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十四話


 ハウィンツは、リリーナのその態度を見て「だから自分に興味が無かったのか」と妙に納得してしまう。

 リリーナが見詰める先にはディオンの姿しか無く、先程からリリーナは今までハウィンツやリズリットには一切見せる事が無かった熱い視線をディオンに送っているのだ。


(この令嬢は、ディオンが目当てだったのか……それにしても、リズリットとディオンが公に接触したのはあの夜会での一件のみだぞ……? それを見ていたとしても、そこまでしてリズリットに近付くか普通……?)


 ハウィンツは、自分の隣に居るディオンにちらり、と視線を向ける。

 友人であるディオンは、自分が多くの人間の目を引く容姿をしている事も、自分がこの国で稀有な存在である事もしっかりと理解していて、大勢の視線を集める事に慣れきってしまっている。

 だからこそ、今もディオンは目の前のリリーナから熱い視線を受けていると言うのに、その視線など微塵も気にしておらず、何故かリズリットに視線を向けている。


(──ん? リズリットに視線……?)


 そこでハウィンツは、はた、と瞳を瞬かせるとぎょっと瞳を見開き、ディオンへ再度視線を向けた。


 隣に居る自分の友人は、何故だか普段の無表情ではなく、優しげに瞳を細めて口元に薄らと笑みを乗せてあろう事か、自分の妹──リズリットを何処かうっとりとした瞳で見詰めている。


 ハウィンツは一気に顔を青ざめさせると、急いで唇を開き、ディオンに話し掛けた。


「ディ、ディオンこそ何故ここにいるんだ……!?  夜会の警備任務はこの間で終わりじゃなかったのか……!?」


 ハウィンツの言葉に、ディオンははっとしたように瞳をハウィンツに向け、先程までの表情はすっかりと引っ込み、普段の無表情で淡々と言葉を返す。


「騎士団の任務でどうしても俺が直接確認しなければならない事があり、出向いたまでだ」

「そ、そうなのか……? その仕事はもう終わったのか……?」

「ああ。仕事は終わっている。見知った顔を見付けたので、挨拶に来ただけだ」


 ディオンはハウィンツから視線を外すと、テーブル席に座っているリズリットにふわり、と微笑み声を掛けた。

 周囲からはディオンの微笑みにざわり、と空気が揺れたが誰もその事に対して言葉を発する者はいない。


「──リズリット嬢。先日ぶりだな。元気そうで良かった」


 ディオンから話し掛けられたリズリットは、慌てて椅子から立ち上がると軽く膝を折って挨拶を返す。


「お久しぶりです、ディオン卿。ディオン卿もお元気そうでなによりですわ」


 柔らかな雰囲気で会話をする二人に、自分も挨拶を、とリリーナがやや興奮したように頬を紅潮させながら席を立ち、ディオンに向かって一礼する。


「ディ、ディオン卿──初めまして、私──」

「君に俺の名前を呼ぶ許可は出していないが……?」

「──っ、」


 うっとりと瞳を潤ませて挨拶を行おうとしたリリーナに、ディオンはリズリットに向けていた微笑みをすんっと引っ込めると冷たい視線で切り捨てる。

 そもそも、ディオンがリリーナに話し掛ける前にリズリットとの会話に割って入って来たリリーナが悪いのだが、リリーナは羞恥に顔を赤く染めると恨めしそうにリズリットをじっとりと見つめる。


 そのやり取りを見ていたハウィンツは「うわー……」と心の中で呟くと、口の端を引き攣らせる。

 確かに、会話が終わっていない状況でディオンがリリーナに視線を向ける前に割り込むように会話に入って来てしまったリリーナはマナー違反とは言えるが、今までのディオンであれば不快感など露わにしていなかっただろう。

 まして、自分の名を呼ぶ許可を出していない、など告げる事などハウィンツの記憶の中では見た事が無い。


 この一連の行動を見て、ハウィンツはやはり先日自分が考えてしまった事は当たっていたのだ、とそっと自分の顔を手のひらで覆った。




「あ、あの……ディオン卿……」

「ん?」


 リズリットは、羞恥に震えるリリーナがそのまま再度席に座り直してしまった事を気にするようにちらちらと視線を向けながらディオンに困ったような表情を向けるが、リズリットにしか視線を向けていないディオンは優しくリズリットに返答すると首を傾げる。


 リリーナにも挨拶をさせてあげてください、等と自分から言える筈も無く、リズリットがどうしよう、と考えているとディオンが柔らかい声音でリズリットに言葉をかけた。


「そう言えば、先程階段を降りてくる際に聞こえたが、リズリット嬢は絵画スクールに通っているんだな? 絵を描くのが得意なのか?」

「──えっ!? そのお話を聞かれていたのですか!?」


 恥ずかしい、とばかりに頬を真っ赤に染めるリズリットにディオンは今日一番の笑顔を浮かべると「ああ、聞いてしまった」とリズリットを揶揄うような、楽しげな声音で答えた。


