地這蝶
ア・メサア島の朝は遅い。
島の中心にある【封の柱】から放たれる光が島全体を照らし、現地の人々も観光客も夜遅くまで起きて活動しているのもあって島全体が夜型生活に特化したような暮らしをしている。ロンロは昨日21時過ぎにはホテルに戻り船の長旅と揺れの動揺もあってか地震測定器を組み立て起動させシャワーを浴びてすぐに寝てしまった。大きさが大きさだったので測定器の組み立てと起動には少し時間がかかったのだが…。大きな鞄からパーツごとにバラバラになった測定器を組み立てながら良くこんな重たくてゴツゴツしてデッカイ物をここまで運んできたなと我ながら感心していた。
いつもは日付が変わる位まで仕事や研究の整理もあって起きているロンロではあったが、旅の疲れもあり普段よりも早く寝床についた。起床時間は9時過ぎで普段より少し遅いぐらいではあったが朝の支度をしてホテルの割り当てられた部屋を出て見ると…誰もいない、まだ宿のスタッフも仕事時間では無いのだ。食堂もガラガラである。ロンロと同じ様に本土首都と同じ生活リズムで起床した観光客もチラホラ見かけるが、やはり食堂も空いて無ければフロントにもスタッフはいないので何をする訳でもなくロビーにあるソファーにぼけーっと座ったりしていた。
「そういやオアキッパ・インズナとの面会も夜20時からだった…。この島って凄い生活リズム…。まだア・メサアの人々にとってはこの時間は早朝で、むしろまだ夜みたいな物なのね…。」
ロンロは宿のロビーの隅にあったソファーに腰かけて携帯用のレザーリュックからタブレットを取り出して起動した。エーテルの力で起動するこの金属の板状の端末はロンロの友人、魔女ハルバレラ・ロル・ハレラリアが提唱した「ヒルッター理論」に基づいて作動する。エーテル、つまり魔力そのものに情報が記録され伝達さるという仕組みを発見したハルバレラはこの世界に情報革命を起こした稀代の天才である。現在22歳の彼女が11歳の頃、今から11年前に発見されたこの理論により世の中は様変わりした。今や紙の書類や本等も徐々にその数を減らしているのであった。
エーテル内に蓄積された情報をタブレット前面のモニターが表示する。
今回の調査に対して用意されていたこの島の情報である。
「第132代クアン・ロビン首領、オアキッパ・インズナ…。代々一族の家系が務める。現在27歳。クアン・ロビンの民を竜から守り、ア・メサア島に封印した初代首領から数えて132代目…。ほんとかしら?」
イマイチ信用ならないというロンロ・フロンコ。
この一族は2300年間もこの島に置いて自治をしてきたという伝承がある。少なくとも保護領に入ってから120年前の127代目からは国側も把握している。それ以前は不明ではあるが、島では代々続いてきた名家であるのは間違いない様だ。島の政を司る竜を祓うクアン・ロビンの神の代弁者。神と同等の扱いを島民から受けている家系だという。
伝承によると2300年前はこの島、ア・メサア島は無人島であったという。そこに当時竜と戦ったクアン・ロビンと呼ばれた大陸の草原に住んでいた一族が戦いの末、弱ったかの竜を追いかけこの地に墜落したのを見届け監視する為に島に上陸したのがア・メサア島の始まりだという。初代クアン・ロビン一族の首領は竜が目覚めぬ様に島に四つの呪縛結界を張り、この島に腰を落ち着かせる事を決めた。以来2300年間、現在の首領オアキッパ・インズナに至るまで目覚めれば人に災いもたらす竜を監視し続けているという。
(伝承や昔話にツッコむのもアレだけど…竜なんてね。実際にこの世界に存在した訳じゃない空想上の生き物だし。この手の伝承は色々都合よく改変されて記録されている物だから…竜というのは当時敵対していた他の部族や国の比喩だったりもするかもね…。)
