禁名の黄金竜・メルバーシ
ア・メサア島の不可解な地震の頻発に対して本土のリッターフラン対魔学研究所から派遣されたロンロ・フロンコが迎える二日目の夜。ようやく彼女は島の長である第132代目「オアキッパ・インズナ」と面会する事となった。この島は中央の光柱から沸き立つ黄金の霧とその柱の輝きで夜遅くになっても明るく夜を照らし続けている。昔からこの島の政は夜遅くから始まるのである。
(昨日は到着したばかりだからしょうがないにしても…二日目の夜となるとちょっと時間が経ち過ぎて今更感もあるなぁ…なんか、気後れするというか……。でも、夜にしか面会しないと言うし。)
本土から遠く離れたこのア・メサア島では土地柄もあり独特の風習が根付いており、またこの夜に動く島の政治というのにもロンロは少し慣れないものであった。
ロンロが進まない足を無理に動かして屋敷の門の前に到達すると、その門前の灯りの奥に人影があるのを確認出来た。背の高さや出で立ちから女性の様に見える。
「リッターフランからいらっしゃったロンロ・フロンコ様ですね、お待ちしておりました。」
奥の人影の女性らしき人はロンロが近づくと彼女より一早く頭を下げて出迎えてくれた。
「あ、あ!どうも…!遅れましたが島の責任者、オアキッパ様にご挨拶を…。」
慌ててロンロも頭を下げる。
(今日この時間帯に来るとは連絡しておいたし、年齢も性別も判っていた筈だけど直に私だと判断してこの人はここで待機して出迎えた…。遠の瞳術でここに来るまでやっぱり見張られてたかな。これは明日からの結界調査も迂闊な事は出来ないな…。)
ロンロが頭を下げながらその様な事を考えていると、目の前の女性は片腕を屋敷の奥の方へ広げて中に入る事を促す。この使用人と思われる女性は老婆であった。恐らくこの屋敷で長い事務めているのであろう、白髪交じりの長い髪を途中で結び真っ白なクアン・ロビンの一族の伝統的なものであろうか、白い生地に所々に蝶の模様が入った着物を身に着けていた。
「…あの、失礼ですがその着物の柄ですけど、もしかして地這蝶でしょうか?」
「よくご存じで。学者様とお聞きしておりましたが年若いにも関わらず流石に博識でいらっしゃいますね。」
「ええ、まぁ、ハハハハ…。」
老婆の使用人に愛想笑いを浮かべてロンロは誤魔化した。
実際は昨日この島に来て偶然地這蝶の群体移動を目撃し、偶然その場に出くわした島の老婆に教えてもらっただけなのだが。それにしてもあの光の柱の灯りと黄金の霧が漂う島内は夜になっても非常に明るい。灯りの近くとは言え着物の柄までしっかりと確認できた。
「ではオアキッパ様がお待ちです、中へ……。」
老婆に促されて門を潜り屋敷の敷地内へロンロは足を進めた。
門を潜ると中には大きな池がありその真ん中に人が横に並んで2~3人程は通れる程度の立派な木製の橋が通っている。ロンロはア・メサア式の整えた庭を物珍し気に見渡しながらその橋の上を通っていると、池の周りや庭石や、そして水面に浮かぶ水草の上にあの蝶がその羽を広げて体を休めているのを発見した。先程の話に出た、地這蝶である。
「地這蝶だ…、あれ?羽がうっすら光っている。」
「ミヒョワ様は本日のお役目を終えられました。また数日経てば我が一族に島の光を与えてくださります故…。今はお休み中でございます。」
「ミヒョワ様、確か地這蝶のこの島での名前ですね。光のある時にしか飛べない蝶…不思議です。」
しかし『地這蝶のお役目』とはなんであろうかとロンロは使用人の老婆の会話に疑問を浮かべた。
地這蝶には何かクアン・ロビン一族に対して何か重要な役目でも担っているかの様な言い方である。
(光を与える…地這蝶はその羽にこの島の光の柱の輝きを貯めて飛び立つらしいけど…この島の光は金色竜メルバーシの時を止める法の力。竜の力を蝶が貯め込む…?)
