少女は夜会に毒を盛る
※連作化してきたので連載にまとめることにしました。
魔女のお悩み相談室~婚約解消から始まる新たな関係~
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「この売女が!私という婚約者がいながらその行い……恥を知れ!」
私に対してそう宣言するのは今、この瞬間までは私の婚約者だった者だ。
それなりに大きな商会を若くして任された男はまだ駆け出しだったクリエイターの私の才能に目をつけた。
そして当時の私の実家の商家はかなり経営が傾いており、一人娘を差し出すような形になった婚約だった。
青田買いという奴だ。
それ自体は問題が無い。
どこにでもある政略結婚の一つ。
しかし、私は男の言いなりになるような可愛げのある性格ではなく、男は私の才能に嫉妬するような程度の低い人間だった。
あと、あまり身体が成長せずに幼児体型だった。
それも問題の一つなのだろう。
「なっ!何を言っているのです?」
「昨日も一昨日も、いや!この数日は家にも帰らず男と密会をしておったな!バレないとでも思っていたか!」
男は糾弾する。
やってもいない罪をでっちあげ、あからさまな嘘を並べ立てる。
周囲にいる人達はヒソヒソと話すばかりで誰も私を助けてはくれない。
「それだけではないぞ!貴様が行ってきた悪行は既に把握している!そのような形で誤魔化そうとしても醜悪な本性は隠しきれないのだ!」
「そんな事はしていません!」
冷たい視線が刺さる。
取り巻き達がせせら笑う。
男も女も陰険な悪人面。
「黙れ!貴様の弁明など聞く必要はない!お前との婚約も続けることはできそうにないな!」
私の精一杯の抵抗を男は切り捨てる。
下品な笑みを隠せていない婚約者だった男。
そして男の隣でニヤつく女は私の商売敵。
わかりやすい構図だ。
私を排除してこの女を重用する。
誰にでも作れるような凡人の作品であっても有力なライバルが居なければそれなりに存在感が出るだろう。
その考えが透けて見える。
あまりにも有名になってしまい近い未来に制御ができなくなるであろう私の事が目障りになったんだろう。
私はもうこの男に頼る必要は無いほどにクリエイターとしての地位を確立していたからだ。
自分よりも立場が上な女は必要が無い。
それが遥かに歳下の生意気な女ならばなおさら気に入らないと言ったところか。
なんとも器の小さい男だ。
だけど、私は黙る事しかできない。
どれだけ反論をしても周囲にはみっともなく足掻いているようにしか見えないのだろう事がわかる。
俯き震え、拳を強く握るしかできない。
男が主催したパーティー。
名目は何だっただろうか?
確か季節ごとに行われる定期的な夜会だったはず。
参加自体は初めてではなく何度か来たことがあった。
だが、今回は違う。
ここはパーティー会場などではない。
私を貶め、傷つけ、踏みにじるための場所。
ここは私の処刑場だ。
そんな事はわかっていた。
だから、私は毒を仕込んだ。
この男を破滅させる毒を仕込んでおいたのだ。
◇
パーティーが行われる数日前に時は遡る。
その日、私は学園の図書室に足を運んでいた。
私はこう見えて新進気鋭のクリエイターだ。
個展を開いたり、アクセサリーのデザインをしたりするのが仕事。
まだ学園に通うような歳であるという事も一つの武器としている。
最年少天才美少女クリエイターだ。
歳が近いという事もあってか私は若い層に人気がそれなりにある。
特にここ最近は上り調子で嬉しい限り。
そんな天才と言われる私だが何も全てを自分の頭の中から捻り出しているわけではない。
アイディアが天から降りてくる事が無いとは言わないがそれだけではやっていけない。
古今東西の色々な物を参考にして自分の中で練り上げ、作品を作り上げるのだ。
他国の民族衣装、風習、神話のモチーフ、流行のスタイル。
直接的に模倣をするのではなく、それらを元に自分なりに昇華させてデザインする。
その知識を増やすためには勉強が必要だ。
そのために私は図書室に向かう。
「こんにちはー!先輩今日も失礼しまっす!」
周囲を見渡し、いつもの面々しか居ない事を確認してから元気よく挨拶をして図書室に入る。
そこには窓際の席で静かに読書をする女性が居た。
濡羽のように美しい黒く長い髪、物静かな佇まい、手元にはいつも難しそうな本。
背が低く幼児体型なため年齢よりも幼く見られる私としては羨ましい限りな大人の雰囲気がする落ち着いた女性。
この図書室の主……ではないはずだけど主のように扱われている尊敬する先輩だ。
「こんにちは。今日も資料の閲覧ですか?最近は毎日で熱心ですね」
先輩は栞を本に挟んで閉じる。
あの栞は私が憧れる巨匠がデザインした一点物だ。
他人は気づかないかもしれないが私にはわかる。
主張せず、しかし洗練されている意匠。
私が知る限りでは栞をデザインしたなんて話は聞いた事はないがそれでも間違いが無い。
どこで手に入れたかわからないが先輩には私の想像ができない伝手があるのだろう。
「いやぁ次の個展まであと数点作らないといけないんですよぉ~楽しいから良いんですけどぉ。この資料ってどこにあるか教えてもらっても良いですかぁ?」
「ちょっと待っていてくださいね」
目当ての資料の所在を尋ねると先輩が奥の書棚の方へと取りに行ってくれる。
先輩は司書というわけでは無いはずなのだがほとんどの本を把握している。
自分で膨大な蔵書を探すような事をするよりも素直に聞いたほうが話が早いのだ。
「この国の神話、民話の資料ですか。次の作品はこういう系統にするのですか?」
「まだ決まってはいないんですけどぉ~今回使わなくてもこういうのって後からでも使えるしぃ~ん~でもどうしようかなぁ今回はそっちの方向のでやろうかなぁ~迷っちゃうなぁ~」
「確かにそれらのモチーフは色々な場合に使えますから無駄にはならないでしょうね」
この学園に入学し、図書室で色々な資料を見るようになってからこの先輩とは懇意にさせてもらっていた。
先輩はあまり自分の服装、服飾に関しては興味は無いが芸術に疎いというわけではない。
制作に行き詰った時には何度も相談させてもらってるし、仕事以外の事でも色々とお世話になっている。
「実はぁ~さっきも言ったんですけど次の個展の作品制作のための資料を読み込みたいんですけどぉ学園の図書室って持ち出し禁止じゃないですかぁ、でもでも私は少し遅い時間まで読みたいっていうかぁ~時間が足りてないなぁっていうか~」
「ふぅ……何かお願いごとですか?」
