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十五話


 ガタガタ、と馬車に揺れながら、ハウィンツは呆れた表情で自分の向かいに座るリズリットに視線を向ける。


「──リズ……ディオンからの言葉をちゃんと聞いていなかっただろう……?」

「も、申し訳ございませんお兄様……。その……ディオン卿は何とお話していたのでしょうか……?」


 ちゃんと真面目に話を聞いていなかった自分を恥じて、反省しているのだろう。リズリットはディオンの話を真面目に聞いていなかった、と言う申し訳なさにも眉を下げながらハウィンツに話しかける。

 ハウィンツは、うろ、と瞳を彷徨わせてからリズリットに視線を戻すと、馬車まで歩いて来る間のリズリットとディオンの会話を掻い摘んで話してくれた。


「……リズリットが、絵画スクールに通っている事を階段を降りて来ていた時に聞いていたディオンが、リズリットの描く絵を見たい、と言い出したんだが……」

「──えぇ!?」

「ああ、そこはリズリットがしっかりと断っていたから心配するな、大丈夫だ。……ただ、その後にディオンが再度リズリットにそれならば、絵画スクール後に会わないか、と提案して来て……」

「私は、それに頷いてしまったのですか……」

「ああ。絵を見せる、と言う事以外の提案には頷いてしまっていたぞ」


 リズリットは、ハウィンツの言葉に「なんと言う事を……」と小さく呟くと項垂れる。

 多くの視線の集中に、意識がそちらに持って行かれてしまったとは言え、ディオンとの散策に肯定してしまうとは。

 あれだけ目立つ人間と、街を共に歩けばまた目立ってしまうだろう。

 リズリットは、今からでも断れないかしらと考えたが、嬉しそうに笑うディオンの顔を思い出してしまい、顔を覆って俯いてしまった。






「リズリット嬢と出掛ける予定が出来た……」


 ディオンは、去っていくマーブヒル伯爵家の馬車を視界に入れながら、その場に力尽きたようにがくり、と膝を折り地面に崩れ落ちる。


「──良かったな、主」


 ディオンの隣に姿を表した銀狼の精霊は、くわ、と欠伸をすると後ろ足でカシカシ、と自分の顔をかく。

 ディオンは隣に居る銀狼の精霊にそのままぼふり、と抱き着くとふさふさとした毛に顔を埋めて何やら唸っているが、小さなディオンの声は銀狼の毛皮に吸収されてしまいなんと言っているのかは不明だ。


「主、周囲からの視線が強いがいいのか? 注目を集めているが?」

「──有象無象などどうでもいい」


 銀狼の精霊の言葉に、今度はしっかりと言葉を返すとディオンはむくり、と上体を起こして毛皮から抜け出す。

 散策(デート)の約束を取り付けたディオンは、傍目では分からないが大分浮かれているようで、契約を結んでいる精霊には主であるディオンの浮かれた感情が手に取るように分かり、呆れてしまう。

 以前までは感情制御がしっかりとしていて、契約主であるディオンの感情は集中しなければ分からなかったと言うのに、今では制御の箍が外れてしまっているようで手に取るように分かってしまう。


「嬉しいのは分かるが……。主、いいのか? 主が懸想するリズリット嬢に恨みがましい怨嗟の籠った視線を向けている女性がいたが」

「──ん、? ああ、リリーナ・ロードチェンス嬢か? ロードチェンス子爵家の娘だな……」

「ああ。あのような感情で居ては、我々の仲間に悪影響を及ぼすぞ」

「ああ、どうにかしないといけないな……」


 ディオンは銀狼の背に凭れながら眉間に皺を寄せて考え込む。


 中級以上の精霊は、人間の感情の機微に影響され易い。

 それは、姿を持っている事が大きく影響しているようで、だからこそ上級精霊や最上級精霊等は特に人間に祝福を授けるのに慎重だ。

 悪感情に支配された人間に祝福を授け、契約を結んでしまえばその精霊も契約を結んだ人間の感情に影響されやすい。

 だからこそ、中級以上の精霊は祝福を授ける人間を選ぶにはとても慎重な筈なのだが、何故今回はロードチェンス家の令嬢に祝福を授けたのだろうか、とディオンは不思議に思ってしまう。


「──生まれたばかりの精霊は、人間の本質を見抜く力がまだ弱いからな……恐らく本質を見抜き切れなかったのだろう」

「……生まれたばかり、か……なるほどな」


 ディオンの考えを先読みしたかのように銀狼の精霊が言葉を放つと、ディオンも納得したように頷く。


「それならば、ハウィンツやリズリットの姉上に祝福を授けた中級精霊は、しっかりと人を見て判断したんだな」


 ディオンは、リズリットの見守りを始めてからマーブヒル伯爵家に祝福を授けた精霊と顔を合わせた事がある。

 ディオンはその時の事を思い出す。意思疎通は問題無く出来て、ディオンの事を排除しようだとか、敵意を抱いているような雰囲気は無く、ディオンのやろうとしている事に何処か楽しげにしていたような節があった。


