11.貴方の正体
「さっき、そこの落とし穴に落ちてしまったんだが」
「え、どうしてそんな所に落とし穴が?」
彼女は目を見開いて、その大きな穴を覗き込んだ。謝罪よりも先に興味の方が強かったらしく、クラウスが止めなければ頭から落とし穴に落ちていたかもしれない。
細い腕を掴んで、少しだけ落とし穴から遠ざける。目を離すと、再び穴の底を覗きに行ってしまいそうだ。
「……君の言った通り歩き出してすぐに右に曲がったら落ちたんだ」
「……」
察しの悪い彼女に、咳払いを一つしてから一気にそう告げると、彼女の顔が青褪めた。
「ごめんなさい……まさかそんなところに落とし穴があるなんて思わなくて、あの、お怪我は……?」
私ったら、本当にごめんなさい……。心の底から申し訳なさそうに、何度も頭を下げている。
その様子に、クラウスは少し心が痛んだ。最初は腹も立ったが、わざわざ彼女を呼びつけたのは少し揶揄ってみたかったというのもある。
「あのね……こんな偶然信じられないかもしれないけど、私は落とし穴なんて掘ってないわ。本当よ」
落とし穴を掘ったのはモリーネ卿の息子たちらしい。それに気付いたのはパーティーが始まってからだった。土を埋める間もなく、慌てて注意書きをして、本来なら人が立ち入らないように見張りがいたらしい。偶然にも、見張りが目を離した隙にクラウスが通り掛かったという訳だ。
「……わかってるよ」
思わず笑いながらそう声を掛けると、エミリアがビクッとした表情でこちらを見上げた。
「ただ、君のあまりのポンコツっぷりが可笑しくて呼んだんだ」
驚いたような表情のまま、エミリアは頭の中を必死で整理しているようだった。
「まったく……"許可"は貰ってるんだろうね」
この町では"占い師"と名乗るには、前科の無い経験を積んだ占い師に許可証を出してもらわないといけない。きちんとノウハウを教えましたよ、と言う証明なのだ。これがないと詐欺罪になる。酒場の多いこの町では酔っ払い相手に、トラブルが多い。
「ええ、ほら。許可証よ」
許可証を貰うのはそれほど難しいことではない。「荒稼ぎするんじゃないよ」と釘を刺されるくらいだ。本格的に占いをやるには、きちんと勉強して自分を高めなくてはいけない。その上で、きちんとした報酬を頂ける。
エミリアのような"なんちゃって"占い師は、それ相応の額しか受け取ってはならないという掟がある。
「あれより高い金額を請求していたら違法だぞ。国外追放だ」
クラウスは許可証を一通りじっくりと見ると、エミリアに釘を刺すように言った。
「わかってるわ、大丈夫」
「それなら、良かった。さっき君の話を聞いたんだが、結構有名らしいじゃないか」
「……私が?」
「ああ、パーティーには引っ張りだこ、君と話したいって人が大勢いるんだって。……占いは、てんで当たらないけど」
エミリアの顔が一曇る。クラウスはしまった、と思った。
「冗談さ」
ほんの冗談のつもりだった。愛嬌があってそこも魅力だと思ったが、思えば彼女は努力をしていた。くしゃくしゃに握られた小さなメモに、びっしりと書いた文字を見たではないか。
「いいの、わかってるわ……貴方をこんな目に遭わせてしまって、もう次はないわ」
「大袈裟だよ」
「そんなことないわ……本当にごめんなさい。この仕事は向いてないかもしれないわ」
「そんなことはない。君と話をしていると癒される、噂通りだった。才能があるんだから、可能性もたくさんあるよ。ここは"可能性の町"だ」
クラウスはハッとした表情で俯いた。ついカッとなって熱く語ってしまった。
ーー可能性の町、それは祖父から引き継いだ言葉だった。酒場の多い町は活気がいい、それをマイナスの方向に向けてはいけない。プラスのエネルギーに変えていかなくては。
「……なんだか、まるで王族の方のような物言いね」
気恥ずかしさに顔を逸らしていたクラウスだったが、エミリアがようやく笑顔を見せたのでほっとしていた。
「一応王族だからね」
そう言って悪戯っぽく笑う。まだエミリアは気付いていない。
「……なんですって?」
「ほら、あそこの新聞に記事が出てる……」
近くのテーブルに丁寧に畳まれた新聞を指差す。エミリアは勢いよく、その新聞を広げた。
「……?」
手元の新聞とクラウスを何度も交互に見比べている。
「最近時間が無くて……まともに新聞なんて読んでいなかったわ。あら、本当、でも実物の方がずっと素敵ね……」
「ありがとう……そんなつもりで見せたんじゃないけどな」
クラウスは照れたように微笑んでいる。
「待って……そうじゃなくて、貴方がクラウス公爵なの? 」
「ええ、クラウス・グレンジャーと申します。ミス・エミリア・ソーン」
クラウスはそう言って、エミリアの手の甲に恭しく口付けた。
「グレンジャー公爵、貴方も人が悪いのね。黙っているなんて」
エミリアは拗ねたように口を尖らせると、再びクラウスの記事を読み始めた。
「花嫁候補を探しているの?」
「でたらめさ」
クラウスには彼女の反応が新鮮だった。驚いてはいたものの、だからといって自分に媚びたりせず、朗らかに笑っている。
それに、挨拶の仕方や身のこなしがスマートだった。とても余興を生業にしていた娘だとは思えない。それなりに売れっ子だというから、そのおかげで染み付いたものだろうか。ミステリアスなその違和感も魅力的に思えた。
ここ最近の社交界で出会う女性といえば、みんな目の色を変えて近づいて来るものだった。それはクラウスに魅力がある訳ではなく、みんな"公爵"という肩書きを見ているとわかっているから余計に辛いのだ。ただ話をする、ということさえ困難だった。少しでも長く話したり、楽しそうにしていると、すぐに"花嫁候補"だと騒ぎ立てる者がいるからだ。
「大変なのね」
さっきまで、視線を泳がせながらカードを読んでいたかと思えば、今度は目元を綻ばせながら隣で記事を読んでいる。
ーー純粋な気持ちで楽しいと思ったのは久しぶりだ。
穴に落ちた、という大事件のせいでもあるかもしれない。
「……あら」
彼女が不意に口元を押さえた。
「どうかした?」
「いいえ、なんでもない」
エミリアはそう言って首を横に振ったが、頬に僅かに赤みが差している。何か嬉しい記事でもあったのだろうか。
「グレンジャー公爵?」
遠くでモリーネ卿が呼ぶ声がした。
「もう行かないと」
クラウスは名残惜しそうに言った。
「ええ、本当にごめんなさいね」
エミリアはクラウスの瞳を見つめながら、もう一度謝った。何度謝罪しても足りないくらいだと思っていた。
「……君の占い、あながち外れてないよ」
去り際に、クラウスがそっとエミリアの耳元に口を寄せた。
「だって、君と出会えた。これが運命じゃないか?」




