過去の瞳、夜の瞳
小柄な体の通り普段は小食なロンロではあったが、昼食を抜いて島の中を歩き回っていた事もあってこの日の夕食はとても進んだ。16歳という年齢は本来食べ盛りと言っても良いのだが平時の本土にいる時の彼女はそこまで食に拘りが無く、腹を満たせれば良い程度にしかいつもは考えてはいない。
だがこういう出先で日常から大きく外れた出来事の連続を送る日々になるとやはり腹は減る。
人間は驚いたり泣いたり笑ったりするとエネルギーを使うのだなと彼女はこの島に来る前に対面した事件を少し思い出しながら、運ばれる料理を次々と口に運んだ。対面に座っているメルバーシはマナーも何もあったものかとまるで幼児の様に片手にフォーク、片手にスプーンを掴んで次々と料理を口に放り込んでいる。
自分とそっくりな容姿であまりガツガツ乱暴に食べられると何とも言えない気分になるロンロ。
「あのね…あの、メルバーシ…。ちょっと落ち着いて食べてくれると嬉しいけど…。」
夢中になって人間の食事を楽しむ彼女にロンロは顔を引きつらせながら注意を促す。
「だって!めっちゃ美味しい!今の人間の食べ物美味しい!!スゴーーーイ!!!!甘くて!辛くて!時に舌が痺れる様で!!目まぐるしくて!!スゴーーーイ!!!昔食べたのとぜっん!!ぜん!!!違う!!!」
「昔…?そういえばさっきも2300年前に彼に食べさせてくれたって…?やっぱりその彼は人間で貴女と関わりが深い人だったの?」
「うん!!彼が食べさせてくれた!!!あれも美味しかった!!でもスゴーイ!!人間スゴーーーイ!!たった2300年でここまで進化するなんて!!でもやっぱり彼が食べさせてくれた奴が一番暖かくて優しくて…嬉しかったかなぁ…ヘヘヘ。でもこれも美味しい!凄く美味しい!!」
「まったく…さっきは一口入れたら感動して大人しかったのに…。あーもうホラホラ服に飛び散ってるから!!」ロンロはナプキンを手に取り体を伸ばして対面に座るメルバーシの汚れた襟元を吹いてあげる。
「あー…ゴメン。ありがと。…2300年前も彼にこうやって口元を布みたいなので拭いてもらったなぁ。ハハハハッ!」
「その『彼』ってさ…2300年前の彼か…。人にとっては2300年前って本当に大昔だよ、それこそ『神代』って呼ばれるほど半分伝説みたいな大昔。昼間からずっとメルバーシは言ってるけど、本当に今の時代に彼は蘇っているの…?」
ロンロは昼間に彼女と交わした会話を断片的に思い出していた。
彼が再び生まれた
「ええ、もっちろん!人や、ほぼ全ての生き物が食べ物を、そう!今みたいに私が食べているように。」
そう話しながらメルバーシは口の中に料理を乱暴に運ぶ。
「モグモグ…はーっ!!…そう、星も生き物も同じ。食べたものは取り込んで肉体の一部となる。自然とは大昔からその大きなサイクル、この星もまた同じなんだよ。」
「はぁ!?星!?」
いきなり話が壮大なスケールになりロンロはメルバーシの話に戸惑った。
「だから私は…私を庇い致命傷を負った彼を…砕いた…。己の顎で……!この星の隅々にまで彼の魂を染み渡らせて巡回させる為に!」メルバーシは両手に握りしめていた食器を放り投げる様に手放しその瞳に一杯の涙を蓄えた。
「メ、メルバーシ!?どうしたの……。」
「私は彼を食らったのよ……。彼の体を、魂ごと一度ね……。あの感触…到底忘れられない!!この島の穴底で眠っている間にすら幾度も見た悪夢!!クアン・ロビンめ…!!!!絶対許さん…!!!!!!!!!!」
「落ち着いてメルバーシ、彼を食らった?ごめん、辛いだろうけどもう少し教えてくれるかな…?」
「…もうあまり話したく無い、思い出したくも無いの……。」
後悔と憎悪の入り混じった表情を浮かべたメルバーシは自暴自棄になったかの様に再び両手にフォークとナイフを握りしめて目の前の料理に当たりつける様に食べ始める。
目の前のメルバーシの豹変に少し狼狽えたロンロではあるが、断片的な情報からメルバーシが何を語ろうとしていたかを推理する事にした。
(生き物と同じ様に星もまた生きていて、そして何かを食らい…この場合メルバーシが語るには彼の魂…かな?でもさっき本人は自ら食らったと…。んんん…?いや、人智を遥かに超えた竜の力で何をしたというの…?)
