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十話


 ローズマリーと、馬車の御者に体を支えられながらハウィンツは邸内へと入り自室へと連れて行って貰う。


 二人に支えられながら、何故急にこんな事になったのかをハウィンツは考え、あの時間帯に何があったのかを思い出すように虚空を見上げた。


(──そうだ、リズが視線を感じると言っていて……けれど、俺にはその視線が分からなくって……リズにだけ感じ取れたと言う事は、その視線はリズに向けられていた……けれどリズは怯えていたりはしなかったよな?)


 ハウィンツは公園でリズリットが話していた事と、話していた時のリズリットの様子を思い出す。

 視線を感じた、と言うわりには気にした様子も無く普通の様子だった。

 そして、ハウィンツ自身がこのような体調になってしまった時の事を思い出す。


(リズの様子を伺っている時に、強風が吹いたんだよな確か……それで、リズの髪の毛が乱れてしまったから直したんだ……そして、その後にリズの頭を撫でた時に鋭い視線を感じた……)


 当時の事を思い出し、ハウィンツは再度ぶるり、と体を震わせる。


「お兄様……? 大丈夫ですか?」


 ハウィンツが震えた事に気付いたのだろう。ローズマリーが心配そうに顔を向けて来るが、ハウィンツはへらり、と力無い笑みを浮かべて「大丈夫だ」と返答する。


(──ちょっと、待て……? 俺はあの時、嫉妬か何かか? と感じたんだ……そうだ、そうだった……。そうしたら、その後に──)


 ──ディオンが姿を表した。

 その時の事を思い出して、ハウィンツは悲鳴を上げたくなる気持ちを何とか押し殺し、ぐっと息を飲む。


 まさか。と言う気持ちが湧き上がる。


(あの、堅物で令嬢達に一切興味を抱かず、仕事にばかり精を出していた男が……よりにもよって、うちのリズリットに……?)


 冗談だろう、とハウィンツは更に顔色を悪くして、自室へと到着すると二人の手を借り、そのままベッドへ突っ伏した。






 伯爵邸へと向かう馬車の道中、リズリットとディオンは対面に腰掛け、和やかに会話をしていた。


「ローズマリーお姉様は、とても活発な方で……淑女の鑑と言われていらっしゃるお淑やかな見た目には反して、我が家ではとても破天荒なのですよ」

「そうなのか。ならば、ハウィンツは大変だな? 活発な姉のローズマリー嬢に幼い頃はとても苦労したのでは?」

「ふふっ、そうなんです。いつもお姉様の悪戯に引っ掛かってしまって、子供の頃はお兄様も怒っていました」

「今のハウィンツとは全く想像つかないな? 今は君達妹のやる事全てを笑って許容するだろう?」

「ええ、そうなんです。怒り疲れてしまったのでしょうね」


 くすくすと小さく声を上げて笑うリズリットに、ディオンも目尻を柔らかく下げると微笑む。


「それでは……姉君のローズマリー嬢を見て育ったリズリット嬢は見つからないような悪戯でハウィンツを困らせたのではないか?」

「──まあ! ディオン卿は何故分かってしまうのですか?」

「何故だろうか。……俺にも分からないが、リズリット嬢であればそうなのかな、と思ってな」

「ふふっ、ディオン卿の仰る通りです。幼い頃はお兄様に見つからないよう、お姉様と沢山相談して沢山困らせてしまいました」


 くすくすと笑うリズリットに、ディオンはリズリットも幼い頃は活発で、子供らしい幼少期を過ごしていたのだろう、と言う事が分かる。


 それなのに、リズリットは年齢を重ねる度に快活だった様子から、どんどんと俯く事が多くなり、内気な性格へと変化していってしまった。


 ディオンはリズリットの微笑みを見ながら、元々は明るい性格の女の子だったのだろう、と考える。


(──リズリット嬢が以前のようにまた心置き無く笑顔で過ごせるようになれば……リズリット嬢の隣に俺がいれれば……)


