嬢に用事がある令嬢なだけ、か……?」
ディオンはぽつり、と呟くと乗り出した体勢のままじっとリズリットを見つめ続ける。
精霊は、人の悪意に敏感な存在の為、見守り対象であるリズリットに悪意を持っていれば、直ぐに精霊から知らせが来る。
だが、今現在知らせが来ていない事から、精霊は令嬢に警戒心を持っていないようだ。
(聴覚の共有をしておくか──……?)
通常であれば、精霊の聴覚共有の能力は敵国への諜報活動等で真価を発揮する能力なのだが、ディオンに取ってはリズリットへの危険を察知する方が重要任務だ。
ディオンはそう考えると、精霊との聴覚共有を開始した。
「リズリット・マーブヒル嬢ですわね……?」
カツン、とヒールの音が背後から聞こえて、次いで可愛らしい声が自分の名前を奏でた事に気付き、リズリットは「はい?」と返事をして背後を振り返った。
リズリットとハウィンツが、ダンスを何曲か踊った後。飲み物を取って来ると言い残しハウィンツがリズリットの側を離れた瞬間の出来事だ。
ハウィンツがリズリットの側を離れた瞬間を狙ったのか、それとも本当にただの偶然なのかは分からないが、リズリットは話し掛けて来た令嬢を、不躾にならない程度にそっと見詰める。
(──良かった。今日はグラスを持っていないわ……)
先日のように、果実水を躓いた拍子に被ってしまう事は無さそうだ、とリズリットは安堵する。
こんな短期間でドレスを汚してしまったら、邸の洗濯を担当してくれている使用人達に申し訳ない。
「えっと……、?」
リズリットは、自分に話し掛けてくれた令嬢の名前が分からず困ったように眉を下げる。
俯いてばかりいたせいで、令嬢がどの家の者なのかが分からず、リズリットは無学な己が恥ずかしくなってしまう。
だが、リズリットの意図を汲んだのだろう。令嬢はにっこりと笑みを浮かべると、ドレスの裾を片方だけ自分の指先で摘み上げて軽くお辞儀をすると、唇を開いた。
「名乗りもせずに大変失礼致しました。私はロードチェンス家のリリーナと申します」
「リリーナ嬢ですね。ご丁寧にありがとうございます」
ロードチェンス家、と言えば子爵家の家名だ。
「背後から話し掛けるなど、何と失礼な令嬢なのだろうか。──それにしても、ロードチェンス子爵家……?」
ディオンは憤りを感じ、リズリットから離れろ、と念じるがその気持ちは勿論令嬢には届かない。
だが、ロードチェンス、と言う家名についここ最近聞き覚えがあって、ディオンは首を傾げる。
「──何か、仕事で子爵家の事が関係していたのだろうか」
だが、思い出そうとしても最近はリズリットの見守りに集中していたので他の事柄は頭からすっかりと抜け落ちてしまっている。
「何だ……? 何処で聞き覚えがあったんだ……?」
ディオンが何とか思い出そうとしていると、漸くその家名を何処で見たのかを思い出した。
「──そうだ……、そう言えば先日ロードチェンス子爵家の令嬢が中級精霊の祝福を受けた、と報告があったな」
国内では、久しぶりに複数の祝福持ちが出た、と騒がれていたような気がする。
複数の祝福持ちはとても珍しい為、一時期はロードチェンス子爵家の名前が職場でも良く飛び交っていたが、ディオンは「珍しい事もあるんだな」と思っただけでその報告書を脇に置いた記憶がある。
「複数の祝福持ちが、リズリット嬢に何故接触したんだ……?」
リズリットは、悲しい事にこの国では稀な妖精の祝福を得ていない人物だ。
恐らく、この十七年間その悲しさに耐え忍び、心さがない者達の冷たい言葉等に晒され続けていた。
長年傷付き続けて来たリズリットに何の用だ、とディオンが二人の会話に注視していると、リズリットに話し掛けていたリリーナが人好きのする可憐な笑みを浮かべてリズリットに向かって唇を開いたのがディオンの視界に映った。
「──一度、リズリット嬢とお話をしてみたい、と考えておりましたの。いつもは、ほら。お兄様がリズリット嬢と常にご一緒にいらっしゃるでしょう?」
だから、中々話し掛ける事が出来なくて、と微笑むリリーナにリズリットは戸惑い混じりの視線を向ける。
「そう、なのですね……? えっと、それは、ありがとうございます?」
「ふふっ。お礼を仰るなんて……! リズリット嬢は面白い方ですね?」
コロコロと鈴が転がるような可愛らしい声音で笑い声を上げるリリーナに、リズリットは苦笑してしまう。
話をしてみたかった、と言われてそれを素直に信じるリズリットでは無い。
今までも、「友達になりましょう」と言い、リズリットに近付いて来る令嬢達は居たのだ。
だが、結局はリズリットの友人になり、兄であるハウィンツに近付く事を目的とした令嬢がほぼ全てだった。
リズリットも、友人が欲しくて自分が騙されていると、利用されていると考えたく無くて、何度も兄や姉の言葉をまともに取り合わなかった過去がある。
だが、結局は本当にリズリットと友人になりたいと考えてくれて居た人物は一人も居らず、兄や、姉目当ての接触だったのだ。
「──ですが、私はハウィンツお兄様へご令嬢を紹介などは致しませんが、それでも宜しいのでしょうか?」
兄にも、姉にも劣り、この国の誰もが受けている精霊の祝福をこの歳まで受けた事が無いリズリットと友人になったとしても、周囲から奇異の目で見られるだけで、リリーナには何の得にもならない。
その為、リズリットは遠回しに断りの言葉を口にするがリリーナはリズリットの言葉に気付いているのか、いないのか笑顔のまま頷く。
「ええ。勿論。私は特にリズリット嬢のお兄様には興味ございませんわ」
「ハウィンツお兄様に、興味が無い……?」
「ええ。それより、リズリット嬢とお話する機会を頂いても? 是非、一度我が家のお茶会に遊びに来て下さいませんか?」
にこにこと笑顔でそう早口で告げてくるリリーナの勢いに、リズリットは曖昧に頷くしか出来ない。
「──あ。リズリット嬢のお兄様がお戻りですわね? また、後日改めて招待状をお送り致しますわ。きっと来て下さいませ!」
「──あっ、リリーナ嬢……っ」
リリーナは、そう告げるとリズリットに手を振りそそくさとその場から去って行ってしまう。
リズリットの背後から近付くハウィンツに気が付き、ハウィンツがこの場に到着する前にその場を辞してしまったのだ。
リズリットを利用して近付いて来るのであれば、ハウィンツが近付いて来た事で逃げるように立ち去らないのだが、リリーナの「興味が無い」と言う言葉は本当なのだろうか、とリズリットが考え込んで居るとハウィンツが声を掛けて来た。
「──リズ! 今の令嬢は……!?」
「あ……っ、お帰りなさいませ、お兄様」
リズリットの元に急いで戻って来たハウィンツは手に持っていたグラスをリズリットに手渡すと、先程リリーナが去って行った方向へと視線を向ける。
だが、リリーナは既にハウィンツの視界からすっかりと姿を消してしまっており、後ろ姿を確認する事も出来ない。
「えっと……私とお話をしたい、と……後日お茶会に招待して下さるようですが……」
「お茶会、か……お茶会には俺は同席出来ないな……。それならば、ローズマリーを同行させてはどうだい?」
ハウィンツの言葉に、リズリットは緩やかに首を横に振ると唇を開いた。
「──いえ……。ご令嬢の意図が分からない為、お断りしようか、と思っております」