二十六話
そうして、あっという間に二日後。
リズリットは昨日、ディオンから届いたデイドレスに、そのドレスに合わせた華美になり過ぎない品の良い装飾品を身にまとってお茶会に向かう為、邸の正面玄関まで向かっていた。
リズリットの肩にはここ数日、慣れたように鶺鴒の精霊がちょこん、と止まっており、リズリットはその精霊に話し掛けるのが癖になってしまっていた。
「……こんなに素敵なドレス、本当に頂いてしまって良いのかしら……? 精霊さんも良いと思う……?」
ドレスに、装飾品。
果てにはドレスに合う靴まで揃えて贈られ、リズリットは「お茶会参加一式」が届いた時、あわあわと狼狽えた。
少しだけヒールのあるショートブーツは、上部にディオンの髪色を思わすようなネイビーの柔らかなメッシュ素材が何重かに重ね合わされており、リズリットの白くほっそりとした足がそのメッシュから薄らと覗き、洒落ている。
ブーツの紐には左右対称に小さな宝石があしらわれた鳥モチーフの装飾が付いており、外に出ると太陽の光に反射してキラリと煌めく。
邸の庭先で催されるお茶会を考えて、衣服、果てには靴まで用意してくれたディオンに、リズリットは直接お礼を告げられる当日をそわそわと心待ちにしていた。
お茶会の当日である今日は、ディオン自らロードチェンス子爵邸まで送ってくれるらしく、リズリットの邸まで迎えに来てくれる手筈となっている。
リズリットが正面玄関に繋がる階段の上に姿を表すと、先に来ていたハウィンツが階段を降りてくるリズリットに気付き、階段下まで歩いて来た。
「ああ、リズリット……。凄く良く似合っているね。ディオンにもセンスがあったんだな」
「まあ……お兄様」
感心したようにリズリットの姿を見詰めてそう言葉を零すハウィンツにリズリットはくすくすと笑い声を零すと、差し出してくれたハウィンツの手のひらに有難く自分の手のひらを乗せて、階段を降り切る。
「ディオン卿はとても素敵なドレスや靴を贈って下さいましたわ。きっと普段から流行に敏感なのだと思います」
「そうだな……。まるでリズリットの為に拵えたかのようにリズリットに似合うもんな?」
リズリットの髪色や、瞳の色、肌の色に合わせて絶妙なバランスで彩色されたドレスや、リズリットの容姿を引き立たせるようにデザインされた装飾品。
ハウィンツはパッと見ただけで、リズリットが身にまとっているそれらが既製品では無い事を察し、そっと視線を逸らした。
(いったい、いつから用意していたんだか……)
ハウィンツは、我が友人ながら気持ち悪いな、と胸中でごちるとリズリットを伴い玄関の外へと向かう。
絶対に居るとは思っていたが、玄関から外に出るとやはりディオンは既に迎えに来ており、腕を組み馬車の扉に背を預けていたが、リズリットがやって来た事に気付くとぱぁっと表情を輝かせてリズリットとハウィンツに声を掛けた。
「リズリット嬢、ハウィンツ」
「もう来てたのか、ディオン」
「お待たせしてしまい申し訳ございません、ディオン卿っ」
「いや、俺が早く着き過ぎてしまっただけだから気にしないでくれ」
ハウィンツと共にやって来るリズリットの姿を見てディオンはふにゃり、と微笑みを浮かべた。
自分が贈ったドレスや装飾品を身にまとったリズリットは妖精のように可愛らしく、可愛らしいが美しい。
そして、その可愛らしさや美しさを最大限に引き出したのは自分が贈った物なのだ、と言う幸福感に包まれる。
ロードチェンス子爵邸で行われるお茶会に、ハウィンツは表向きは着いて来ない。
リズリットと馬車に同乗し、子爵邸まで送り届けるのはディオンで、リズリットとディオンはお茶会が終わったらその足で王都の貴族街に出掛ける、と言う体だ。
ディオンは自分の容姿が優れている事を自覚していて、どうやらロードチェンス子爵家の令嬢、リリーナは自分に気があると言う事も理解している。
リズリットと行動を共にしていれば、リリーナが動く可能性がある、と考えて子爵邸まで送りに行き、そしてお茶会が終わるのを馬車止めで待つつもりだ。
きっと、馬車から降りるリズリットをエスコートするディオンの姿は、同じくお茶会に招待された他の令嬢達が目撃し、リリーナの耳に入るのも早いだろう。
そしてリリーナを刺激し、お茶会の席でリズリットはこの後ディオンと出掛ける予定がある、と言う事をリズリット自身の口から語られたリリーナが行動を起こしてくれれば衆目の面前でリリーナを取り押さえる事が出来る。
大勢の人の目がある場所で精霊の力を悪用し、リズリットを攻撃したら最早言い逃れなど出来る筈が無い。
お茶会の最中、鶺鴒には邸内を探らせるので邸内からも何か見つかればいいのだが、とディオンが考えているとひょこり、とリズリットがディオンの名前を呼び顔を覗いて来る。
「──ディオン卿、? どうされましたか? もうそろそろ向かいません?」
「あ、ああっ、すまない。そうだな、行こうか」
リズリットに声を掛けられてディオンははっとすると、ハウィンツからリズリットの手を受け取り、馬車へとエスコートする。
「……ディオン。俺は邸近くに待機しているから何かあれば連絡してくれ」
「──ああ、分かった。鶺鴒か、銀狼を向かわすよ」
ディオンとハウィンツがそう言葉を交わし終えると、リズリットと共にディオンは馬車へと乗り込んだ。
