聖女ですが、信じて送り出した婚約者の勇者様が魔王と結婚してました。仕返しに暗黒魔法を詠唱したら効いちゃったので黒騎士様と一緒に駆け落ちします
「婚約を撤回させてくれないか、ライオラ」
「……どういうことですか、勇者ユリウス様」
私の前に、何かいる。
光り輝く聖剣の勇者様と、その横ではにかむ邪悪な魔王だ。
ずっと戦い続けていた二人が、何故か手を繋いでいる。
「僕は魔王を……アストライアを愛してしまった。君とはもう結婚できない」
「どういうことですか?」
「……申し訳ない、としか言えない」
勇者の口から流れ出た言葉が信じられず、私は呆然と立ち尽くしていた。
国教会の聖女として彼のために祈りを捧げ、魔族から人類を護るために死力を尽くしてきた私の、唯一の心の寄る辺だった彼との思い出に、ビシビシとヒビが入っていく。
「理由は?」
「すまない」
彼は私を愛していると、皆の敬愛する聖女では無く一人の女として愛していると、そう言ったはずだった。
なのに目の前の男は魔王と寄り添い、私に向かって心ない謝罪を繰り返す。
「理由」
怒りを堪えて自然と、言葉が短くなる。
せめて何故私との約束を違えたのか、それだけは知りたかった。
だから理性を保とうと拳を握ると、彼は一度魔王の胸元をちらりと見て、私の胸を指差した。
「……アストライアのほうが、おっぱいが大きかったからです……!!」
「照れるのぅ!! ふはは、聖女よ。人間はここまで育たんじゃろ? え?」
なるほど、確かに魔王の乳は人間ではありえないほど大きい。
あまりにも想定外の答えで冷静になってしまったけれど、一瞬遅れて怒りの炎が燃え上がる。
ぶちっ。と、こめかみの方から音がした。
「ユリウスゥゥゥゥゥ……!!」
「ほ、他にも理由がある!! 人間と魔族の共存の旗印に……」
「せめて建前の方を先に言いなさいよ!!」
我を忘れて聖杖で殴りかかろうとしたら、取って付けた理由が聞こえて手が止まった。
確かに王国の資源は限界、魔族側も似たようなもののはず。だから魔王も求婚を受ける代わりに、終戦に合意したんじゃないか?
悲しいことに国教会のトップでもある私は、こういう時でも私情より仕事を優先して考える。
すると勇者からのおっぱい愛を受け取った魔王は、ばるんばるんと胸を揺らして私と彼の間に立った。
「よせよせ、人間同士喧嘩する意味はないぞ。妾としてもユリウスは気に入ったし、魔族と人間は互いに限界を迎え、そろそろ落としどころじゃと思うとったし。ぼちぼち和解と行こうじゃあないか」
ふざけた胸をした女だ。本当に気に食わない。
しかし、言っていることは間違いなく正論なのだ。
だから杖を収めたけれど、こんな聡明な魔王が勇者を気に入ったというのが、本当に理解できなかった。
「チッ……貴女はどこが気に入ったんですか。そのバカのどこが」
「見た目かのぅ? 結構カッコええじゃろ?」
これもまた正論に違いない。
骨の髄まで全人類を愛する聖女であるように叩き込まれた私が揺らいだ、ただ一人の男なのだから。
見た目も、真っ直ぐな心も、時折見せる茶目っ気も、全てが大好きだっ……あれ?