ただ、そうは言っても現代の科学力魔学的視点ではどうにも解明できないものがはっきりと、堂々とこの島に存在している。この島の中心部から延々と沸き上がるあの光、「封の柱」である。それこそあの神秘的な光放つ存在は本当にこの島には竜がいたのかもしれないというロマンも掻き立てるのである。そしてそれはこの島の観光という視点においても大いに宣伝文句として役に立っているという訳であった。
「あ、そうだ!」とロンロは立ち上がりタブレットのスイッチを切る。
フロントカウンターの隅に設置されている公衆電話機に100エメリ硬貨をガシャガシャと5枚ほど連続で投入する。首都にいる知り合いに連絡を入れる為であった。ヒルッター理論により電話機が発明されて早10年、今やこうして遠方や他国にいる人間ともリアルタイムで会話出来るのである。良い時代になったものだと未だに人々は語り継ぐ。それもこれもこれからロンロが電話しようとしている相手、天才魔女ハルバレラのヒルッター理論のお陰なのである。ロンロの声はエーテルに乗りそれを飛ばしたエーテル波が海上のあちこちに設置された中継地点まで到達して一旦エーテル波を増幅してまた飛ばす。このリレーを繰り返す事により海の向こうの人ともこうしてお話出来るのである。…距離が距離だけにお金は凄いかかるのだけれども。現在ハルバレラは首都の魔機通信会社最大手と携帯電話の開発に着手しているそうであるが早く完成して欲しいなぁとロンロは常々思っている。
何度かのコールの後に電話の相手が出る、ロンロの6歳上の友人である魔女・ハルバレラが電話に出た。
「ハアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアイ!!!!!!!!!!!オハヨウサワヤカモッニーーーーーーーーーーーーーイイイイイイイイイイイイイイイン!!!!!アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!今日ハ4月11日デ時刻は9時過ぎナノ!!!イエエエエアアアアアアアエエエエエエエエエエエエアアアアアアアアアアアアエエエエエエエエエアアア!!!!!!!」
朝っぱらから受話器のスピーカーの音量限界値まで振り切る様な強烈な声がロンロの耳を襲ったので思わず顔を顰めてロンロは耳から離す。その後「朝っぱらからうるさあああああい!!!!」と応戦をした。まだ静まり返っている宿のロビーではあったが数人の人間がいたので一斉にロンロの方を振り向いた。恥ずかしくてロンロは照れ笑いを浮かべて手を振って「いやーなんでもありません!ハハハハハ!」と笑って誤魔化した。
「おはようハルバレラ!そしてとてもうるさい!」
「ゴメンネーロンロちゃーん!オハヨウヨー!」
「鼓膜が破れるかと思った!ちょっと聞きたい事あんだけど!!」
「ナニナニー、ア・メサア島の朝はご機嫌カシラ?」
「お陰様で貴女のお陰で一気に目が覚めたわ!」
「それは良かったワー。もうお役に立てたのねワタシ!!」
「そうだね!もう…。あとそれとさ、昨日の夜頃にこっちで地震あったんだけど。」
「あーねー。ア・メサア島の地震なんかしょっちゅうデショ?」
「特に首都では報道されていない?」
「一切!されてマセーン!!残念デシター!!」
相変わらず22歳の女性とは思えぬ砕けたふざけた口調で話すハルバレラ。これでロンロ以外の人間や公共の場所ではではきちんと大人の女性として振舞うのだからギャップが酷い。
「そっか…やっぱりこれで普通なんだね。こっちでは。」
