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ヴァラール魔法学院の今日の事件!!

父の責務、子の愛〜問題用務員、冥王第一補佐官錯乱未遂事件〜

作者: 山下愁

 至らない父親であることは自覚している。


 妻に先立たれ、幼い愛息子を1人で育てる決意をした矢先に交通事故で他界してしまった。ひょんなことから異世界に転移したが、帰ろうにも帰ることが出来ずに随分と長い時間を冥府で過ごしたと思う。

 その間、父親らしいことは全く出来なかった。成長を共に喜ぶことも、辛い時に側で支えてやることも、喜びを分かち合うことすら叶わなかった。クソ弟がその役割を担っていたようだが、10年以上に渡って虐待をしていたから信頼もクソもない。弟のツラを見ただけで殴りたくなる。


 今でこそ成長した愛息子と再会を果たしたが、父と呼ばれていても父親としての責務を果たしていないキクガにその資格はあるのだろうか。



「――補佐官殿って何歳なんです?」


「え?」



 ちょうど本日の裁判内容を纏めている最中、キクガに振られた話題は年齢に関する内容だった。


 鳥の形を模した仮面を装着した部下が、キクガが仕上げた裁判記録を次々収納していく。台車のようなものに裁判記録を雑な手つきで積み上げていくものだから、いつか崩れそうで心配になる。

 乱れることなく骨で作られた筆を巻物に滑らせるキクガは、ふと己の年齢を思い返す。この頃、自分の年齢すら曖昧になってくる。ついに痴呆症の前触れが表れたのだろうか。



「確か、今年に48歳となる……と思う」


「え、見た目がお若く見えるから30手前かと」


「これでも年頃の息子がいる身な訳だが」



 最後の裁判記録を纏めて部下に手渡したキクガは、インク瓶に筆を突っ込んで本日の業務を終了させる。ずっと書き物をしていた影響で身体が凝り固まり、動かすだけで骨がゴキゴキと音を立てた。

 裁判記録を台車に積み上げた部下は「お疲れ様です」と労ってくる。労いの言葉と同時にお茶が並々と注がれた湯呑みまで出てきた。最初から用意していたのだろうか?


 熱々の湯呑みを両手で包み込むキクガは、



「そういえば、君もご子息がいたと聞いているが」


「補佐官殿の息子さんと同い年ですよ」



 裁判記録がちゃんとあるのか台帳と照らし合わせる部下は、やれやれと肩を竦めてこう言った。



「最近だと反抗期真っ盛りってところですかね、口を開けば『クソジジイ』ばかりですよ。心が折れそうになるけど、まあそれが子供の成長ってものですからね」


「反抗期……」


「あれ、息子さんは反抗期じゃないんです? じゃあ今に反抗期が到来するんじゃないですか?」



 部下は「この裁判記録を保管してきますね」と言いながら、山のように裁判記録を積み上げた台車を押していった。


 執務室に1人で取り残されたキクガは、湯呑みに注がれたお茶をゆっくりと啜りながら部下の言葉を思い出す。

 反抗期――子供の成長過程において、高確率で遭遇する重要な行事である。精神的に成長する時間帯なので接し方も考えなければならない、と育児の本で読んだ記憶があった。


 息子のショウに反抗期らしい兆しは見えないが、いつか遭遇することになるのだろうか。「クソジジイ」などショウに言われた暁には3回ぐらい死ねる自信がある。



「反抗期か……考えたことなどない訳だが……」



 妻のサユリが生きていれば、ショウの反抗期にどうやって対応しただろうか。ちゃんとよく話し合って、それでもダメなら柔道の寝技でも仕掛けそうだ。病弱のくせに格闘技だけは妙に強かった印象がある。

 もし、もしもショウに反抗期が訪れたその時は、ちゃんと対応できるのか心配になる。出来れば「死ねクソジジイ」など言われたくない。


 まだ見ぬ愛息子の反抗期にしょんぼりと肩を落とすキクガは、



「もう上がろう……明日は有給だ……」



 そう、明日は待ちに待った有給である。地上の名門魔法学校で用務員として働く息子に会いにいく日だ。


 冷めてしまったお茶を一気に飲み干して、キクガは湯飲みを抱えたまま椅子から立ち上がる。

 この湯呑みはどこから持ってきたのだろう。とりあえず給湯室に持っていけばいいのだろうか。あの部下には悪いことをしてしまったので、明日の有給には地上でお土産でも買っていこう。



 ☆



「暑くなってきたから水羊羹を買ったが、ユフィーリア君は大丈夫だろうか。甘いものが得意ではないと以前聞いていたのだが……」



 河童の絵が描かれた紙袋を抱えて、キクガは賑やかな建物内に足を踏み入れる。赤い絨毯を漆塗りの下駄で踏むと、カランと涼やかな音を奏でた。

 夏が近づいていることもあり、薄紫色の着物で涼やかさを演出したつもりだ。伸ばし放題にしている黒髪は花の飾りをあしらったかんざしで纏め上げ、頭の上には地上へ出かける際に必須となる髑髏どくろの仮面を乗せるだけにしてある。この髑髏の仮面がなければ地上で姿を認識されないのだ。