思い出の中のユリウスは、いつも微妙に目線を私の瞳から外していたような気がする。
「あはは、照れるよアストライア」
「んもぅ、その顔ずるいのぅ……妾ったら面食いじゃから……ちゅっ♡」
「君だって、本当に綺麗だよ♡」
いちゃいちゃと乳繰り合う二人をどこか遠くに眺めて、その違和感に気づいた。
恋は盲目とは良く言ったものだが……この勇者、胸しか見てねぇわ。
私もまぁ人並みよりはかなりある方だけど、それがこいつに狙われた原因だったのか。
それに気付いた時、私の頭は一気に冷え込んだ。
多分、百年の恋も冷めるというのがこれだろうな。うん。
「ほら、聖女がご不満のようじゃから、抱いてやってもええぞ。妾は浮気とか気にせんからのぅ」
「ほんと? いいの?」
魔王が適当なことを言って、勇者が鼻の下を伸ばして私を見る。
ふっ。この一見可愛らしい仕草に、私はこれまで騙されてきたんだなぁ。
そう思うと、誰に対してというわけでなく苛ついた。
「殺すぞ」
「ひっ……すみません」
私の口はドス黒い返答をして、勇者が頭を下げる。
これで終わりにしてやろう。私の初恋は、無様に枯れて萎れて地に落ちたのだ。
「……ともかく、私情を抜きにすれば……国教会としてお二人の結婚は認めます。人類と魔族が共に手を取り合い前に進む……それはとても素晴らしいことです」
「では、我々魔族と人間の共存のため、お主も協力してくれると言うことかの?」
「ありがとう、ライオラ……本当にありがとう」
だから私は聖女として……仕事の口調を取り繕って答える。
「もちろん協力させて頂きます。地獄へ堕ちろ」
しかし最後の最後で、本音が溢れた。
――三ヶ月後
あの後二人の結婚式と、和解の調印式が開かれてからもう三ヶ月が経っていた。
勇者と魔王を王様の上、皇帝という位に頂き、人類と魔族が統一された新帝国が誕生したのだ。
もちろん結婚式では私が人類を代表して祝詞を奏上したし、二人に神の祝福を与えた。
本当に腹が立っていたので、その時のことは良く覚えていないけれど。
「はぁ……」
今は少し落ち着いて、私の国教会と統合された暗黒教団……魔族側の宗教家たちと共に、新たな戒律づくりやお互いの価値観のすり合わせに忙しくしている。
皇帝城の城下町に構えた新国教会の事務所で、自分の肩を揉んでいた。
「聖女殿、浮かない顔ですね。お疲れでしょうか」
「ああ、ニキアスさんこそ……すみません、黒騎士だっていうのに、こんな地味な仕事ばかり手伝ってもらっちゃって」
そんな私を手伝ってくれているのが、『黒騎士』ニキアスさんだ。
魔王直属の四天王と呼ばれていた人で物凄く強かったし、暗黒教団の大司教でとんでもなく頭もいい、とにかく凄い超人なのだ。
「いえいえ、今の私は大司教ですから。元々こういう仕事のほうが得意なんですよ」
「だからってここ三ヶ月、飲まず食わずじゃないですか? 大丈夫なんです?」
「はっはっは。貴女から溢れる魔力を頂いていますので。問題ありません」
「魔力で生活できるって、便利な身体なんですねぇ」
その上何と言っても見た目が最高だと言いたい。
大司教の漆黒のローブに隠された、たくましく鍛え上げられた鋼の肉体は美しく、魔族特有の銀色の髪はキラキラと輝いているし、真っ黒な瞳に見つめられると心まで溶けていきそう……。
はっ!! これでは勇者と魔王と同じじゃないの。
「舌を楽しませる食事も好きですがね。この新しい国のために、今が頑張りどころでしょう」
「ふふっ、そうですね」
あぁん……それでもかっこいいなぁ……。
なんて、気づけば毎日訪ねてくれる彼に悶々としていると、部下がニキアスさん宛だと言って大きな包みを持ってきた。
「ああ、やっと届いたようですね」
「なんですかそれ?」
ニキアスさんが机に置かせ、楽しそうに包みを解いていく。
気になって彼の隣に立つと、古びた本が大量に出てきた。
「魔族の秘伝、暗黒魔法の魔導書です。魔法の編纂事業もしようと思いまして」
「……危険な魔法ばかりなのでは?」
数冊の表紙を見てみたら、殺すとか病気にさせるとか、おどろおどろしいことばかりが書いてある。
他者を傷つけるための魔法なんて編纂してもなぁ……と思って聞くと彼は一度頷いて、私の目をまっすぐ見つめた。
「それはそうです。しかし人類にもこの知識がなければ……今だ敵対心のある魔族に、一方的に掛けられるだけです。対抗するためにも必要だと考えています」
「……すみません」
うひゃあ。目が焼ける。
暗黒教団大司教の放つ光が、聖女の私にはあまりに眩しい。
こんな魔法を教わったら多分、私は真っ先にあの勇者に掛けるのに。
対抗手段として知識を共有しようと持ちかけてくる彼に、本当に申し訳なくなっていた。
「何故謝るのですか?」
「い、いえ……」
不思議そうに聞いてくる彼に、とりあえずごまかす。
一緒に何冊か開き、目を通していくと……なんだか可愛らしい魔法が書いてあった。
”動く度にキュムキュム鳴る暗黒魔法”
「あはは!! こんなのまであるんですか?」
死体を操るだの他者を服従させるだの、ろくでもない暗黒魔法の間に書いてある。
思わず笑って聞いてしまうと、彼は少し苦い顔をした。
「ああ、アストライア様が子供の頃、先代魔王に悪戯を叱られた腹いせに作ったやつですね。一ヶ月ほどキュムキュム言ってたのですが、あまりのうるささに先代様が寝込んだ曰く付きの呪いです」
なるほど。確かにきついだろうなぁ。
でも大した危害を与えられるわけでもないだろうし、ちょっと興味ある。
「……へぇ~。どうやって掛けるんです?」
「対象を頭に思い浮かべ、呪文を読むだけです。まぁ、よっぽど恨んでないと効きませんが……子供とはすぐ親を恨むものですから、効いたのでしょうねぇ」
「…………」
”掛けてみて良いんじゃないか? 子供の悪戯で作られた呪いだろ?”