この時、ロンロは以前友人のハルバレラが行っていた一つの実験を思い出した。
彼女は以前ペットに先立たれて悲しみに沈む幼い子供を励ます為にとある方法を編み出していた。
それはペットの記憶情報をエーテルに焼き付けてエーテル体として生前のそのペットと同じ記憶や仕草を再現させる人造魔法情報体を作る事であった。そしてそれは成功していたのだ。
がつがつと何かを忘れようとする為に乱暴に食事を続けるメルバーシと正反対にロンロのデザートを食べようとしてたスプーンを持っていた片腕は止まる。自然と腕を組んで片腕の人差し指を折り曲げて顎に当てていた。
(生き物の生きた記憶は脳に刻まれるだけでは無い。それはあくまで情報として…。その個としての本質、生体の生きた証その者、本体の真の心は体の中にあるエーテルに刻まれている。ハルバレラはそれを天性の魔女の直観と、天才ともいえる頭脳で確信してあの実験を行っていた…。だとするとメルバーシは…。)
腕を組んだ両手を崩してロンロがメルバーシに語り掛ける。
「…メルバーシ。また嫌な思い出を蒸し返してごめんなさい。初めに謝っておくね。…貴女はもしかして彼の肉体と魂を己で砕いて星のエーテル循環に委ねたのね。違う?それがさっき言っていた一度輪廻を循環させて蘇らせるという事ね…?」
メルバーシの腕が止まる。
ヤケになって乱暴に食事をしていたせいでまた服の襟元が汚れていた。
「そうだよ…、よく判ったね。彼の魂を私は顎で一度粉微塵に分解した。そしてこの星に委ねたのよ。」
「竜の力を持ってしても人は蘇らせられないのね。」
「そうだよ…竜は本来は奪う為の存在。人が動物や植物を食べるのと同じよ、それこそ今みたいに。本来は人とは比較にならない程のその絶対的な在り方が竜という存在。破壊し、奪い、荒れ狂う最後の頂点が私達。」
「貴女は彼の魂を一度砕き、この星に委ねた?一度この星の循環に乗せて、再び生命の力を宿す為にかな…?」
「ええ、その通り。流石ねロンロ。そう…星もまた命を食らう、食らった命の力を循環させてまた新たな生命を産む、その繰り返し。」
「貴女は人智を超えたその竜の力で…彼の魂に何か仕掛けを…?具体的には人の私には判る筈も無いんだけどさ。…ただの人間の私には、魔女でも無い私には到底及びつかない事。」
「大した事はしていない…。『彼』は私をクアン・ロビンから庇い致命傷を負った。人の体には詳しくは無かったけど血が沢山溢れて、腹の中身も漏れ出して…あの弱き生命の人間は到底耐えられない怪我だって事、そんなのは一目で判ったよ…。だから私は彼を食らい、祈った…。我は竜、想う事がその力を引き出す強さその物なの。ただ、ただ…この星に祈ったの。」
「星に祈る…?何かをこの星と契約したって事かな…?人間にはスケールが大きすぎて想像も出来ないけどさ。」
「何年、何十年、何百年、何千年、万年を超えてもいいと。再び彼を星の循環から誕生させてくださいって…。私は砕いた彼の魂をこの星にばら撒いた……。竜はこの世の頂点たる者、この星の在り方を知っている。星の元に再び巡り再び生まれ、そしてまた再び巡る事をね。私はその願いを込めてこの星に彼を委ねた。彼の魂の破片一つ一つに私の想いが込められているの。」
「そ、その彼の魂を…再構築…!?黄泉返り!?いや違う!!竜の力がどれ程までかは判らないけど!決して過去に存在した同じ人が再び生まれるなんて!?子孫親類がいたとしても遺伝子が再び同じパターンを構成して同じ人が生まれる可能性なんて!?記憶も復活する筈も無い!?いや当時と同じ人種だって混血が進んで生まれない筈!?超天文学的な偶然が重なり生まれ変わりの様な存在が誕生しても!?いや!そんなの!決してありえない!!」
ロンロは驚きのあまりとうとう声を荒げて席から立ち上がった。
周りに座っている人達がさっきからやかましい二人組だが今度はそっちもかと一斉に視線を送ってきたが「あ…!?」と我に返って呻いた彼女は「すいませ~ん…何でもないです……ハハハハハ……。」誤魔化す様に愛想笑いを浮かべて手を振りながら大人しく席に座り直す。
「有り得ないとか言われてもさ~~~。彼はもうまたこの世に生まれてくれたんだよね。彼の魂の欠片が星を隅無く巡り2000年以上の旅を続けて再び集まり結合して、そしてまた誕生してくれました!彼の魂の波動を感じた時は嬉しかった…!本当に嬉しかった!思わず体揺さぶってこの島に大地震を起こしたみたいだけどねうへへへへへ~~。」
嫌な思い出を語る時とは違い、彼の再誕に上機嫌になっているメルバーシの口調はいつもの様に明るく少しとぼけたような感じに戻っていた。