 カラコロと下駄を鳴らしながら歩くキクガを、通りがかった魔法学院の生徒が「ねえ、綺麗な人」「あんな人いたっけ?」などと話していた。誰のことを示しているのだろうか、と周囲を確認してしまう。



「ううむ、まだ夏物は早かっただろうか」



 先程から他人に見られている気がしてならない。少し周囲に視線を巡らせると、生徒や教職員の面々がジロジロとキクガを見ていた。

 有給を取得するたびにこのヴァラール魔法学院を訪れているが、ここまで生徒や教職員に気にされる存在だっただろうか。いつもはここまで注目されないので、視線の理由が気になってしまう。


 キクガは自分の着ている着物を見下ろし、



「どこか格好がおかしいか……?」



 薄紫色の着物は夏らしくていいと思って購入し、裾や袖の部分に紫陽花あじさいの模様が施されている。白い帯に合わせて濃い紫色の組紐を巻き付けたが、やはりおかしな部分があるとしか思えない。

 紫陽花は季節ではなかった? それとも色が問題だろうか。裾が捲れているのかと思って念入りに確認するのだが、目立った問題は見当たらない。


 これは息子に会う前に誰かと会っておきたい。それで変な格好か否か確認してほしい。解決策はもうそれしかない。



「ま、待つのじゃ儂は無実なのじゃーッ!!」



 その時、キクガの耳に聞き覚えのある絶叫が劈いた。


 物凄い速度で、白い狐がキクガの隣を通り過ぎていく。何だか知らないがわさわさと9本も尻尾を揺らし、薄紅色の双眸に涙を浮かべて逃げ去っていく。

 七魔法王セブンズ・マギアスの第五席に座する八雲夕凪やくもゆうなぎだ。そういえば、このヴァラール魔法学院では植物園の管理人をしていたか。一体何をしたらあんな必死に逃げなければならなくなるのだろう。



「待てそこの狐!!」


「今日こそ油揚げにして食ってやるよォ!!」



 逃げる八雲夕凪を追いかけるように、歪んだ三日月――冥砲めいほうルナ・フェルノがすっ飛んでいく。そこにはメイド服を着た少年と黒いつなぎ姿の少年が一緒に乗っていたような気がしたが、どうやら見間違いではないらしい。

 愛息子のショウである。先輩用務員であるハルア・アナスタシスも一緒だが、どうやら彼は物凄く怒っている様子だ。


 逃げる為の速度が冥砲ルナ・フェルノに敵わなかったのか、八雲夕凪はすぐに追い付かれていた。



「死ねクソジジイ!!」



 勢いよく冥砲めいほうルナ・フェルノから飛び降りたショウは、メイド服のスカートを盛大に捲り上げながら八雲夕凪の後頭部に飛び蹴りをかます。

 飛び蹴りが見事に決まった八雲夕凪は吹き飛ばされ、赤い絨毯が敷かれた廊下を大きく滑って止まっていた。飛び蹴りの威力が強烈だった為か、ピクリとも動かなくなってしまった。


 ショウは動かなくなった八雲夕凪に跨ると、後頭部を掴んで何度も顔面を廊下に叩きつけるという暴力を振るいまくっていた。一体何が起きた。



「俺の下着を返せ!!」


「ショウちゃんのぱんつを返せ!!」


「ち、違うのじゃ、たまたま拾っただけ」


「じゃあ貴方の懐から俺の下着が出てきたのは何でですか死ね狡猾エロジジイ!!」



 そして聞き捨てならない言葉の数々が出てきた。殴った数だけ余罪が出てきそうだ。



「八雲夕凪、詳しく話を聞きたい訳だが」


「あ、父さん」


「ショウちゃんパパ今日も綺麗だね!!」


「ショウ、そしてハルア君。息災な様子で何よりな訳だが」



 ハルアに河童の絵が特徴の紙袋を渡すと、ショウが跨ったまま顔面を床に擦り付ける八雲夕凪の肩をポンと叩く。



「八雲夕凪、話を」


「おお、おお。どこの誰だか知らんが、別嬪さんが儂を助けてくれるとはありがたい。この怖いメイドさんから助けてくれた暁には儂が誠心誠意、奉仕することを誓うのじゃ」


「…………」



 八雲夕凪が、まさに助けを得たとばかりに弾んだ声で「さあ助けておくれぇ」などと救助を要請してくる。八雲夕凪が喋るたびに、息子のショウの瞳から光がスッと音もなく消えていった。

