二十九話
リリーナが居なくなってしまったロードチェンス子爵邸の庭園では、戸惑い溢れる空気が漂っていた。
あれ程ディオンに構われていたリズリットに、嫉妬の視線は向けられるが、以前ハウィンツと共に夜会に参加した時のように直接リズリットに危害を加えようとして近付いて来る令嬢は居ない。
この後、リズリットと出掛ける予定がある、と言っていたディオンが馬車でリズリットを待っている為、もし万が一この場でリズリットに危害を加えようとすれば同じ敷地内に居るディオンがすっ飛んで来るだろう、と言う事が周囲の令嬢達にも分かり、遠巻きにリズリットを見てヒソヒソと言葉を交わす事しか出来ないでいる。
そのような居心地の悪い状況で、リズリットは途方に暮れていた。
自分を招待したリリーナは何故かこの場を離れ、未だに戻って来る気配も無い。
そして、自分には親しい令嬢がいる訳では無く、むしろ周囲の令嬢からは嘲りまじりの態度を向けられて来た。
「──帰っちゃおうかしら……」
リズリットは若干やさぐれた気持ちで俯き、ついついぼそりと呟く。
すると、リズリットの肩に居た白麗がのんびりとした口調でリズリットに小声で話し掛けた。
「あらあら。リズリットちゃん、気持ちは分かるけれど、もう少し我慢して? 主も何かあったみたいでこっちに戻ってきてるわよ?」
「──えっ? そ、そうなのですか、白麗さん?」
「ええ、そうみたい。焦っているみたいだから、鶺鴒が何か見付けたのかしらね?」
のんびりとそう告げる白麗に、リズリットはロードチェンス子爵邸の正門の方へとつい振り向いてしまう。
ディオンが戻って来るのであれば、そこからだろう、と考えたリズリットだったがリズリットの考えた通り、視界の先でディオンの姿を認めてリズリットは無意識に強ばっていた体からほっとして力を抜くとこちらに向かってやって来るディオンの様子に首を傾げた。
庭園に居た他の令嬢達も、再びディオンが姿を現した事に色めき立ち、嬉しそうな声を上げていて、令嬢達の視線はリズリットから一瞬でディオンへと移った。
「リズリット嬢!」
「ど、どうされたのですかディオン様?」
焦ってリズリットの元へとやって来たディオンは、リズリットに近付くと周囲の令嬢達に聞こえないように声のトーンを落としてリズリットへと声を掛ける。
「リリーナ・ロードチェンスが悪事を働く場面を鶺鴒がしっかりと確認した。これから邸に突入しようと思う」
「──っ、そんな……まさか本当に……!?」
リズリットが驚きに顔色を真っ青にさせると、ディオンはリズリットを支えるようにして腰に手を回すと更に小声で続ける。
「ああ、最悪の結果となってしまったが……。早急に囚われている精霊を救出しなければならない」
「そう、ですね……。精霊を助け出してあげなければいけませんね」
こそこそ、こそこそとリズリットとディオンが体を寄せ合い、話している姿は遠目から見ればまるで恋人同士が体を寄せ合い愛を囁き合っているような場面にも見える。
二人にそんなつもりは全く無く、真面目に話し合っているだけなのだが、親密そうなその様子に周囲の令嬢達は勘違いをして、絶望している。
公爵家のディオン・フィアーレンと、出涸らし令嬢であるリズリット・マーブヒルが恋人同士なのだ、と盛大に勘違いし、その噂は瞬く間に王都中に広がってしまうのだが、その噂が王都中に広がるのは数日後である。
「一先ず、この後ハウィンツが騎士を引き連れてこの邸に来る予定だが、騒いでいる間に逃げられてしまっては元も子もない。リズリット嬢を一人にする方が危険なので、俺と行動を共にしてもらってもいいだろうか?」
真剣なディオンの藤色の瞳に見詰められ、リズリットは緊張した面持ちで「承知しました」と頷くと、ディオンも安堵したように頷き返す。
「──では、失礼する」
「え、はい? ──きゃあっ!」
ディオンがリズリットに向かって小さく言葉を零し、リズリットが首を傾げた瞬間。
ディオンの腕がひょい、とリズリットを軽々と抱き上げた。
瞬間、周囲からは悲鳴が上がるが、リズリットは突然ディオンに抱き上げられた驚きに頭が真っ白になり、周囲の悲鳴など耳に届かない。
「走るから、しっかり俺の首に掴まっていてくれ!」
「えっ、あっ、はい!」
ディオンの言葉に、リズリットは反射的にぎゅう、とディオンに抱き着くと、リズリットを抱えたままディオンは邸の玄関へと向かって駆け出した。
背後の悲鳴を振り切り、ディオンは玄関を蹴破る勢いで室内へと侵入すると、突然姿を現したディオンにロードチェンス子爵家の使用人達がぎょっと目を見開いた。
だが、姿を現したのが公爵家のディオンで、騎士団長を務める人物である為、おろおろと対応に戸惑う使用人達ばかりで、ディオンは好都合だとばかりに玄関ホールから階段へと駆け寄ると、そのままの勢いで駆け上がる。
「でぃ、ディオン様っ、どちらへ向かっているのですか?」
「──ロードチェンス子爵令嬢の自室だ! 鶺鴒が未だ令嬢を引き止めてくれている間に自室へ突入し、捕らえられている精霊を解放する!」
リズリットを抱えて走っていると言うのに、人一人抱えていると言う重さなどまるで感じていないかのようにかなりの速さで走るディオンに、リズリットはその速度に恐怖を覚えてディオンに強くしがみつく。
「ディ、ディオン様っ、その、子爵令嬢のお部屋が分かるのですかっ」
「ああ、問題無い。鶺鴒と感覚共有をしているので、邸内の間取りは把握している」
「え、ええっ」
あっさりと肯定するディオンにリズリットは目を剥くとディオンからの「舌を噛まないように」と言う言葉にぐっ、と口を噤む。
「階段を、登った先にある──三階の奥がリリーナ・ロードチェンスの部屋だ!」
階段を登りきり、ディオンが示した部屋の前まで駆け寄ると、扉を破壊する勢いで蹴り倒す。
──ばこん!
