二十話
ローズマリーから言われた通り、ディオンはリズリットの部屋を出るとハウィンツが待っていると言う応接室に向かおうとして「しまった」と呟きピタリと足を止めた。
「──応接室が何処にあるのか聞き忘れてしまったな……戻るか……?」
リズリットの私室に入ってしまった、と言う事にディオンは頭の中で盛大に浮かれてしまい、大事な事を聞き忘れてしまった。
ディオンはきょろ、と周囲を見回して伯爵家の使用人を探す。
自分の精霊に邸の中を探させてしまえば直ぐに分かるのだが、流石に人様の邸だ。
リズリットに関して些か頭のネジが吹っ飛んでしまっているディオンにも、そこまでやっては不味い、と言う事は分かる。
「──そこの」
ディオンは廊下の角を曲がってやってくる使用人を見付けると、声を出してその使用人を呼び止める。
使用人はディオンに呼び止められた事にぎょっとしたが、それも一瞬で直ぐに表情を引き締めるとディオンに返事をした。
「ハウィンツが応接室で待っているらしいのだが、……応接室はどう行けば良い?」
「──ああ! 大変失礼致しました。ご案内致します」
使用人は申し訳無さそうに一礼すると、ディオンを案内してくれるようだ。
ディオンは使用人の案内の元、応接室へと向かった。
「──こちらでございます」
「ああ、ありがとう」
使用人に案内してもらい、ディオンは応接室まで辿り着くと、使用人を礼を告げて扉に向き直る。
扉を軽くノックすると、中からハウィンツの声が聞こえて来て、ディオンはそのまま扉を開けて中へと進んだ。
「──ああ、ディオン。今日はすまなかったな、ありがとう」
「いや。当然の事だ」
ソファに座って複数の書類を確認していたハウィンツがディオンが入って来た事を視界に捉えると、書類をテーブルに置いてディオンにソファへ座るように進める。
ディオンがソファに座った事を確認するなり、ハウィンツは体を乗り出して唇を開いた。
「リズは? リズリットは平気そうだったか?」
「ああ。脈拍も正常値だし顔色も少しだけ悪かったが……ベッドに横になる頃には少し回復していたように思える」
「そう、か……良かった……」
ディオンの言葉に安心したような表情を浮かべると、ハウィンツは大きく息を吐き出してソファの背もたれに体を預けた。
ディオンのリズリットに対する行動は、ある程度見て見ぬ振りをする事に決めたのだろう。
ハウィンツはディオンの言葉に深く突っ込む事はせずに、「それで……」と突然真剣な表情を浮かべて言葉を切り出した。
「ディオンがリズリットを攻撃したのはロードチェンス子爵家の令嬢だ、と言っただろう? それで、俺も少しその名前に聞き覚えがあって……父上に確認したらその子爵家、数代前に精霊に対する違法薬物を使用していた過去が出てきた」
「なに……?」
ハウィンツから突然語られた言葉にディオンは瞳を見開くと驚いたような声を出す。
「数代前、と言っても二百年程前だから当時の事件を実際に知っている者は居ないが、記録として残っていたよ。……ここ最近は真面目に貴族としての責務を全うしていたから盲点だった」
「黒だな」
ハウィンツの言葉を聞くなり、ディオンはきっぱりと言い放つ。
「いや……、黒判定が早過ぎるだろ……。リズリットを危ない目に合わした事が許せないのは俺も一緒だが、黒だ、と判断するには色々証拠が必要だ」
「そんなもの、いくらでもどうとでも出来るだろう。そもそも中級精霊があのような心根の腐った、悪意の塊のような人間に祝福を与える筈が無かったんだ。さっさと消しておけば良かったな……」
「いやいや、予測──想像だけで人一人を簡単に消しちゃ駄目だ。今回は、もしかしたら過去と同じく精霊に違法薬物を使用している可能性があるんだ……。その薬物がどんな効果で、精霊に対してどんな悪影響を与えるのかを調べて国に報告しなくてはいけない」
ハウィンツはそう話しながら、先程自分が確認していた書類を手に取ると、ディオンへと渡す。
ディオンはその書類を受け取るとパラパラと中身を確認してからハウィンツに視線を向けた。
「ここ数十年……悪どい人間が出なかったからな……過去の薬の効果が記載されている資料は少なかった……。それに、俺たちマーブヒル伯爵家が契約している精霊は中級精霊で、言葉を交わす事が出来ないから直接聞く事も出来なくてな……」
「──なるほど。言葉を交わす事が出来るのは上級精霊以上だからな……。そもそも上級精霊と契約を交わしている国の人間は少ない……」
「ああ。大体がこの国の重鎮だし、王族だったりで直ぐに聞く事が出来ないだろう?」
「直ぐに分かるかどうか分からんが聞いてみよう」
ディオンはそう告げると、鶺鴒と銀狼の精霊をこの場に呼び出した。
もう一体の精霊は、今はここに居らず他の仕事を任せている為呼び出さない。
