六話
「リズ! リズリット……! ああ、良かった、戻って来たか……っ!」
「ハウィンツお兄様……っ!?」
リズリットが馬車に乗り、伯爵邸に戻って来ると玄関前で忙しなくバタバタと動いていたハウィンツがリズリットに気付き駆け寄って来る。
「街へ出掛けた、と聞いて心配してたんだ……! 戻ると言っていた時間が近付いても馬車の影が見えないから探しに行こうかと思っていたんだよ」
「ええ……っ!? そんな、大丈夫ですよ、お兄様。少しの間だけの外出でしたし、まだ時間も過ぎておりませんよね……?」
戸惑いながらも、リズリットは自分に抱き着いて来るハウィンツを慰めるように背中に回した手のひらで落ち着かせるようにぽんぽん、と叩く。
「それは、分かっている……分かってはいるんだが……夜会であんな事があったばかりだろう? また辛い目に合っていないか心配だったんだ」
「──っ、ありがとうございます。お兄様。その、途中でディオン卿にもお会いしてしっかりと馬車まで見送って下さったので何も心配はございませんよ」
「ディオンが……?」
リズリットの言葉に、ぴくりとハウィンツは反応するとリズリットを抱き締めていた腕を緩めてリズリットの顔を覗き込む。
「え、ええ。そうです、お仕事中だったのだと思います。騎士の団服を着ていらっしゃったので……」
「──団長が? 一般騎士が受け持つような街中の警らをしていたと言うのか……?」
信じられない、と言ったような様子でリズリットに問い掛けるハウィンツの気迫に、リズリットは若干気圧されるように「はい」と頷いた。
「──そうか……」
ハウィンツはリズリットと行動を共にしていた侍女のメアリーにちらり、と視線を向けてリズリットの言葉が本当かどうかを確認する。
すると、リズリットの言葉は本当だったのだろう。メアリーが神妙な面持ちでこくり、と頷いたのを見て、ハウィンツは嫌そうに表情を歪ませた。
「分かったよ。それなら、ディオンにはまたお礼が必要だな。今度からは俺が買い物に付き合うから、街へ出る時は俺に話して欲しいな?」
「宜しいのですか……?お兄様はお忙しいのに、私のお買い物にお付き合いさせてしまうのは、と思っていたのです」
「そんな事……! 俺が可愛い妹と出掛ける時間すら作らない男だとは思わないでくれよ? リズと出掛けられるなら仕事なんて放り出したっていいくらいなんだから」
「──! まあ、お兄様ったら」
悪戯っぽく笑うハウィンツに、リズリットは楽しそうにくすくすと小さく声を上げて笑うと、後日街へ買い物に出掛けよう、と約束をした。
ハウィンツと街へ買い物に出た数日後。
リズリットは足の怪我もすっかり良くなり、以前招待状が送られて来ていた伯爵家主催の夜会に参加する事になった。
「本当にリズリットは参加するのかい? 別に無理して参加しなくてもいいのに……。足の怪我だって本当に完治したのか?」
「──もう。お兄様、私はもう大丈夫ですよ。それに、私ももう十七ですからそろそろ本当にお相手を見付けないと嫁ぎ遅れてしまいます」
「無理して出ていこうとしなくても……」
「そんな事ばかり言って! ローズマリーお姉様の縁談もお兄様が裏で手を回して潰してしまっているのを知っていますよ!」
「──ぅっ。だが、大事な妹達の婚約者になる男はしっかりと見定めないと……! ローズマリーやリズにはしっかり良い人と幸せになって欲しいからね」
何処か誇らしげに、ふんと胸を張って答えるハウィンツに、リズリットは本当に結婚させる気があるのかと問い質したくなってしまう。
誰か、気になる人は居たか? と聞かれても夜会の最中、べったりと兄が張り付いてしまっていては男性とダンスを踊る事も、話をする機会も生まれない。
ただえさえ、「出涸らし令嬢」と笑われているのだから第一印象はマイナスからのスタートなのだ。
だからこそ、夜会で会話や、ダンスで少しでも仲良くなって手紙のやり取りを出来れば、とリズリットは考えているが、目立つ容姿の兄が側に居ては人が近寄って来ない。
「出来そうでしたら、お兄様も今日はご令嬢方と交流なさって。いつもお兄様からダンスのお誘いを待っているご令嬢達が大勢いますよ」
「俺はリズリットとダンスを踊りたいんだけどな……」
ぼそり、と背後から呟かれた言葉をリズリットは敢えて聞こえていない振りをする。
過保護に拍車が掛かってしまった出来事を思い出して、リズリットはツキリ、と胸を痛ませる。
兄、ハウィンツにも、姉、ローズマリーにも婚約者は居ないのだ。
今はまだ父親が伯爵家の仕事をしているが、行く行くはハウィンツがマーブヒル伯爵家を継ぐ。
その時に、伯爵夫人が居ないと後継問題が発生してしまう。そうなれば、ハウィンツが如何に優秀であろうと、遠縁の親戚達が何を言うか分からない。
