十三話
カツン、とヒールが自分達の直ぐ後ろで止まった事に気付いたハウィンツは、警戒するように背後を振り返った。
「──君、は……?」
ハウィンツの言葉に反応して、リズリットも後ろを振り返る。
そして、振り返った先に居た令嬢の顔を見て、リズリットは小さく「あっ」と声を漏らした。
「リズリット・マーブヒル嬢、先日の夜会ぶりですわね。……こんばんわ、ハウィンツ・マーブヒル卿」
にっこりと笑顔を浮かべて、リズリットとハウィンツに挨拶をする目の前の令嬢に見覚えがあり、リズリットは戸惑いながら挨拶を返す。
「こ、こんばんわ……。リリーナ・ロードチェンス嬢……」
リリーナの挨拶に、リズリットはドレスの裾を摘み、ちょこんとお辞儀をして挨拶を返す。
リズリットが令嬢の名前を読んだ事から、ハウィンツも目の前の令嬢──リリーナが、先日リズリットをお茶会に招待したロードチェンス子爵家の令嬢だと言う事を理解し、何の目的で話し掛けて来たのかを探る為に注意深く観察する。
(──普段は、俺やローズマリーにばかり視線を向けてくる令嬢が、一切俺に興味が無さそうだな……その態度も態となのか、それとも本当にリズリットに用事があるのか……)
周囲に居る令嬢達は、リズリットと共に居るハウィンツに話し掛けたのね、と嫉妬の炎を揺らめきせて離れた場所から様子を伺っているのが良く分かる。
だが、話し掛けて来たリリーナ本人はハウィンツに目もくれず、リズリットに向かってにこやかに言葉を続けた。
「……先日は、突然のお誘い大変失礼致しました。リズリット嬢と仲良くなりたい、と言う私の気持ちが逸り、不躾に招待状をお送りしてしまいました……」
「え……、そ、そうだったのですね。申し訳ございません」
しゅん、と眉を下げて申し訳無さそうに言葉を紡ぐリリーナに、リズリットも申し訳無さそうに謝罪を口にするが、隣に居るハウィンツは怪しい者を見るようにリリーナに厳しい目を向け続ける。
「突然お誘いしてしまっては、リズリット嬢も戸惑ってしまいますよね。ですから本日は、先日の謝罪と、お話させて頂きたくて話し掛けましたの……」
リリーナが話す間も、リリーナの視線はリズリットに固定されており隣に居るハウィンツを気にしている風でも無い。
リズリットもそれが分かったのだろう。自分の兄目当てに近付いて来たのでは無いのか? と少しばかり警戒を解いてリリーナに言葉を返した。
「お気遣い頂き申し訳ございません。そう、ですね……お茶会にお邪魔させて頂くのは緊張してしまいますので、今日のような機会にお話出来れば……」
「──まあ! ありがとうございます! ハウィンツ・マーブヒル卿。少しだけ、リズリット嬢とお話させて頂いても宜しいでしょうか?」
リズリットの言葉に、リリーナは嬉しそうに笑顔を浮かべるとそこでやっとハウィンツに視線を向けた。
リリーナは本当にリズリットと話しをしたいようで、ハウィンツに対して媚びるような、焦がれるような感情を一切瞳に浮かべていない。
(──今までも、俺やローズマリーに興味がないといった風を装って近付いて来た者達は居る……だが、ここでそれを判断するのはまだ早いか……)
ハウィンツがちらり、とリズリットに視線を向けると、リズリットもハウィンツがどう答えるか、と視線を向けていた。
ぱちり、と視線が絡んで、ハウィンツはリズリットの瞳や表情が嫌がっていない事を察すると小さく頷いた。
「──リズリットが良ければ……俺の事は気にせず話してきてもいいよ?」
「ですが、そうしてしまうとお兄様が……」
リズリットは、自分がハウィンツの側から離れてしまったら、その途端に多数の令嬢から囲まれてしまうだろう事を心配しているのだろう。
ハウィンツは「あー……」と言葉を濁すと、周囲を見回した。
「それならば、あちらの……壁際にあるテーブル席で話したらどうだい? 俺も近くに待機しているから、気にしなくて大丈夫だよ」
ハウィンツが提案した場所は、この夜会のメインフロア奥にひっそりと設けられているテーブル席がある区画だ。
夜会ではダンスを踊ったり、様々な人と交流して人脈を得たい人間が多いため、テーブル等に着いて話をする者は少ない。
そういった事をしたい者達は複数人でゲストルームに入って歓談する為、フロアにあるテーブル席の区画はいつも人気が少ないのだ。
その為、そちらの方面にハウィンツも向かえば、わざわざハウィンツを追ってやってくる令嬢も少ないだろう。
「──そう、ですね。それでしたらあちらに行きましょうか」
「わあ! ありがとうございます、リズリット嬢!」
リズリットの言葉に、本当に嬉しそうに表情を輝かせてリリーナはお礼を述べると、三人でフロア奥にあるテーブル席の区画に向かい歩き始めた。
「──ああ、くそっ! ここからだと薄暗くて見にくいな……!」
ディオンは二階から身を乗り出すとリズリット達が向かった先を悔しそうに見詰め、呟いた。
「ここからでは見えない……。リズリット嬢の身に何かあってはいけない……降りるか……」