「先輩お願い!先輩の家の蔵書を見せて欲しいんですぅ!お家に押し掛けるのはご迷惑かもしれないんですけどお願いしたいんですぅ!できれば泊まり込みで!」
私が言いあぐねている様子を見て取って先輩が促してくれる。
先輩はいつも溜息を付きながらも私のお願いを聞いてくれるので甘えてしまう。
私は今回も聞いてくれると思いつつ先輩の手を握ってお願いするのだ。
「私の家のですか。確かに学園の図書室には無いような物もありますがそこまで多くはないですよ?」
「そんな事ないですぅ!一度拝見させてもらいましたけど凄かったですぅ!」
先輩はこの国屈指の大商会の娘だ。
ちなみに私の実家も一応は商いを生業にしているがはっきり言って規模が違う。
娘のためにと買い揃えられた書物が先輩の家には揃えられている。
乱読派だという先輩へと両親があらゆるジャンルの本を買ってくれているというそれらは口が裂けても少ないとは言えない。
高飛車になってもいいような生まれだというのに先輩の物腰は常に柔らかい。
そんなところも尊敬してしまう。
「それにぃ~先輩の家なら誰にも見られないじゃないですかぁ~」
「あぁ、なるべく勉強している姿を見せないようにしているんでしたね。ここに来るのもお忍びなんですか?」
弱々しく微笑みながら私は頷く。
私は自身を天才クリエイターとして売出し、ある程度の成功を収めていた。
才覚だけでやっていけるほど甘い世界ではないからこそ、圧倒的な才覚のみで出てきたのであればそれは売りになる。
それがまだ年若い少女だとなればひとしおだ。
勉強をしていないとは言っていないが、その姿を見せないようにして意図的に“天才”というイメージを作り出した。
勿論、本当は陰で努力をしているし悩んでいる。
制作に難航することなんて日常茶飯事だ。
だが、私はそれらを外には見せないように気をつけていた。
セルフプロデュースという奴だ。
図書室で資料漁りをして頭から湯気を出しながらデザイン案を練っている事を知っているのも先輩と信頼ができる他数人くらいだ。
「私は問題は無いですよ。今日から家に来ますか?」
「ありがとうございますぅ!お礼にと言ってはあれですけどぉ~一緒にパーティーに行きましょう!今度、私の婚約者が主催するパーティーがあるんですぅ!先輩とぉ~もうひとりくらいならねじ込めますからぁ~男の人を誘って参加してくださぁい!」
先輩はあまり綺羅びやかな場は好んでいないのは知っている。
だが、このパーティーには必ず参加をしてもらわなければいけない。
そのための方便も用意している。
「男の方を?う~ん……それは少し困ってしまいます。あまり男性の知り合いは居ないものですから」
「またまた~最近仲の良い人が居るって聞いてますよぉ~、ほら誘っちゃいましょうよぉ~可愛い後輩に無理を言われたからって言い訳して良いですからぁ~。お願いしますぅ!」
私の言葉に先輩は心当たりがあるのか何とも言えない表情をしている。
それは照れている訳でもなく、困惑しているという訳でもない顔。
本当に何と言ったら良いかわからないが頭に浮かんでしまった人が居たというところだろうか。
この先輩は可愛らしい所はあまり見せないのだから勿体ない。
色々な面で頼りになるという所だけが注目されて妙な渾名を付けられたりもしているのもそのせいだ。
「まぁパーティーの相手は追々考えるとしましょう」
最近、先輩と仲が良いと言われている男性は由緒正しき大貴族の跡取り息子。
この学園一の貴公子とも言われる人だ。
王家にも繋がる高貴な血統でありながら偉ぶる事もなく正義感が強い。
そして貴族に相応しい人の上に立つ貫禄を持つ。
女生徒達から圧倒的な支持を集めるそんな彼とこの先輩は何やら色々とあったらしいが最近は仲が良い。
「ぜぇったい誘ってくださいね。私だってぇ~挨拶したいんですからぁ~」
紆余曲折があったとしても良好な関係を結ぶことができている先輩が少しだけ羨ましい。
私はそういう相手を作ることができないからだ。
私には婚約者が居る。
だけど私と婚約者はあまり良い関係ではない。
私が頭角を現わす前に結ばれた婚約。
実家の事業の為に仕方なく結ばされた物。
相手とは年齢もそれなりに離れており価値観も何もかもが合わない。
今となっては私の足枷にしかならない不本意な契約。
だが、それでも何の理由も無しに反故にする事はできない。
契約違反をした時の賠償もあるし、何よりも一方的に婚約を破棄などすれば作り上げたクリエイターとしてのイメージに傷が付く。
私のファンはポップで綺麗な私を支持してくれているのだからドロドロの内ゲバ模様は見せる事はできない。
本当は先輩をパーティーに呼ぶのはお礼なんかじゃない。
噂の男性を誘って欲しいのも先輩のためじゃない。
全部、自分のため。
罪悪感はあるけれど、そうしなければいけない理由があった。
何故ならば……
◇
「彼女、ハメられましたね」
突如、目の前で始まった騒動。
主催の男が聞くに堪えない罵声を歌劇のように歌い上げる。
吐き気がする情景だった。
俺はすぐにこれを止めようと前に出ようとした。
しかし、その腕を彼女が押さえつける。
「何故止める?」
「落ち着いてください。今、あなたが止めるのは根本的な解決になりません」
俺は隣に居る女性に誘われてあるパーティーに参加していた。
『後輩にパーティーに誘われまして、かなり強く頼み込まれたので出席してあげたいのですが男女のペアでの参加が必須との事なのです。パートナーの当ては無いし、下手な男性を誘えば誤解を招いてしまいます。あなたならば誤解を生むこともないでしょう。申し訳ありませんが付き合ってもらえますか?』
下手な男を誘えば誤解を招くが俺ならば誤解されない。
俺と彼女の関係性は一言で表すのが難しいのだ。
紆余曲折悲喜交交右往左往と色々あったのだ。
そんな二人なので今更どうにかなるなど誰も考えないので誤解はされない。
だからあなたに頼む。
そう言われたのだ。
少し複雑な気持ちもあったが、それ以上に彼女に頼られるというのが嬉しく俺をこの誘いを喜んで受け入れた。
それがこのような事になるとは思いもしなかった。
「確かにあなたが出ていけばあの男の口は止まるでしょう。ですが、それだけでは駄目です」
俺は言っては何だが国内屈指の大貴族だ。
言葉は悪いがあの男程度の立場の者が逆らえるような家格ではない。
だから、俺が出ていき一喝すればあの娘を助けることができる。
そう思った。
しかし、彼女の目には更に奥にある思惑が見えているようだった。
「少し妙だとは思っていましたが。この夜会自体がこのために開かれた物のようです」
「この見るに堪えない光景のためだと言うのか?」