「アッタリマエデショー、ロンロチャーン。貴女ちゃんと今回の仕事資料しっかり読みましタノ?そのア・メサア島は15年前に大地震がアッテね~、それ以降偶発的に頻繁に地震が起きているのよご存知アリマッセン?」
「え?そうなの!?」
ロンロが電話越しに驚いた声を上げる。
「だめだこりゃ!!!!!!!!真面目に働きなさいヨ!!!!!!!今回の調査ではまず把握すべき基礎的な知識デショウニ!!貴女遊びにいったのア・メサア島に!!!ズルイワネ!!!私もイケバヨカッタカシラ!!??リッターフランがお金ダシテクレルノカシラ!!?!?!?」
「あーいやいや、ハハハハ…。一応読んだんだけど。「封の柱」の事ばっかり気になってて他の情報全く頭に入って無かったな‥。」
「モーこの子はショウガナイワネ!!ホントにアタシの地元ヒルッターブランツの救世主カシラ!?」
ヒルッターブランツ市はかつて怪異事件が起きた場所で、その騒動を結果的に解決したのがロンロ・フロンコであった。以来二人は友人となり頻繁に顔を合わせては連絡を取り合っている。
「でも実際に体験してみたら結構凄くて驚いちゃって…。ほら首都回りじゃ地震なんてほとんど起きないじゃない?あんな揺れが一か月も続いているなんて。ん?一か月?15年前の大地震から始まったのよね?」
「ホント何も把握シテオリマセンワネこの娘ハ…。」
流石のハルバレラも少しロンロの無知っぷりに飽きれてしまった。電話口から聞こえるトーンでもそれが把握できた。
「う…、情けない。」
「イイコトー?15年前の大地震で島は壊滅的なダメージを受けたワ。それ以降は余震とも言える感じデ揺れが偶にアッタソウダケド、一か月前からその揺れの頻度が増えテキタって訳デサネ。」
「へー、昔からある程度揺れてたんだ。通りで島の人達は地震に慣れている感じだった訳だ。」
「トイッテモ頻繁に揺れ始めたのは一か月前からヨ、これに関してはワタシモ仕事で面白い話を聞いたコトガアルワヨン。ワヨン。」
「面白い話?何それ。」
「面白い話は二つありまース!まず一つ。揺れの質が大陸で起きる地震とはまるで違うトイウ事。私は地質学についてはテンデ判りませんけどモネ、どうも大陸で起きる地震の揺れ方とは根本的に何かが違うソウヨ。」
「揺れ方が違う?ふえ?普通の地震じゃないって事なの?」
「そう、大陸の地震とは発生方法が根本的に違うトイウノーガー、今の考え方の主流なヨウデス。リッターフランにこの話が舞い込んだのも人為的に起こされていると国が危惧シタカラネ?その線だって十分アルワヨという事!まぁ怖イ!!!!」
「えええ…、そんな地震を人間が起こしているなんて…。考えられない!」
「マァマァ仮説ッスヨ!仮説!!もう一つのがワタシハ好みだけどね!!ヒイイイイヒヒイイ!!!!」
ハルバレラが電話越しで気味悪く笑う。
「何よ?」
この不気味な声も慣れたもんだとロンロがそのままのテンションで質問を返す。
「それは「封の贄」の風習ヨ…!カツテ15年周期でア・メサア島の人間は首領の手で直接生贄としてあの光の柱に人間を奉納しテタトイウンダカラ!!!エキサイティン!!!!!」
「え…!何それ!!私も地震とか他の情報は全然だけど「封の柱」関連の情報は読み漁ったよ!何も聞いてないし記述もされて無かったわわそんなの!この時代に人柱!?」
驚きでロンロの声が上がる
「コーラコラ、あまり大きな声で言っちゃダメよ、ア・メサアの因習ナノヨ。伝統のネ。」
「あ゛…ごめん。ちょっと詳しく教えて…。」
辺りを気にして身を縮めてロンロが一回り小さな声で話し始める。
