12.一緒に
その頃、シルヴェスタはアンジーの新しい店の準備に追われていた。
「この花はどこに置いたらいいかな?」
シルヴェスタは届いたばかりの大きな花束を抱えてアンジーに訊ねた。
「まあ、綺麗なお花……! これもシルヴェスタが?」
「ああ、もちろんだよ」
「お店を開く為のお金だってたくさん出してもらってるのに……ありがとう、シルヴェスタ」
「君の夢を叶える手伝いが出来て嬉しいよ」
白を基調とした壁と家具に、紫色の花がよく映える。棚も小物も全て彼女が望むように仕入ることが出来た。隣国から取り寄せないと手に入らない食器や、何年も待たないと入荷しない酒も、バーチ家の名前を使って今日に間に合わせることが出来た。
愛する女性の為ならなんでも出来る。男は頼りにされてこそ、と考えているシルヴェスタは、達成感と優越感に浸っていた。
「……でもさ、最初に仕入る酒の量、少し少なくなかったかな? 見込み客の数と合わないんじゃないかな……」
「あれくらいで平気よ」
アンジーは慌てる風でもなく、さらりと言ってのけた。
「この野菜……本当にこの町のものか?」
シルヴェスタは厨房にいた少女に声を掛けた。彼女はアンジーが雇ったウェイトレスの子だ。
「……?」
少女はビクッと体を震わせた。華奢な細い肩が揺れる、ここでは珍しい赤い瞳に、赤い髪。すっとした美しい顔立ちと相まって不思議な魅力がある。伏せた瞼には、アンジーが丁寧に化粧を施したようだった。
思わず無遠慮な視線を送ってしまったことに気づいた時は、もう遅かった。彼女はシルヴェスタからすっと距離を置いてしまった。
どうやら驚かせてしまったらしい。シルヴェスタは慌てて言葉を付け足した。
「ごめん、驚かせてしまって……でも、この野菜あまり見ないから……これ、知ってる?」
アンジーの話では、店で使う料理は全てこの町で穫れたものを使うとのことだった。仕入れはアンジーが行うが、資金はシルヴェスタが出した。隣国の野菜は安く手に入るのだが、あまりこちらでは好まれない。
シルヴェスタは以前オーランドにお土産で貰ったことがあった。
謎のその野菜は確か……そうだ、"キュウリ"だ。
だが、こちらで馴染みのある緑色のものではなく、それは目が痛くなるほどのピンク色で、とにかく丸い。
ふと、少女の方を見ると怯えた表情のまま一言も
発さない。まさか、と思いシルヴェスタは訊ねた。
「まさか……言葉が分からない?」
出来るだけ怖がらせないように、シルヴェスタは精一杯の優しい声と表情で語りかけた。
「……?」
少女はシルヴェスタの表情につられて、ヘラッと気の抜けるような可愛らしい表情で微笑んだ。
「おいおい、嘘だろう……?」
シルヴェスタはようやく事の重大さを理解し始めていた。酒場で、異国の少女を雇うのは、この町では罪になる。何かトラブルに巻き込まれる可能性があるからだ。だが、特別な理由があって働かざるをえない少女たちは、何とかして雇ってもらおうとする。安い給料でよく働く少女をこっそり雇ってしまう酒場もあるが、バレたら重罪だ。
シルヴェスタは血の気が引いていくのが分かった。この店はいくつもの罪を犯している……これは国外追放レベルだ。
『取り締まりが厳しくなるな』
ウェスの一言を思い出した。そうだ、いま公爵が町にいるのだ。彼はこの町を変えようとしている。ただでさえ、この町の酒場はグレーゾーンな店が多い。違法なほど高いアルコール度数の酒を出したり、ウェイトレスの制服の露出が多かったり。
公爵はそれを許さない。だとすれば、この時期に新しく出す店など余計に厳しい目で見られるのではないか。
シルヴェスタは噴き出す汗を拭った。自分は金を援助しただけであり、いざとなればどうにでも逃げることが出来る。そう、自分に言い聞かせていた。
看板にはゴールドの文字で"S.ANGIE"と書かれている。スペシャル・アンジーとでも言いたいのだろうか。
それでもまだ、彼女を信じていたかった。シルヴェスタは"許可証"を探した。これさえあれば、万が一不備があっても間違いだった、と誤魔化せる。
だが、どれだけ見回してもそれは見つからない。許可証は目立つ所に貼らなければいけないのに。
「ねぇ、アンジー。許可証を貼らなくていいのかな」
恐る恐る訊ねる。
「ああ、まだ届いてないのよ。平気よ、信頼出来る口の
堅い子だから」
明後日が開店だというのに許可証が届いてないなんて不自然だ。それに、アンジーの口ぶりからして確実に偽物の許可証だ。
「いい加減にしてくれ、アンジー……!」
我慢ならずにシルヴェスタが声を荒げた瞬間だった。電話のベルがけたたましく鳴り響く。
アンジーは、シルヴェスタをやんわりと制する。
「ええ、シルヴェスタ・アンジーです。許可は取っているのかって? ええ、もちろんです。……そのことは、共同経営者に聞いてください」
アンジーは丁寧に答えている。あのSはスペシャルでも、スーパーでもなく、シルヴェスタだったのか。本来なら舞い上がるところだが、今は状況が悪い。シルヴェスタは複雑な気持ちだった。
それに、共同経営者がいたなんて話も初耳だ。
「ええ、共同経営者はシルヴェスタ・バーチです」
シルヴェスタは耳を疑った。彼女は悪びれもせず余裕たっぷりに笑ったりしている。
「ええ、それではまた。……残念ね、シルヴェスタ。開店は延期になりそうよ」
受話器を静かに下すと、アンジーは困ったような、それでいてどこか他人事のような表情で溜息を吐いた。
「待ってくれ、俺は何も……」
関係ないじゃないか、思わず喉まで出た言葉をシルヴェスタはぐっと飲み込んだ。だが、言わんとしたことはアンジーに通じたらしい。
「お店の内装も出資も、全部貴方がしてくれたじゃない。そんな顔しないで、これからよ。そうだ、明日は町から出ないでほしいそうよ」
ーー俺の人生は終わった。
シルヴェスタは近くにあったソファに力なく座り込んだ。ふかふかで気持ちの良い肌触りのソファは、シルヴェスタが特注で作らせたものだった。