 今まで、このように破顔した姿など一切見せた事が無かったディオンの笑顔に、夜会会場の空気がざわり、と揺らめいた。


 ──これは、このままこの場に居続けたら何だか不味い気がする。


 ハウィンツは、一瞬の内にそう考えると背後の壁に預けていた背を慌てて離し、リズリットに熱い視線を向けるディオンの肩をぐっと掴む。


「……、? 何だ、ハウィンツ──……」

「ディオン! 俺達はもうそろそろ帰らなきゃいけないんだ……! だから悪いが──……」

「ああ、そうなのか。邪魔をして悪かったな。リズリット嬢、馬車までお送りしよう」


 本当は帰る時間まではまだまだ余裕がある。

 だが、先程から周囲からの視線は多くなる一方で、視線に慣れている自分自身や、ディオンはいいだろう。だが、リズリットは多くの視線に晒される事に慣れていない。

 その為、ハウィンツは周囲の視線──主に、悪意の籠った視線達からリズリットを隠そうと帰宅をディオンに告げたのだが、ハウィンツの思いを何一つとして理解していないディオンはあろう事か、リズリットを馬車までエスコートすると言い出してしまった。


「え、? ……えっ、」

「──? どうしたんだ、リズリット嬢。ハウィンツ、戻るんだろう?」


 リズリットはハウィンツの帰宅すると言う言葉と、ディオンからの言葉にあわあわと瞳を白黒させながら二人に視線を行ったり来たり、と向けている。


 リズリットに向けて目尻を下げて優しげに声を掛けた後、ディオンはいつもの調子で表情を引き締めるとハウィンツに声を掛ける。

 ディオンには、リズリットの目の前に座っているリリーナが目に入っていないのか。リリーナには一切目もくれず、リリーナがディオンに挨拶をする暇も与えない。


「この場にこのまま居続けるのも、な……リズリット。帰ろうか」


 ハウィンツは疲れたように自分の眉間を軽く揉むと、微笑みを浮かべてリズリットに声を掛ける。


 先程、リズリットを恨めしそうに睨んでいたリリーナは、何も口を挟む事が出来ず、ただただ三人がこの場を離れるのを黙って見ている事しか出来ない。


 ハウィンツから話し掛けられたリズリットは、慌ててその場に立ち上がろうとして、だがリズリットの隣に立っていたディオンが手のひらを差し出した事に瞳を丸くした。


「──ん? 帰るんだろう? 手を」

「あ、ありがとうございます、ディオン卿」


 リズリットは驚きを隠しきれず、ポカンとした表情のまま、ディオンから差し出された手のひらに自分の手を重ねる。




 ディオンの一挙手一投足に、固唾を呑んで見守っていた周囲の人間は、エスコートをしようとしているディオンの姿に驚き、そして令嬢達は断末魔を上げるような表情で固まっている。


 先日、怪我をしたリズリットを助ける為に触れた時と違い、今回はディオン自らリズリットをエスコートしようとしている。

 この違いはかなり大きく、先日の騒ぎを見ていた、知っている者達は信じられないと言うようにリズリットとディオンに視線を送っている。


「リズリット。戻ろう。早く邸に戻ろうか」

「は、はい。お兄様……」


 ハウィンツの言葉に、リズリットも強く頷くとディオンに差し出された腕に手を添えてそそくさとテーブルから離れる。

 リズリットは、恐ろしくてリリーナの座る方向を見る事が出来なかったし、周囲からの妬みや嫉妬の感情が籠った視線を受ける事が恐ろしく、俯きがちに急いで足を動かす。


 普段以上に、視線を集めてしまっている事にリズリットはどくどくと自分の心臓が早鐘を打つのを感じる。

 ディオンの登場に、初めは驚き、周囲の視線が気にならなかったが落ち着いた頃、自分達に集まる視線の多さに冷や汗をかいた。

 ハウィンツ一人だけでも周囲の視線を集めると言うのに、そこにディオンまで加わってしまったのだ。

 ディオンが加わった事で周囲からの視線は倍増し、リズリットは早く馬車に戻りたい一心で必死に足を動かした。

 だから、ディオンからの言葉に深く考えずに肯定の言葉を何度も返していて、ようやっと馬車乗り場に到着した際にハウィンツの呆れたような表情と、反対に嬉しそうに笑顔を浮かべているディオンの様子にリズリットが首を傾げていると、馬車に乗り込んだ後にディオンが発した別れの言葉にリズリットはギョッと瞳を見開いた。



「──リズリット嬢、また絵画スクールの日に。スクールが終わったら迎えに行くから、街を散策しよう」

「──えっ!?」


 リズリットがディオンに返答する前に、馬車は動き出してしまい、軽く手を挙げて見送るディオンを残して馬車はマーブヒル伯爵邸へと帰って行った。




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