地這蝶ミヒョワ様について詳しく調べたくなったロンロであったが今は目の前の要件に集中する事にする。既に橋を渡り終えて目の前には大きな木造の本土では見られないような独特な様式の建物、屋敷の本殿が目の前にあったのだから。
「失礼いたします、こちらでお履き物を脱いで頂きます。クアン・ロビンの家は基本土足禁止な故。」
言われるままにホテルから履いてきた濃い茶色のローファーを脱いで屋敷の中に足を踏み入れる。外は黄金竜メルバーシが放つ光の柱の輝きで明るく照らされてはいるが屋敷の中にはその光も届かず、どこまでも暗闇が広がっている様に見えて少しロンロには不気味に思えた。所々に蝋燭の灯りがあるがそれも僅かではある。思えば門の前の灯りも火で起こした物であったが、この島では本土からやってくる観光客向けのホテル等の施設以外では魔機式の照明はまだまだ普及していないのかもしれない。それとも、一般家庭には普及しているがこの屋敷では伝統を重んじてまだ旧式の蝋燭や灯篭を使用しているのかもしれない。
長い長い木の廊下はひんやりと冷えており、靴下越しでも少し足の裏に冷たく感じる。
歩く度にギィと床が軋むのも暗闇と合わさり少し不気味だなとロンロは思う。どこまでも続く様な長い廊下、使用人の老婆に案内されるまま歩き続けるが流石に島の長が住まう屋敷だけあってかなりの広さである。何度か曲がったりしたものの屋敷の中だけで結構な距離を歩いている。
「こちらでございます。」
老婆の使用人が頭を下げて立ち止まった。二人は大きな広間に到達していた。
彼女は頭を下げたまま顔を上げない、どうやらここからは一人で歩いて行けという事らしい。ロンロは老婆に一礼すると広間の奥に一人足をゆっくりと踏み入れていく。広間の奥の方に蝋燭が灯りが見える、何十もの布の様な物が中心部から垂れ下がりそれはロンロの頭のすぐ上を掠める程。それを見上げるとかなり天井が高い広間である事が分かった。
オアキッパの放つ威圧であろうか、挨拶が遅れた事や彼女に無断で島の秘密を知ってしまった後ろめたさや封の贄や遠の瞳術による監視に対する懐疑心からであろうか。メルバーシと出会った事とあの島の中心部の大穴から沸き立つ光の柱の奥底を覗いてしまったが為にこの島の禁忌、竜の封印を解く事を目指す使命感であろうか、妙に引き締まった凍てついた空気が辺りを包んでいる様にロンロには感じられた。
やがて、ロンロより背の高い蝋燭台が左右に並ぶその中心に、ひじ掛けに体を傾けて凍てつくような視線をする若い女性の姿をロンロはしっかりと確認できた。
(この人が島の代表…オアキッパ・インズナ……。)
蝋燭の灯り越しに見える目の前の女性は純白の着物に銀のとても長い髪を垂らし、扇子の様な物を片手に閉じたまま持っていた。背は…座っているので良く解らかったがロンロより遥かに高そうである。女性としては少し大柄にも見える。
何よりその顔は不敵に余裕のある表情で、蝋燭の炎をしっかり受け止めた両目はまるで真っ赤に燃えるような鋭さを持っている。肌は化粧でもしているかもしれないがとても白く、銀色の髪と暗闇と合わさって独特の神秘的な面持ちを醸し出していた。吊り上がった切れ長の目は形良く、白肌を一層際立たせる。小さな小顔にすらりと通った鼻筋。クアン・ロビン一族の首領は時に民にとって神にも等しい存在になるという現人神としての一面もあるという。それが素直に納得できる程に迫力と妖しい艶を持つ大人の女性であった。
「遠路遥々…ようこそ学者殿。問題無い、腰を掛けよ。」
「は、はい…!ア・メサア代表、オアキッパ・インズナ様。来島した際に直に挨拶にこれず、時間が経ってしまい申し訳ございません。」
ロンロはア・メサア島出発前にリッターフラン対魔学研究所の同僚から習っていたクアン・ロビン式のお辞儀を行った。それは両手を揃えて前に出して床に頭をつけるまで倒す、つまりは土下座である。本土首都ではこの様な風習は無いので多少戸惑いながらぎこちなく行った。
「気にしておらぬわ、この島は夜に動き出す故に本土の人間には不向きであろう。この度は来訪ご苦労であった。」
