2300年、金色の待ち焦がれ
「当時はの、島の誰もが必要と思ったからやった事じゃ。ア・メサアから一歩も出ずに長い事生きたからには…何度かは贄の時を見てきたもんさな。」
農家の老婆は板張りに座り遠くを見つめながらロンロに話す。
「じゃが…そんな中で30年前は違った、身勝手なもんだ。自分の身内が贄に選ばれてわしはようやくそれがあってはならん事だと自覚してもた…。今から丁度30年前、わしの当時16歳だった孫が選ばれてな。先代の首領様にな…。」
「私と同い年のお孫さんが…。すいませんお婆さん、思い出したくない事を……ってええ!?30年前に16歳のお孫さん!?だとしたら現在ははおいくつで…?」
「カカカカッ!今年で92になるわ!!」
「92!それであの坂道を顔色変えずに…!!ひええええぇぇぇぇ…。」
16歳のロンロは92歳の老婆に完全に体力負けしていた。
流石にちょっと己の体力のヤバさから来る焦燥感が彼女を襲った。
「あ、ごめんなさい…。身内の不幸があった話の途中で…。」
「構わんよ、正直な娘じゃて。カカカカカ!!」
お婆さんはそのしわくちゃな顔を更にくしゃくしゃにしてロンロに笑みを返す。
「うんむ…話を戻すかの。そうさな、この冬が終わった春の季節は贄の季節…丁度今頃じゃったなぁ。あの子が選ばれたのは…。ヒィゼルという名の男の子でな…背はちょっと低かったが中々の男前に育ったもんじゃて…。色気ついてからは常に誰か女の子を連れ取ったわ!誰に似たんじゃろなあれは!じいさんか!!」
「お、おじいさん似だったのですか…?そういえばおじいさんもご存命でしたね。」
「おうさ、今年で97じゃ。」
「97!お、お、お茶を栽培してたのが確かおじいさんですからまだ現役でお仕事続けてらっしゃる!?」
「あぁ元気じゃ!今日も朝7時から仕事で飛び出していきおったわ!若い頃は夜中抜け出して島中で浮気ばっかりしおって!!流石にもう夜はすぐ寝る様になってもうたがの!カカカカ!!!」
「凄っ…。」
これは100歳越えても夫婦揃って平気で生きてるな…と目の前の吠える元気な老婆を見て直感する。
「ヒィゼルが選ばれたのは30年前の贄が行われる数年前から続いていたバクタリバッタが起こす害じゃな…あれを鎮める名目だったかの…。当時はあのバッタの食害が酷くてな、大量繁殖してあちこちの食い物から一番酷い時じゃと木の皮から綿で出来た服まで繊維なら何でも食い破りおったわ。まだ禄に本土とも交流が無かった時代だっからの…、植えた作物も実った物も全て食いつくしてしまった。当時の島では食い物の問題は深刻じゃった…。」
「蝗害?でも島の様な限られたスペースと資源しか無い場所では起きないから…。」
本土でも似たような自然災害は歴史上いくつも確認されている。
蝗害は大陸の様な広い草原や広い耕作地と大規模な植物資源があって初めて発生する。生存戦略の為に一種の興奮状態になったバッタの集団が大繁殖を起こし時には一国の土地丸ごと食いつくしてしまう恐るべき現象である。
「バクタリバッタはの、海から来るんじゃ。」
老婆が畑の向こうの遠くに見える海を指さす。
「海ぃ!?こ、昆虫が!?海水に適応できている昆虫なんてほんの僅かしかいないのに?それもバッタがなんて!」
「うんーむ。そうじゃあ。」
驚くロンロにその通りと老婆が深く頷く。
「とても信じられないけど。さっきの地面を歩く蝶々、ミヒョワ様の事もあるし…この島と近隣の生態系は特異過ぎて理解が追いつかない…。」
「あいつらは海からやってくる。普段は海の中で海藻をカジっておって小さくて波にも流されて打ち上げられる時もあって可愛いもんじゃがの。卵を産む時だけは陸にあがって、砂場で産卵するんじゃ。だが時にアイツらは狂う。原因はよく判らん、昔から近くのバクタリバッタを食い荒す水鳥の群れの数が増えるとそうなると言われとるがなぁ…。何か全体の数が極端に減った場合あいつらは海を捨てるんじゃ。」
「きっと陸に安全と食料を求めてやって来るんですね?」