私の中で悪魔が囁く。
”どうせあの二人は魔法耐性あるし効かないか、効いてもすぐ解けるでしょ?”
天使も囁いてきたけど、まぁどっちも私の心の声よねぇ。
まだ相当恨んでる事を改めて理解した私は、真剣に呪文を見つめる。
「聖女殿? どうかなさいました?」
「え、えぇ、いや、特に何も。ほら、お仕事しましょう」
よし。覚えた。
ちょっとだけ……ちょっと試してみるだけだから……。
そう言い訳をして、仕事に戻った。
――
キュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュムキュム!!
「ぐあああああああああああああああああああ!! なんだこれあああああああああああ!!」
「うるさいのじゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
翌朝、いきなり皇帝城に呼ばれた。
玉座の間ではなく夫婦の寝室へ通されたので歩いていくと、近づく度にキュムキュム音と叫び声が聞こえてくる。
ふふっ……本当に効いたんだ。
「……何してるんですか、お二人共」
仕事用の無表情の下に笑顔を隠し、呆れたふりをして尋ねる。
すると二人は無様に頭を抱えて……キュムキュム甲高い音を鳴らしながら嘆いていた。
「ライオラ!!これ解いてくれ!!君なら出来るだろ!?」
「なんで妾が大昔に作った呪いが今更出てくるんじゃ!!」
「はぁ……とりあえず診せてもらえます?」
私はこの時、確実に聖女ではなかった。
どういう方式の魔法が掛かったんだろうという学術的な興味と、私に大恥をかかせた二人に復讐できてざまぁみろという器の小さな達成感。
緩んでしまう頬をキリッと締めて二人の額に手を当ててみると……ああ、これ私でも解呪難しいかも。
「うーん。見たこと無い術式ですね。わかりません」
相当時間を掛けて頑張ればいけるか……? と感じたけれど、やる気がなかった。
我ながら陰湿過ぎる……いや、いい気味だなぁ。
口笛でも吹きたくなるのを堪え、わからないとしれっと言うと、魔王が頭を抱えたまま胸をばるんばるん揺らして唸る。
「おーんおーん……聖女でも無理となると……妾の暗黒魔法シリーズは、術者が射程範囲の外へ行くか許してやると思わなければ解呪できないんじゃ……」
へぇ。解呪の方法ってそれかぁ。
それなら、そのうち気が済んだ頃に出張とか言って外出してくればいいかな。
「わざわざ俺たちを呪ったやつがいるってことか!? しかも俺たちの魔法耐性を貫通して!?」
「確かに……聖女、お主なんか知らんか?」
勇者のせいで、魔王が私を睨む。無駄に勘がいいから困るなこの勇者は。
確かに二人の魔法耐性を貫通できるような強力な術者なんて、私も含めて数えるほどしかいないだろうし、その勘は正しい。
「ちょっとよくわかりませんね」
「そうなるわなぁ。まぁよい、一人心当たりがあるからのぅ……!!」
だからすっとぼけると、魔王は不敵に笑った。
――
事務所に戻っていつもの仕事を始めていた。
ぐふぐふと漏れるドス黒い笑いを抑え肩を震わせていると、ニキアスさんが来る時間が近づいてきた。
廊下からはカツカツと小気味よく靴音が響き、何故かげっそりした顔の彼がやってくる。
「……聖女殿」
「……なんでしょう」
彼は私の前にドサッと腰掛け手を組んで、上目遣いでこっちを見た。
「お二人、キュムキュム言っておられましたが」
ああ、知ってしまったのか。
間違いなく私が掛けたと気付いているみたいだけれど、その推測は大当たりだ。