「ど、どうも…。」
頭を上げたロンロはゆっくりと視線を目の前に座るオアキッパに移した。
不敵な表情を崩さぬまま目の前のオアキッパからの凄まじい威圧感に一瞬、息を飲む。
「しかしなんとも可愛い学者様がいらしたの。歳は十六程と聞いておったがこれはの、フフフ…。」
「えっと、あの…一応専門の大学教育は終了していましてリッターフラン対魔学研究所での勤務実績もあります。年若い女ですが与えられた役割は行うべく善処いたし…ますので…。」
子供だと侮られたと思いロンロは丁寧な口調ながらも反論したが、やはりオアキッパに威圧されてはっきりとは言い返せなかった。
「私とてクアン・ロビン首領を継いだのは十二の頃で其方より幼かった。しっかりお勤めを果たしてくれれば歳や立場等は構わぬ。」
「はい…、資料で事前に確認させて頂きました。若くして島を収める立場となり立派に政を仕切っていらっしゃると…。」
「クク…本土の資料にクアン・ロビン首領一族は何と書かれているのやら…きっと碌な事ではあるまい…クククッ……。」
「いえ、あの、そんな事は……。」
実際にリッターフランから事前に渡された資料にはオアキッパの皮肉交じりの予想通りに碌な事が書かれていなかった。島の封建的な制度、そして代替わりに現在のオアキッパの親である先代が歳若くして死んでしまっている事、そして島が本国の領土となって120年。この間に首領が代替わりした際には必ず先代が何らかの形で死亡している事についての懐疑的な見解等がびっしりと書き込まれていたからである。
ロンロは返答に困り果ててしまった。
「まぁ良いわ、本土の人間が島の政に介入する訳でもあるまいしの。…させる訳にもいかんが。それより学者殿?リッターフラン対魔学研究所の調査員という立場からア・メサアに参られたそうだが?本題は一か月前から続くこの島の不可解な地震の数々よ。魔学、つまり魔法的な力が人為的に働いてこの地震を起こしているという見解を本土は持っているという事かな?」
「首都にいる私の友人の魔女と情報を交換した所、本土で起きる地震とは根本的に揺れや発生の死性質が異なるという見解がある事も判りまして。地震を起こすような莫大な魔力、つまりエーテルエネルギーを人間が起こせるかどうかまでは不明なのですが。何せ本土首都でも前例が無く。…しかし何かしら不可解なエーテルの流れはあるのでは無いかと首都側も推測して私の所属するリッターフランにまで話がやってきたのだと推測しております。」
「ほう…。」
オアキッパはロンロの話を聞いて少し考え込む様に口を閉ざした。
(実際はもう地震の原因判明しちゃってんだけど!!メルバーシがあのデカい図体を竜の力を持って光の柱の沸き立つ島の中心部の穴底で暴れてただけなんだけど!!!!そんな迂闊な事を言える訳が~~~!!!無いでしょ!!!ていうかリッターフランにもこんな事を報告出来ないよ!!!竜の存在とか本来はおとぎ話なんだもん!!!)
等とロンロは考えながら焦りとも何とも言えない複雑な表情を浮かべた。
「成程、相分かった。島の地震が普通のの自然現状では無く、特別な起因があって発生させている可能性があると。その調査の為に学者殿は昼間の内に島の北西部にある封の網碑を調べていた、と。そういう事かな?」
「!!?」
目の前のクアン・ロビン首領のの発した言葉にロンロは目を見開いて驚き彼女を正面から見つめた。
オアキッパはその驚いた彼女の顔を見てニヤリと再び不敵な笑みを浮かべる。
「そう驚かずとも良いでは無いか?こちらこそ驚いたものよ。少なくとも私の代では初めてこの姿を隠した『アツ・キィ』を睨み返してきたのはな…ククククククッ………。」
オアキッパは笑いながらひじ掛けに倒している反対側の手に持っていた扇子を手放して自分の顔辺りまで手の平を上げて広げる。その上には不気味な動物の目の様な禍々しい、それはホテルの自室で眼鏡式検査魔機を使用して初めて肉眼で捉えたあの、遠の瞳術が浮き上がって来ていたのである。その瞳はギロりとロンロを見つめていた。
(自分から術で私達を監視している事をバラして来た…!?)