と、けたたましい音を立てながらリリーナの自室の扉がディオンの蹴り上げた足によって破壊され、中に居たリリーナが悲鳴を上げた。
「きゃああ! なにっ、何事よ!?」
「リリーナ・ロードチェンス!」
突然、自分の部屋の扉が破壊された事に中に居たリリーナは驚き、声を荒げたが扉を破壊して姿を現したのがディオンだと言う事に気が付くと、喜色に溢れた声を上げた。
「えっ、嘘っ! ディオン様!? 何故ここにっ」
嬉しそうに両手を胸の前で組んでディオンへと視線を向けたリリーナは、だがディオンが抱える人物を目に入れた瞬間、不愉快そうに表情を歪めた。
「なんっで……っ」
「リリーナ・ロードチェンス。君のした事は全て把握している。捕らえている精霊を今すぐ解放するぞ」
リズリットを腕に抱きながら、堂々と室内へと入室してくるディオンにリリーナはぎりっ、と奥歯を噛み締めると恨めしそうな表情でリズリットを睨み付けた。
「……っディオン様。ディオン様が仰っている事は何の事やら……私が何かしましたか? それに、精霊を捕らえているなど……! 酷い言い掛かりですわ!」
「──言い掛かりでは無いだろう。そこに無理矢理繋がれている中級精霊がいる。"あれ"が捕らえられていないと言うのか?」
リズリットは、ディオンとリリーナの会話にきょろり、とリリーナの室内を見回して、部屋の隅に視線をやった所でびくり、と体を震わせて瞳を見開いた。
「──何て、酷い事を……っ!」
リズリットの視線の先では、ディオンが言っていた中級精霊だろうか。
小さなその精霊が、力無く床にぽてり、と落ち。その体は鎖のような物でリリーナの部屋のテーブルの足に繋がれていた。
上級精霊や、最上級精霊のように姿を変えたり、消したり出来ないのだろう。
その為、力無く床に落ちてしまっている精霊は体を鎖で巻かれ、無理矢理この部屋に閉じ込められている様子である。
リズリットの声がリリーナの耳にも届いたのだろう。
リリーナはぎっ、とリズリットを殺意の籠った視線で睨み付けると、唇を開いた。
「──何が酷いって言うのよ! 精霊は、人間の力になるのが好きなのよ! 人間の為に力を使うのを誇りに思っている、だから私がその力を余す事無く使ってあげているのに、勝手な想像や憶測だけでこの精霊が"可哀想"だなんて言わないでよね! あんたなんか精霊の祝福を一つも受けていないくせに!」
リリーナは、恨みの籠った視線でリズリットを睨み付けるが、先程精霊から無理矢理入手した魔法を放つ事はしない。
今、リリーナがリズリットに向かって魔法を放ってしまえば、リズリットを抱き抱えているディオンの体まで危険に晒してしまう可能性がある、と考え、リリーナは何とか攻撃をしてしまいたい衝動を押さえ込んでいた。
(ディオン様があの女から手を離せば……っあの女から離れれば直ぐに攻撃してやるのにっ)
リリーナは悔しそうに拳を握るが、ディオンはしっかりとリズリットを抱えたまま離さず、リリーナへと近付いて行く。
「リリーナ・ロードチェンス。君は犯してはならない罪を犯してしまった。言い逃れも出来ない状態だ。……大人しく捕縛されれば、手荒な事はしないが、どうする……?」
「──捕縛、? 私が何故捕縛されなければならないのです? 何が罪だと言うのですか!」
「……それすらも分からないとは……」
リリーナの言葉にディオンは哀れみの視線を向けると、「鶺鴒」と小さく呟いた。
「あいあい」
すると、ディオンの声に呼応して間接照明の陰に隠れていた鶺鴒がばさり、と陰から姿を表してディオンの肩へと止まる。
「そのっ、声っ!」
鶺鴒の声に、リリーナは瞳を見開く。
先程までこの部屋で聞こえていた声は、ディオンと契約を結んでいる最上級精霊の声だったのだ、と言う事を理解したリリーナはそこで初めて狼狽え始める。
先程から聞こえていた声の主は、この部屋でリリーナ自身が行った事をしっかりと全て見ているのだ。
先程まで、見られていないのだから、と白を切ろうとしていたリリーナは焦ったように表情をさっと変えるとうろ、と視線を彷徨わせる。
「──自分で罪を認め、自主すればまだ温情が掛けられていた可能性があったんだが……仕方ないな」
「……っ、温情!?」
ディオンの言葉にぱっ、と反応したリリーナは、ディオンに視線を向けるがその瞬間。
邸の外が俄かに騒がしくなり初め、リリーナは自室の窓へと走り寄った。