「じゃろうの。そういえばあの頃は水鳥を良く目にしておった…。陸にあがると姿を変えよる。海の中じゃ海水に同化する様に青色の羽と銀色の魚みたいな体なんじゃがな、一旦丘に上がって世代を変えると羽はあっちゅーまに深い緑色になって体はドス黒い色になっちまう。そうなるともう後は水鳥にやられた祖先のお返しと言わんばかりに陸の植物を何もかも食い荒らして…島全体がどんどんハゲ山の様にになっていきおったわ…。」
「大陸の蝗害が起きれば一国の歴史を揺るがすと言われていますけど、島だと更に限られた土地で…。」
想像するだけでロンロの背筋が冷たくなった。
蝗害対策は今現在も各研究機関で盛んに行われている。
人類の歴史において一つのターニングポイントになりえる程の大きな規模で被害が発生するからである。
「ああ酷いもんじゃった…。最初の1、2年はまだ沿岸沿い近くで火を焚いて奴らの食う物を減らしたり大量に捕まえて殺したり、薬を撒いたりで止められておったがなー。もうその後はなだれ込む様に封の柱周辺まで食い荒らしおって、牛やヤギなんかの家畜に与えるモンも無くなって泣く泣く処分したりの…。孫の件が無くても悲しい思い出やな…。」
92年生きた老婆の顔の皺が話に説得力を持たせてくれる。
「なんて酷い…。」
「そんな時や…孫のヒィゼルがこのバクタリバッタの狂いを鎮めるために贄に選ばれてもうた。選んだのはさっきも言ったが当時のクアン・ロビン首領様じゃな。今の首領様の母じゃ。あの家系は「遠の瞳」で真理を見抜くと言われとる。遠の瞳術を持って島全体を屋敷に居たまま全てを見渡せ聞き渡せると言うが…どこまで本当かどうか…。ただ、孫はその目の儀式で島全体の人間から選ばれてしもうた…。ヒィゼルの母、わしの娘なんじゃが嫁いだ先で別々に暮らしとっての。島で漁師をやっておった男に嫁いだんじゃが…。まぁ夫婦仲は悪くなかった、今でも仲は良いわい。じゃがの…すべてあの日じゃったの……。」
そう言って老婆は懐から小さいなハンカチ状の布を取り出して目元を拭った。
まだ、30年経っても当時の贄の出来事ははこの老婆の心に決して癒えぬ傷跡を残していたのだ。
「満月の日、よく晴れていた日の夜じゃ。島中から大量の男が娘夫婦の住む家に押し掛けたそうじゃ…。たまたま爺さんが娘夫婦の家にうちで取れたバッタから逃れて出来た僅かばかりの野菜やお茶を持っていっておった。その日は珍しく孫も女の子と出歩かず家におった…。男共は封の贄に孫が選ばれた事を伝えて攫っていったと後で悔し泣きする爺さんに聞いたよ…。爺さんも必死に抵抗したそうじゃが男共に止められてな…顔にも体にも痣を作って帰ってきおった…あの時の爺さんの姿を忘れんよ……。翌日わしらが娘夫婦の家に行くと娘が真っ赤に目を腫らしての…娘の旦那もたった一日ですっかりゲッソリしてもうて…。一人息子じゃったから、わしらにとってもただ一人の孫じゃった。生意気な所があって女遊びばっかりしとったが可愛い孫じゃった。攫われたその日のうちに儀式は行われて…孫は封の柱が湧きたつ竜の眠る大穴に男衆とそれを連れた先代様に叩き落されてしまったそうな…。まだ、まだ16の若さでの…・・・。ううっ…、30年経った今に思い返しても悔しくて涙が出る!なんと惨い事を、と…!!」
「…お婆さん、辛い出来事を思い返させてゴメンナサイ…。こんなの絶対おかしいです。バッタの害と人柱は何も関係が無いのに。それが伝統と言ってしまえばそうなんですけども、私は絶対に納得できません!」
「ええんよ、こんなに島には観光客が来てんのに隠せる訳が無いんじゃ。一人でも多くの人に知って貰わんと息子も、15年前に贄にされた子も浮かばれんて…。わしは思ったよ、何も贄を捧げるにしても若い子を選ぶ事もあるいまいてとの。いつも贄に選ばれるのは若い男ばかりなんじゃ、代々首領が女系で成り立っているのとは正反対になぁ…。」
「なんてこと!!!ああああ!お話を聞いてきたら悔しくて腹立ってきた!!それに表向きには30年前が最後で15年前は封の贄の人柱は止めたと本国には声明を出しておいて!!やっぱ懲りずにやってたんですね!!!!何考えているのオアキッパ・インズナ!!!」
老婆の涙と話を見て聞いたロンロが立ち上がり興奮してキイイイイイ!!!!と言わんばかりに歯を食いしばって怒りの様子を見せて地団駄を踏んだ。