「それは…!!!オ…オ…オ、オアキッパ様の術による物でしたか…!?」
「フフフ…ククっ…、不可解な地震の多発は勿論、この島にはまだまだ観光客向けには未開発の場所も多々ある故に本土の人間には危険な場所も多いのでなぁ…。本土から来られた学者様が迷子になったりケガをしてもらってはそれは困る。陰湿極まる我が一族の事よ、只でさえ本土には禄でも無い評価を下されているのだろう?大切なゲストを傷物にして尚更警戒されてはこれはこれはたまらん。許してもらえるかな…?フフフフ、ククククッ……。」
まさか自分から監視のからくりを話してくるとはと、ロンロにとっては完全に想定外であった。一体どんな思惑があってなのかまではそれは到底判らないが完全にこの段階で会話のイニシアチブは無効に握られてしまっている状態に陥った。
「多少驚きはしましたが……お心遣いに感謝します………!」
ロンロはオアキッパに押されてしまい顔面蒼白になりながらなんとか言葉を絞り出す。
こう言うしか無かった。
「クク…構わぬ。…そういえば其方には同行者が一人居た筈であるが。背格好は同じ程度の…今宵はいらっしゃっておらぬがその方も学者様であるかな?」
オアキッパは遠の瞳術、『アツ・キィ』を消して再び扇子を握りしめながらロンロに質問をする。
(やっぱりメルバーシの話になるよね……、ホテルで話した様に妹って告げるしか無い…!)
「妹です…あの、年の近い…!私がこの島に仕事で派遣されるという事になりまして、ア・メサア島は観光地としてもとても有名でありますので、その…!勝手に付いてきてしまいまして。事前に忠告はしていたのですが申し訳ございません…。」
「そうであるか…まぁ良いぞ。観光業が本土でも評判なのはア・メサアとしても喜ばしい事でな。ご存じだろうがこの島は本土からの客で成り立つ面も多い。其方が問題無く仕事をこなして頂ければこちらとしては歓迎する以外は無いからの…クククッ。」
「すいません…!滞在費等は自腹で支払っておりますので……!首都のリッターフランにも既に連絡はしていまして!誠に身勝手な身内でしてお恥ずかしい…。」
勿論連絡などしていない。というか彼女の家族関係は勤め先には当たり前の如く割れているので何ならア・メサア側から首都に派遣された調査員の妹も滞在していると報告されるのもそれはそれで不味い。色々と心配事が増えて胃が痛いロンロである。
「恥ずかしがる事もあるまい、妹君は姿を隠しておったアツ・キィをその眼で直接睨み返しておったぞ。つまり…其方の妹君は魔道の才能があるという事では無いか?違うか?姉である其方は歳若くして専門家として国の仕事を請け負うまでの知能を持ち、妹君は魔道に対して天賦の才がある。ご両親もさぞや鼻が高いであろうなぁ…。」
「いえ…私にしても他の同年代とは違う学の歩みでしたし妹も特殊な才能に恵まれ…人と違う事も多く、喜びこそすれ余計な苦労もかけたと思い…ます……。」
僅か16歳で国が設立した専門機関リッターフラン対魔学研究所の調査員として入所したロンロはエリート中のエリートではあったが、確かに両親にはその分色々と迷惑をかけたという自覚はあったのでメルバーシの事はともかく半分は本音でもあった。
「親に対して遠慮する事は無い。本人らに資質があるなら尚更よ……。」
一瞬だがオアキッパがその端正な顔を歪めた様にロンロは見えた。
「は、はい…。」
「話を戻すぞ学者殿、その昼間に二人で調査した限りで…この地震が特殊な現象であるという証拠は掴めたであろうかな?もしや悪意を持つ誰か、…人の手で意図的に発生させられているという事ではあるまいな?」
「まず私の見解を述べますと…これは一般的な魔学の範囲で答えます。地震の様な、この島をまるごと揺さぶる程のエーテルエネルギーを現在の魔学の力で人為的に発生させるのはほぼ不可能だと思われます。したがってあくまで不自然な揺れに対する原因候補の一つであり、個人的にはやはり自然現象の線が一番可能性が高いと思われます。」
「この一か月、不自然に島にて多発する揺れが自然現象とな?先程のアツ・キィを操っていたのは我よ。我が首領の家には魔道の才が受け継がれる。専門家では無くとも島を揺るがず程の力が人の力によって行われているというのはその点では判る、到底不可能よな。」
ロンロは続けてオアキッパに説明を語る。