ディオンに呼び出された二体の精霊は、くわり、と欠伸をしつつディオンとハウィンツに視線を向けた。
「──何だ、主。面倒事か……?」
「最近精霊使いが荒いよなぁ。少しは加減してくれよ」
銀狼の後に、鶺鴒が自分の羽を広げて毛ずくろいをしながらぼやく。
ディオンは二体の精霊の様子を見ながら「確かに」と納得した。
リズリットと出会ってからは確かに銀狼と鶺鴒の精霊に交代でリズリットの見守りをしてもらっていたので、以前に比べてのんびりと過ごす事が出来なくて不満なのだろう。
「──ふむ……確かにここ最近は銀狼と鶺鴒に頼りきっていたか……暫く休むか?」
「あっ、いや! やっぱり大丈夫だ……! 主の暴走っぷりが面白いからいいよ、傍から見ていて楽しいし、これからも暴走を控えないでくれよ!」
鶺鴒の精霊が慌てたようにディオンに言い募る。
暴走が楽しい、と言う鶺鴒の言葉は良く分からないが、楽しんでいるのならばそれで良いのか、とディオンは深く考えず「それで」と言葉を続けた。
ディオンの向かいに座っているハウィンツはディオンと精霊の会話に何とも言えない表情を浮かべているが、銀狼の精霊がちらり、と気の毒そうな視線をハウィンツに送っている。
「──精霊達に聞きたい事があってな……。その、もしもの話だが、人間が精霊の祝福を受けたいがあまり、精霊にとって毒となる薬物を使用した場合は精霊自身の意思とは関係無く半強制的に祝福を授ける事があるのか?」
ディオンの言葉に、伏せていた銀狼がゆったりと頭を持ち上げると口を開いた。
「有り得なくはない。……我らに害のある薬剤を使用した場合、力の弱い精霊はその人間が望むままに祝福を授けてしまうだろう。上級以下の精霊は薬に対する抵抗力が弱いから使用されれば操られてしまうだろうな」
「──上級以上の場合は、操られないか?」
「その薬の効力にもよるが……人間が作る薬で、我らのような上級以上の精霊に対して効力を発揮するものは殆ど無い筈だ」
「それでは、下級と中級の精霊は不本意に祝福を授けてしまう可能性がある、と言う事だな」
ディオンの言葉に、銀狼の精霊は頷く。
「ああ。もし下級と中級の精霊に対してそのような薬を使用されていれば、抗う事も出来ずに人間が望むまま祝福を授けるだろう。そして、自分が祝福を授けた人間からは契約上離れる事が出来なくなるから人間の持つ悪意にどんどん侵食されて精霊は姿を保てなくなるぞ」
「なんだと……?」
「そうすると、その精霊はどうなってしまうんだ……!?」
銀狼の言葉に、ディオンは驚きの声を上げ、ハウィンツは銀狼に問い掛ける。
姿が保てなくなる、とは具体的に精霊にどんな影響を及ぼすのだろうか。
銀狼の精霊はハウィンツに視線を向けて口を開き、ハウィンツの疑問に答える。
「言葉のまま、姿を保てなくなった精霊はそのまま消滅する。消滅してしまうと、二度と精霊として命を得る事無く、その存在そのものがこの世界から永遠に消え失せてしまうだろうな」
"王の元へ帰れなくなるんだ"と銀狼が呟いて、鶺鴒の精霊も視線を床に落としてしまう。
「そんな……そんな事をしたら……人間は……」
ハウィンツの言葉に、銀狼はゆっくりと頷くとハウィンツの言葉の後に続けるように言葉を放つ。
「ああ。我々は人間を見限り、二度と人間に力を貸さなくなるだろう。──今現在結んでいる契約も、我々の王の力により強制的に解除される」
「──っ」
銀狼の精霊から語られる重大な事実に、ディオンとハウィンツは顔色を悪くしてお互い顔を見合せた。
「ディオン……。この事、お前は知っていたか……?」
「──いや……初耳だ。そもそも人間の行いのせいで精霊が消滅してしまう事があるなんて知らなかったからな……」
「まあ、そうだろうな……。我々も祝福を授ける際はその人間を良く見て判断する。消滅に追い込まれる程の悪意に満ちた人間などに、我々は絶対に祝福を授けない」
「そうか……。祝福を授けてしまう場合は薬によって操られている時、と言う事だな……」
「ディオン……! この事は、国王陛下は知っているのだろうか? 王族は?」
「流石に、王族であれば知っているとは思うが……。万が一の場合もあるな。至急報告をしておこう」
想像していたよりも事が大きくなって来てしまった事に、ハウィンツは頭を抱えたくなってしまう。
ロードチェンス子爵家の令嬢が、そこまで人として堕ちていなければいいのだがあの時の様子を見る限り限りなく黒に近いだろう。
そもそも、精霊の力を使って同じ人間に一方的に攻撃を仕掛ける事自体、発生してしまうのがおかしい。
戦争や、魔物の討伐で精霊の力を借りて魔法を放つのとは訳が違うのだ。
ハウィンツは「偉いことになった」と呻くと、銀狼から話された内容を直ぐに纏めて自分の父親に報告する事にした。




