今から死ぬはずだった少女は死神に出会う
その少女はマンションの屋上にいた。制服を着た少女は何も考えられていないような様子でフェンスに駆け寄り、乗り越えようとした。
自殺だろう。
そんな少女に声をかける者がいた。
「ねぇ君の魂あたしにくれない?」
誰もいなかったはずの場所から聞こえてきた声に少女は驚き、戸惑っていた。それと同時になんでこんな時にと怒りも感じていた。
「だ、だれですか?」
少女はなんとか絞り出すように掠れた声で聞いた。
「君に魂を貰いに来た死神だよ」
死神と名乗る女は笑いながらそう返した。見た目はいかにも死神という黒いローブを身に纏い、その手には大鎌が持たれていた。
「そう怖がらなくていい」
少女の足は震えていた。
死神に恐怖しているのか、死への恐怖が今になって襲ってきたのかは分からないが。
「わ、私の魂ですか?」
こんな状態でも少女は何とかして今の状況を理解しようとしている様子だった。
それに対して死神は、茶化している様子などなく淡々と会話を続けた。
「うん。君、今死のうとしてたでしょ?だからどうせなら貰えないかなって思ってね」
少女はまだよくわかっていない様子だったが、死神の軽い口調に少しづつ足の震えは収まっていた。
「魂を貰うってどういうことですか?」
少女は質問を続けた。冷静なように見えるが、死神という存在に何の疑問も持っていない時点で冷静ではないだろう。
そんな少女の質問に死神は少し考えるような素振りを見せて難しそうな顔をした。
「難しい質問だね。あたし達死神は人間の魂を食べることで生きているんだが、死ぬ直前の人間からしか魂を取ってはいけないんだ。あたしは最近、全然魂を食べれてなくてな」
「そういうことなんですね」
少女は徐々に落ち着きを取り戻していた。足の震えはもうすでに止まっていた。
「だから最後の人助けだと思ってさ」
今から死のうとしている少女に何か頼み事をするのは酷な気がするが死神にとってはそんなことは関係なかった。
死神は「頼む」という顔をして手を合わせた。
「わかりました。どうせ今から死ぬなら最後くらい誰かの役にたってもいいですからね」
少女は少し微笑んでそう言った。
「本当か!?ありがとう!」
死神は嬉しそうにそう言った。本当に腹が減っていたのだろう。
「だから最後に私の話を聞いてくれませんか?」
そんな死神に少女も話を聞いてほしいという要求をした。
死神は優しい表情で「いいよ」といった。そしてその魂を上げることに対しては安すぎる要求に、「本当に話を聞くだけでいいのか?」と死神は聞いた。
「今更ここから離れるのも嫌ですし、話したいこと全部話せたらちゃんと成仏できます」
少女は冗談をいうように笑って言った。
「君がそういうなら話を聞くよ」
「ありがとうございます」と死神にお礼を言うと少女は話し始めた。
「私学校でいじめられてたんです。ある日教室に入って席に着くと周りの子達はみんな私から離れていったんです。はじめは何かしちゃったかなとか、明日になったら普通に戻るかなとか考えていました。だけど次の日もその次の日もそんなことが続いていじめられているんだって思いました。そんなことが続いて段々保健室にしか行かなくなって、何日か学校に行かなくなって、今はもう学校には行ってません」
「それが死ぬ理由か?」
「まぁ、それもありますが・・・・・・」
少女はどうやらいじめだけで死のうとしているわけではないらしかった。
「実は私、恥ずかしながら小説を書いていたことがあるんです」
「小説?」
死神はいじめとは全く違う話に少し疑問もありながら少女の話を聞いた。
「私、昔から小説家になるのが夢だったんです。それで学校に行っていない間もずっと書いていたんです」
「いいことじゃないか」
死神は少女を肯定した。何か好きなことがあることはいいことだと死神も知っていた。
「ただ母親に書く道具を全て捨てられたんです。それでも何とか親の目を盗んで書いていました。でもある日それがばれて、母は私を叩いて、学校にいけないんだから家で勉強しなさいって。本当に酷いですよね」
そう言う少女は笑っていた。笑っていないと自分を保っていられないように見えた。
「きっとこんなところ逃げ出して生きていくことだってできるのかもしれません。だけど私はそんなに強い人間じゃなかったんです」
「そうか・・・・・・」
死神にとって死ぬ理由を聞くのは初めてだった。今まで会った人はほとんどが死への恐怖でまともに話ができなかったからだ。
「こんな面白くもない話に付き合ってくれてありがとうございました」
「いや、面白かったよ」
これは本心だった。
最後に少女は死神のほうに駆け寄り、下から顔を覗き込んだ。
「ここに来てくれたのがあなたでよかったです」
死神はそんな少女の行動に一瞬驚いていたが、「それはよかった」と返した。
「それじゃあ私死にます」
「あぁ」
そういうと少女はフェンスのほうに歩いて行った。
死神にとっては何度も見てきた光景だった。
死神は少女の背中に向かって鎌を振りかぶった。
その瞬間くるりと少女は死神のほうを向いて、口を開けた。
「死んで、ステルベン」
死神は一瞬、少女の言葉の意味が理解できなかった。
しかし自身の胸を貫く鎌を見て全てを察した。自分はこの少女に騙されていた。
「どうして・・・・・?」
そう言う死神に対して少女は先ほどまでとは全く違う人のような冷たい声で言った。
「あなたが私のお父さんを殺した日から私はずっと殺してやろうって思ってたの」
それを聞いた死神は後悔の表情をしたあと、「すまない」そういって灰のようになって消えてしまった。
「私の演技うまかった?んふっ、あはっ、ははは、ははは」
少女は笑った。そして泣いてもいた。
「これでよかったのか?」
消えた死神の後ろに立っているもう一人の死神が少女に話しかけた。
「うん。やっと殺せたよ。お父さんを殺した奴をさ」
ある夏の日、まだ幼かった少女は自分の父親が大きな鎌を持ったよくわからない人と話しているのを見た。
その日から父は何かに恐怖するような様子になり、その数日後に少女の父親はマンションの屋上から飛び降りた。
自分の父親はそんな死に方をするような人じゃなかったことだけは知っていた。いつも冗談を言って少女を笑わせてくれていた父親は自分を置いて自殺なんかする人ではないと。
だから少女はあの日見た大きな鎌を持った女が自分の父を殺したのだと思った。だから自分もその女を殺してやろうと思った。
しかし大鎌を持ち、黒色のローブその女の正体が死神であるとわかった時、もう殺すことはできないのだと悟った。復讐だけが生きる希望だった少女にとってその事実は生きる意味がなくなったのと等しかった。
そうして生きる意味を失った少女は父親が死んだ場所と同じ場所に立ち、天を仰いだ。
そんなときに目の前に現れたのが死神だった。彼は少女の魂が欲しいと言った。
だから少女は魂をあげる代わりにあの女を殺すことをお願いした。
その願いを少女は今日叶えた。父が死んだあの日からずっと持っていた願いを。
「ありがとうアベラルド。私の我儘を聞いてくれて」
「いいんだよ。そう言う約束だったからな。それにあいつは死期の近くない人間を殺した、死神のなりそこないだ」
アベラルドと呼ばれる男は表情を変えることなくそう言った。
「そうだね。じゃあもらっていいよ」
そう言うと少女はアベラルドの方を向いて両手を広げた。
「じゃあな伊邪木那美」
そう言ってアベラルドは鎌を振りかぶった。
「ばいばい」
そういう少女は笑っていた。