「ア・メサア島の中心部にある現地の人々が聖地トシテ崇める大穴、そこから湧き上がる大出量の光、「封の柱」の底には竜が眠る…ご存知ヨネ?生贄という意味はソノママよ。竜がそのまま島に姿を現し、その力を持って島を破壊するのを抑える為にア・メサア島のクアン・ロビンの民はその2300年間の伝統で生贄を捧げていたノヨ…長い歴史に置いておよそ15年周期デネ。」
「生贄…?こんな外部の人間も大勢やってきている時代に?本当なの?信じられない…。」
「事実ミタイヨ…。とはイエ120年前に我が国の保護領となり流石に近代化して観光で富を築いた昨今はロンロちゃんの言う通り最早ヤッテイラレナイ、隠し続けるにも無理がアルワネ。30年前を最後にこの「封の贄」は2000年以上の因習の歴史に終わりを告げた…ダガドウデショウ!!!生贄を捧げるのを止めた今から15年前ネー。大規模な地震が島を襲っタ!!…噂だけドネ。その時に予定より遅くなったけど…島は仕方なく生贄を捧げた様ヨ……。」
「そんな…。そうだとしたらあの「封の柱」の底に本当に竜が眠って存在しているみたいじゃない!生贄が止まった事に竜が怒ったとでも!?」
「ソウヨネ~~~~~。デモ、マ、ワタシはネー!ただの偶然だとオモイマスケド!!」
「信じられない…ちょっとその因習、封の贄については私、調べて見る。」
「アラアラこの子ハ、無茶シチャダメヨ。この事はア・メサア島は表向きには秘密にしているから知られたらタダじゃ済まないワヨ、口封じだって十分あり得るのダカラ。危なかったらワタシを呼ビナサイ、船なぞ使わず直接海を飛んでソウネ…1時間半もありゃ到着するワネ。」
「高速でこの距離を空飛んで来たら島に着いた途端ヘバっちゃうでしょ?」
「マァネ、サスガ魔学者の姉御でゴザイマシテお見通しデ。」
「うん、でも判った。色々ありがとうハルバレラ。無茶はしない程度に調べて見る。」
「ホントに気を付けてヨネ~~~。貴女が無茶しているの前に見ているからちょと心配ヨ。」
ハルバレラは本当に少し心配そうな声のトーンで話した。目の前でロンロが無茶をしてきたのを直接見ているからだ。
「じゃあ少し島を調査してくるね、また連絡する。」
「必ずネー!お土産はその島にいる竜の鱗でも一枚剥ぎ取ってキテチョーーーダイ!!!!」
「はいはい、竜がもし本当にいたら頑張ってみるわ…。」
電話を切ってロンロはレザーリュックを改めて背負い直す。
生贄の風習、そんなものが実際に行われていたのであろうか?オアキッパ・インズナに挨拶に行く時間は夜の20時で余裕は十分ある。その時間を利用してその因習、「封の贄」について調べたくなった。思えば直に行動に出るタイプのロンロはまだまだ解放されていない玄関では無く裏口からホテルを飛び出した。今日は観光地から外れて島全体をぐるっと回ってみようかと考えていたのだ。まずは、情報取集。
(だけどハルバレラの言うのが確かならば、生贄の因習みたいな事が実際にあったとしたのなら…。国の調査団派遣を拒否した理由も判る。大陸から遠く離れたこの島は本国の価値観では相容れない物があるのだとしたら…。)
ホテルから元気よく飛び出したロンロを、宿の屋根の上で見つめる少女がいた。
あの光の柱の前にいた少女、長い金色の髪を風に靡かせてロンロの背中を目で追っていた。
「あの子…あの魔力に言葉を乗せて大陸の人間と会話していた…。この島を探っているのね…やっぱり外来人!!そっか……。島の人間でも良かったけど、今となっては最早クアン・ロビンの子孫達に恨みも無いし……。でも、あの子が良いわ…。クアン・ロビンはまだまだ私の正体を知れば隠し事を続けるかもしれない…彼女に色々教えて貰わなくちゃ………。」
膝まで届きそうな程の豊かな金色の髪をかき上げて呟いた。
この少女はロンロとハルバレラの通話のエーテル波を傍受して会話を盗み聞きしていた。