もう、二度と兄と姉が傷付かないで済むように、素敵な伴侶が見つかればいいのに、とリズリットは辛そうに眉を下げた。
キラキラと煌めく照明や装飾品、贅の限りを尽くしたかのような軽食や飲み物達。
この国で開催される夜会の主催者は、自分にどれだけの権力や、人望があるのかを知らしめる。
自分が祝福を受けた精霊の力によって、その人間そのものの価値を決めるような者達も居り、リズリットはそう言った「色眼鏡」で人を推し量るような者は苦手だ。
今回の夜会の主催者も、人の価値を祝福を授けた精霊の力に寄って判断するような人達だ、とリズリットは知っている。
だが、リズリットのマーブヒル伯爵家と今回の夜会の主催者の伯爵家は昔から親交があったらしく、自分達の代で親交を途切れさす事は出来ない、とリズリットとハウィンツは今回の招待に応じた。
「リズリット。もし、少しでも嫌な事を言われたり、されたりしたら直ぐに邸に帰ろう。リズリットが我慢をして、辛い思いをしてまで俺はこの家と親交を続けなければ、とは思っていないからね」
ハウィンツの言葉に、リズリットは瞳を見開くとふんわりと微笑みを浮かべる。
「ありがとうございます、お兄様。私も以前よりは強くなりましたから、大丈夫ですよ」
「──うん。……そうだね」
ハウィンツは眉を下げて笑顔を浮かべると、リズリットに向かって自分の手のひらを差し出す。
「──それじゃあ、先ずは私と一曲踊ってくれますか?」
「勿論、喜んで」
リズリットは笑顔でハウィンツの手のひらに自分の手のひらを乗せると、ハウィンツのエスコートの元ダンスフロアへと二人で向かって行った。
煌びやかなホールを横目に、長身の男はスタスタと歩を早めて入口横を通り過ぎる。
周囲からは「何故ここに?」といった好奇の視線が男に集まるがその視線達など気にも止めず男──ディオンは騎士団の団服を身に纏い、贅の限りを尽くした夜会に不審な部分が無いかどうかを確認して行く。
「──主は、運がいいのか悪いのか良く分からないな? 意中の者がいる夜会会場に、仕事で訪れる機会がぶつかるなんてそうそう無いんじゃないか?」
ディオンの隣に姿を表した、最上級精霊である人型の精霊は、関心したようにディオンに話し掛ける。
突然姿を表した精霊の姿に、チラチラとディオンに視線を向けていた者達はどよっと驚きにその場の空気を揺らがせたが、ディオンはちらり、と自分の隣に姿を表した精霊に視線をやると淡々と言葉を返した。
「偶然など、有り得る訳がないだろう。リズリット嬢の向かう先に仕事になりそうな事があったからついでに仕事をしようと思っただけだ。俺の本来の仕事はリズリット嬢の見守りだ」
「うーん……? 主の言う事はあまり理解出来ないし、理解したくない、って気持ちが不思議と湧き上がるよ」
「……? 精霊にもそんな不確かな感情があるんだな? 良かったじゃないか、精霊達が喜ぶ新しい発見だろう?」
「釈然としないなぁー」
「まあいい。リズリット嬢の見守りに戻ってくれ」
ディオンにそう告げられた精霊は「はいはい」と呆れたように呟くと、一瞬の内に人型の姿を解除して、愛くるしい本来の動物の姿に戻り一瞬で姿を消した。
精霊が人型から本来の姿に戻る瞬間は、廊下の曲がり角を曲がってから行った為、精霊の本来の姿を目にした者は居ない。
ディオンは、リズリット達が滞在する夜会のフロアが見下ろせるような邸の上階へと向かう。
ディオンが今夜の夜会警備としてやって来た際、この夜会の主催者は驚きの表情を浮かべていたが、ディオン程の肩書きを持つ人間が自分達主催の夜会に警備で訪れたと言う実績がとても魅力的だったのだろう。
不自然なディオンの説明よりも、そちらの魅力に抗う事が出来ず、夜会会場の警備にディオンを参加させた。
これだけの力と、複数の最上級精霊との契約を行っているディオンを疑う事無く、伯爵と伯爵夫人はディオンに警備上必要だから、と言う理由で邸内を自由に動き回る自由を与えた。
「──今頃はきっと、自分達の夜会警備にわざわざ俺の名前を出して周囲の者に言いふらしているだろう……」
それならそれでいい。
騎士団の団長が夜会の警備に携わっていると言うのが周囲に知れ渡れば、リズリットに何か危害を加えようとしている人間の抑止力にもなるだろう。
「──ここだな」
ディオンはぽつり、と呟くとフロアが隅々まで見渡せる上階へと到着した。
吹き抜けになっているからだろうか。下のフロアの声も良く聞こえて来て、ディオンは柱に自分の体を凭れさせるとじっとリズリットの姿を視線で追う。
先程まで、ハウィンツとダンスを踊り、今は休憩する為にダンスフロアから遠ざかっている。
「──誰だ、あれは……」
そこでディオンは、リズリットに近付く令嬢を見付けて柱から背中を離した。