「そうですね。本当に見るに堪えません」
本当に嫌そうに彼女は呟く。
普段、彼女は感情をあまり表に出さない。
基本、クール系なのだ。
そんな彼女から見て取れるほどの嫌悪を感じる。
「婚約破棄に限らずプライベートな事柄に対する追求を公衆の面前でする必要性はありません。どうなろうとも他人が関与するような物ではないからです。ですが目の前ではそれが繰り広げられている。何故かわかりますか?」
嫌悪を隠そうとしない彼女が少しだけ珍しいと思いながらも続きを促す。
「あの男は彼女のブランドイメージに傷をつけようとしているのですよ」
「ブランドイメージ?」
「そうです。彼女は新進気鋭のクリエイター。私達と同年代、もしくは少し若い層から圧倒的な支持を得ています。個展を開けば大盛況ですし、彼女が携わった商品は売り切れ続出です。それは“彼女が生み出した”という付加価値があるからこそ売れるのです」
あそこで糾弾されている少女は有名なクリエイターらしい。
他人では真似できない圧倒的な感覚。
奇抜なデザイン、考え抜かれた配色、キャッチーな広告戦略。
一見なんという事が無い物も深く推察すれば元となったモチーフをリスペクトしている事が読み取れる秀逸さ。
勿論、それが全てあの少女一人で行われた物ではないが中心に居るのは間違いがない。
それを壊そうとしているのだという。
「婚約を破棄する事は恐らくは確定事項。こんな事をすればどう考えても関係は修復不可能ですからね。賠償を支払ったとしても破棄をする事は変わりがないのでしょう。しかし、それだけならばこのような見世物をする必要はありません」
醜悪な劇団が行う演目はまだ終わらない。
人の輪の中に取り残された少女にはあらゆる辛辣な言葉が投げつけられ続けている。
それを彼女は絶対零度の目で見つめ続ける。
「あの男の隣の女性。私の記憶が確かならばあちらも売出し中の職人だったはずです。それだけで推察できます」
「なるほどな……」
そういう事に疎い俺でもそこまで言われればわかってしまう。
「恋人を乗り換えた。新しい恋人のためにライバルを潰したいという所か」
あまりに露骨。
だが、それでも構わないのだろう。
「そうですね。ここから先、あの二人は完全な敵対関係です。報復される事も考えなければいけません。だから叩けるだけ叩くわけです」
新しい恋人のために商売敵となる少女を傷つける。
その行為の是非はともかく理屈はわかる。
しかし、俺には一つ疑問があった。
「しかし、嘘で良いのか?ここ数日、あの娘はお前の家に泊まり込んでいたのだろう?」
そう。
あの娘は仕事の関係で彼女の家に泊まり込んでいたというのだ。
ならば、あの男が言う“ここ数日も家に帰らずに男と密会していた”というのは嘘だ。
あれだけ大々的に掲げている罪状が大嘘なのだ。
「嘘で構わないのですよ。どうせ止める人は居ないのですから。そうなるように出席者を選んだんでしょう」
「どういう事だ?」
「不自然なのですよ。“主催の家と同格の人間が居ない”という事は」
参加者の服装や立ち振舞を見ればある程度は家の力が読み取れる。
それに俺は実家のパーティーに参加する事もあるので名のある貴族の顔と名前くらいは覚えている。
そして彼女は大商会の娘だ。
商人側の有力者は当然認識しているだろう。
その俺達から見て、このパーティーの参加者は言ってしまうとあまり大きい力を持っていない者ばかりに思えた。
「この夜会には名家の貴族や大商人の関係者がいません。通常はこういったパーティーが開かれる場合は一人二人は主催者と同格、または格上の家柄の物がいるはずです。参加者が有意義な繋がりを作る事が目的なのですから中々お目にかかれない人物が居ればそれだけ傘下の者への力の誇示になりますので」
「だが、ここに招待されている人間に高位の者は居ない。だから誰も止めに入る事は無い……か」
主催者の男が何をしても意義を挟む事ができない力関係だ。
「本来はこの騒動はあの男にとっても醜聞なのです。はっきり言って品が無い行動ですからね。良好な関係を築いている者だったとしても、この光景を直接見たらどう思うでしょうか?」
「確かにな。付き合いを考え直すレベルの醜悪さだ。なるほど、出席者からして調整されているわけだ」
「そうです。ここにはあの男が重要視するような家柄の者は居ないのです。そして、あとに残る噂では詳細は伝わらないでしょう。残るのは“人気クリエイターはとんでもない悪女であり、それが原因で婚約を破棄された”という事だけです」
全てが仕組まれていたのだ。
このパーティーが開かれた目的はただ一つ。
あの娘を陥れるためだけに用意された場がここなのだと彼女は語る。
「大多数の方は戸惑っています。この流れを知っていたのは中心に居る彼等だけなのでしょう。しかし、この場の参加者は口を挟めません。不興を買えば自分が危ういと考えてしまいますし、こう言っては何ですが……所詮は他人事ですからね」
壇上では男の一人舞台から集団の劇団へと変わって行っていた。
権力者に色目を使っていた。
デザイン案を盗まれた。
不当な圧力をかけられた。
嫌がらせに色々な事をされた。
目の前で行われる悪趣味な演劇。
裏で卑劣な事をしていた悪女が断罪される様を見せつけるショー。
それは何よりも明日の大きな話題になるゴシップだ。
「彼らは今後、面白おかしくこれを口にするでしょう。そして話題になればなるほど彼女の看板は傷つきます。それが嘘だとしてもです」
居並ぶ男女から出てくるのはどれもが少女を糾弾する言葉ばかりだ。
そして、それらの起点となっている少女の不貞。
それが嘘だという事を俺達は知っている。
だが、他の者はそんな事を知りはしない。
いくら少女が否定しようともその声は掻き消されていく
どうしても声が大きく人数が多い方が信憑性があると感じてしまうのだ。
「しかし、調べればすぐにわかるぞ。それでも良いと言うのか?」
「それで良いのです。この場であの娘を悪者にできればそれで良いのです。真実でなくとも既成事実化させてしまえばブランドを傷つけられます。一度広がってしまった悪評を拭うのは難しい。それをあの男はわかっています」
今までは人気のクリエイターの作品だからという事で商品は飛ぶように売れていた。
勿論、一定の品質はある。
だが、それ以上に大きい付加価値が彼女の商品にはあったからだ。
“あの人の新作だから買おう”
そうやって商品を手に取る人間が数多くいる。
それがブランドだ。
あの人気者が作ったから使っているから良い物のはずだという信頼。
だが、この話が広がってしまったらどうなるだろうか?