「こ、これぇ!首領様は遠の瞳術が使えると言われとる!!あまり大声上げると知られてしまうじゃて!!こうやって話しておるのも恐ろしくてな!!」
興奮するロンロを宥めてロンロの来ているスプリングコートを引っ張って座らせようとする老婆。
悲し気な空気は何処かに飛んで行った。
「ダイジョブです!!!遠の瞳と呼ばれる術で私たちが話しているのは確認出来ているかもしれませんが会話の内容まではオアキッパは確認出来ていません!!!間違いないです!!!所詮は目だけ!!バーカ!バーカー!オアキッパのバアアアアアアカ!!!!!」
「おとなしく!寿命が縮まってしまうわい!!それに贄を捧げたのは15年前も30年前も先代様やで!!!」
「確かオアキッパは今現在27歳だから15年前はもうそれなりに物事の分別が付く年頃ですよ!!それならこんだけ観光客を受け入れているんだから次期首領になる自覚をもってすれば因習みたな時代遅れのモノは母親をぶっ叩いてでも抑止しろおおおお!!!!バアアアアカ!!!!無能!!!アホ!!!!人殺し!!!!!時代遅れ!!!バーカバーカ!!!!!フウウウウウウ!!!!!」
「なんて子じゃぁ…あの無鉄砲だったヒィゼルに似とるわい…!落ち着きなされ!ほれ、もう一杯冷たいお茶!!」
老婆は慌ててコップに再び冷たいお茶を注いでロンロに無理やり手渡した。
興奮していたロンロであったがそれを受けとってグッ!と一気に飲む事により漸く落ち着きを取り戻した。
「ふーすいません!頭がどうにかなるくらいイライラしました!こんな非科学的な事を推進するなんて現代において馬鹿ですよバカ!!島だって今や首都からやってきた魔学技術で生活をしているというのに!そもそも話に聞くには柱の竜が目覚めるのを阻止する為、それを宥める為の生贄でしょうに!バッタの害が竜と何の関係があるんでしょ!?ったく!!!」
多少は落ち着いたロンロであったがまだ興奮は冷めやらぬ様子であった。
「先代様は竜の怒りがバクタリバッタの狂いを呼び覚まして島を滅ぼそうとしたと言っておったかのぉ…。当然わしらは納得出来るもんじゃなかった。それに贄を、ヒィゼルを人柱にしてからもしばらくバクタリバッタは荒れ続けたもんでな…。爺さんも未だに悔しそうにこの話蒸し返すわい…、遠の瞳の術の監視もあって大声では言えんのじゃがな。それにお嬢ちゃん、どうしてわしらの話が聞かれて無いと言えるんじゃ?」
「簡単です。オアキッパは何か一族由来の一子相伝の秘伝、もしくは本土風に言えば遺伝性の魔法使い・いや女性だから魔女ですね。その秘密か資質を受け継いだとしてその遠の瞳と言われる術が使えるとしましょう。これだって怪しいですけどもね!もしそれらの手段で会話を盗み聞き出来ていたとしたら島の電話や通信全体盗聴されていますよ!私は今朝に友人のランクAAA魔女とこの島にとって不都合な内容になる会話をしましたけど彼女、友人のハルバレラは何も反応していなかった。エーテルのエネルギーを用いた会話をしておいてもし盗聴でもされていたら伝わるその変化を、超一流魔女の彼女が見逃す筈は無いんですから!!…ちょっと変な性格なんですけど魔女としては確かな天才です!」
ロンロは再びいきり立ってわーーーっと早口で説明する。
再び彼女の中で怒りが湧いてきて自然とテンションが上がり言葉が強くなる。
「ほ、ほぉ~?つまり魔法の力を使っているのに電話の話を首領様は聞けていないと?で、良いのかの?」
老婆はイマイチ良く判らぬ感じで不思議そうな表情で答える。
「そうです!一か月前にア・メサア島続発地震における本国調査を断っているのですからね!私達が話した会話なんて聞こえているならきっと私を拘束するなら監視をつけるなりでもう既に何かしていますよ!今の所その気配は一切ないです!こうしてお婆さんから本来シークレットな当時の因習の話を島外部の人間の私がしっかり聞いているのですから!!」
まだ興奮していたロンロは横に置いてあったポットを自分で持ち上げて「すいませんもう一杯頂きます!」と言うと自分でドバドバ勢い良く冷たいお茶をコップに注いで再び一気に飲み干した。