しかし認めるわけには行かなかったので、私の口はすっとぼける。
「ちょっとよくわかりませんね」
「なんてことしてくれたんですか?」
「いやほら、私だって証拠がないと思うんです」
頑なに否認すると、ニキアスさんはこれ以上無駄だと思ったのだろう。
大きくため息をついて立ち上がり、私の机にドンと手をついた。
「ありすぎでしょうよ……あの魔法知ってるのは貴女と私だけですし、ユリウス殿と貴女の婚約話、実は結構有名ですからね!?」
「なんで知られてるんですか!?」
「貴女、人間と魔族の未来のために愛を諦めた聖女なんですよ!!」
「へー!! そーゆー事になってるんですねー!!」
そうか、国教会が二人に協力していることを信徒に納得させるために、トップである私が率先して勇者への愛を譲ったことにしているのか。
割と事実ではある。ただ、聖女という分厚い面の皮の下にある本当の私の事は、ニキアスさんも含めて誰も知らない。
だからヤケクソになって怒鳴ると、彼はとても悲しそうな顔をした。
「聖女殿、いや、ライオラさん……あ、貴女がまだ勇者のことを愛しているというのなら……」
「ないです」
そして心から言いづらそうに、私を気遣ってくれて申し訳ないのだけど、それはない。
食い気味に否定すると、今度は一瞬微笑んだように明るい顔をして見えて……顔を真赤にして大声を出してきた。
「それなら!! 二人を許してくださいよ!!」
まぁ、うん。ここまで言われちゃ仕方ないか。
ニキアスさんに迷惑かけるわけにも行かないしなぁ。と、聖女の方の私が罪悪感を覚えた。
「……はぁ……ニキアスさんが言うなら……」
「お願いします。なるべくすぐに」
ニキアスさんのおかげだからな。感謝しろよ。と、聖女でない方の私が呟く。
二人を許せば解呪できる……許す……許す……許す?
どうしてその必要があるんだろう? ちょっと出張に行くだけで解けるんでしょ?
じゃあ別にもう少し苦しんでもらっても良いんじゃない?
そう頭の中に邪念が流れた瞬間、解呪は無理だと悟ってしまった。
「無理みたいですね」
だって無理だもん。
ユリウスは私を裏切ったし、アストライアは私よりでかい胸でバカを裏切らせたんだもん。
どうやって許せというのだい? と、やれやれと手を広げると、ニキアスさんが見たこともない必死な顔をして怒鳴った。
「みたい、じゃねぇよ!! 僕が姉ちゃんにシバかれるじゃんか!!」
「……姉ちゃん?」
しかも口調もなんというか可愛らしく、少年のように姉ちゃんと言う。
普段の颯爽とした振る舞いと爽やかな口調とはぜんぜん違う、子供みたいな仕草にびっくりしてしまった。
「おほん……アストライア様は、私の実の姉なのです」
すると彼は咳払いして深呼吸をして、口調を取り繕った。
あ、すごく可愛い人かもしれないと気になって、私は姉弟の話を聞いてみる。
「なるほど。どういうお姉さんだったのですか?」
「小さい頃から暴力的で自分勝手で、魔法の練習とか剣の練習とか理由つけて私を良くボコボコにしてきましたね……アレは十歳の頃でしたか……」
鬱々と延々と続く愚痴は、魔王の器だった姉の弟に産まれた事を本気で呪っていた。
子供の頃から上下関係を分からせられ、右腕となるように過酷な訓練を受け、自分の意志で何かを出来たことなど一つもなく……戦争が終わって初めて、自由を得たようだった。
「やっと好きなことが出来ると思ったのですが。本当に困りましたよ。本当に……はぁ……」
何度も私の目を見ては逸し、大きくため息をつく。
なんだろう? 困ったことって、私がうっかり掛けた呪いのことじゃない気がする?