数々の悪行をしていたと噂されたクリエイターの作品を見て購買意欲が湧く人がいるだろうか?
逆に“あの悪人が関わった物なんて買いたくない”と考える人が出てくるだろう。
それが真実ではなかったとしても悪評というのはいつまでも付き纏うのだ。
騒いでいる男はそれを狙っているのだと彼女は言う。
「どうせ婚約は破棄するのです。最大限に傷を付けてやろうと考えたのでしょう。責任を彼女に押し付けられれば万々歳。それができなくとも人気の無くなったクリエイターがどれだけ騒いでも叩き潰せるとも思っているのかもしれません。そして、そのための手段が嘘塗れの悪評で彼女の看板に泥を塗る事という訳です」
理由を聞けば聞くほど吐き気がする。
貴族社会にも悪意はあるが、それは平民でも同じという事だ。
利益に貪欲だからこそむしろ醜悪さが増しているように感じた。
「この場はそのために用意されたのでしょう。誰も口を挟めない状況を作り、口を揃えてあの娘を糾弾する仲間を用意した。あぁ野次を飛ばす者も現れました。あれも一味でしょう」
「そして、無責任に話を広げるであろう多数の者達か……」
遠巻きに見る彼等に悪意は無いが善意も無い。
明日の話題になるのであればそれが真実かどうかは関係が無い、とまでは考えてはいないだろう。
だが、彼等はあの男の言葉が嘘だという事を知らないのだ。
「俺が止めるだけでは駄目なのか?」
「そうです。それではあの男が嘘を吐いている事を証明できません。それはつまり、男の言葉に一定の信憑性が付いてしまうという事です」
「それは……そうなっては本末転倒だ。あの娘を助ける事ができないではないか」
俺は隣の彼女を見る。
なんとかしてやる事はできないのかと目で問いかけてしまう。
その視線を受け止めた彼女は表面上はいつもどおりだ。
後輩が不当に貶められている光景を前にして憤る感情があるだろうがそれを表に出すような事はしない。
しかし、腹の中では俺と同様の怒りを感じているはずなのだ。
彼女は優しい人なのだから。
それは珍しく怒気を含んだ彼女の言葉からも察する事できた。
「そうです。やるならば徹底的に。あの男が嘘を吐いている事を周囲に理解させる必要があるのです」
彼女が深く息を吐く。
それは彼女が真剣になる合図だという事が最近わかってきた。
優しく穏やかな姿の奥に隠れたもうひとつの顔。
“魔女”とあだ名される彼女の叡智が俺に授けられるのだった。
◇
「あぁ~少し良いだろうか?」
そう言いながら俺は騒ぎの中心へと足を踏み入れる。
一斉に視線が俺に集まる。
気持ちよく口汚い言葉を歌い上げていた男が怪訝そうな顔をしてこちらを見やる。
それはそうだ。
この茶番劇に口を挟む人間など居ないはずだったのだから。
頭の中の出席人物を総ざらいしても俺の名前が出てこないのだろう。
当然だ。
俺と魔女の二人はこの男の招待客ではない。
少女が婚約者という立場を利用して捩じ込んだ飛び入り参加なのだから。
「なんだね君は?私達に何か言いたい事でも?」
「あぁすまない。あまり商会のパーティーなどには顔を出すことはないのだが平民のパーティーとはこういう物なのかな?」
「なんだ貴様は……失礼だぞ!」
威圧的に大声を出す男。
彼からすれば予想外だ。
この場において自分が最大の権力者。
だというのにこのような不躾な事を言ってくる者が居るとは思わなかったのだろう。
だが、違う。
ここにはお前よりも権力を持つ人間が紛れ込んでいるのだ。
そして俺は自己紹介をする。
俺の家名はこの国に住む人間であれば貴族社会に顔を出していなくとも知っている大貴族だ。
その俺が目の前で涙ぐむ娘と同じ学園に通っている事は周知の事実。
上流階級の人間の多くはその学園に通うのだから。
「何故そのようなお方がっ!」
「確かに……私、学園でお見かけしたことありますわ」
「正装されてるから最初はわからなかったけど確かにそうだわ」
周囲には同じ学園の生徒が幾人も居たので俺の存在を認知してくれた。
有名になって良いと思った事などあまりなかったがこの時は俺の知名度が一つの武器になったのだ。
俺の存在を認識した男は冷や汗を少しだけかきながらも平静を装う。
「あぁ……申し訳ありません。少し興奮してしまっていたようです。して、私どもに何か?」
俺が出てきたことで計画に多少の歪みが出た事を認識したのだろう。
しかし、それは多少ではない事を今から思い知らせる。
この場に俺と魔女がいた事がお前の敗因だと思い知らせてやるのだ。
「先程から、この娘に対して色々と言っているようだが、それは本当の事なのか気になってしまってな?恥ずかしい話だが私も以前に婚約者とは袂を分かっていてね。世の中には酷い女性がいるものだなと」
俺は努めて優しく問いかけた。
以前に婚約破棄をした事があるという話に目の前の男が少しだけ表情を緩める。
俺が婚約者と別れたという話も学園では有名な話であり、周囲から「あぁ~聞いたことある」という声が囁かれていた。
事実だから仕方が無いのだが少しだけ不満だ。
俺は確かに婚約を解消したが、このような事はしなかった。
そう言ってやりたい気持ちをぐっと堪える。
今やるべきはそんな事ではないからだ。
魔女の指令が脳裏に蘇る。
“今までの言葉が真実だという言質をとって下さい”
俺はこの場に進み出る前に魔女から演劇の台本を授けられている。
あいつらが行っていたのは酷く悪趣味な茶番劇だったが、これから俺が行うのは魔女謹製の茶番劇。
俺は腐っても大貴族だ。
権謀術数渦巻く社交界での経験はそれなりにある。
流れを作る方向を指示してくれれば後は俺がアドリブで組み立てることくらいはできる。
「そうなのです!この女はあどけない容貌を武器に裏では考えられないような悪行ばかりを行っていたのです!男を誑かす悪女ですよ!」
「そんなっ!そんな事私は……っ!」
「えぇい煩い!お前がした事は全てわかっていると言っている!これだけ証人が居るのだぞ!」
一喝された少女が身を竦める。
男は今も自分が優位に立っていると思っている。
予想外の闖入者があったが、どうやら影響は少ないと思っているのだろう。
むしろ、大貴族が味方になってくれれば更に追い込めると思っているのかもしれないな。
残念だがお前が書いた筋書きはここまでだ。
ここからは配役が代わる。
主役だった男が敵に。
敵だった少女がヒロインに代わるのだ。
「で、どうなのだ?それは真実なのか?」
「当然です!女というのは本当に油断なりません。私もこの外見に騙されかけましたよ。あなた様の婚約者とやらも相当な腹黒の碌でもない女だったのでしょう。お察しいたします」