「ええ、現在の魔法・魔学両方の観点からここまでの莫大なエネルギーを人間が生み出すのは不可能だと思われます。ですが、まだ未調査な事も多くこれも推測ですが…もしこの島の奥底、海よりもっと深くの地面不覚に地脈が走っており、それがエーテル的な…人為的な魔力の刺激の影響を受けて地震が多発している。その刺激に関する起因に人が関わっていたとしたならば不可能ではありません。その地脈に魔力的な刺激を与えているのもまた偶然が重なり自然的に発生した様な物の可能性がやはり一番高いと思われますが。」
「つまり…?まだ良く解っておらぬ、と。」
「はい…私の未熟故申し訳ございません…。」
「本土のリッターフランはこの度の島の揺れの多発、自然的な力であっても人為的であっても魔力に起因して発生しているという点は信じて良いな?」
「はい、その為に魔学の専門家として魔道の力の流れを調査すべく私が首都からリッターフランを通してこの島へ派遣されたと思われます。」
そして先程のロンロがオアキッパに語った推測は当初ロンロが考えていたこの島の一か月前からの地震多発の最初の考えでもあった。…実際は穴底で人間を遥かに超えた存在である神話の生き物、『竜』が暴れていただけである。シンプルなオチであったがそんな事をわざわざ語る訳にもいかない。何故ならばロンロはクアン・ロビン首領オアキッパの目を欺き、あの穴の上に展開した竜を閉じ込める魔術的な力で作られたであろう結界を取り除くという決意があるからである。
(それにしてもオアキッパ・インズナ。多発する地震を誰か人が起こしていたと思っていたのかな…?その可能性を何度か聞いてきたけど…。)
先程のクアン・ロビン首領との会話の中で妙に気になる部分があった。
「そうだな……島の不安は島の習わしで沈めるしかないかの。このままでは悪評が立ち本土からの客も減るばかりになるであろう。民も不安で寝る事すら覚束ぬでは為政者として決断もせねばならぬ。」
オアキッパが不敵に笑う。
「え?島の習わしとは…かつても地震が多発していたという話は聞いておりますが?」
嫌な予感がロンロの頭と心の中で駆け巡る。
もしや、それは今日の昼間あの老婆に聞いたあの因習の事ではないかと。
「色々物知りな学者様は知っておられよう、のぉ?もうご存じだろうて!?島の中心部にあるア・メサアの網と呼ばれる光沸き立つ封の穴への結界を解くのよ!フ、フハハ、クククッ…フフッ!フフフハ!!フハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!」
クアン・ロビン首領、132代目オアキッパ・インズナの声色がそれまでとは明らかに変わりその美貌を崩して口と目を大きく見開いて笑い声をけたたましく上げた。
その声は、
顔も、
姿も、
それは狂気そのものであった。
目は血走り、扇子を握りしめる片腕には力が漲っていたのである。
真っ白な顔も蝋燭の灯りを照り返した以上に高揚しているかの様に見える。
「オアキッパ様…!?もしかして!?光の柱に生贄を!?」
「そうよ!幼き可愛い可愛い学者殿!其方の滞在期間は五日と報告を受けておるなぁ!今日で二日目、あと三日の内にこの揺れの原因が判明しないのであれば!!我はア・メサア島のクアン・ロビン一族から『封の贄』を選定し実行する!!!!フハハハッ…丁度前の時から数えて十五年振りでは無いかぁ~~~丁度節目の年であったのぉ!地震が起きたのもこれ運命よなぁぁぁ~~~~クククッ!!フハハハハハハハ!」
「この魔学発達した現代に生贄を捧げる!?止めてください!!本国首都に知れたらどうなる事か!!それに生贄に選ばれた家族の方にも不幸が…!この今の時代に因習とも言えるべき事で無暗に犠牲を出すのは賛成出来ません!!」
「……あ?小娘、封の贄が因習とな…?」
低い声で唸りを上げたオアキッパが立ち上がった。
長い銀色の髪は腰を通り過ぎて床に届きそうな程に長く、そして白い着物はそれを纏っているオアキッパの身長より遥かに長い物であった。その二つを引きずる様にしてロンロの目の前までゆっくりと歩み寄ってくる。
怖くて、動けなかった。
オアキッパはロンロに目線を合わせる様に身を屈め、閉じた扇子を使って彼女の顎を持ち上げた。
