10.新しいこと
「私が花嫁を探しているだなんて……適当なことを書くものだな」
クラウス・グレンジャーは深く溜め息を吐いた。モリーネ卿の主宰するガーデンパーティーは、僅かに男性の方が多いように感じる。この町で暮らしている者同士の交流を深めたいらしい。
「あら、私は貴方の花嫁候補を探しているわよ」
クラウスの母はぴしゃりと言うと、「私もあちらで交流を深めてくるわ」と、昔馴染みの友人に連れ去られてしまった。
母はこちらにも馴染みの知り合いがいるようだが、クラウスはまだ馴染めていなかった。パーティーや晩餐会に出れば別よ、と言う助言を信じてクラウスは辺りを見回した。みんな彼より一回りは年上に見える。丁寧に会釈し、二、三当たり障りのない会話を交わしていく。
ふと、遠くのテーブルに退屈そうな顔で座っている女性が目に入った。華やかな薄紫色のドレスに身を包み、同色の小さな帽子をちょこんと頭に乗せている。最初は誰かの
同伴者かとも思ったのだが、手元を見るとタロットカードをパラパラと広げては仕舞う、というのを繰り返している。
ーー珍しいな、余興に占い師を呼んだのか。
若い女性が集まるようなパーティーならともかく、モリーネ卿のような堅苦しい男性が招くとは思えない。もしかしたら、夫人が気を利かせて雇ったのだろうか。だとしたらほんの少しミスマッチだったかもしれない。可哀想に、占い師も自分が場違いであることに居心地の悪さを感じているようだ。
クラウスは興味半分でその占い師に近付いた。
「占いが出来るの?」
そう声を掛けると、占い師はパッと顔を上げた。俯きがちでいたから気付かなかったが、まだ若く思わず声を失うほど美しい。大きな丸い瞳はエメラルドのように輝いている。風にそよそよと揺れる髪もよく手入れされ、太陽の光を浴びてきらきらしていた。
一瞬、このパーティーのゲストだったのかもしれないとクラウスは怯んだ。あまりに気軽に声を掛け過ぎてしまったことを後悔した。
「ええ、ワンコインよ」
白い歯を見せてにっこりと笑う彼女に、クラウスは心の底から安堵した。
「貴方の名前は?」
タロットカードを、まるでトランプゲームでも始めるように目にも留まらぬ速さで切っていく。
タロットカードの占いってこんな風だったかな? と思いながらも、目の前の女性が本当に自分のことを知らないことにも驚いてしまう。
ーーいやいや、自分のことを知らない人間だっているだろう。驕り高ぶったことを……。
自分が恥ずかしくなったクラウスは、気を引き締めようと自身の頬を小さく叩いた。
「……? どうかしました?」
「いや、何でもない。私はクラウスだ、クラウス・グレンジャー。君は?」
「……」
彼女は突然神妙な面持ちになって黙ってしまった。
もしかしたら、名前を出したせいで気を遣わせてしまったのかもしれない。せめて名前だけにしておけば……とにかく、気にするなと伝えなくては。
クラウスはこれまで"公爵"という肩書きだけで忖度される気まずさを身に沁みて理解していた。
気を遣わせている、というのがわかるのでこちらも申し訳ないし、気にするな、と言っても相手だってそうもいかないのも理解しているつもりだ。
「あの、どうか気にしないで……」
言い掛けてからクラウスは気付いてしまった。彼女はクラウスを見ていない。テーブルの下、自身の膝の上を見ている。
「現在、過去、未来……」
丁寧な字でびっしりと書かれたメモには、何やら字とは見合わない謎の絵がいくつか描かれている。カードの絵柄かもしれない。
「……それ、獅子か?」
彼女は小さく笑って視線を彷徨わせた。
「おい、大丈夫か?」
あからさまに不慣れな様子に、クラウスは思わず噴き出した。
「君の名前は?」
「私はエミリア・ソーンよ。ごめんなさいね、もう大丈夫よ」
彼女は再び膝の上の紙に視線を落とすと、またにっこりと笑う。子どもみたいな無邪気な笑い顔に、思わず気が抜けてしまうようだ。
「エミリア、私はこの町に来たばかりなんだ。どうかな、今日の運勢は?」
「それじゃあ、貴方が知りたいことを思い浮かべながらカードを混ぜて」
白くて細い指先が、クラウスの手に僅かに触れた。
「わかった」
クラウスは言われた通り頭の中で質問を繰り返しながら、カードを混ぜた。
「貴方、さっきこの町に来たばかりと言ったわね?」
「ああ、そうだ」
彼女は真剣な面持ちで、時折気遣うようにこちらに微笑みながらカードを一枚ずつ裏返しのまま並べていく。
不慣れな様子に最初はこちらまで緊張していたのだが、カードの位置は迷うことなく並べてみせた。
「私も新参者よ、仲間ね。大丈夫、今日の貴方は最高に幸せよ。この町に来て良かったって思えるくらい、素晴らしい出会いが待ってるわ。はじまりって、わくわくが大切だもの」
鈴の鳴るような、心地の良い声で朗らかに笑う。彼女にそう言ってもらえると、本当に良いことしか起こらないような幸せな予感がする。占い師としては、最高の才能だ。
「ありがとう、そう言ってもらうと本当に良い日になりそうだよ」
だが、彼女がクラウスの引いたカードを一度も見ていないことにも気付いていた。
「……ところで、占いではどう出てるんだい?」
「そうねぇ……」
エミリアは何事もなかったように、カードをひっくり返していく。
「戦車……戦車が右だから、えっと、このカードは……おかしいわねぇ」
途端に歯切れが悪くなる。
「おい、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ。そうね、次に歩き出すとき、右に曲がると素敵な出会いが待ってるわ、えっと……それは運命の出会いよ」
それじゃあね、彼女は急に慌ただしく荷物を纏め始めたかと思うと、さっとテーブルか離れてしまった。
ーーまったく、逃げ足が速い。
追い詰めるつもりではなかったのだが、値段の設定と努力を垣間見たことから許されるが、詐欺だと思われても仕方がないほどの不慣れっぷりだ。
それでもこの町で"占い師"として余興をするくらいなら、それなりに勉強してきているはずだ。
クラウスは彼女の言うことを信じて右に曲がった。薄暗いが、広間までは近道だったはず。
歩き出した一歩は、そのまま地面に沈んでいく。ふわっと体が浮いたと思った次の瞬間には、クラウスは柔らかい土の中に倒れていた。
「……」
ーー空が青い。
「クラウス・グレンジャー公爵様!」
血相を変えた使用人たちが一斉に集まってくる。大の大人が四人掛かりでクラウスを引き上げる。幸いにも乾いた土で、特に怪我もないのだが、みんな今にも泣き出しそうな顔をしている。あまり騒ぎになると、他のゲストに気付かれてしまうので恥ずかしい。今のところ、一緒に来ていた母にも気付かれていないようだ。
「本当に申し訳ありません、もう少し私どもが注意書きをしっかりと掲げていれば……」
ふと、自分が歩いてきた方角を見るとそこかしこに『この先注意!』『立入禁止』と太い文字で書かれている。
「いや……こんなに注意してくれていたのに、気付かない自分がどうかしていたよ。助けてくれてありがとう」
「何か他にご入用なものはありますか?」
着替えは汚れていないから、と丁重に断った。その代わり、主宰のモリーネ卿にも知られないように、と頼んだ。落とし穴に落ちたなんて絶対に知られたくない。
「さっきまであそこに座っていた女性を呼んできてもらえないかな?」




