十一話
リズリットと、ローズマリーは共に邸内の廊下を歩きながら世間話をする。
ローズマリーはちらり、とリズリットに視線を向けるとディオンとはどんな会話をしたのか、と問い掛けた。
「リズリットは、フィアーレン卿とどんなお話をするの? あの方、とても寡黙でしょう」
「えっ? そう、なのですか……? ディオン卿とは沢山お話させて頂いてますよ?」
寡黙、とは? と不思議そうに瞳を瞬かせて返答するリズリットに今度はローズマリーが驚いたように瞳を僅かに見開く。
「あら、そうなのね? 噂では……寡黙な方で、会話が出来たとしても、途切れがちと聞いていたのだけれど……もしかしたらリズリットとフィアーレン卿は気が合うのかもしれないわね?」
「そ、そうでしょうか……? もしそうだったら……嬉しい、です……その……、久しぶりに何も気にせずお話出来る方で……仲良くさせて頂ければ、と思っているのです」
ほわ、とはにかみながらそう告げるリズリットに、ローズマリーは眉を下げて微笑む。
「そうね……リズリットにも、久しぶりに私達以外にも仲良く話せる人が出来て良かったわね──」
リズリットから視線を外し、前を向いて歩くローズマリーの顔は、昔の辛い日の出来事を思い出したかのように悲しく歪んでいた。
自宅へと戻ったディオンは、先程のローズマリーの表情を思い出し、首を傾げながら騎士団の団服を脱ぎ、使用人に渡すとソファへと腰掛けた。
「妹のリズリット嬢を可愛がる余り、過保護になっているだけだと思っていたが……それにしては態度に違和感を覚えるな……」
襟元を緩めながら、ディオンは自分の精霊を呼び出した。
「呼んだか? 主」
「ああ。リズリット嬢のマーブヒル伯爵家……あの家に嫌な気配は無いか……?」
先程、ハウィンツを馬車に連れて行く為に背に乗せた大きな銀狼の姿をした精霊が姿を表すと、ディオンはその銀狼に話し掛ける。
銀狼は、ディオンの足元にぽてっと伏せるとカシカシと自分の顔を前足で毛繕いしながら大きな欠伸をするとのんびりとした口調で答える。
「あの家には特に嫌な気配は無かったぞ。……ただ……、なぁ……。主が夢中になっているあの人間の女性」
「リズリット嬢か」
「ああ、リズリット嬢。その子に何だか我々と同じ……? 同じ種の気配があったんだよな……あれはなんだろうか……?」
「同じ種……? だが、リズリット嬢は精霊の祝福を受けてはいないぞ。最近、俺達がリズリット嬢を見守ってるから気配が移ったんじゃないか?」
「いや、そうではないんだよ。主と契約をした我々の気配は同一だから、リズリット嬢に染み込んでいる気配が我々と同一であれば違和感を覚えない」
「──? ならば、ハウィンツや、ローズマリー嬢の精霊の気配では無いか? もしくはご両親とかな」
「いや。あの坊ちゃんと嬢ちゃん、両親は中級精霊だろう。使用人達の殆どは下級精霊だからあそこまで濃く気配が残る事は無い」
精霊の言葉を聞いて、ディオンは不穏な気配を感じ取ると腰掛けていたソファから荒々しく立ち上がる。
「──それならば、リズリット嬢に危険な気配が染み付いていると言う事か……!?」
それならば、こうしてはいられない! とばかりに再度リズリットの邸へ行こうとするディオンを精霊は慌てて止めながら口を開く。
「待て待て待て! まだ、その気配が危険な物かも分かっていないのだ! 行動に移すには早い、今後も主の言う見守りを続けて気配の確認をした方が良いだろう!」
精霊の言葉に、ディオンは「そうだな……」と小さく答えるとすごすごとソファに再び戻り、座り直す。
「──それならば、リズリット嬢が次に夜会に参加する日。その日にリズリット嬢の周囲に注意を払っておくか……」
至極真面目にそう言葉を呟いたディオンに、銀狼の精霊は呆れたように頷き、「やり過ぎるなよ主」と、ディオンに助言して姿を消した。
リズリットが夜会に参加する、と言う情報を掴んだ時、夜会とは別にリズリット個人宛にお茶会の招待状が届いた、と言う情報を得たディオンはその招待状の送り主が誰で、いつそのお茶会が開かれるのか、そしてリズリットがそのお茶会に参加するか否かを確認した。