「古くから遠の瞳術の存在は島の人間に信じられておった。実際歴代の首領様はどこどこで誰と誰が逢って何を話していただの屋敷から一歩も出ていないのに島で何が起きたかをズバリと当てるんじゃ…。島での祭りの様子からちょっとした事件や事故までもの。豊漁だった時なぞ海から船が帰ってくる前に祝うのは今の代、オアキッパ様になってもしょっちゅうじゃ。この島では常識の事じゃった、屋敷で働いておった人間にも首領様はなんでもお見通しと語り草としてよく遠の瞳の話を聞いたもんじゃが。それが一部は偽りじゃったとは…。」
信じられないと言った表情で老婆が狼狽える。彼女からしてみれば生まれて92年の長い長い人生の中で幼少の頃から伝わっていた島の習わしである。
それが一部は完全に嘘だと言う人間を、老婆は生まれてこの歳になって始めて出会ったのだ。
「ふーむ、だとすると話から聞くに「遠の瞳」そのものは存在するのかも知れませんね。まぁあくまで映像程度でしょうけど。あとは島の人達にハッタリをかけて知っている風を装って、話を聞き出してあくまで「目」だけの情報から得た推測を絞っていく…。そんな感じでしょうか。それで島の人々に圧をかけて精神的に強く優位に立ち支配に置く算段なのでしょう。…気に入らない、とっても!」
腕を組んだロンロが顔つき険しく語尾を荒げる。
今回の件は彼女にとって相当頭に来ている様であった。魔学の道に進み魔学の発展と共に歩みリッターフラン対魔学研究所という魔法や魔学の力を悪用する犯罪を調査する立場のロンロ・フロンコにしてみれば到底許容出来る物では無いのは当然である。それが人柱の選別理由にもなっているとしたら尚更である。
「なんて元気な娘じゃ、孫を思い出すのぉ。丁度、贄に捧げられた歳も同じ位じゃったしの…。」
眉を顰めながら記憶にあるありしの孫のヒィゼルとロンロを重ねて老婆は眉を顰めて笑みを浮かべた。
「お婆さん…もしかしてですが。今年、丁度前回の儀式から15年目の筈です。地震も続いている…。昨日から滞在している私が既に体感しているので2度目の揺れがさっきありました。このままでは今や観光を主産業にしている島は本土で悪評が立ち首都からの客足も引いて大打撃です。この地震を鎮める為に今年も封の贄を行うのでは?…そういう話を島で最近、耳にした事はありますか?」
「……。」
老婆はロンロの問いに俯いて黙り込んだ。
「お婆さん…。」
ロンロは再び真剣な声と表情で隣に座っている老婆に問う。
この沈黙は恐らく…と、もうこの時点でロンロの中で予測は出来ていた。
そして老婆ゆっくりと語り始める。
「皆が皆、滅多な事は言えん…人身御供を選ぶ首領様に遠の瞳もあるしの…、まだ誰が選ばれるか見当もつかん。だが恐らく皆、もう判っておるよ。島の人間にはの…それも贄を見て来た年寄り程にの…。きっと今年も封の贄は行われると…。30年前のあれから、贄の年が近くなる度に気が落ちるわい……。今や島の若いモンは観光で飯を食っとる。生活は豊かになったもんじゃがそれが崩されそうとなるとすれば……。」
「やっぱり。オアキッパ・インズナは現代になっても人柱を。」
「封の贄の儀式の前に島の四か所の竜の封印の石碑を巡り、一時的に島と竜の眠る穴の底を繋げる儀式が行われると言う。その竜を封じる石碑の一つは、そこじゃ。」
老婆が畑のある左前方を指さしてロンロに教えた。指さした方は老婆の畑とは対面にある畑の更に向こうで、途中から急な下り坂になっているのが遠くからもうっすらと確認できた。
「竜の封印ですか、そんなものが柱の外部にあるんですね。」
ロンロが体を乗り出して老婆の指さした方を見渡した。
「つい3日前程に首領オアキッパ様が…いくらかの従者を連れてあの遺跡に向かうのをわしは畑仕事をしながら見てしもうだよ。他の場所でも何人かが見ていたそうじゃがな…。儀式用の伝統装飾もお召しになっておいったから…ほぼ間違いないじゃろう。早ければ今月中にも贄が選ばれて、柱に捧げられるかもしれん、結局この島では贄の定めから逃れられんのか…。」
その話を聞いた途端、再びロンロ・フロンコは激昂し始めた。
どうにも「封の贄」の件は彼女の中の逆鱗がギリギリと音を立てて感情を逆なでしているのである。