本気でこの男をぶん殴りたくなったが視界の端に映る魔女の姿が俺を冷静に戻す。
彼女はこんな男に何を言われようと気にしないだろう。
「そうかそうか。他の者達も口にしたことに嘘偽りは無いな?」
にこやかな表情で周囲に問いかける。
その言葉に少しだけ緊張したような空気が流れた。
俺の乱入によるアドリブを強制されてしまった者達は早く結末に着地して欲しいと思っているはずだ。
そして、それが思わぬ方向に進む予感を感じたのかもしれない。
申し訳ないが少しだけ付き合ってもらう。
だが、安心して欲しい。
お前達の出番は少ないから問題ないだろう。
ここから先は魔女の掌の上。
お前たちが把握しているつまらない筋書きは存在しない。
「では、その証拠を出していただきたい」
そう言って俺は笑顔のまま男へと手を差し出した。
◇
「証拠……?」
「そう証拠だ。こんな公衆の面前で婦女子を罵倒しているのだ。証拠の一つや二つあるのだろう?」
その言葉に固まる男。
衆人環視の中で少女を貶めているのだから、それ相応の証拠があるのだろうと再度男へと催促する。
しかし、男は動けない。
当然だ。
奴が並べ立てた物は全て嘘。
証拠などあるはずがない事はわかっている。
もしかしたら、挙げ連ねていた罪状の中に一つくらいは真実が含まれている可能性もある。
しかし、この男が糾弾する起点に選んだ証言については嘘だという事が確定している。
この数日間についてはあの娘は魔女の家に寝泊まりしてずっと作業をしていた事実を俺は知っているからだ。
それだけわかれば男の筋書きは崩れ去る。
「何度も言うようにこの者達が見たのです!この女がっ」
「それは証拠ではなくて“証言”だろう。そんな物はなんとでもなる」
俺は周囲を見渡す。
そこには大多数の観客。
他人事だと安全地帯から見守っている者達が居る。
少しだけ手伝ってもらう事としよう。
「そこの君」
「は、はい?俺ですか?」
「そう、そこの君だ。君が連れている横の女性は恋人かな?」
「は……はい。そうですけど……」
魔女が主催の劇は参加型だ。
俺が指名したのは少しだけ無理をして正装をしている男の子。
まだ幼さが残る容姿からして恐らくは俺と同じ学園に在籍している人間、後輩だろう。
あの男が悪評を広めるために招待されていた悪意のない第三者。
彼の横にはこれまた少しだけ背伸びをしたドレスを来ている女の子が居る。
腕を絡めて寄り添う姿から関係性が連想しやすくとても助かった。
「そうか。先日見かけた時と違う女性を連れてきているようだが、こちらが恋人というわけだ」
「なっ!なにを突然!」
「ちょっと!どういう事!?」
突然の俺の暴露に慌てふためく男の子といきり立つ女の子。
今まで他人事だと遠巻きに騒動を見ていたであろう二人へと周囲の視線が移る。
「なんて事を言うんですか!?いくら偉い貴族でも……こんな嘘を吐くなんて!」
「いやいや、俺は確かに見たよ。君はとても美しく大人びた女性と仲睦まじく歩いていた。羨ましいと思ったからよく覚えている」
「大人びた……ちょっと……ほんと酷い……どういう事なの!?」
「嘘だ!でっちあげだ!」
男の子は急に襲ってきた理不尽な疑惑に大声で否定をする事しかできない。
その姿は哀れになるほど必死で、だからこそ真実を言われて焦っているようにも見える。
本当に申し訳ない。
後で誠心誠意の謝罪はしよう。
「そうだ!証拠だ!証拠はあるんですか!突然こんな事言って!」
「無い。何も無い。俺の“証言”だけだ」
俺と男子のやり取りに何人かが気づく。
これは今まで目の前で行われていた事の再現だ。
一方的な証言だけで糾弾されるという図。
演者を変えただけでやっている事は同じだ。
「さぁ、この場合。“浮気がある”と言いはる俺と“浮気は無い”と言う君。証拠を出すべきはどちらだろうか?」
「それは……」
「俺は君がどんな証拠を出して来ても反論しよう。考えられないような可能性を持ち出して否定しよう。そうすると浮気をしていない事を証明はできない。そう思わないか?」
“無い”という事を証明しようとした場合、ありとあらゆる可能性を潰さなければならない。
はっきり言ってそれは不可能だ。
「だから、こういう場合に証明する責任があるのは“ある”とした側。俺が証拠を出す必要がある。そうだろ」
「そっそうです!わかっているなら証拠を出してください!」
「いや、すまない。完全な嘘だ。だから証拠など無いんだ。本当に申し訳ない」
“無い”事を証明するのはほぼ不可能であり、魔女曰く悪魔の証明と言うらしい。
対立する二者が居る場合、証明責任があるのは事実が“無い”と主張する側では無い。
その事実が“ある”とする者にこそ、その責任がある。
これが魔女からの二つ目の指令。
“誰でも良いので外野を巻き込んで下さい。そして証言はどうとでもなるという事と証拠を用意する必要があるのは誰かを明確にして下さい”
巻き込んだ二人に頭を下げて謝罪をする。
急に素直に嘘を認めた俺に感情が追いつかないのか目の前の男の子も女の子も口をあけてポカーンとしている。
「さて、俺は証拠が用意できなかった。嘘だから当然だ。だが、そちらに居並ぶ方たちはそうではないだろう?こんな場所で大々的に個人を貶めたんだ。そんな物は無い……では通用しない」
俺の目が細まる。
にやけ面だった男の顔が引き攣るのがわかる。
お膳立てはこれで終わりだ。
周囲の人間は俺の三文芝居で認識したはずだ。
一方的に証言だけで事を押し進めようという異常さを。
「さぁ。早く出してくれ。俺の後輩を糾弾した理由となる確固とした証拠を。あるのだろう?」
「いえ……急にそんな事言われても……」
「あるのか?ないのか?出せるのか!?出せないのか!?」
先程まで無理矢理に穏やかな表情を作っていたがその必要はもう無い。
笑顔を引っ込める。
威圧感が増すように声量を大きくして怒鳴りつける。
抑えていた怒りを噴出させる。
貴族に相応しい尊大な態度。
この場において誰が強者かを強調するための怒声。
更に近くのテーブルに拳を叩きつけて威嚇する。
あまり良い行いではないがここではそれが役に立つ。
この男の企みは自身が一番強い立場という事が前提だ。
普通に考えればあのような異常な光景を止める者が必ず出る。
だから、誰かが口を挟んできたとしても「黙れ!」の一言で下がらせる事ができなければ茶番劇がすぐ終わってしまう。
主導権を握っていなければ不測の事態が起きた時に「話は終わりだ!」と打ち切る事もできない。