 ディオンは笑顔で言葉を続けるリズリットを微笑ましく思いながら、そう考え続けた。




「──リズリット!」


 リズリットとディオンが邸へと到着し、地面へと足を下ろした所で邸玄関からローズマリーが足音を立てながら駆けて来る。

 ローズマリーはリズリットの隣にディオンの姿を見付けると、「あら」と声を出して慌てて駆ける足を止めると取り繕うようにお淑やかな淑女然とした微笑みを浮かべる。


「ディオン・フィアーレン卿ですわね。お恥ずかしい姿を……、大変失礼致しました」

「──いや、気にしないでくれ」


 薄らと笑みを浮かべるローズマリーの表情に違和感を覚えて、ディオンは僅かに眉を顰める。

 何故か、ローズマリーから歓迎されていないような雰囲気をひしひしと感じて、ディオンは困惑する。


 妹のリズリットを可愛がっているローズマリーだ。

 だからこそ、ディオンは自分の振る舞いに最大限注意していた。リズリットと将来結婚するのであれば、リズリットの家族に悪い感情を抱かれるのは得策では無い。

 その為に、他人──特に、リズリットの家族が居る前では不必要にリズリットを見つめ続けないよう注意したし、だらしない表情になったりしないようにも注意した。

 精霊にリズリットを見守って貰う際も、この家の人間と契約をしている精霊と予め接触をしており、事情をある程度説明済だ。


(──ならば、何故……? もしや、リズリットを見守っている事が知られてしまったのか……?)


 もしそうだったら不味い、とディオンは涼しい表情を浮かべながら胸中で焦る。


 知られてしまっていたら。

 気持ち悪い程にリズリットの行動を把握し、付け回して居たのがバレたのか。

 それとも、リズリットの好みを調べ上げスムーズな会話が出来るように調べ尽くした事がバレたのか。


 ディオンは嫌な汗が背中に伝うのを感じたが、元から表情が動かない事が幸いして、ローズマリーのその態度に表面上は落ち着いて対応している、と言う体を取れている事に感謝する。


(表情筋が死んでいて良かった──……)


 ディオンの表情筋は、リズリット以外には死んだままなので、相手に下手に疑われなくて済む。


「リズリットを送って頂きありがとうございます。何だか、先日からフィアーレン卿とは縁がございますね」

「ああ、そうみたいだな。可愛らしいリズリット嬢と度々会う事が出来て嬉しいよ」


 ディオンの言葉にリズリットは恥ずかしそうに頬を染めると、眉を下げて柔らかく微笑む。

 社交辞令、とでも思っているのだろうが、ディオンは本気でそう思っているし、そう思っているからこそ本心からそう告げている。


 だが、リズリットは他人から向けられる好意を信じてはいないのだろう。

 きっと、過去には信じて裏切られて来た事が大いにあったのだ、と言う事が察せられる。


「リズリット。ハウィンツお兄様がリズリットの事を気にしていたわ。顔を見せに行ってあげましょう? フィアーレン卿。リズリットをお送り頂いてありがとうございます。兄も直接お礼を伝えたいと言っておりましたが、もし風邪をひいていた場合フィアーレン卿に移してしまいますので……」

「ああ、リズリット嬢も早くハウィンツに帰宅を知らせた方がいい。ローズマリー嬢、ハウィンツにお大事に、と伝えておいてくれ」

「お気遣い頂きありがとうございます。しっかりと伝えておきますわ」


 ディオンとローズマリーの会話が一旦落ち着くのを待ち、リズリットはディオンに顔を向けるとぺこり、と頭を下げる。


「ディオン卿、送って頂きありがとうございました」

「どう致しまして」


 リズリットとディオンは顔を見合わせてふふ、と笑い合うと再度リズリットは一礼してローズマリーと共に邸内へと戻って行った。


 ディオンはリズリットの後ろ姿を見詰め続け、邸に入るのをしっかりと見届けてから踵を返す。

 邸前に待たせている馬車へと戻ると、馬車へと乗り込みディオンもそのまま自宅へと戻ったのだった。



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