「アッタマ来た!!!もう行動にも移しているなんて!!!!そーか!そうよね!!本国首都から調査団派遣をハネのけた隙にやろうっての!?あくまで観光客や私なんかには秘密にするんでしょうけども!!!それとも地震について本国が横やりを入れて来るのに焦ったのかしら!!?なんて事!!!!」
ロンロは立ち上がりレザーリュックを背負い直す。
「お嬢ちゃんどうすんのかね!?」
「決まっています!私がこのバカげた因習を廃止して見せます!それまで首都には帰りません!!リッターフラン対魔学研究所の調査員としても自分の信念としても絶対に許せません!!」
「贄を止めさせるってのかい?嬢ちゃんそんな無茶な…うちのじいさまも娘夫婦も抵抗してもどうにもならんかった…!ケガするよ!いや、ひょっとしたら命も危ないわい!!」
心配そうに老婆がいきり立つロンロに声をかけた。
「お婆さんや娘さんの悲しみをこれ以上は繰り返させません!私が証拠を集めて首領オアキッパ・インズナのやろうとしている事を本国首都に訴えます…!!」
「しかしじゃなぁ…。多少頭は回るみたいじゃがお嬢ちゃん一人で何ができるんじゃ!?いざとなったら首領様は島中の人間を向かわせて来るわな!?」
「なんとかします…!遠の瞳の術もありますからお婆さんはなるべく目立たぬ様に…。私は5日間の滞在期間を延ばしてでも絶対何か掴んでみせますから…!それに、私はこう見えてもリッターフラン対魔学研究所所属の魔学者でもあるんです。大学だって飛び級して卒業してますからね!オアキッパが魔術を使うとなるのならば逆に好都合!逆手に取ってやる位はしてみせます!」
すっかり強気になったロンロがお婆さんに力強い笑みを返した。
「そうかえ…わしは魔法やら魔学やらサッパリじゃが…。無理をせんようにな、首領様は得体の知れん所もある故にの。気を付けるんじゃて。」
「はい、ありがとうお婆さん。それにお茶、とっても美味しかったです。ごちそうさまでした。」
ロンロは老婆に向かって大きく、勢いよく力強く頭を下げる。
「贄で家族を失った人らはもう見たくは無い。30年前に己の娘の泣き崩れる姿に何もしてやれなかった。お嬢ちゃんもくれぐれも気を付けてな…。」
「はいー!ありがとーう!お婆さんも気を付けてーーーー!!」
ロンロはお婆さんに手を振りながら畑を駆け抜けて通ってきた道に戻っていく。
その後ろ姿を見ながらお婆さんは一人呟く
「何とも勢いのある子じゃあ…、無茶しなければ良いがの…。少し、孫の顔を思い出したわい…。」
30年前のあの日まで、毎日の様に見ていた孫の顔を老婆は思い出した。
男の子だったから元気が良すぎる位に動き回って、旦那に似て女好きで、それでもおばあちゃんっ子で良く顔を出して畑を手伝ってくれていた。あの生意気な笑顔を振りまいていた少年の事を。
「…あの子、あっちにいった。」
老婆の農園にある休憩所として利用されている小屋の屋根の上で、金髪の長い髪を靡かせた少女がロンロが飛び出していくのを目で追っていた。
そしてその少女はロンロ・フロンコを追いかける様に空に飛び上がる。
彼女の体は太陽の光をその背に受けても影を作らなかった。
「まずは情報収集…、やれる所から調べてみますか!確かお婆さんが言うには島の四か所に竜を封印する石碑があるとか…。ホントに竜なんているのかしら?いる訳無いでしょうけどね。だとすると竜の封印なんて名目でしょうけど何の為の石碑かしら?島の信仰に関わる物なのは間違いないだろうけど…」
畑から道に戻ったロンロはお婆さんが先程指さした方へ向かって歩み出す。
竜という生物が本当にいるかはどうかともかく、首領オアキッパ・インズナが三日前に立ち寄ったと言われる場所に言ってみる事にした。
「竜ねぇ…魔法使いや魔女なら実際するんだけど完全におとぎ話…おっととっとと!」
老婆の畑が見えなくなる頃まで足を進めると、そこから急激な下り坂となり運動不足で運動音痴のロンロは少し体制を崩しかけた。
「危ない…下まで転がり落ちる所だった…。」
ロンロが肝を冷やしているのをその上空から金髪の少女が浮かびながら見つめている。
「うーん…あの子で良かったのかしら…?何かとろいなぁ?」
少し呆れた顔をしながら少女は再びその姿を消す。
「…?何かに見られた様な。」
ロンロが視線を感じた上空を眺めるがそこには何も無い。