ディオンは、今日も裏から手を回しこの夜会の警備に着いていた。
その為、団服を着ているディオンがこの夜会会場に姿を表しても何ら不思議は無い。
しかも、リズリット達が向かう先はこの夜会の奥まった場所で、人気があまり無い場所だ。
ハウィンツ狙いの令嬢がやって来たとしても、自分が姿を表し、ハウィンツと話し込んでいれば、令嬢達も割り込んでは来ないだろう、と考えたディオンはいそいそとフロア奥に繋がる階段の方へと向かって歩き出した。
ディオンはリズリット達が向かったテーブル席に向かいながら、リズリットに付けた鳥の精霊を通じて三人の会話を警戒──盗聴する。
鳥──鶺鴒のような見た目をした精霊は、ふっくらとした体でリズリット達が着いた席の頭上にあるシャンデリアの上で体を休めているらしく、リズリットとリリーナの話し声がしっかりとディオンの耳に届いて来る。
「えっと……、リリーナ嬢は、何故私と話を……?」
戸惑い混じりのリズリットの声が耳に届き、ディオンはリズリットとリリーナの会話を聞き漏らさぬように集中する。
ディオンが会場の裏手、フロアからは四角になる通路を歩き、階段を降りながらフロアへと視線を向ければ、ハウィンツに近付こうとしている令嬢達は多いらしく、そわそわとした雰囲気を醸し出しながらリズリット達が座る席に向かおうか、としている者達が多い。
ハウィンツは、リズリットとリリーナから少し離れた壁際、リズリットの背後の壁際に背を預けひっそりと気配を消しているが、元々が目立つ容姿と、会場の目立つ場所からこの場所に移動しているのをしっかりと周囲の令嬢に見られてしまっているので暗がりに居ながら多くの令嬢の視線を集めている。
(──あれでは、ハウィンツの元に他の令嬢がやってきてしまうのは時間の問題だな。俺が隣に行って話せば煩わしい接触から避けられるか……?)
ディオンはそう考えると、階段を降りる速度を上げた。
リズリットから何故話をしたいのか、と問われてリリーナはぱちくりと瞳を瞬かせると近くのワゴンから持ってきた果実水が入ったグラスに唇を付けてからにっこりと微笑み返した。
「以前から、お話してみたいと思っていたのです……。リズリット嬢とは同い年ですし、実は絵画のスクールも一緒でしたのよ?」
「──え!? そ、そうだったのですね……。申し訳ないです……全く気付いていなくって……」
リズリットが通っている絵画スクールにリリーナも通っていたとは初耳である。
リズリットは人の視線を気にするあまり俯く癖があるせいか、同じ絵画スクールに通っていた、と言われても参加者の顔を認識していなかったのだ。
「ふふ、リズリット嬢はいつも真面目に授業を受けておりましたし、周囲の方とお喋りもされていませんでしたので、お気付きになっていないのも仕方ないですわ」
「リズリット嬢はいつも真面目にスクールに通っているから仕方ないな……」
リズリットと出会って、リズリットの行動を見守り始めて直ぐ。ディオンはリズリットが通う絵画スクールも何処にあり、いつ通っているのかも把握済だ。
リズリットが描く個性的な絵画に心打たれ、いつか自分を描いてくれれば、と思っていたが、このままリズリット達の前に姿を表し、ハウィンツと会話をしながらリズリット達の会話を聞いた体で自分の絵姿を依頼する流れが出来るかもしれない、とディオンは密かに胸を弾ませる。
「ああ、でも駄目だな。リズリット嬢に見詰められては心臓が止まるかもしれん……」
至極真面目にディオンはそう呟くと、階段横にある壁際に背を預けているハウィンツの姿を確認し、唇を開いた。
「そこに居るのはハウィンツか? 奇遇だな」
ハウィンツは、突然自分に話し掛けて来たここ最近聞き慣れた男の声音に反応して、びくりと体を跳ねさせた。
「──は、? ディオン……!?」
「そんな所でどうした?」
ディオンは驚いたような表情を浮かべながら、しれっとそう問い掛ける。
正面からハウィンツに近付いて来ていた夜会に参加していた大勢の令嬢達は、ディオンが突然現れた事に黄色い悲鳴を上げ、騒いでいるのが目視出来る。
突然のディオンの登場に、それまでテーブル席で会話をしていたリズリットとリリーナも驚いているようで、リズリットは驚きに瞳を見開いている。
(リズリット嬢の瞳が今にも零れ落ちそうな程見開かれているな……そんな表情をしているリズリット嬢も愛らしい)
最近は様々な表情を見る事が出来ているな、と何処かディオンはほくほくとした表情でちらり、とリズリットの正面に座るリリーナに視線を向ける。
「──……?」
リリーナも、リズリットと同じく突然ディオンが姿を表した事に驚いているのだろう。
だが、驚いているには些か態度がおかしく、ディオンを真っ直ぐ、只管に凝視しておりその瞳は薄らと潤んでいる。
(何だ……? 熱か?)
ディオンが僅かに首を傾げる横で、ハウィンツは納得言ったように「なるほどな」と一言呟いて、リリーナに視線を向けた。