そして少女は屋根から勢いよく飛び上がると、その姿を「封の柱」から放たれる光の中にに溶け込ませて消えていく。
だがロンロはその視線に気づく事は無かった。
彼女は事前に出発前に用意していた島の地図を広げる。
ア・メサア島は約214平行クリッター、この大きさなら頑張れば1日でとりあえず一通り一周して見渡せる面積である。ア・メサア島は島の西南にある港からその周辺を主に観光地として開発が進んでいる様であるが、封の柱が沸き上がる周辺を含む各場所の聖地や私有地以外は特に立ち入り禁止区域も無い。
「少し…見て回るか。私はまだここの事を何も知らない。」
ロンロは宿を出て島の北方面に向かって歩き出した。
この島が観光地として外部の人間を受け入れ始めたのは今から30年程前になる。
当時はまだ庶民には縁遠かった魔学を応用し利用した魔機が一部の産業や機関に普及し始めた頃である。魔学によって航海に必要な情報分野が飛躍的に発達し、より安全な航海が可能となった。エーテル動力式の魔動船(内燃機関)も本格的に登場し始め、更に船旅は安定した。
ア・メサア島はそれまで農業と漁業でのみしか産業が無く、島では大規模な農業も不可能な点に加え本土から遠く離れていた為に漁業の面でも流通の面で不利であった。だが航海技術の発展によりそれまでより遥かに往来が手軽になったのに加え、小競り合いはあったものの大陸における国家間の大きな戦争もなりを潜めて人々の注目は娯楽に集中していく。先代のア・メサア首領、今のオアキッパの母であった人物はこの島に封の柱による観光需要がある事を見抜き島の人々の生活安定・向上の為に大改革を行い本土から外貨獲得の為の誘致を始めた。
現在の一大観光地「神秘の竜眠る島、ア・メサア」の誕生であった。
「とはいえ、こんだけ地震が続いていたらその内に悪評も立って客足も減りそうだけど…。」
ロンロは島全体を見渡しながらゆっくりとした足並みで島を北上していく。
北方面に向かえば向かうほど未開拓で丘の様になっていく険しい坂道が続く。
延々とした上り坂に早速ロンロはバテてきた。基本デスクワークが主流なのでこの娘は日頃は運動不足である。しばらくすると本土では見られない植生の光景も新鮮味が無くなり疲労だけが蓄積してきて一気に後悔を始める。大体携帯する飲み物や食事等も全然用意をしていない。そもそもこの島はまだ「朝」では無いので食堂も何も開いていなかったのである。他の観光客も島のリズムに合わせて大体の人は夜遅くまで起きて昼過ぎに起きるようなスタイルになっているのでそれで問題無いのだが…基本ロンロは観光客では無かったのが彼女にとって盲点であった。
もう限界とロンロはくたくたになって道の脇に無造作に転がっていた岩に腰かけた。
「はぁ…はぁ…北部の方は全然開拓されていないのね…。道も土剥き出しで荒いし…。」
でも、空が綺麗だとロンロは思う。
首都で見る青空よりずっと綺麗なお日様と白い雲が、何より光の柱が太陽の出ている今の時間でも延々とその輝きを放ち続けている。夜に見た「封の柱」は金色に輝いていたが、今はうっすらとした真っ白な輝きに見える。時間ごとにその柱の光の色を変え続けるのもまたこの島の魅力であった。
そして、ぼーっと空を眺めているロンロの足元にゴソゴソと何かが擦れる音がするので何気なく視線を下に向けると彼女は飛び上がりそうになって驚いたのである。
「ひゃぁ!な、ナニコレエエエエエエエエ!!」
彼女の足元には無数の蝶がその大きな透明な羽を地面に引き摺りながら歩いていたのだ。そしてそれは道の向こうの草むらが続々とやってきているのである。歩く蝶の集団大移動というロンロが人生の中でこれまで見た事の無い凄まじい光景であった。