「本土が何を言ってこようが知った事か、なぁ?島の自治権は変わらずクアン・ロビンの者よ。小娘、それは判るなぁ?内政干渉になるの位は立派な頭を持つ学者様だ、理解して頂けてるだろう?ん?なぁ?そうじゃの!?なぁ!?なぁ!?あああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!たかが人を一人だけ穴に放り投げるだけよ!!!!!!因習等と大袈裟にのぉぉぉ!?なぁ!?なぁ!?なぁ!?ああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
ロンロの顔の目の前でオアキッパは狂気の表情を浮かべて大声をあげた。
大きく開けた口にそのまま本気で飲み込まれるのでは無いかと思う程の迫力と狂気。
あまりの豹変振りと目の前の異様な光景にロンロはすっかり圧倒され、怖気づいた。
座ってはいる物の、今もし直に立ち上がれと言われたら腰が抜けてしまって無理であろう。
体中から冷たい汗が流れてきているのを実感する。
喉はカラカラである。頭は当然真っ白、まるで冷たい空気が鼻や喉から入り脳の中を駆け巡りキンキンに冷やしてしまったかのように凍り付いてしまっている。
目の前にいるのは美しい銀の髪と純白の衣を纏う、悪鬼その者であった。
それでも勇気を振り絞ってロンロは反論しようとした。
恐怖から自然と目に涙が浮かんでくる、人生でここまで心の奥底まで震えたのは初めてであった。少し前に友人となった魔女が無数に空から降り注ぎ、無残に地面に叩きつけられて死んでいく光景を見た時よりもずっと、ずっと。彼女の心の奥底にまで睨みつける様な狂気の視線と威圧感、そこから来る恐怖。
でも、あの昼間に出会ったお孫さんを失ったお婆さんの悲しみを思えばと、ロンロは勇気を振り絞った。
震える手を一生懸命力を込めて何とか動かし、ゆっくりと自分の顎を持ち上げていた扇子を払いのけて潤んだ瞳のまま狂気のオアキッパ・インズナを睨み返して反論した。
「今の時代に封の贄、生贄なぞバカげています!それに魔学的根拠も一切無い!ただ犠牲者を出すだけです!!昔ならそれで為政者として災い降り注ぐ島の不安を取り除いて民を纏めあげていた宗教的な仕事として成り立っていたでしょうけど!!こんな現代でそんな事をするなんて!!か、か、考えられません!!!」
「ほぉ…ハァアハアアアアアアアアアアア!?では本土から来られた偉いえらあああああい学者殿ぉ~~!あと三日の内に結果は出せるかなぁ?元より滞在期間内に仕事をするのが其方の役目であろう?なぁ!?勿論……納得する答えが出ればそなたの言う『因習』は中止せざるを得ない!!!!それは約束しよう!!!!!フハハハハハハハ!!!クククククククククッ…!!」
(じ、地震の原因なんてもう既に判り切っているんだけど!!!オアキッパにその事実を言う訳にもいかない…!!なら、ならばあと三日でこの島の封の贄の封印を解かねば!!そしてメルバーシの肉体を解放させる!!!そう、そうだよ!!島の中心部の穴から沸き立つ光の柱の秘密を、メルバーシを解放して全て目の前で解き明かせば良いんだ!そうすればあの穴底に漂う眠れる人達も!これまでの犠牲者も救えるのだから!!!)
覚悟を込めたロンロは立ち上がる。
そしてオアキッパ・インズナを見下ろす様に睨みつける。
その目線を受け止めたオアキッパも立ち上がり両者はまるで格闘技の試合が始まる前かの様に対面となり視線をぶつけ合った。
「判りました。クアン・ロビン首領様が納得する答えをあと三日の内に提示いたします。」
「ほぉおおお!?さっきまで泣きべそをかいていたのに突然良い面構えになったのぉぉ!?学者様には自信があるようでぇ!?フハハハ!!!どんな答えであろうかのぉ…!?俄然楽しみになってきたわ!!!ククククッ…フハハッハハハハ!!!!」
「当然です首領オアキッパ様!!!!黄金竜メルバーシ!!あの竜は私がこの島に来るのを待っていたのでしょうからね!!!!!!!」
「!!!?」
メルバーシ、この名前を聞いたオアキッパは左右の目を歪な形に歪ませた。
この名前は決して誰も知らない筈の、幼き頃母の、先代のオアキッパから聞いた秘匿の名。
迂闊に口を出してはならぬと言われたあの封の柱の穴底に眠る誰も知らぬ、母子二人だけの一族秘伝の秘密の名。ア・メサア島のクアン・ロビン一族であろうとも決して知らぬ口伝にて首領家だけに伝わる禁断の名であったからである。それをたった今、本土からやってきた島の人間以外の者が口にしたのである。