「オアキッパ・インズナの遠の瞳?まさかね。」
それは遠の瞳では無かったのだが、島に上陸して以降ずっとロンロを追いかけていた視線であった。
この世にまだ解明されていない不可思議な事があるとすればそれは魔の力、魔法である。
だが50年前に魔学が定義され学問として研究発展し、その神秘の力である魔法が徐々にその理屈を解明されていったのが現代である。今では魔の力を化学の力で再現した「魔機」が人々の生活を助けるまでになっている。
夜の暗い空間に光をともすならランプや蛍光灯が人工的に自然界から抽出された魔力たるエーテルによって賄い、火をつけるにはエーテル式のコンロやライターが存在し、冷蔵庫はその力を反転させた冷気の魔法にて食材や生物を冷やして長期保存する事が出来る様になって早数十年。
それまではこのア・メサア島で言うならば首領オアキッパ・インズナの「遠の瞳」の様に遺伝的、もしくは一部の天才的な要素で特殊な才能を持ち合わせた限られた人間にしか魔の力は使いこなせなかったのだ。魔学が発展した今でもそういう才能がある人間は世の中から男なら「魔法使い」、女なら「魔女」と言われその才能によってランク分けされて強い力を持つ人物は持て囃される。
島の歴史を紐解けば、代々首領一族がその魔の才能を持ち子に受け継がれ、そしてその力を持って、それは遠の瞳の術…他にも出来る術法はあるかもしれない。それらの術を用いて一種の恐怖や尊敬、畏怖に近い感情を利用し魔力を持たない島民を支配。島の権力を独占してきたのであろうとロンロは考えた。
しかし魔の才能を持つ家系がその力を遺伝しやすいというのは本土ではあまり聞いた事が無い。少数の例が確かに確認はされているが魔の才能はあまり血で受け継ぐ物では無い。ロンロの友人であるランクAAA、最高ランクの魔女である今朝方電話の相手だったハルバレラも元は普通の家庭から生まれ、ある日突然その才能を開花させたというのだから。この辺りにも代々首領一族が魔の才能を引き継いでいるのにも何か秘密があるのだろうと推測した。
「一子相伝の何かがあるとしたら…恐らく他の島民はその事を知らない筈。調査にはするにはやっかいだなぁ…。」
長い坂道を下りながらロンロは両腕を組みながら唸る。
するとそんな事をしていると前方不注意で道に転がっていた石に躓いて、
「あ、あ、ああ!?きゃああああああああああ!!!!」
そのまま坂道をゴロゴロと転げ回ってしまったのだから足場の悪い所で歩きながら考え事をするのはとても良くない。
「イテテテテテ!あああもうコートが!無事!?無事!?」
ロンロは立ち上がると春先に購入したばかりのピンク色のスプリングコートを脱いで敗れてたり激しく傷がついていないか確認をした。結構なお値段がしたのでこんなうっかりで傷物になると大分ショックである。
「よかった…ちょっと汚れたけど…。」
ふーっ…とコートの無事を確認して一息入れるロンロ。
その光景を再び姿を現した少女が上空からしっかり見ていた、何処か呆れ気味で。
転がった後に体制を立て直して背負っていたレザーリュックをもう一度背負い直そうとした時に、彼女の目の前に大きな石で出来た石碑が姿を現した。まだそこまで近くに寄ってもいないのに既に確認できるそれは、なんとも巨大な姿を堂々とロンロの前に表していたのだ。
「でっかー!?島にこんな大きな石あったのね…。」
それを目撃したロンロは小走りで転がって痛めた足を少し引き摺りながらもその石碑に近寄ってった。
道から外れ、低い草が生える場所になり風が強くなっていった。海が近くなっていたので潮風が思いっきり吹き付けて来る場所である。ロンロの長いポニーテールの金髪もその風に靡く。まだ春先なので昼間とは言え少し肌寒い。やがてその石碑の前にロンロは到着した。
「近くに寄るともっと大きい…。竜の封印って大層な事をするだけの説得力はあるかも…。」
目の前の石碑は軽くロンロが5~6人は縦に並んだ大きさがあり横幅も広い。恐らく一枚岩から削り出したのだと思われるがどうやってこんな巨大な岩を運んだのだろうと不思議に思う程に圧倒的な存在感だった。
