3.天賦の才能
エミリア・ソーンは狭い部屋の中で一人溜息を吐いた。家出資金がそろそろ底をついてしまうからだ。
この町で最低限の生活ができる安宿は、ぴったりベッドだけしか入っていない部屋で窓もない。時折隙間風が吹いて、隣の部屋から大きな笑い声が聞こえてくる。
エミリアの部屋のクローゼットよりずっと狭い。
こんな部屋にお母様が入ったらきっと窒息してしまう。気が狂ってしまうかもしれないわね。
ーー結構いけると思ったんだけど……。
手元に残ったコインをジャラジャラと数えながら、エミリアはそっと目を閉じた。思い描いていたのは、今よりもう少しマシな生活だった。
それなりの部屋に住んで、パーティーで知り合った男性と恋に落ちる。ちょうど、この仕事に罪悪感があったのよ。ここから連れ出してちょうだい。
ーーなんてね。
実際には埃っぽい部屋の中で、特に罪悪感を抱く訳でもなくコインを数えている。
離れた町とはいえ、正体がバレるかもしれないと思ったが、彼らはみなエミリアの顔なんて見向きもしない。見ても、「結構若いし、美人じゃないか」なんてお世辞を言うくらいで、まさかソーン家の伯爵令嬢だとは思いもしないようだった。何人か見た顔もあったけど、恐らく誰一人気付いていない。少し寂しい気持ちもあったが、その方がむしろ好都合だ。
彼女に占いの才能なんてものはない。以前住んでいた屋敷の裏の通りに店を開いていた年老いた占い師を師匠として教わってみたりもしたが、丸い水晶をぼんやりと見ていても何ひとつピーンとくるものなんてなかった。
嘆くエミリアに、その占い師は優しくアドバイスをしてくれた。基本的なことだけ覚えて、後は相手の悩みを聞いてあげたらいい。ただ寄り添って、話をすること。
ただし、ワンコイン以上報酬を受け取ってはならない。それは本当に占いの才能があって商売している人への冒涜になる。
「それって詐欺じゃないの?」
「金持ち相手の、ほんの余興だろう?」
年老いた占い師はそう言って笑った。
「あいつらは本気で悩んでいたらもっと金を出して"本物"を探す。だからいいのさ。あんたは聞き上手、話し上手、それは天賦の才能だね」
いい稼ぎ手になるよ、と手でコインをじゃらつかせる仕草をして見せた。
「ありがとう。私ね、町を出ようと思うわ」
「それがいい、あんた商売敵になるようだからね」
目を細めて楽しそうに笑った。
「最後に、私のことを占って。私、親が決めた相手と結婚なんてしたくないの。よく知らない人だし、私より二十も年上なの。この町を出たら、私は幸せになれるかしら?」
そうだねぇ、と手元の水晶をひと撫でする。エミリアにはやっぱりただの飾り物にしか見えないのだが、彼女には何か視えているのだろうか。
「……これからはきっと、大変になるよ。でもあんたなら大丈夫、運命の出会いがあるよ。今までのことが全て報われるような素晴らしい出会いがさ」
エミリアは、ほっと胸を撫で下ろした。未来が少し明るく見えた。
「ありがとう。お代はおいくら?」
弾む声でエミリアは持っていた財布を取り出した。紙幣が二、三枚あることを確認する。
「ワンコインだよ」
驚いて顔を上げると、年老いた占い師はしわくちゃの手を差し出して、にっこりと笑ってみせた。
「ああ、チップは別だよ」
エミリアはふっと、思い出して笑った。まんまとチップを請求したあの占い師はなかなかの遣り手だった。
『君の言うことは元気が出るよ』
あのバーチ家の……シルヴェスタという青年は優しく声を掛けてくれた。それが、今のエミリアにどんなに勇気を与えてくれたか。
「……明日も頑張ろう」
エミリアは一人呟いた。