「ええ!?う、うわぁぁああ!!」
驚きの余り急いで立ち上がってその場から離れるロンロ。
無数の歩く蝶は道は続々と道を横断していくのであるが…それにしても恐ろしい数である。100匹や200匹じゃ到底済まない数の夥しい透明な羽を持った蝶の群れがそれを地面に引き摺りながら行軍していく。
「な、何…?あなた達ってその大きくて綺麗な羽は何の為にあるの…?えええ…。」
一匹一匹が16歳の女の子ロンロの手の平位の大きさがある。
それはまるで本土で見る大方の蝶程の大きさ。ロンロは驚くような呆れる様な複雑な表情を浮かべて顔を引き攣らせる。異様な光景であった。道は歩く蝶の群れによって北側と南側に完全に分断されてしまった。こうなると最早「歩く蝶の運河」とも言える光景である。
しばらくその蝶の運河を驚きを持って見つめ続けていたロンロの前に、一人の老婆がクワと大きなカゴを抱えて下の坂道を上り近寄ってきていた。老婆は驚くロンロと蝶の河を交互に見つめたあと「ファファファ!」と声を上げて笑う。
「あ…その…オハヨウゴザイマス……。」
蝶の河で北のロンロと南の老婆に分断された状態で、ロンロは老婆に挨拶をする。年の頃は70歳以上は迎えているであろう、しかし背筋はピンとした健康そうな老婆であった。その歳でロンロがバテた坂道も難なく歩いてきている…現地の人であろう。
「おはようございます。ミヒョワ様を見てその慌て様…。お嬢ちゃんは本土の人やね。」
老婆も丁寧に挨拶を返してきた。歩く蝶の大群に一つも慌てず老婆は冷静に状況を判断してロンロが首都から来た人間だと見抜いた。
「ミヒョワさま?この歩く蝶のが…?そういう名前で…随分変わった生体の蝶ですね。」
「このミヒョワ様はの、この下にあるクアン・ロビン族の首領様のお家に向かいよるんよ。」
「え?そっか、そういえばそうですね。北西の方の坂を下った先に首領オアキッパ様のお屋敷があるとか。」
「そうやねぇ、首領様の家には大きくて綺麗な淡水の池がありよるからね。そこで皆、日が落ちるのを水を飲みながら待つんよ。」
「日が落ちるまで…?夜行性なのかな。」
「ミヒョワ様は封の柱の金色の光をその羽で受け止めて空を飛びよる。夜にしか飛べない虫なんよ。昼間は飛べん。」
老婆はロンロに優しい口調で説明した。
「な、なんて変わった蝶…、あの光の柱はこの島の生態にも影響を与えているんだ。」
老婆は蝶の行軍を眺めながら答える。
「ア・メサアの島はあの柱で成り立っとる。観光もそうじゃが、虫も動物も鳥も、わしら人間も。あの柱があってこそのこの島じゃからの、カッカッカ!」
「ビックリしました、ここで休んでいたら後ろからいきなり蝶がわーっと歩いてきて。何事かと…。」
「あんれま、お嬢ちゃん疲れたかね。この先にわしの畑があっての。ボロじゃが屋根付きの休憩する場所もありおる。お茶とちょっとした食いもんじゃが出したろかね。」
「わ!!すいません助かります。島を甘く見ててこんなに坂道が続くなんて思って無くて準備も…。お邪魔してよろしいでしょうか?」
ロンロはついでにこの島の事についても色々現地の人に尋ねてみようとも思った。あと本当に軽装でなにも準備していなかったので喉もカラカラであるので渡りに船である。
「ええ構わんよ。観光客は大切にせんと先代様から怒られるからの、カッカッカ!」
老婆はそう言って再び元気よく笑った。
やがて目の前を歩く蝶の大群の数が徐々に減っていき、そして途切れる。どうやらミヒョワ様の群れは無事横断出来た様である。それにしても大陸生まれ都会暮らしであるロンロには衝撃の光景であった。飛ばずに歩く蝶の大群など本土では絶対に見かけない。