だが、俺にそれらは通用しない。
何故なら俺は間違いなくこの場で一番の権力者だからだ。
「後ろのお前たちもだ!証拠も無しに婦女子を貶めるなど許されんぞ!先程の証言についても後日、私の方で詳細な調査をさせてもらう。本当かどうかは調べればわかる事だからな。そうだな、ウチの諜報担当達の調査課題にしよう。報奨も出せば本気で取り組むだろう」
「そんなっ!」
「嘘を吐いていなければそれで良いだけだ。本当なのだろう?全て……な」
取り巻き達から声にならない悲鳴があがる。
彼等の中には不本意ながら参加していた者もいただろう。
力関係が明確で協力せざるを得ない。
だが、更に上位者からの力が加わればその前提は崩れる。
このまま協力をすれば大貴族である俺を敵にするという事なのだから。
先程までと打って変わって静まり返る場。
そして、最後の一撃が放たれる。
「そもそもですね。ここ一週間は彼女は私の家に泊まっていましたから男性となんて会えませんよ」
人垣の最後方から凛とした声が響く。
静寂に包まれていた場に放たれる真実の一言。
そこには俺に台本を授けた魔女が居た。
主演が俺だったとしたら監督演出助演は魔女だ。
魔女は俺と同様に自己紹介をする。
彼女の家も俺と同等以上の家柄。
国内のあらゆる商売を牛耳ると言っても過言ではない大商会の娘だ。
俺達は本来ならばこの場に居るはずもない人物。
主催の男の配役表には確実に載っていなかったイレギュラーだ。
「私もあの方たちと同じく“証言”だけです。私も嘘を吐いているかもしれません。どちらを信じるかは皆様次第です。でも、私は真実を言っているので発言を撤回する事は致しません」
「そちらの面々も本当の事を言っているのだろう?だが、もしも、もしもだが。嘘を吐いたという者が居れば早く名乗り出た方が良いぞ。誰でも一度くらいは間違いをする。それを許すくらいの度量は俺にもあるからな」
そして、少なくとも嘘が一つ紛れ込んでいる事を俺達は知っている。
その証言を支持していた奴等が嘘を吐いている事を知っている。
だから、最後の指令で全てが終わるのだ。
“取り巻き達に圧力をかけてください。そして逃げ道を作ってください”
そうすればどうなるか?
これから大打撃を負うであろう商会を敵とするか。
それとも国内屈指の大貴族の跡取りと大商会の娘を敵とするか。
二者択一。
「す……すみませんでした!うそ……嘘を……嘘を吐きました!脅されたんです!こう言えって脅されたんです!」
「お、俺もだ!俺も嘘を吐いた!強制されたんです!本当です!そうしないと……俺の家みたいな小さなところは……断れなかったんです……」
離反者が出て終わりだ。
元々、何かの信念があって協力していたわけではないのだから益ではなく害しかないのであれば離反する事に躊躇など無い。
「貴様らぁ!何を言っている!こんな……こんな男のっ……」
「こんな男?それは俺のことか?」
「うぐ……っ」
「言いたい事があれば言って良いぞ。さぁ!さぁ!こんな男に言いたい事があるのだろう!」
軽く凄めば言葉に詰まる。
この程度の姑息な男の胆力などたかが知れている。
普段、魔獣に対している俺からすれば狼狽する男を黙らせる事など造作もない。
その姿を見て次々と証言を翻す取り巻き達。
残されたのは青白いを通り越して紫色のような顔色になっている主催の男。
みっともなく喚き散らす男に周囲から侮蔑の視線が注がれる。
怒りか絶望かわからないが小刻みに震える様は哀れだが同情はしない。
あの男を罪に問うことはできない。
だが、罪に問われなかったとしても何もダメージを負わないかと言えばそうではない。
今後、あの男から卑劣漢だというレッテルが剥がれる事はないだろう。
そのような者がトップに座る商会がどのような印象を持たれるかなど簡単に想像できてしまう。
「災難だったな。あんな男が婚約者など」
そしてもう一人の主役だった少女には同情の視線が集まる。
先程までは糾弾され断罪される悪女だった少女は今では救済されるヒロインとなっていた。
憔悴しきった顔の少女は地面にペタンと座り込んで居た。
「……いえ……ありがとうございます。急にあんな事言われて、私……私……」
泣き出す少女が俺の胸に飛び込んでいる。
肩を抱いてやれば想像以上に小さな身体だ。
元々、小柄な少女ではあったが怯えきっている今は更に小さく感じる。
俺は少女が落ち着くまで胸を貸してやる事しかできなかった。
涙が止まるように柔らかく頭を撫でてやる。
このような少女を陥れようとした男の策略を潰せた事に安堵する。
視線の隅にこちらを白い目で見ている気がする魔女の姿があった事だけが問題であったが。
◇
騒動が明けて数日。
ここは学園の図書室。
あの時のパーティーについての感謝と謝罪をしに私の後輩が訪れていました。
「先輩方、本当にあの時はありがとうございました!無事にあの腐れ男との縁も切れました!」
「おぉ!それは良かったな!俺も慣れない芝居をした甲斐があったというものだ!」
後輩の言葉に対して豪快に笑う彼。
彼にはあのパーティーでは矢面に立ってもらいました。
ああいう場ではどれだけ正しい事を言っても理屈が通らない事があるので先ずは彼に場を整えてもらう必要あったためです。
混沌とした場ではそれだけ声の大きさと人数という物は強いのです。
しかし、彼にはそんなのを物ともしない人を惹きつけ従わせるオーラがあります。
貴族としての貫禄をこれでもかと魅せつけた姿はこの人のファンが見れば感涙物の活躍だったでしょう。
まぁ、私から見てもそれなりに良かったとは思います。
「特にせんぱいはぁ……格好良かったですぅ!流石は学園一の貴公子って感じでしたぁ!」
「そうか?俺は彼女に言われたままにやっただけだったからなぁ」
「そんな事ないですよぉ~もぉ~謙遜するところもぉ~素敵ですぅ!」
後輩とじゃれ付く彼への視線が冷たくなる。
彼がどんな女性にデレデレしようと関係が無いのだが目の前で下手な芝居を見せられればため息も出るという物だ。
「はぁ……そこまでにしておきなさい」
「ほえ?」
「あまり彼を誂わないように。善意で助けてくれた者に対するならば真摯になるべきです。あなたの意図に乗らないという状況も彼次第ではあったのですよ」
私の言葉に反応して少女が彼から離れて居住まいを正す。
眼の前にいる人物が放つ気配がガラッと変わる。
先程までの甘ったるい雰囲気を撒き散らす人懐こい後輩の姿はそこにはない。
急に雰囲気が変わった少女に彼は戸惑っているようだ。