しかしその直感の前に、聖女じゃない私は良からぬ考えを口に出していた。
「ちなみにニキアスさんにとって、ユリウスはどういう印象でした?」
「姉以外で産まれて初めて負けた相手ですが……はっ!! ま、まさか……ライオラさん!?」
「ニキアスさんにも、二人を恨む理由がありましたね?」
「ぐっ……ぬぬぬ……私に罪をなすりつけようと……」
「いいえ。共犯ということで、手を打ちませんか」
そう。彼を抱き込んでしまおう。
いくら勇者と魔王でも、新国教会を司る私達二人が組めば簡単には崩せない。
二人ですっとぼけてしまおうと、取引を持ちかける。
「あの姉ちゃんに通用するわけねぇだろ!! あーもうなんで……」
うーん。ちょっと苦しいか。
無理だろと拒絶する彼をなんとかするため、新しい手を考えようとしたその時だった。
キュムキュムキュムキュムキュム!!
邪悪な魔力が床下から立ち上り、廊下を爆走する音が聞こえ、私達の背筋に悪寒がよぎる。
「ま、マズイ!! 姉ちゃんが僕を疑ってる!!」
「か、隠れましょう!!」
アストライアが来たと直感した私達は、その辺に置いてあった大きな箱の中に飛び込んだ。
――
「ぐるあああああああ!! ニキアスぅぅぅぅぅぅ!! お前じゃろぉぉぉぉ!!」
地獄の底から這い出るような唸り声を上げ、魔王アストライアが扉をぶち壊した。
二人でピッタリとくっつき身体を潜め、息を殺し、僅かに開いた蓋の隙間から彼女を見守る。
「あれ、おらんな。最近ロクに大司教の仕事もせんで毎日聖女に逢いに行ってるとか聞いたのじゃが……あいつもそろそろ恋人の一人作って落ち着いてくれると思ったら、こんな悪戯を……ますます腹立ってきたのぅ!!」
すると魔王は怨嗟の炎を撒き散らしながら、ニキアスさんの事を罵った。
大司教の仕事もせずに? 私に逢いに? なんて知らない言葉が聞こえ、首を動かして彼の方を見る。
(え?)
ぷいっと横を向かれたが、彼のうなじには汗が滴っていた。
「ったく、妾が気づかんと思うとったかのぅ。ニキアスゥゥゥゥ!! お前の部屋のゴミ箱にあった恋文、読んでもええのじゃぞ!?」
私が聞いちゃいけないやつだと下を向くと、彼の分厚い胸板に耳が当たる。
ドクドクと早い鼓動、ギリギリと歯を噛みしめる振動が伝わってくる。
え、これ、ニキアスさん? え?
「……本当におらんのか? 仕方ない。他を当たるか……」
こ、この人、私に……私に惚れてるの?
どう見ても女の子に手を出し放題みたいな顔してるのに?
出逢って三ヶ月、ずっと仕事の話しかしてないのに?
え、やだ。嬉しい……。
ぐるぐると回る思考をよそに、彼の心臓は唸りを上げる。
いつの間にか回されていた腕が力強く私を抱きしめ、私も自然と寄り添ってしまう。
「しっかしうるさくて敵わん……ユリウスも寝込んでもうたし……父上には酷いことしたのぅ……今度酒でも供えてやるか……」
キュムキュムキュムキュムキュム……と遠ざかっていく足音に、やっと箱から出た頃。
私達はお互い真っ赤な顔をして汗だくで、一緒に下を向いていた。
「え、え、あの……聞いちゃいけないことだった……みたいですね……」
「……すみません。そんな下心は……なかったつもりなのですが……」
ああ。私、台無しにしちゃったんだな。
ニキアスさんが私を好きでいてくれたのに、失恋から前を向く機会もあったのに。
それが、今は完全に失くなってしまった。
彼からの気持ち、もう無いんだ。
「あはは、そうですよね。聖女だ何だっていい気になって、フられたから呪いかけるなんて女、普通に嫌ですもんね……しかもそれをなすりつけようとなんて、聖女失格もいいとこですし……」
人を呪って自分で踏み外した道、自業自得だなと、情けなさに思わず笑っていた。
「……はぁ。姉ちゃんはいっつも僕の人生を邪魔すると思ってたけど。たまには良い事するんだな」
あまりにも情けなくてポタポタと涙を落としていると、眼の前の彼は大きなため息をつく。
