自転車
ノースマン歴151年
ノースマン王国大臣クラウスをはじめとして、この年の春頃から自転車の開発が行われていた。事の発端は主人公ウィートによるバランスバイクの発明と、さらにこれの進化型となる自転車の発案である。これをいたく気に入った大臣クラウス、衛兵総隊長ヨーゼフ、バンオルグ員によって自転車の開発と法整備が急ピッチで進み、(クルマやバイクなどと相対的に見れば)その設計の簡単さも相まって夏を過ぎた頃には現代の自転車とほとんど変わらない形の自転車が完成する。また、製造場所にいたバンオルグ員や王都民たちによって、さまざまなジャンルの自転車像が形作られた。
完成した実用自転車はいまだ試用品ではあったものの、課題点である部分は今後も改良することとして、フレームはしっかりとしたものが出来ていたので20台が生産された。これが外で走り出したのは翌年以降で、完成した当初はまだ城壁の外には行けなかった。
■自転車の造詣
最初の実用自転車は全体的に鉄でできており、タイヤはゴムの代わりにモンスターの革が使われた。また、ペダルと後輪タイヤを結ぶチェーンの代わりもベルト状の革が利用されている。
ハンドルにはカンチブレーキが太目のタコ糸で繋がれ、前後輪に装備している。(タコ糸の耐久力がなさすぎるため、鉄製ワイヤーができるまではブレーキ版と呼ばれる、足で操作して直接タイヤを擦る板が取り付けられていた。)ブレーキパッドの素材も吟味が続いているが、初期はモンスターの革が利用されている。
ダイヤモンドフレームに、泥除け、スカートガード、前かご、センタースタンド、リアキャリアの上にはボックスが取り付けられており、現代でいうところの昭和の自転車という形である。
その造りから頑丈さは確かだが、1台30~40kgほどと重い。しかし、ペダルはそれほどロスが無く、回した分だけしっかりと進み、ノースマン人の足の強さも相まって、楽な姿勢でなら13km/h前後で走行ができ、思い切り漕げば30km/hを超えた。(ギア比は1:3程度。スプロケ1に対してクランク3。シングルスピードのママチャリよりやや重たい程度。)
この自転車のもつ利便性は言わずもがな、ノースマンの配達・輸送・移動生活を根本から支えるものとなっていった。
----
ノースマン歴152年
年を越して雪が溶けたころ、ノースマンの首都全域で自転車が走り始めた。はじめはピートオルグ員の足として利用され、王都の中で主にゴミや郵便物を運ぶのに利用された。国民全員が注目し、とくに子供たちにとっては憧れの的となった。
自転車に対しては登場時にクラウスから布告が出された。「早めに量産化して国民全員にいきわたるよう努めるので、間違っても盗難はしないように。窃盗を行った際は、この国の窃盗罪とおなじ罰を与える。(窃盗罪はかなり重たい罪となっている。)」「この国の新たな交通網となるゆえ、量産化の仕事に就けるもの、今まで以上に道路整備のための人員を採用する。」「とくに60歳未満の子供は全員が必ず自転車教室に通い、修了すること。大人であっても参加可能で、ことさらに金銭は要求しない。」などである。
新しい物好きの王都民にとっては新たなイベントという風潮で迎えられ、「自分の自転車を手に入れたら……」「新しい自転車の素材を集めに行こう」「車体が小さい、荷台が小さい、もっと荷物載せたい。」等という話題で持ちきりになった。
長距離を移動するための手段としてマウンテンバイクタイプの開発も同時にあり、タイヤ径を太くして未舗装路を豪快に進める自転車もできていた。狼たちの護衛をつけながら長距離走行試験し、18歳の少年がリュックサックを背負ったまま、王都→タルヴェラ間(距離約90km)を日が落ちる前に到達したというニュースが世間に流れた。(当時は、馬車で片道2~3日をかけて行く距離とされている。)
同年の終わり頃になると、課題であったチェーン部分が先に改良され、鉄でできた現代と同じ作りのチェーンが繋がれた。(あまりにも細やかな細工であるため高価。これ以降もしばらくはベルト式が主流であった。)タイヤ、ブレーキ、ワイヤーといった箇所も次々に改善されると、いよいよ配達業が整えられていき、新規工場の建設計画もすすめられた。
----
ノースマン歴153年 トイトミス開催
ノースマン王国初めての自転車工場ができると、労働者がピフラやタルヴェラから集まった。分業して量産化、修理・設計開発・小物制作に至るまで一貫して行い、多くの未成人者・冒険者が市民権を得ようと働いた。彼らのための住まい作りも、建築集団が請け負って次々に完成させていく。王都の回りは原野だったが、あっという間に階級の低い国民の街として発展した。町の名前はポルコピュオラ(polkupyörä fin:自転車)となった。
自らを「自転車階級」と呼び、自転車の歴史を推し進めたのは彼らである。が、何せ自転車は当時では高級品だ。自分たちを底辺の人間などと蔑んで言ったのではなく、意識の高い国民であると自負しての呼称であった。それゆえに治安は異様なほど良い。また、この街には現代的な学校が先に設立されたこともあって将来的には全員が幼少期から学校に通うインテリ集団ともなった。