同一人物である事が信じられないほどに纏っている気配を変えた後輩が私達に向き直る。
「この度は私を危機から救っていただき誠にありがとうございます。このご恩はいずれ何らかの形でお返し致します。流石は私の尊敬する先輩でございます。“図書室の魔女”の異名はまさしくでございました」
「な、なんだ……?」
「そして、私のような者の為に身体を張っていただいた貴方様にも厚く御礼を申し上げます。縁も薄く、あなたに利をもたらす者ではない私の為に行動してくださった。その行いに私は救われました。本当にありがとうございます」
片足を引き、 両手で制服のスカートの裾を軽く持ち上げて背筋を伸ばしたまま感謝を述べる。
淑女の礼儀正しい挨拶だ。
先程までの騒がしい少女の姿はそこには無い。
豹変した後輩に彼はついてこれないが、これもまた本当の姿。
女は色々な顔を持つ。
この娘は少し極端かもしれないが。
「……どういう事なのだ?」
「ふふっ……何もわからず踊ったのと、わかった上で踊って頂いたのでは結果は同じであれ違いはあるという事です。勿論、先程までの感謝も決して嘘ではありませんが」
いつの間にか目の間に居る後輩の姿は少女ではなく女性となっていた。
姿形は同じでも発する雰囲気が全ての印象を塗り替えていく。
「もう大丈夫そうですか?」
「はい。あちらの責任で婚約を破棄できましたし賠償金も当初の契約よりも多目に頂くことができました。ブランドにも傷一つ付きませんでした。むしろ前よりも評判が良くなりそうですし」
後輩が妖艶に微笑む。
無邪気に振る舞っていた先程とは別種の魅力が撒き散らされる。
蠱惑的で危うい香り。
その姿からは人を虜にする何かがむせかえるほどに溢れ出ていた。
「私も元々婚約を破棄したいと思ってはいたのです。しかし、私の家に力が無かった頃に結んだ不平等な契約のためにこちら側に不徳があった場合の罰則条項があまりに重かった。なので私から破棄を言い出すという事は現実的ではありませんでした。そもそもスキャンダラスな内容は私のイメージにもそぐわないですし困っていたのです」
明らかに不平等に結ばされた契約。
だが、それがどれだけ理不尽な物であっても結んでしまっているならば従わざるを得ない。
「あちらとしては精神的にも身体的にも色々な物が溜まっていったのでしょう。私がいつの間にか有名クリエイターになりあの男の影響力を上回りそうになったのが一番の原因でしょうが」
「支配するはずだった少女に上に立たれるのは我慢がならないという訳ですか。自分で見出した存在だというのに馬鹿な話です」
「私の全てが想像以上に気に入らなかったのでしょう。だから、あちらも婚約を破棄したいと考えていた。そうなれば後はどちらが先に言い出すか、もしくはどちらが先に落ち度を作るかの我慢比べです」
その言葉に黙って後輩の言葉を聞いていた彼が首を傾げながら疑問を呈する。
「どちらも結婚したくないなら話し合えば良かったのではないか?」
婚約の破棄自体は双方とも合意するはずだった。
だが、あの男には婚約を円満に解消する気が無かった。
責任を相手に擦り付けるにはどうすれば良いか。
賠償を請求する権利をどうすれば得ることができるか。
新しい恋人に対してアピールするポイントに使えるのではないか。
自分のすべての欲を満たそうと男は考えた。
そして、その考えは目の前の少女も変わらない。
円満に解消をしないのであれば相手にできる限りの損害を与えつつ自分の被害を極力減らす。
できる事ならば利益を得られれば最高だ。
相手が殴ってくるのであればどうにかして殴り返す方法は無いのかと考えていた。
単純な話、二人はお互いの頭の中では既に交戦状態だったのだ。
「ふふふっそうですね。円満解消ですか。そうなれば良かったのですが世の男性方はあなた様のように高潔ではないのです。勿論、世の女性方も先輩のように理性的ではありませんが」
女の私でもドキリとするような視線を幼く見える少女が向けてくる。
今の流し目など色気がありすぎて私には真似できそうにない仕草だ。
この娘はよく私が大人っぽくて羨ましいと口にするが、どう考えても私よりも女の武器を熟知しているように思えた。
「私は欲という点では特に問題なく生活をしておりましたがあの人は違ったようですね。近づいてきた女に誑かされたのかどうかはわかりませんが男としての欲が我慢できなくなった。恋愛としての物なのかそれともそれ以外の物なのかはわかりませんが。どちらにせよ、私との関係を切らないまま欲を満たせばそれは不貞です」
クスクスと笑いながら語る姿に愛らしい後輩の面影はない。
隣に居る彼は静かに言葉を聞いているが、その顔は少し引きつっているように見える。
あまり女性に免疫が無い彼からすれば後輩のこのような姿は予想外だったのだろう。
無邪気に見えた彼女の姿は一面でしかないのだから。
「できれば賠償金は払いたくない。責任を押し付けたい。だから、何か問題を起こして欲しい。でも何も起きない。その内に考えたのでしょう。問題を起こさないなら捏造すれば良いと。ふふっ……子供みたいですね。全く可愛くはありませんが」
幼さを感じさせる容貌からは不釣り合いな言葉が彼女の口から紡がれる。
男を手玉に取る女というあの男の評価は当たらずとも遠からずだったと言う事だ。
「ただ、こうまで上手く行ったのはお二方のおかげです。あの場でお二人が私に救いの手を伸ばしてくれる事こそが私の勝利条件。お二人の善意に私は甘えさせていただきました。本当にありがとうございます」
彼女は再度、静かに深々と頭を下げる。
だから、私はこの娘を嫌いにはなれないのだ。
「そう思うなら最初からそういう態度を取りなさい。まったく……」
彼女が努力をして悩んで苦しんで自身のブランドを確立した事を私は知っている。
癖のある性格だが場が明るくなるし何だかんだで一線を間違える事はない事も知っている。
どんな時でも神出鬼没に図書室に現れて何も気にせずに私に資料を請求する姿は好ましい物だった。
そんな娘だから多少の失礼を皆が許してしまう。
私もこの娘に甘くなってしまう一人だ。
だから、不当に貶められようとしていた事を防げたというのは本当に喜ばしい事。
「ごめんなさーい!でもでもぉ私だって恋したいしぃ~先輩がこんな良い男を放流したのが悪いとおもいまーす!」
舌を出しながら甘えるように軽口を叩く。
そんな姿さえも魅力的なのだから質が悪いのです。
◇
そうして彼女は私達に礼を言って去っていた。
残されたのは日常が戻ってきた事に満足している私と理解が追いついていない彼。