「──お茶会の主催は、先日の夜会でリズリット嬢に声を掛けたリリーナ・ロードチェンスか。……子爵家の令嬢が、次女とは言え伯爵家のリズリット嬢を誘うとは……」
伯爵家よりも下位の子爵家が自分の家のお茶会に誘うとは、とディオンは呆れてしまう。
確かに、ロードチェンスは中級精霊の祝福を得てはいるが、リズリットのマーブヒル伯爵家の現当主も中級精霊の祝福を得ているし、嫡男のハウィンツも長女のローズマリーも中級精霊の祝福持ちだ。
たかが子爵家の令嬢が自身のお茶会に誘っても良い身分の家柄では無い。
「普段から交流があって、仲が良ければ別だが……。リズリット嬢とはあの日初めて顔を合わせた風だったからな……」
昔からの顔馴染みと言う線は無いだろう、とディオンは考える。
あの日、何故リリーナ・ロードチェンスがリズリットに接触を図ったのか、理由も定かにはなっていない。
ハウィンツがリズリットのお茶会参加を潰してくれればいいのだが、とディオンは考える。
実際、自分の手で潰せない事が歯痒く感じてたまらない。
「流石に、お茶会に潜入するのは難しい……。精霊に協力して貰う事は出来るが……リズリット嬢に何かあった時に直ぐに俺が駆け付けれないのはな……」
近場で待機しているか? とディオンは至極真面目に考えたが、リズリットがロードチェンス主催のお茶会に参加する事は無く、ディオンの心配は杞憂に終わった。
別日の夜会の日。
リズリットはいつものようにハウィンツにパートナーを務めて貰い、夜会に参加する。
姉のローズマリーも行きたがっていたが、両親の都合が合わず、ハウィンツに説得されてローズマリーは参加を諦めた。
ハウィンツとリズリットが夜会に向かう馬車に向かっていると、邸の玄関からこちらに駆けて来るローズマリーの姿を見付けてハウィンツはリズリットだけを先に馬車に乗せると、ローズマリーに向き直った。
「──お兄様!」
「ローズマリー。そんなに急いで来たらまた転んでしまうだろう。気を付けるんだ」
パタパタと駆けて来るローズマリーに、ハウィンツは眉を寄せて苦言を呈すが、ローズマリーはそれどころでは無いのだろう。
ハウィンツの目の前までやってくると、走ったせいで乱れてしまった息を整えるように自分の胸元に手を当ててふう、と息をついている。
「お兄様、先日お話した件──……」
「……ああ、ディオンの事か……? ローズマリーも違和感を覚えたんだよね」
ハウィンツの言葉に、ローズマリーは真剣な表情でこくり、と頷く。
「ディオンは、昔からの俺の友人だから……大丈夫だとは思う……」
「そう、だと思いたいのですが……。やっぱり、幼少期の事を思い出してしまって……それに、フィアーレン卿はとても目立つ方ですから……」
「まあ……ローズマリーの心配も分かるけどな……」
ハウィンツはぽりぽりと自分の頬を指先でかくとローズマリーに視線を向ける。
ローズマリーは、心配で仕方ないのだ。
ハウィンツもリズリットを心配する気持ちは同じだが、今回は昔からの自分の知り合い──友人でもある。
そして、ディオンはローズマリーに、と言うよりも女性に興味が無い。
珍しく興味を持ったのがリズリットで、始めは驚いたがディオンの性格上、リズリットを傷付けるような事は無い。
だが、ディオン自身が目立つ人間だ。
ディオン自身にリズリットを傷付ける意思が無くても、周囲もそうだとは限らない。
大事な妹には、不穏な気配が漂う事柄から極力離れさせ、穏やかに過ごして欲しい。
だが、周囲でいくら遠ざけようとしても必然的に引き寄せあってしまう事もある。
ハウィンツとローズマリーはそれを痛いほど知っているし、実際どうしようも無いことが避けれない事も知っている。
ハウィンツの困ったような笑顔を見て、ローズマリーも諦めたように視線を下に落とすと唇を開いた。
「──もう、リズリットに忘れられてしまうと言う悲しい出来事は起きて欲しくないです……だから、しっかりと守ってあげてくださいね、お兄様……」
「勿論だ。俺ももう二度とリズに"誰?"なんて言われたくないからね」
──リズリットには、幼少期のある一定の期間の記憶が無いのだ。




