9.後悔なんてしていない
「本当に別れちゃったのか? いい子だったのに」
オーランドは大きな目をさらに大きくして大袈裟に驚いて見せる。
お土産に、と三人お揃いの帽子はとにかく派手で、シルヴェスタはそっと鞄に仕舞った。ウェスは気に入ったようでさっそく着こなしていた。
「ああ、エミリアは最近忙しそうですれ違ってばかりだったんだ。アンジーは、」
「おい、アンジーってまさか……」
ウェスは顔色を変えてシルヴェスタに詰め寄った。
「この前偶然通りで会ったんだよ」
二人の疑うような視線が痛い。二人はアンジーが待ち伏せしていたと思っているのだ。
「……いくらぼったくられた?」
「そんなんじゃないって、久しぶりにアンジーの好きな酒を一緒に飲んで……」
「おいおい、まさかあの色がついただけの、ただの水のことじゃないよな?」
「俺たち、あの夜で懲りただろう?」
オーランドが心配そうな顔をしている。以前三人で飲んだ日、とんでもない金額を請求されたのだ。シルヴェスタだって忘れている訳ではない。
「あの時は仕方なかったんだよ。彼女だって仕事だったし……これからは、」
シルヴェスタは言葉を切った。
「……? どうした?」
「いや、何でもない」
これ以上はまだ話してはいけない。アンジーから口止めされているのだ。彼女の夢について、叶ったら二人を一番に招待するのだから。質の良い酒を提供する、居心地の良いバーを作るのだと張り切っていた。その為に力を貸して欲しい、と。
「そうだ、今朝の新聞を見たか?」
オーランドがバサッと新聞を広げる。そこには一面にクラウス・グレンジャー公爵の写真が掲載されていた。肩まで伸びた髪をひとつに結び、精悍な顔つきで前を見据えている。随分遠くから撮影されているせいでぼやけているのだが、それでも美形であることが窺える。
「……グレンジャー公爵がこの町に来てるのか?」
「ああ、なんでも花嫁候補を探しているとか……」
「また社交界が騒がしくなるな……"ここは可能性の町"だってさ、また取り締まりが厳しくなりそうだな」
シルヴェスタはその左下に、小さな記事が掲載されていることに気付いた。隣町の伯爵が結婚したこと、ほとんどの人間はさほど興味を持たない欄かもしれない。
それはエミリアの元婚約者の名前だった。彼女はこのことを知っているだろうか。少しは自由の身になれたのか、もしや屋敷に戻ることができるのだろうか。
遠くで教会の鐘が鳴り響く。少しの罪悪感も、この記事を読んで吹き飛んだ。次の瞬間には、ジルヴェスタはアンジーとの幸せな未来だけを思い描いていた。