最後の人類、遠き落日に禁断の果実を食む
「最後に白米を食べたのはいつのことだっただろう?」
モトアキは廃墟を見下ろし、つぶやいた。
誰に、というわけではない。
下界に動くものの影はない。声すらも、さながら無響室にいるかのごとく、複雑に崩れて重なったコンクリートの隙間に吸い込まれて木霊になることすらないのだから。
はぁ、とため息が聞こえた。
「だから言ったでしょう。おからクッキーを食べておいてくださいと、あれほど。それから下に声を投げるのはいけないと、子供の頃に道徳で習いませんでしたか?」
「えー、学校とか行ってたの? 真面目か」
「はぁ、違いますよ。親はどういう教育をしていたのかと言っているんです」
まったく、と、ドライフルーツを水で流し込みながら、タカヒサはため息を吐く。
若者はえてしてこういう食べ方をする。噛まずに飲んでしまっては、せっかくの甘さも感じられないし血糖値も上がらないだろうに……と、モトアキはタカヒサの未来志向をもったいないなぁと思う。
「いいんですよ、食べ物はカロリーに過ぎない。ああ、あなたの集落ではいまだに『楽しむ』という考え方があるのでしたね。まったく、野蛮なことだ」
「いいんだよ、そういうのが生き残っていたって。効率はなんのためにあるんだってこと。効率を回してくれるおまえたちがいるから、ぐーたらと生きることを謳歌する俺らの存在が許容されるってわけ。楽しむってのは余裕の産物だよ」
「……わかりませんね」
言いながら、タカヒサは毛深い指先で、もうひとつドライフルーツをつまんで口に放り込んだ。
モトアキが言う。
「噛んでみ」
「飲み込まないでですか? いやですよ。犬歯がすり減っていないので、臼歯のかみ合わせが悪いんです」
「あー、そりゃたいへんだ」
モトアキは、なにがおかしいのか自分でもわからないまま、唇をまくり上げ歯をむき出して笑った。
大受けしたとばかりに両手を叩いて喜ぶのは……習性なのだから許してほしい。
「ふん」
タカヒサが立ち上がり、黒い毛に覆われた背を向けた。
「行くのかい?」
「行きますよ。こんなところに用はありませんから」
のそり、と歩を踏み出す。わずかに前傾した姿勢で、ナックルウォーク気味に手の甲を地に擦って歩き始める。
「指の皮厚くなるよ?」
「放って置いてください」
「あっそ」
尻をふりふり去っていくタカヒサを見送って、モトアキは茶色い毛に覆われた肩をすくめた。
「ま、もう会うこともないか」
文明とかいう枠組みが崩壊したこの世界において、出会いはなんであれ一期一会だ。
そんな世界で、縄張りさえ重ならない群れに属している以上、あの生真面目な雄と再開することも二度とあるまい。
と、そのときモトアキは、タカヒサが「しゃがんでいた」場所にドライフルーツが落ちているのを見つけた。
「レーズンだね……届けてやらなくちゃダメか」
拾い、数える。
「1……2……たくさん……たくさん……たくさん……たくさん……たくさん。うん、たくさん落ちてる」
3粒よりも多いということは、いっぱいだ。
こんなにいっぱい落としていっては、きっとタカヒサも悲しい思いをするだろう。しかしプライドの高い彼のことだ「レーズンを落とした」と素直に言いに来るわけもあるまい。
「よっこいしょ」
のそり、とモトアキはタカヒサを追うべく、ナックルウォークの姿勢で立ち上がった。
そのとき。
手の中で、くしゅり、とレーズンが潰れる感触。
「……しまった」
届け物なのに、と、モトアキは慌てて掌を開いてみる。
レーズンだと思っていたものは。
「……」
うんこだった。