「あの娘が色々とわかった上で行動していた事は何となく理解したが……説明してくれるか?」
あの夜に自信満々に立ち回っていた姿が魔獣の王だとすれば、訳が分からずしょんぼりしている今の彼の姿は子犬のよう。
少しだけ可愛く感じてしまう。
「そうですね……まずあの娘はあのパーティーで糾弾される事を予測していました」
「なんだと……?しかし、そんな事を予想していたらパーティーに行かないんじゃないのか?」
「いえ、彼女に選択肢はありません。正式な婚約者から招待されているパーティーです。一度断ったとしてもどこかで参加する必要が出てきます。あの男は彼女が参加した時に計画を実行すれば良いだけですからね。罠があるとわかっていても行くしかない時が来るわけです」
あの時、男が語った内容は全てが嘘だ。
取り巻き達の証言も合わせて完全なでっち上げなのだから、仕掛けるのはいつでも問題が無い。
彼女がパーティーに参加した時にあの茶番劇を始めれば良いだけ。
そして、それを避け続ける事はできない。
だが、それが有利に働く点もある。
「逆に言えば罠が発動するタイミングはあの娘が選べたという事です。出席者を確認し、明らかに違和感を感じたならば罠が仕掛けられてる可能性が高い。後はその場に出向けば何かが起こるというわけです」
「なるほど……」
「あの男の目的は婚約の破棄ではありません。それは確定事項だからです。特に何が無くとも、いつかは賠償を支払ってでも婚約破棄をするつもりだったと考えられます。では何が目的だったか?責任を押し付けるという要素はあったでしょうが第一目標は彼女のブランドに傷を付ける事のはずです。その場合、一番単純な方法はありもしないゴシップを広める事でしょう」
違和感のある出席者。
男に近づいている商売敵の女性。
効果的にブランドに傷を付ける方法。
将来的な敵を潰しつつ自分に有利な条件で婚約を破棄する方法とは何か?
一石二鳥を狙ったであろう企て。
それらを考えて情報を少し集めれば対策も練れる。
「頭の良い娘です。内容もある程度は想像がついたのでしょう。その対抗策として白羽の矢が立ったのが私達です」
「あの騒動を収めるために呼ばれた……という事か?」
「私達はあの娘が仕込んだ毒だったのですよ。何も起きなくても問題は無いし、もしも何かが起きたのであれば正義感の強いあなたは黙っていられないでしょう?私も目の前であのような事が行われれば動きます。あれで可愛い後輩ですから」
しかし、この毒がどの程度の威力になるかは男の出方次第だったはず。
展開次第では男を軽く諌めて終わりなんていう事もあったかもしれない。
だが、あの男は全力であの娘を潰しにかかった。
そうなれば毒の威力はその分増す。
この毒は込められた悪意を倍にして返す物だったのだから。
「自分よりも高位の者が居ない事があの男のプランの前提なのは不自然な出席者を見ればすぐにわかります。その場合、あの娘が招く人物だけが隙となる」
私たちはあのパーティーに正式に招待されたわけではない。
あの娘が主催者の婚約者という立場を利用して無理に捩じ込んだ参加者。
大貴族の後継者と大商会の娘という猛毒。
その毒に男は気づかなかった。
「あの娘が学園の友人を連れてきたという事は男の耳にも当然入っていたはずです。だというのに私達の素性を確認せずに計画を実行した。恐らくは遥かに歳下の成り上がりの小娘に自分以上の権力者との伝手は無いはずだと侮った。全ての事柄であの娘の事を軽んじていた。それがあの男の敗因です」
後は会場で起こった通りだ。
そもそもが破綻している虚偽を並べ立てただけの男を捻じ伏せる事は彼の大貴族としての身分があれば問題は無い。
それがスムーズに行くように軽く私が補佐すれば結果は火を見るより明らか。
出来上がったのは婚約者を悪者に仕立て上げた碌でもない男とその男に騙されかけた可憐な少女。
会場に居た多数の第三者はどのようにこれを話すだろうか?
世間はどちらの味方をするだろうか?
考えるまでもない。
「結果はあの娘の一人勝ちという訳です」
「あんな少女がそんな事を考えていたというのか……いや、考えていたのだろうな。先程の様子を見る限りでは。説明されなければそんな事を考えていたなぞ全くわからんかったぞ……」
何も知らないようなあどけない態度から一転、妖艶な大人の顔になった彼女の姿を思い出しているのでしょう。
女だけではありません。
人間は色々な顔を用意しているのです。
それは悪い事ではなく普通の事。
少女だから、清楚に見えるから、貴族だから、平民だから。
そんな事は多面性を否定する材料にはならないのです。
「ふぅ……全く心配になってしまいますよ。本当に大丈夫ですか?変な女性に騙されたりしてませんか?」
「それは大丈夫だ!毎回、お前に相談しているからな!」
その返答に肩を落とす。
それで良いのか貴公子よと。
もしかして、彼がこうなってしまっているのは私の責任も多少はあるのでしょうか?
「しかし怖いな……女性不信になってもおかしくないぞ……」
しみじみと呟く彼に苦笑してしまう。
後輩のギャップに身震いする姿に保護欲が湧いてしまった。
「前にも言ったでしょう。女は狐だと」
彼の中の女性像は少し理想的にすぎる。
それが見ていて危なっかしい。
関わりが深くなればなるほど目が離せなくなってしまう気がしてなりません。
頼られるのは嫌ではありませんが、少し困ってしまいます。
ですが、今は良いとしましょう。
胸に渦巻く感情が一体何かという証明をする必要が無い限りは問題にはなりませんから。
婚約破棄を告げる事を公衆の面前で行う不自然では無い理由とは、というのがスタートだった話。
ちょっと長くなってしまったけど、ついに苦手だったざまぁを書けた気がしました。
特に読まなくても問題ないように書いたつもりですが、以前に書いた
「逃した魚は大きいようですがもう遅い!何故なら婚約破棄したからです!」
https://ncode.syosetu.com/n3879ha/
「婚約破棄をする前に~迷わず行けよ、行けばわかるさ!だけど少しは考えましょう~」
https://ncode.syosetu.com/n3151he/
と同一舞台です。
拙作ですが、興味が湧いたらこちらも読んで頂ければ幸いです。
元々連作にする予定もなかった魔女と貴公子でしたが予想以上に気に入ってしまったのか三作目を書いてしまいました。
特に予定もありませんが、もし次に書くような事があれば短編ではなくしようと思います。