「遠の瞳の術…オアキッパの首領一族が魔の才能があるとすれば…お婆さんはこの岩の封印を一時的に解いたと言っていた、封の贄の為に。何か調べればその痕跡があるかも。」
ロンロはレザーリュックから細長い15cm程度の筒状の物体取り出した。魔学によって作られた物質構成判定機。本来は魔学の技術で作り出されたコピー品つまりは美術品等の贋作判定や、事件現場で残った痕跡(頭髪や皮膚、血痕等の生体物質にも通用する。)を特定する為に使用される。
「とりあえずこの石碑の成分分析しましょ、話はそこから。」
ロンロが起動を念じた物質構成判定機の先端から小さく光が灯る。
これは使用者の魔力を動力として動く魔機である。
そこまで魔力を使用しないのでロンロの様な魔法使いや魔女で無い一般人にも念じるだけで簡単に起動させる事が可能である。元来、魔の力は生命の生きる為の力。人間だけでなくその辺の草木や小動物や果ては虫にも微量ながら魔力はあり、この検査機器はその微量な力で十分起動させる事ができる。
そしてロンロは同時にレザーリュックから朝方資料を読む際に使用していたタブレットも取り出して左手に筒状の検査魔機、右手にタブレットを持ちその二つを通信リンクさせた。
「よしっ…と。」
物質構成判定機を自分の手が届く範囲で石碑にゆっくりと押し当てて、この石材の成分を分析する作業を開始した。チェックする度にタブレットの成分表示を確認しながら満遍なく石碑をぐるりと回って調査する。
「んー……何処から見ても成分的にも普通の火山岩ね、まったく持って普通!」
ロンロは検査器具を一通りレザーリュックにしまい込んで「うーん」と片腕を顎に当てて考える。
目の前にある石碑は封の儀式を始める為に光の柱に封じられている竜の封印を一時解除する為に首領オアキッパが訪れたという。本来は起動した状態であったかもしれないが、もしかして今はその封印が解除されているのでは無いかとロンロは思った。
「だとしたら痕跡を調べましょう、よっと。」
ロンロは再びレザーリュックを降ろしその中から一つの手の平大の細長い黒い色のケースを取り出した。
それを開けて中から眼鏡の様な検査機を取り出す。普通の眼鏡よりレンズもフレームも太く分厚い野暮ったいそれをロンロはかけると左端のフレームについたスイッチを押す。
「わ‥‥!?あるある!魔力の痕跡が!」
この眼鏡は魔の才能無き人間でも魔力、エーテルの動きを目視する事が出来る魔機である。
魔力的痕跡は魔学を用いた犯罪に置いてそれは大きな証拠となる。
特殊なレンズにはその映像データをタブレットの等の端末に画像データとしてその情報を送る事が可能で近年の魔学犯罪の状況証拠として大きな成果を上げ、リッターフラン対魔学研究所における主力検査魔機になりつつある。これを発明したのは稀代の天才魔女でロンロの友人、ハルバレラ・ロル・ハレラリアでありこれはテストに協力したロンロが現物支給報酬として頂戴した一品、普通はまだ個人で持ち出せる様な検査魔機では無いのである。
持つべきはデキる友人だとロンロはシミジミと思う。
性格と言動はアレだけど…。
尚ハルバレラはこの発明品で特許を取り瞬く間に財を築いた。
リッターフラン対魔学研究所はもちろんの如く様々な国の研究開発機関や企業、警察や軍、他国からもこの検査機を欲しいと依頼が殺到したのだ。
一時期は破産に近い状態であったのに流石であると彼女の横にいながら感心したのであった。
「これは魔紋?自動展開している魔法式…。かなり原始的な術法ね。このア・メサア島独自…ううん!お婆さんの「遠の瞳」に恐れる反応からすると島民はほとんど魔法、魔学について疎くその知識と力を秘密にされている筈!だとしたら…うん?これって?」
ロンロはレンズ越しに見る目の前に大きな石碑に刻まれた魔紋の模様を何処かで見た覚えがあると感じた。これはそうだ、学生時代に魔法史でこれと似たような魔紋の写真と資料を確認した事がある。それは3000年近く前にとある古代の大魔法使いが残した痕跡と言われる国内最古の魔紋痕跡。あれは確か「パラナアの古代紋」という名前だった。古代的なまだ洗練されていない魔術方で、それでいて粗削りながらも力強い印象のあったあの魔紋式の痕跡だ。