「ついてきなされや、もうちょっと上がったらわしの家の畑じゃの。」
蝶の河の流れが止まり合流した二人。
ロンロは言われるがまま老婆についていくが…それにしても外見の年齢の割にしっかりした足腰である。まだ16歳のロンロの方が完全に上り坂で後れを取っている。畑をやっているという事は農家の人で、普段からの作業で鍛えられているのかもしれない。
「はぁ…はぁ…。お婆さん坂道なのに…はぁはぁ、しっかりした歩みで…凄いですね……。」
「んー?毎日歩いとるよ、ワタシはの。」
「若いのに…私って情けない…はぁ…はぁ…!」
「本土には坂が少ないんかね?」
「いやーあるにはあるんですけどね…。私の運動不足というか…。」
元気な老婆とひ弱な少女が坂を上りきった先に見えたのは広大な農地であった。道の右側に背の低い植物と綺麗な黄色の実をつけたロンロの背丈より低い木々が広い農地に広がっている。更に遠くに見えるのは青い青いア・メサアを取り囲む海の景色、遠くに見える光の柱もあってこれだけで立派な観光名所になりそうな見事な風景であった。
「はぁ…はぁ…、わぁ……凄い……。」
「遠くの方に畑を区切る柵があるじゃろ、あそこまでがうちの畑やね。」
「はぁ…はぁ…ふう…、とっても広い…。立派な場所です。」
「本土の農園の方が広かろうよ、カッカッカ! さぁ、向こうで一休みしようさね。」
ロンロは老婆についていくまま畑の中を進み、奥にあった簡素な小屋まで辿り着く。
扉という物はなく大きな日除けの様な木製の屋根が出っ張っている、吹さらしで板張りの小屋であったが綺麗に掃除はされていてお婆さんのマメな性格が伺える。十数年は使っているであろう、恐らくこの島に最初に持ち込まれたであろう、古い旧式のエーテルコンロと冷蔵庫が奥に見える。老婆は作り置きしていたであろう冷蔵庫からお茶の入ったガラス瓶とコップを持ってきてロンロに中身を注いで手渡した。
「まだ寒いかもしれんけど、運動したなら冷たいのが良かろ?」
「ありがとうございます…!有難いです。」
コップに注がれた薄く透き通った黄金色の液体は日差しと封の柱の光を反射して綺麗な輝きを放っている。ロンロはお礼を言ってコップを受け取り中のお茶を一気に飲み干した。
こんな事なら前日にきちんと用意しとけば良かったなぁと後悔をしたものの、飲んでみると冷たいお茶が喉を伝って冷たい機動を描いてお腹に落ちる爽快感が彼女の疲れを一気に吹き飛ばした。
とても美味しかった。
「トラサイのお茶、うまかろ?向こうの方の畑で爺様が作っとるうちの自家製の奴やね。カカカカ!」
老婆は美味しそうに一気に飲み干したロンロを見て笑顔で言う。
「はい…。とっても。これ宿でも昨夜飲みましたけど、島のお茶ですよね。とっても美味しい…。透き通っているのにしっかりとした苦みがあって。その苦みも直に良い香りに変わって溶けていって。」
「島では子供もわしみたいな年寄りもみんなこれを飲んでるんよ。島の人間はこれを飲んで育つんやね。」
「へぇ~、そういえば畑で沢山栽培されていたあの背の低い木は何の…」
ロンロと老婆がゆったりとした会話をしていたその時、昨夜に体験した様なあの揺れが、再び島全体を無差別に襲い始めた。
「ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ!!」
という地鳴りと共に縦揺れの地震が島の大地を揺るがしたのだ。
「うわあああ!!」
ロンロは慌てつつも手に持っていたコップを投げ出さない様にしっかり両手で押さえる。
「…またかの。」
対照的に老婆は揺れに慌てる事無く落ち着いて辺りを見渡している。
ガタガタと音を立てて揺れる小屋、冷蔵庫の上に置いてあった時計が床に落ちてガシャンと音を立てる。