「では!これにて失礼します…!明日も勿論調査がありますので!!首都からは既に通達があったでしょうが島の中をくまなく調査する事をお許しいただけたのはホンッッッ!!!トウにありがとうございました!!!!!!!」
ロンロは深く頭を勢いよく下げるとその威勢のまま若干勇み足気味でオアキッパに背を向けて広間を後にして出て行ったのである。オアキッパは呆然としてその去っていく彼女の後姿を見ているしか出来なかった程の衝撃を受けていた。その言葉を聞いて立ち尽くすしか無かったのである。
誰もいなくなった広間にて、オアキッパは頭をがしがしと呆然としていた。
しばらくして頭を掻きむしって更に狼狽える。
「あ、あの本土から来た奴が何故…!!この島の竜の名…メルバーシの名前を知っているのだ…!?何故だ!?母様は『生きている』人間には私にだけ告げたのでは無いのか!?どういう事だ…!?何故だ!!母様!!?母様!?!?!あの名を知り!!秘匿にして次世代に伝えるのもまた我ら首領家の定めでは無かったのか!?!?!?本土の人間が何故!!??何故だ!?!?!!?」
混乱の余り「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」と大きな声を上げたオアキッパは更にその綺麗な銀色の髪を振り乱して掻きむしり混乱の余り情緒の安定性を欠いていく。彼女はやがて両腕に力強い握り拳を作りそこからあの、母を貫いた赤いオーラの剣を作り出して振り乱したのである。
ザアアアアア!!!と何度も激しい音を立てて床が、天井が、壁が、次々と切り刻まれていく。燭台は倒れて床に油がまみれ炎が屋敷全体に広がる瞬間に奥から使用人である女中が現れて急いで水の入った桶を持ち出してそれを使い消火した。それでも尚、収まらぬオアキッパの刃は女中をも気にせず次々と振られていくが、間一髪の所で女中は回避して奥に逃げ込んだ。こうなっては誰も、何も手出しは出来ないのである。
「何故だ!!誰がバラした!!!!誰が漏らした!!!!誰だ!!何故だ!!!誰だ!!!何故だ!!!!!誰があの名を伝えた!!!!!???誰だ!!?竜の名を知る者は誰だ!?!?!?あれは一族の悲願なるぞ!?!?!!?!?ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ロンロからしてみれば、威圧され意地悪をされたほんのちょっとのお返しとばかりにメルバーシの名前を出したそれだけであった。だがしかし、それはオアキッパにとっては心を激しく揺さぶる痛恨の一撃となったのである。
自身の屋敷をズタズタに切り裂き続けたオアキッパのご乱心は朝方まで続いた。
そしてこの混乱と同様と錯乱はオアキッパだけでは無い。
オアキッパの中にいる彼ら彼女らもそうであった。
心の奥底で様々な魂が混乱を続け叫び続けた。
2300年間でクアン・ロビンの魍魎がここまで荒れ狂うのは初めてである。
それ程までに彼ら彼女らにとっても重要な意味を持つ言葉だったのである。
夜が空けて、空に太陽が昇り。
島の中心部、光の柱が太陽の光にかき消されてその威光を弱める時になってようやくオアキッパの体力と魔力は尽きてその場に倒れ落ちた。彼女の心だけでは、2300年もの積み重ねた魂を抑えるには無理があったのである。
何も手出しが出来なかった女中や使用人達は力尽きた主を確認すると急いで彼女を保護し、離れの無事な建物に担ぎ込んで看病を始めた。
既にこの屋敷の本殿はズタズタに切り裂かれ柱は倒壊し、天井は崩れ落ちて人が住まう建物としての形を保てないでいたのである。
そんな混乱の最中であっても、池の周りの地這蝶ミヒョワ様はいつもと同じ様に水を飲み体を休めながら佇んでいた。
(誰だ…!?)
(判らぬ!!)
(永遠の法を狙う者が大陸に居るのか!?)
(何故今まになって!!?)
(守れ!隠し通せ!我ら以外に知られてはならぬ!!)
混乱の中で力を使い果たし、倒れ込んだオアキッパの頭の奥で複数の魂がまだ蠢いていたのである。
うっすらと微かにある彼女の意志はそれをとても疎ましく感じ奥歯を噛みしめていたがそれは誰にも気づかれていなかった。