そして大司教のローブを投げ捨て、私の頬をそっと撫でた。
「あの、ごめんなさい。私のせいで、ニキアスさんが……ちゃんと自首してきます」
「自首したって無駄だよ。心から許すか、射程範囲から離れないとダメなんだ。しかも離れた場合は、また近づいたらキュムキュム鳴るからねぇ……」
私の涙を拭いて、彼の声は優しかった。
温かい手のひらの感触を抱きしめたくて、そっと手を添えると、彼は続けて口を開く。
「君は許せないんだろ? それで、全部解決するなら、なんだけど。ライオラ、僕と一緒に……一緒に……一緒に……」
「え、一緒にって……?」
私の目を見て。耳まで真っ赤に染めて。
何を言おうとしているのか、耳を疑った私も多分真っ赤に染まっていた。
私達はきっと、お互いのことを……。
「駆け落ちしよう。ひと目見たときから、貴女のことが好きだった」
最初から好きだったんだ。
「……こんなに執念深い女ですよ?」
「それでも好きなんだよ!! あーもう、なんでこんな危ねぇ女を好きになっちゃったかな!!」
彼は私を好きでいてくれていた。
大司教という立場を投げ捨てて、体面も投げ捨てて私を見てくれた。
「止めといたほうが……」
「聖女として熱心に頑張る君に惚れたのに!! 普通の女の子みたいに怒ったり恨んだりするのを見て、もっと好きになってしまった!! くそっ、なんでだよ!?」
醜い憎悪の炎に焼かれているのに、彼は私をもっと好きになったと言う。
本当にどうかしていると思うのに、私は嬉しすぎて彼の胸に顔を埋めた。
「わ、私も、ニキアスさんの事は好きなんです。頭も良くて強くてカッコよくて……手が届かない人だと思ってたのに、お姉さんに頭上がらないとか……かわいいですし」
「可愛いのは君の方だっての。ずるいなほんと!!」
心の底から湧き出る感情を言葉に出すと、彼は強く抱きしめてきた。
だから顔を上げて……。
「んっ」
「……ん」
初めてのキスだった。
勇者には結婚までしないと言い張ったのに、ニキアスさんには自然としていた。
長い間息を止め、慣れない行為にやがて苦しく離れた頃、彼は襟を整え背を向ける。
「呼び捨てでいいよ。敬語もいらない。お互い異性の趣味が悪い仲間だからね……さ、行くよ」
ガラッと窓を開け指笛を吹き、黒騎士と呼ばれた由縁である、影のように実体のない馬を呼び出した。
「ニキアスが良いなら……って、仕事はどうするの?」
私が彼の背中に手を伸ばすと、彼はひょいと馬に飛び乗る。
「このままじゃどうにも出来ないだろ……だから駆け落ちだって言ってんの。ほら、姉ちゃんが戻ってくる前に出るよ!!」
「う、うん!!」
そして伸ばされた手を、私はしっかりと掴んだ。
―― 一ヶ月後
一月ほど掛けて、帝国の最南端の港町まで来た。
帝都近郊は流石に私達も顔を隠したり変装したり、コソコソと隠れて逃げていたけれど……ここまで来ればもう、黒騎士と聖女の逃避行はただの噂話になっていた。
「……まだキュムキュム言ってるらしいね。一週間前の記事だけど、ユリウスまだ寝込んでるってさ……姉ちゃんもついに倒れたのか。くっ……ふふっ……」
「えっ!? ニキアス、もう結構離れたわよね!?」
「君の怨念が強すぎるんだよライオラ……まぁいいか。海を渡れば流石に大丈夫だろうし」
路銀もそろそろ底を尽きるという事で、二人で客船の切符を買い、待合室でのんびりしている。
海の向こうの国に行けば、暗黒キュムキュム魔法の射程から離れるだろうし、私や彼が魔法を使っても正体がバレることはないだろう。
せっかく治療魔法を極めた者同士だから、小さな病院でも作って生計を立てようか、なんて話もしている。
「……お姉さんが倒れたって読んでる時、ニキアスちょっと笑ってたよね?」
「まぁね。いい気味かな」
多分、上手くいくだろう。
私達、意外と似た者同士だったから。
(完)
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