小屋に立てかけていた老婆のクワが倒れ、畑の作物が揺れる。
小さな実を沢山つけた低い木の作物からボトボトといくつかの果実らしき黄色い丸い物体が振り落とされて地面に転がった。
揺れの大きさは昨夜と同程度であったが今回の揺れは直に収まった。
まるで島の地の底で竜がここから出せと駄々をこねているかの様な地震である。
ハルバレラから島の因習について聞いたロンロは思わずその姿を想像した。
「びっくりしたぁ…昨夜も揺れたのに今日は朝から…。」
ロンロがまだ落ち着かない様子ではあったがゆっくりとお茶の入っていたコップを小屋の床に降ろした。
「この調子ではまた「贄」を捧げねばならんかの…。嘆かわしい、あんな事やっても無駄だろうになぁ…。」
「贄…、それってお婆さん!15年周期の「封の贄」…島の人間を柱に捧げる、つまり人柱の事ですか!?」
「お嬢ちゃん?贄を知ってるのかね?人柱という事をかね!?」
お婆さんはしわくちゃの顔にあるそれまで細く閉ざし気味だった目を大きく開いてロンロを見つめた。
「あのっ、その、私は話に聞いた程度ですが…!まさか本当に行われていたなんて。」
つい少し前ハルバレラに聞いて驚いたばかりの封の贄の風習の話を現地の人の口から聞いてしまった事にロンロ自身も動揺を隠せずにいた。本当に存在していたという事実は大きな衝撃であった。
「大陸の人らにも既に伝わっておって、当代オアキッパ様はどうするつもりじゃろうか…。」
「…良かったらその話、私に出来るだけで良いので聞かせて貰えませんか?」
ロンロは懐から名刺を出して老婆に渡す。
「なんじゃ?」
「私、首都のリッターフラン対魔学研究所と言う場所から来た調査員。ロンロ・フロンコって言います。この島の因習について少しお話を聞かせてください。」
老婆は名刺を見つめて険しい顔で答える
「…首都の偉い場所から遥々足を運びなさったのか。」
「いきなりで失礼は承知ですが、この島の地震の原因について繋がる可能性もあると思います。お願いします!」
ロンロは勢い良く頭をさげた。
金髪のポニーテールで束ねていた髪が頭の動きと連動する様に跳ねる。
「わしの話す事など大したもんじゃ無いがの、それで良いのならな…もう外の人間に隠すのも無理があるじゃろうて…。こんなに島が揺れ続けてれば、尚更の如く…。」
「ありがとうございます…!無理を言ってスイマセン!!」
「ええんよ…。見た所お嬢ちゃんは悪い人間じゃ無いからの。ミヒョワ様を踏んづけたり蹴散らしたりしはしなかった。若い観光客は面白がってミヒョア様に意地悪をするもんじゃから良く怒り飛ばしておるわ…!カッカッカ!」
「ま、ちょっとその、ビックリしましたけどミヒョワさま、ハハハハ…。」
「それで良いとよ、わしは生まれてからずっと農業を仕事にしとるから害獣は殺めるけどの!カカカカ!!…しかしの、無駄な折衝はしないのが一番じゃ。人間は何かを食べるだけでその何かの命を頂いておる。無駄な殺しは本来はしちゃいかん、それこそ、そうじゃ…贄なんかはやったらいかん事や。いくら掟や昔からの決まり事であってもの。」
道を横断し、草むらの坂を駆け下りた「ミヒョワ様」の群れはこの島に住まう一族、クアン・ロビンの首領の館を取り囲む様にしてある大きな池の前に到着した。
やがてその池を取り囲む様にミニョア様の群れは展開し、そのストロー状の口で池の水を吸い上げて喉の渇きを満たし始めた。こうして日が落ちるまでこの池の周りにて「ミヒョワ様」は体と羽を休める。やがて日が落ちて、金色の光を柱が放つ様になるまで。
ミヒョワ様がその透明な羽を名一杯広げて金色に染め上げて夜空に飛翔するまで。
まだまだ随分と時間がある。