「似ている!伝承通りに2300年前にこの島に移民としてクアン・ロビンの一族が渡ってきたと言うのは本当かも!その頃の!大陸で生まれた古代の魔法式を今に伝えて、いや…当時のそのままの状態で今も使われているとしたら!」
ロンロは魔法痕跡を発見する眼鏡式検査魔機を取り外し、後ろを振り返り裸眼で封の柱を見上げる。
まだ太陽が高い時間帯の光の柱は金色ではなく淡い白い光となって天を貫いている。
「この魔紋自体がどういう作用を施していたのかはまだ判らない…。だけど、本当にあの封の柱になんらかの効果を働かせていたとするならば…。竜が本当にあの光の柱の奥底で眠っている…!?まさか…?でもこの石碑に刻まれたのは大陸側で使われているのは古代の魔術方式…。歴史的に繋がりがあるのは恐らく間違いなくて…。もしかして本当に…?」
ロンロは資料にあったア・メサア島の始まりの一節を思い出す。
2300年前はこの島、ア・メサアは無人島であったという。
そこに当時、竜と戦ったクアン・ロビンと呼ばれた一族あり。
大陸の草原に住んでいた一族が竜との戦いの末、
弱ったかの竜を追いかけこの地に墜落するのを見つけた。
そして竜を封印するが為に、
島に民が上陸したのが、今のア・メサア島の始まり…
「そう…人の子よ。大陸の聡明な人の子よ。よくぞ見破りました。」
大きな石碑の上に腰かけた長い金髪の少女が笑顔でロンロに拍手を送る。
今度のこの声と姿は、裸眼のロンロ・フロンコにもしっかり確認できた。
「だ、誰!?いつの間にそんな場所に!?女の子なの!?」
その姿から自分と同じ程度年齢と背丈の女の子であるとロンロには判った。
「貴女を待っていた。確信に近づく貴女を…。」
少女は腰まで届く長い金髪を靡かせてゆっくりと石碑からふわっと、ゆっくりとしたスピードでロンロの目の前に降りて来て、そしてじっと彼女の顔を見つめて優しく笑う。
「え…!あれ…!?ええええええ!!!??」
その石碑から浮かびながらゆっくりと降りて来た少女の顔を見たロンロは驚きに包まれる。
それもその筈、その顔はとても見覚えのある顔であったからだ。
とても見覚えがある。
小さい頃から、物心ついた時から知っている慣れ親しんだ顔。
今朝だって鏡でその顔と姿を確認したのだ、愛すべき愛すべき…少しもうちょっと小顔になりたいなとかもうちょっとまつ毛長くならないかとかあと少し鼻が高くならないかとかいつも思う、その顔は。
「待っていたの…貴女の名前は、ロンロよね…?」
「え!?ちょ!ちょっと!?なんでぇえええええ!?私とそっくりいいいいいいい!!!!!!!!!」
少女が高所からいきなり自分の目の前に飛び降りて来たと言うのに、ロンロにはその驚きよりも目の前に自分と同じ顔をした人間がいるという驚きの方が勝っていた。目と口を限界まで大きく上げてロンロはあまりの衝撃にその顔のまま硬直してしまう。
「どんくさい所もあるけど…私の見立ては間違っていなかった。とても聡明で広い視野と知識を持ち、行動に移せる貴女の様な子が、私の念願成就には必要なの…。私はきっと!2300年前から貴女の様な子を待っていた…!!」
「だ、誰なの…!?一体!?どうして私と同じ顔をしているの…!?夢!?信じられない…!!」
ロンロの目の前にいる少女はにっこり笑う。そして島中心部から伸びる天を貫く光の柱を無邪気に指さしてこう答えた。
「私の名前はメルバーシ、かつてクアン・ロビンの一族に裁きを与え焼き払った竜!そのものよ!」
「りゅ、竜!?そんな!?でもなんで私の顔なの!?えええええええええええええええ!?!?!?」
混乱に包まれたロンロ・フロンコは頭を抱えてその場に蹲った。
あまりの自体に情報を処理しきれずに一種の混乱状態に陥った。
それもその筈、目の前にいる少女は自分と同じ顔をして、そして空から落ちてきて、尚且つ自分を竜と言うのだから。一気に理解不能な情報が洪水の如くロンロを襲った。
その困惑するロンロの様子を見ながらも、目の前の少女は笑みを絶やさなかった。
彼女にはどうしても叶えたい事があって。
そしてその大きな目標の一歩目を遂に歩めたからである。
彼女は、2300年以上待っていたのだから。
光の柱をその身から巻き上げて、この島の奥底でその日を夢見ながら待っていたのだから。