 空気が驚くほど悪くなる。絶対零度の空気が流れ始め、キクガは思わず窓の外を確認してしまう。今は夏に向かっている頃合いで、冬が訪れた訳ではなかった。


 どうやらこの冷たい空気は息子を中心として展開されているようで、死んだ魚のような目で八雲夕凪を見つめる彼はそっと八雲夕凪の喉元に手を回す。



「息子の前で父親をナンパするとはいい度胸ですね、クソ狐。このままくびり殺しますか?」


「ヒィィィィ」



 八雲夕凪は、そのあとたっぷりと息子に拷問されてから騒ぎを聞きつけた学院長に引き取られていった。



 ☆



「洗濯物が飛んできたと言っていたが、あれは嘘に違いない。絶対に何かよからぬことに使うに決まっている」


「そ、そうかね。程々にしなさい」


「父さんもあのクソ狐には気をつけてほしい。未亡人的なアレがアレだからクソ狐の性欲の対象に」


「それは一般的に『夫に先立たれた妻』を示す言葉であって、逆の立場である私には当てはまらない言葉なのだが?」



 とりあえず中庭に避難し、息子の精神を落ち着けることにしたキクガ。

 未だにショウは怒りが収まらないのか、なおも愚痴を吐き出す始末である。確かに下着を盗まれれば怒りなんて簡単に収まらないだろうが、今までの暴力的な光景は我が目を疑った。


 これが反抗期だろうか。反抗期になると暴力的になるのか?



「父さん?」


「ショウがついに反抗期に……私もいつ『クソジジイ』と呼ばれる日が来るのか気が気ではないのだが……」


「反抗期? え?」


「そして非行に走り、やがて……」


「父さん、父さん。戻ってきてくれ。どこに行ってしまったんだ、父さん」



 ガクガクと肩を揺さぶられ、キクガは「ハッ」と我に返る。


 ショウに反抗期が到来し、警察へお世話になるところまで妄想してしまった。それで警察官にキクガが頭を下げ、忠告をするのだが「うるせえクソジジイ」の一言で一蹴されてしまうまで予想できてしまった。

 もう心が折れそうである。泣きたくなってきた。



「そうだ、父さん。父さんに渡すものが」


「果たし状かね?」


「何故?」



 ショウが真顔で「違う」と否定し、メイド服の衣嚢から細長い箱を取り出す。丁寧に赤いリボンがかけられた箱を、キクガの目の前に差し出した。

 見たところ、そこそこ値の張る店の商品らしい。箱を受け取れば、ショウから「開けてくれ」と促されたのでリボンを指先で摘んだ。


 するりと解ける赤いリボン。蓋を開ければ、そこには赤い台座に横たわる薄桃色の花飾りがあしらわれた綺麗なかんざしとご対面した。



「簪かね?」


「ああ」



 ショウは頷くと、



「もうすぐ父の日だろう。日頃の感謝を伝えようと思って、かんざしを選んだ」


「父の日……」


「俺にとって、父さんは尊敬できる父親だ。だから」



 ふわりと微笑んだショウは、



「俺の父さんでいてくれて、ありがとう」



 ああ、本当に。

 息子はとてもいい子に成長したものだ。


 父親としての責務は果たせていないのに、まだ「父さん」と呼んでくれることが嬉しい。至らない父親ではあれど、彼にとって尊敬できる人間でよかった。



「ありがとう、ショウ。大切に使わせてもらおう」



 そう言ってキクガがショウの頭を撫でれば、彼は嬉しそうに微笑んだ。






 ちなみにこのあと、八雲夕凪は冥府に連行して絶叫6時間に加えて強制肉体労働の刑に処してやった。

《登場人物》


【キクガ】冥王第一補佐官にしてショウの父親。叩き上げで下っ端の獄卒から冥王第一補佐官まで上り詰めた有能な人物。息子は目に入れても痛くないほど可愛がっている。自分自身の反抗期は常にあったが、結婚してだいぶ落ち着いた。女装をしている理由は「息子が似合うのだから私も似合う」理論。


【ショウ】キクガの息子。ヴァラール魔法学院にて用務員として勤務する女装メイド少年。尊敬する人物を問われた時は迷わず「父さん」と答えるほど有能で優秀で優しく厳しい父親のことは尊敬している。叔父に関しては彼と血の繋がりを疑うほど嫌い。

【ハルア】ショウの先輩用務員。暴走機関車野郎と名高い少年。父親の存在は分からないが、キクガがお父さんだったら絶対に楽しいだろうなと思っている。何なら息子扱いされても嬉しい。

【八雲夕凪】ヴァラール魔法学院の植物園にて管理人を務める九尾の狐。狡猾なクソジジイ。洗濯物の件は本当に洗濯物が風で飛んできたのだが、下着はショウのファンに売ろうとしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やましゅーさん、こんにちは! 新作、今回も楽しく読ませていただきました! キクガさんとショウ君のほっこりとする暖かいやり取りが大好きです。ショウ君がもし反抗期を迎えたらと悩み、ショウ君を…
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