馬車の中では、今日のお茶会の最中リズリットを護衛する白麗──小さく姿を変えた小竜がすうすうと寝息を立てて、主であるディオンとリズリットを待っていた。
リズリットとディオンが馬車へと乗り込むと、既に馬車に乗っていた先客が、静かに寝息を立てていたが、主であるディオンの気配に反応しぱちりと瞳を開ける。
「リズリット嬢、紹介しよう。今日リズリット嬢を護衛する白龍の白麗だ」
「りゅ、龍の精霊ですか……! 初めて目にしました……白麗さん、今日は一日宜しくお願いしますね」
ディオンに紹介された白麗は、ディオンの言葉に応えるように寝ていた姿勢からふわり、と体を浮かせてリズリットに近寄って来ると目の前で静止する。
真っ黒で、くりりとした白麗のつぶらな瞳に見詰められてリズリットは表情を緩めると白麗に挨拶をする。
リズリットの挨拶に反応するように白麗は尾を機嫌良さそうに揺らすとリズリットに向かって言葉を返した。
「ええ、こちらこそよろしくね」
優しげな女性の声に、白麗の性別は雌、と形容すればいいのかどうかは分からないが、柔らかな声にリズリットは安心するように微笑むと、白麗がそのままふわり、と宙を飛び進みリズリットの肩へと乗る。
「わっ、わあ……! 全然重さが無いんですね、不思議です……!」
精霊の祝福を得ていないリズリットは、この十七年間このように精霊と触れ合った経験は皆無だ。
その為、ディオンと共に行動するようになってから精霊と触れ合う機会が増えた事にリズリットは感動のあまり些か興奮して笑顔でディオンに話し掛ける。
嬉しそうに自分の精霊と触れ合うリズリットに、ディオンは優しげな眼差しで「ああ」と答えてから言葉を続ける。
「精霊は、自分の力でいかようにも存在を消せるからな。特に、白麗に至っては人間に認識させる体の大きさと、姿を透過させる術を持っている。だから、茶会の最中は体を透過させた白麗をリズリット嬢の護衛につければ、何も心配は無い」
「何から何まで、本当にありがとうございますディオン卿……」
改めてお礼を告げて、馬車の中でぺこりと頭を下げるリズリットにディオンはまた笑顔で「どう致しまして」と答える。
最上級精霊をリズリットの護衛に付けるなど、周囲は「やり過ぎではないか」と訝しげに表情を歪める者もいたが、大事なリズリットを守る為には本当ならば精霊三体でガッチリと護衛したいくらいだ。
だが、銀狼は姿を透過させる術を持っていないし、鶺鴒は邸内を調べて貰う為にリズリットの側を離れなければならない。
本当はディオン自身も茶会に参加してリズリットを側で守りたかったが、今回の茶会は女性だけの集まりの場であるため、ディオンは泣く泣く断念したのだ。
だが、茶会の後にリズリットと散策の予定を入れたのでリズリットに何かあれば直ぐに駆けつけられる場所で待機しておく事が出来る。
(まあ……ロードチェンスの令嬢が茶会の席で何かを仕出かしたらそれも無くなってしまうが……)
だからこそ、ディオンは何も起きて欲しくないような、何かが発見出来れば良いような、なんとも言えない複雑な気分で茶会の会場である子爵邸に向かった。
ロードチェンス子爵邸まであと少し、と言う所で徐にディオンが何かを思い出したかのように「そうだった」と声を出してリズリットに視線を向ける。
「……、? 何かございましたか?」
きょとん、とした表情でディオンに言葉を掛けるリズリットにディオンは大事な事を伝え忘れていた、と唇を開く。
「伝え忘れていたが、俺の事はディオンと呼んでくれ。"ディオン卿"などと距離がある呼び方をされていては本当に二人で街へ出掛けるか疑われてしまう可能性がある」
「──えっ」
「ロードチェンスの令嬢を刺激出来るだけ刺激したい。リズリット嬢と、俺が親密だと言うような態度で相手を刺激したいのだがいいだろうか」
「ディ、ディオン卿と……!?」
さらり、と至極普通にそう言われてリズリットは思わず頬を染めてしまう。
自分なんかと親密だ、と誤解されてしまっても良いのだろうか、とリズリットは心配するが、ディオンは仕事の為にそれが必要だと判断したのだろう。
仕事に真面目なディオンの事だ。
他意はないのだろう、とリズリットは考えると少しだけ恥ずかしがりながら唇を開いた。
「わ、分かりました……。えっと、ディオン様、とお呼びすれば良いですか……?」
もじもじと恥ずかしそうに頬を染めて視線を逸らしながらディオンにそう言葉を掛けるリズリットに、ディオンは自分の顔を手のひらで覆うと上を仰いだ。
ディオンには他意しかない。
必要な事だから、と無理矢理それっぽく理由を付けて、他人行儀な呼び方をリズリットに辞めさせたディオンはリズリットの恥じらう可愛らしい姿に感動に打ち震えながら震える声で何とか「ああ」と返事を返した。
ディオンが謎の感動に打ち震えているなどとは露知らず、リズリットは突然震え出したディオンにおろおろとしている間に、二人の乗った馬車が目的地へ到着したらしい。
がたり、と音を立てて止まった馬車にディオンはぱっと顔を覆っていた手のひらをどかして顔を上げると気持ちを切り替えて表情を引き締める。
「──リズリット嬢、着いたみたいだ。……行こうか」
「は、はい。ディオン、様」
ロードチェンス子爵邸のお茶会に招待された複数の令嬢達は、突然子爵邸の正門に止まったフィアーレン公爵家の家紋が入った馬車にざわり、とざわめいた。




