ひとりぼっち
その日、家に帰ろうと麗月駅の構内を歩いていると、5歳くらいに見える男の子がコインロッカーを背に立っていた。
それだけなら何もおかしくはない。
この子が生きている子供であれば。
思わず私は立ち止まる。そういえば、それこそ5年前だ。この駅のコインロッカーに乳児が捨てられているという事件があった。詳しいことはわからないけれど、8月に死後一週間の乳児が見つかったとなれば、どういう状態かは予想できる。
普通、死霊は成長しない。地縛霊であろうと浮遊霊であろうとそうだ。
ただごく稀に、どうしてか成長する霊がいる。多くの場合、自分が死んだということを理解できていない。若しくは死という概念を理解するには幼すぎた事例だ。
その子は裸ん坊のまま、誰かを待っているかのようにキョロキョロと辺りを見回していた。きっと、親に捨てられたことも自分が死んだことも分からないままなのだろう。だからこそ成長した姿で、ずっと親を待っている。
この世から去るように言うべきか、それとも無視するか。
どちらを選んでもこの子は幸せになれない確率が高い。死を理解できない子供の霊は得てして悪霊化する可能性が高く、何をしてでも親と会おうとして厄災を振り撒くことがある。かといって無視すれば、この子は誰かが供養して別の世界へ送るか祓って消滅させない限りは、ずっとこのままここに居続ける。
彼は大人の都合でここに縛り付けられた子供だ。祓うことは出来るだろうけれど、それはあまりにも残酷すぎるように感じた。しかし、供養するにはこの子の親を探さなくてはならないし、関わってしまえば私に縋ろうとして数多の霊が寄り付いてくる。その場合、今のような生活を送ることはできなくなる。
私は何をしてあげればいいだろうか。
どちらも最適解でないのなら。私は割り切れない思いと共に、足を踏み出した。
『おねえちゃん』
私のことに気づいた彼が、私に声をかける。私はカバンのストラップを肩にかけなおした。
『……おばさん?』
彼が疑問符を頭に浮かべながら私に話しかけてくるけれど、無視して構わず歩き続ける。ここで反応してしまえば終わりだ。
『ねえ、お母さん知らない?』
私がその子の前を通った時、そう問いかけられる。その口調は無垢そのもので、生きている人間だと確信できるなら助けになってあげたいと思うくらい、純粋なものだった。
でも、私の隣に立っているその子は生きていない。
『……聞こえてないの?』
後ろから泣きそうな声が聞こえてくる。咄嗟に振り返りそうになって、自分を押し留める。振り向いたら最後、憑いてこられる。それは私にとっても、この子にとっても良いことじゃない。
ついに『お母さん、どこぉ』と叫びながら泣きだす。
この子は、何年もたった一人でここに居続け何度声をかけても誰からも反応されなかっただろう。きっと、このコインロッカーの前で子供連れの母親が子供と楽しそうに話す姿や赤ちゃんをあやす母親の顔も見てきただろう。
──同情するな、共感するな。さすれば憑りつかれる。どんな霊が相手でも、無関心で居続けろ。
心をすりつぶしてくる悲しい声に耐えなければ。同情してしまいそうになる自分の心に背かないと。
私はただ、割り切れない思いと小さくなっていくあの子の泣き声と共に駅のホームにつながる階段を降りていった。
いつも座るベンチに腰かけ、私は本も読まずぼうっと駅から見える街の景色を眺めていた。ホームではあの子の泣く声は聞こえない……いいや、もう泣き止んでしまったのかもしれない。
私が駅から見ている街には、あんな子供がいったい何人いるのだろう。あんな風に、救われない子供たち。ある子は親から虐待を受け殺され、ある子は育てられないからと言われて捨てられる、そんな子供たち。
人が集まれば集まるだけ、そこには悲劇も喜劇も生まれる。だからこそ、私は駅という場所が苦手だ。ここにはいろいろな人間が集まるから。
「……やってらんない」
どうして私はこんな風に世界が見えてしまうのか。あの子のことが見えなければ、こう考えることもなかったのに。
『愚痴を言うなんて珍しいのね』
隣を見ると、彼女が椅子の上にゴロンと転がっていた。彼女もまた、死者だ。私が世間とズレてなければ、彼女のことを知ることもなかった。
「ちょっとやりきれないことがあったの」
『私でよければ相談に乗るけど』
「大丈夫」
『あら、そう』
彼女と私は生きる世界が違う。だからきっと、相談しても私の悩み事は分からない。第一、死者は念を抱くことはあれど生者と違って悩むことはないのだから。時が止まってしまった人間は悩むことすらできないのだ。
『ほら、三五。そろそろあなたの乗る電車が出るよ』
その声にハッとして、椅子から立ち上がる。見ると、本当に電車が止まっていた。私の最寄り駅に行く電車だ。
「ありがとう。じゃあね」
『またね、三五』
私は荷物を背負いなおして電車に駆け込んだ。