震える理由
夜の街。
それは平々凡々と日常を過ごす大学生には縁のないものだった。
夜の街と言っても、寂れてしまった商店街にぽつぽつと飲み屋の看板が光っている程度のものだ。わたしの好きなバンドマンが歌っていた、ミナミや歌舞伎町の夜などとは比べ物にならない。
11月の17時は暗い。既に陽が落ちてしまい、急激に下がる気温に耐えるのが精一杯だ。薄手のトレーナーにネルシャツを羽織っただけの服装。短く切った髪の毛は金色に染められている。この時間とこの場所にはあまりにも不釣り合いな姿だった。
勉強会するからおいで。そんな誘いに乗ってみただけなのに、この街では場違いな印象が否めない。女子大生と夜の街の相性はよろしくないのだ。
わたしは今、この街にぽつりと点く光を探して歩いている。
コインパーキングから10分ほど歩いた場所に、わたしの探す建物はあった。
先客がいるのではないかとおそるおそる中を覗くと、わたしを誘った張本人と2人の音響スタッフがいた。先客はいない。他愛のない話をしているうちに時間は経つものであり、気づけば一緒に勉強する人たち――といっても全員わたしより年上なのだが――が集まっていた。
時計が18時を指したところで、司会らしき声が聞こえた。
「時間になったので始めますね。今日は集まっていただきありがとうございます」
そんな言葉から、その会は始まった。
会場を出たのは21時前のこと。会が始まってから3時間後のことだった。会場内には電気が煌々と灯っていたのでわからなかったが、外は3時間前よりも暗く、人もいない。一人で歩くには不向きすぎた。さらに、遠巻きに、酔った男の人が歩いているのも見える。コインパーキングまでは約10分。今この街は、お化け屋敷にいる、魑魅魍魎のコスプレをした人たちよりも怖い。とにかく、一人で歩ける自信がなかった。
「この街、女子大生が一人で歩くには向いてないですよね」
一緒に会場を出た勉強会の参加者数名がいたが、誰にも聞こえないような声で呟いたつもりだった。しかし、このような声こそ人には良く聞こえるものらしい。
「本当、そうだよね。人通りはおろか、街灯すら多くないもんね」
そうですよね、と笑ってみた。今、一緒に夜道を歩いているのは全員年上の男性だ。まだ安心できる。しかしもう十数歩も歩けば交差点がある。きっと皆、あの交差点で分かれるんだろう。わたしが車を停めたコインパーキングの方に歩いて行きそうな人はいなかった。
「あ、そうだ、武井さんあっち方面に帰るんだよね?」
さっきわたしの呟きに反応した人が、何かを思いついたように振り返る。「武井さん」と呼ばれた彼はこくこくと頷くだけだった。
彼が何を言わんとしているのかは、もうわかっていた。
「なんかすみません。わざわざ一緒に歩いてもらっちゃって」
いえいえ、と笑いながら答える武井さんと会ったのはこれが3回目だ。
僕、家あっち方面だから一緒に行きましょう、と武井さんが声をかけてくれたおかげでわたしはこの夜の暗さに対する恐怖から抜け出すことができた。
「武井さんのインスタ、夜中に見るものじゃないですね」
「え、なんでですか」
「お腹空いちゃいます。料理、おいしそうなので……」
「それは嬉しい。今度機会があればご馳走します」
「やった、それなら機会作らなきゃですね」
そんな他愛もない話をしながら歩くコインパーキングまでの道のりはあっという間だった。少し前までわたしが怖がっていた道だとは思えないほど景色がぱっと明るく見えていたが、振り返ってみるとやっぱり暗かった。
じゃあ、僕はここで……きっと武井さんならそう言うだろう。
「武井さん、家どこですか」
「え、ここから1キロくらい離れたところですけど……」
「じゃあ、もし武井さんがいいなら、ですけど……送っていきます。ここまで一緒に来てもらったんで」
彼のことなので断られるかと思っていたが、案外あっさりとお願いされた。「助かります!ありがとう!」という、屈託のない笑顔とともに。
そうして普段誰も乗らない助手席に武井さんを乗せ、車を発進させたのだった。
さっきみたいに他愛もない話をしたい。たかが1キロ、されど1キロ。思っていたよりもその距離は長かった。
「武井さん、絶対モテますよね」
「いや、そんなことないよ。僕はボランティア活動ばっかりしてるから」
そんなことを笑いながら言うのだ。なぜモテないのかわからない。
さっきから、クラッチペダルを踏みこむ左足は震えていた。外気温を確認すると、15℃と表示される。左足の震えはきっと寒さのせいではないのだろう。
つまるところ、わたしは緊張しているのだ。彼氏を乗せたときにもこんなことはなかったのに。
気づきかけた事実には、とりあえず、隠れておいてもらうことにした。