「精霊は、結構悪戯好きか?」

「──まあ、楽しい事は好きだな」


 ディオンの言葉に、銀狼の精霊はちらり、とディオンに視線を向けてからにんまりと大きな口を笑みの形に歪めると半眼でディオンを見やった。


「我々の寿命は長いからな。主が提供してくれる刺激が、今は楽しくて仕方ない」

「俺は至って真面目なんだがな……」

「それは失礼したな」


 ディオンはむっ、と不貞腐れたような表情を浮かべながら自分の後頭部をかく。

 銀狼の精霊はそれはそれは楽しそうに口を開けて笑うと、「そら、」と顎をしゃくってディオンに周囲を確認するように誘導した。


「あまり、この場に居続けるとあまり良くないんじゃないか? 主に話し掛けたそうな人間が沢山いるぞ」

「──ああ。リズリット嬢も見送ったし、俺達もそろそろ戻ろう」


 絵画スクールの日にちも確認しないといけないしな、と何処か弾んだ声で話しながら、ディオンは周囲に集まりつつあった人垣を視界に入れず、そのまま帰路に着く為に馬車を手配し始める。


(リズリット嬢と会う前に、リリーナ・ロードチェンス家を調べておくか……王立騎士団団長の権限で調べる方が早いか……それとも、俺の持つ侯爵位を利用して侯爵として事件性が無いか調べるのが早いか……騎士団の権限の方が楽か……)


 馬車を待つ少しの間、ディオンはリリーナの家の事、リリーナが祝福を受けた精霊の事を調べる事を決める。

 調べて、何も出なければそれはそれで良い。

 リズリットに何も危害が加えられなければディオンにとってはどうでも良い事だ。

 だが、少しでもリズリットに対して危険な兆候があれば見逃す事は出来ない。


(リズリット嬢には何事も無く、憂いも不安も感じずに幸せに生活して欲しいからな)


 程なくしてやってきた馬車にディオンは乗り込むと自身の邸へと戻った。






 翌日。


「そうだ、しまった……! リズリット嬢の絵画スクールは今日だった……!」


 ディオンは報告書を手に狼狽えた声を出すとその報告書を片手で握り潰す。

 以前リズリットの絵画スクールの参加スケジュールを確認した際に週に二日程通っている事を調べていたのにすっかりと失念してしまっていた。

 昨夜、思わぬ散策(デート)の約束が出来た事に浮かれていたが、泉の曜日である今日が、リズリットが絵画スクールに参加する日だった。


 その事をすっかりと失念してしまっていたディオンは急いで着替えると、騎士団の職場へと大急ぎで向かう。


 リズリットが絵画スクールに向かうのは昼過ぎだ。

 何とか今日一日の仕事を午前中で全て終わらせてリズリットの元へ向かわないといけない。


「──くそ……っ、なんて失態を……! 午後の戦闘訓練は副団長に任せるか……それか、銀狼か鶺鴒を出すか……」


 ディオンはブツブツと呟きながら自室を出ると、自分の仕事の予定と段取りを頭の中で考えてリズリットを迎えに行く時間を作れるかどうか計算した。







 暖かい日差しが燦燦と降り注ぐ麗らかな午後。

 リズリットはいつも通り支度をして絵画スクールへと向かう為、ハウィンツと共に馬車へと乗った。


 馬車に乗るなり、リズリットの向かいに座ったハウィンツがリズリットの服装に視線を向けながらぽつり、と言葉を掛ける。


「──今日は、ディオンが来るかもしれないのに、リズリットはお洒落しなくて良かったのか……?」

「えぇ……!? そんな……昨日の今日ですし、ディオン卿がお話していたのは別の日にちでは無いでしょうか……? ディオン卿にもお仕事がございますから、今日はきっと来られませんよ」


 リズリットののほほんとした回答に、ハウィンツはひっそりと眉を顰めると小さく息を吐いた。


(ディオンのあの様子からだと……今日来そうではあるんだよな……)


 真面目が服を着たような男だ。

 自分の言葉に責任を持つし、迎えに来ると言ったら何が何でもそれを行うし、散策しようと言うのであれば仕事があろうがどうにかそれを片付けて姿を表しそうだ。


(──今日、ディオンがリズリットに会いに来るのであれば丁度良い……。ここ最近のディオンの態度を含め、リズリットに近付く目的をしっかりと確認しておこう……)


 ハウィンツはちらり、とリズリットに視線を向けると更に独りごちる。


(まあ……これだけ愛らしいリズリットだ……ディオンが惚れると言うのも頷ける……が、リズリットが例えディオンを気に入ったとしてもディオンがしっかりとリズリットを守れる男でないと……リズリットを嫁にはやれない)


 リズリットを全ての悪意から守れるような屈強な男でないと、とハウィンツは考え、そしてどうディオンを諦めさせてやろうか、と頭を悩ませた。




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