だが、彼らの鼻が折られるようなことはなかった。「鼻を高くすると速く走れない」と自転車絡みの諺を作り出し、元々クラウスたちの意向もあった故に、彼らは国民の見本と呼ばれるほど法に従順だった。
そんななか、この夏に200人ほどの一般国民、冒険者、ピートオルグ員、奴隷階級にあったリザードマンなどの他種族、さらにはオーク村の猛者の一人までも混じって、いっせいに自転車でタルヴェラを目指すレースが始まった。第一回自転車競争トイミトス(fin語:配達)の開催である。
クラウスが王都で夏祭り開始の合図をするときに始まり、まずタルヴェラを目指す。クラウスも共にタルヴェラへ移動して、そこで夏祭りの合図を起こすと王都へ帰る。王都とタルヴェラを往復する総距離180km以上に及ぶ長距離レースだ。のちに、行きを制したものをラハトア(fin:lähtöä出発)、戻りを制したものをパラタ(fin:palata 戻る)、往復で制覇したらバーバットヤラット(fin:Vahvat jalat 強い足)と呼んだ。(各種名称未定)
レース中は郵便物を規定量持つことが条件とされ、自転車の規格や搭乗者にはなんらの規定も制限も無い。各々が派手な装飾を施し、身に着けるものも派手なものが多かったので、お祭り気分も相まって見物人気も博した。このレース開催をきっかけにタルヴェラとその間にあるケスクスで自転車人気が急上昇。各所の子供たちが集まり「親は買ってくれるわけないから、自分で自転車作る」といって工場へ押しかける珍事も起きた。
----
ノースマン歴157年 第5回自転車競争トイミトス 自転車輸出開始
自転車の誕生から早5年。維持費を含めてまだまだ決して安くはないものの、ほどなく田舎の村でも自転車を見かけることが当たり前になっていた。もちろん、各種パーツは進化を遂げ、より洗練されており、実用自転車を使った郵便配達会社は盛況だった。
このころの自転車は、タイヤの材質はモンスターの素材を使用している。(まだ存在していないが)ゴムタイヤより優れた面もあり、素材が素材なだけに高価とはなっていたものの、走行性能はかなり高かった。
このころには変速ギアの開発も進められており、すでに2速仕様のハイローギアは完成していたが長距離専用車両にのみ採用されている。
多くの荷物を運べるように1輪タイプのリアカーを備え付けたり、前カゴやリアボックスの形状も進歩していたが、主だった装備については最初から完成の域にあったために姿はそれほど変わっていない。
自転車の進化が続くなか、第5回トイトミスが始まる。参加者の二人がやけに注目を浴びており、スタートから凄い勢いで他者を突き放した。そのうちの一人は、ギュミルオルグに所属する海賊エーギル。そしてもう一人は、初回から参加し続けてきたオーク村の猛者のひとりであった。彼はいつも超巨大な自転車に跨っているのだが、その重さと彼自身の膂力の強さ故に自転車が耐えられずいつもレース序盤で壊れてしまっていた。
この巨大自転車は、そもそもはハーラル王のために誂えようと第一回トイトミスの頃から開発されていたものであり、それに協力していたエーギルが何故かオーク村の猛者を連れてきたことが発端であった。彼の体躯はハーラル王と遜色なく、体力や力強さもあることから『“長期間”運用可能な、とにかく頑丈な自転車』をコンセプトにしたマシンに跨っていた。
エーギルも身長220cm体重150kgと決して小さいわけではないのだが、それと比べても巨大なオークが駆る自転車は圧巻だった。しかも、超耐久性を目標としているために各パーツがほぼ金属でできており、タイヤは肉厚で重厚なため、しばしば地面を抉るように走るのだから迫力は凄かった。
今回のレースは、行き帰りどちらも彼が1位入賞を果たし、トイトミスにおいても初の往復勝者となった。オークの優勝には賛否あったものの、彼の走りに魅了された者は数知れない。
このときから、クラス別という制度が考えられ始め、無制限、体格・体重、男女別、年齢制限など、ほかにも細かい規定が増えていくことになったが、無制限枠ではたびたびオーク種族の総合優勝が飾られていた。
同年、ついに西の国へ自転車の輸出が始まる。その価値は、現代で言えば1台200万円という高額でありながら、一回で500台もの自転車が予約完売しての出航となる。ノースマンで施行されている自転車の法律をそのまま転用し、西の国の都で利用が始まると、こちらでもあっという間に広まって人気になった。
ただし、王族(西の国の最上位)の監視下で開発・生産・運用などはかなり厳しく制限された。(1台だとしても、またはパーツの一部であったとしても、無断で生産すると一族郎党処刑とされ、厳重に管理されていた。)これには大きな理由があったが、事が済んだあとは西の国でも主要生産物として成り立った。
----
ノースマン歴不明年
バイク、クルマも登場し始める頃、自転車は現代と同じく、子供の乗り物、生活を少し助ける乗り物、趣味の乗り物へと変わっていく。
それでも、“人力のみで動かせる長距離移動装置”としての魅力や利便性は変わらない。また、この世界にある魔法が、自転車を全く別の形へと変えていた。