「信じられない…。つまり彼の魂…肉体に宿ったエーテル情報体とでも良いましょうか…。それが2300年もの時をかけて星のエーテルの循環から戻り再構築したなんて…。と、とりあえず竜たる貴女がその『彼』の魂に何かの力を付与して再結合、つまり生命の再生をする様なロジックをしかけたのね…。完全に人間の及ぶ範囲じゃないわ…。その話が本当だとしたらだけどね……。」
「へっへ~!!時間はちょっとかかったけどね~~~。」
メルバーシは胸を張ってロンロに自慢する様な態度に出た。
「でも2300年もかかるんだ。おつかれさまでした……。」
「しょうがないよそりゃあねー、一度絶えた命に再び力を灯すのには長い時間をかけて星の力を少しずつ分けて貰わないといけなかったの。それに世界中に散った命の力が再結合するのにも時間かかったよ!!途中でその力が草花に組み込まれたり動物の一部になったり!!はたまたなんか溶岩に取り込まれて鉱石になったり!」
「お話が壮大過ぎてついていけない……。」
顔を引きつらせながらロンロが答えた。
よもや彼女の専門の魔学とかのレベルでは無いのだ。
「壮大なこの星の巡りと、命の物語と、ほんの少しの偶然と、私の想いが重なった時。そう、彼はこの世界に再び蘇った。彼の命の波動を今でも感じているの、幸せよ……。15年前のあの日からこの島北西の方向からびしびしと海を越えて風に漂って私の肌と魂にそれは当たっているの。2300年前に彼に抱かれて助けてもらったあの時と同じ波動を……。早くその身で直接感じたいなぁ……。」
うっとりしながら彼女は両手に頬を乗せて目を閉じた。
「そっかぁ…到底信じられないけど……あのこの島の穴底、ア・メサアの柱で貴女の本体を見てしまったしね……信じるしか無いのかな……。う~~~~ん魔学者としてはやっぱり納得できないんだけども!とにかく!!…『彼』の再誕おめでとう!ほら乾杯乾杯!!グラスを持って!!人間は嬉しい時とかお祝い事の時はこうするのよ!!ほらマネして!!」
ロンロは食事と一緒に運ばれてきた様々な島で獲れたフルーツの果肉が敷き詰められたジュースのグラスを持ってメルバーシの顔の前に突き出した。メルバーシは「何それ?」というリアクションではあったが彼女の勢いに押されて同じ様にグラスを持って掲げる。それを見たロンロはコン!と軽くグラス同士を接触させた。小気味良いグラスがぶつかる音が二人の間に響いた。
「彼の再誕を祝って!かんぱーーーーい!」
「かんぱーい?うーん、かんぱーい?」
不思議な風習に何か判らず呆然としていたメルバーシではあったが目の前のロンロがやけに元気に声を上げたので連られて同じ様に声を上げた。
「覚えておきなさい!彼とも再開した時に乾杯するかもしれないんだから!人間様のワールドワイドで通じる風習の一つよ!!」
「え、マジ!?それヤバい!覚えるね!!練習したいからもう一度やって!?」
「ははっ!良いよ!ほらっ!」
「よーし!」
「「カンパーイ!!」」
今度はちょっと激しすぎる程のキン!というグラスの衝突音がした。
騒がしく食事を済ませた二人はホテルの自室に戻ってまずは…人間の食事マナーを知らずに服が乱暴な食べ方でベったべたに汚れてしまったメルバーシの服を着替えさせる事にした…所でロンロが「そういえば」とそれに対して何かに気づく。
「貴女、その服も竜の力で生み出したんでしょ?」
「そうだけど。」
「めっちゃくちゃに汚れているんだけどその白いワンピース…。私の着替えを貸してあげても良いけどさ…。」
まるで赤ん坊の如くこぼして飛び散らされた結果出来たシミが白い純白のワンピースを数多の色に染めている。当然だがあまり美しくはない。
「あーね~。ほいっ!」
メルバーシが自分の汚れたワンピースを一通り眺めた後に片手の指を上げて体全体から光を放つ。すると元の食事前の綺麗な真っ白い汚れ無き生地に戻ったのである。
「うわ便利…。洗濯しなくて良いじゃん…。」
「ロンロの服にもなれるよ、ほい!」
再び光を放つと今度はロンロと同じピンク色のスプリングコートの姿に一瞬で変わった。彼女と同じように長い髪をポニーテールで結ぶリボンまできちんと再現された。
「いやいやいや…紛らわしいから元に戻ってよ!!」
本格的に自分と同じ姿になったメルバーシを見てげっそりしながらロンロが呟く。
「ハーハハハハ!!わーかりましたーーー!!ほい!」
やはり光を放ち直に元の白いワンピース姿の神を結んでいないストレートの金髪の少女の姿に戻るメルバーシ。これはこれで自分にそっくりなのだから改めて見ると嫌になってくる面もある。「はぁ…」と溜め息をつくロンロであった。
「こんな奇跡を見せられたらさっきの彼の話も信じるしか無いよ…。超一流の魔法使いや魔女だってこんな一瞬の物質変換や再現なんて不可能だし……。完全に人間の力を超えているわ……。」
「だけどねロンロ、人間には特別な事に思えるかもしれないけれど私のこの姿と力は本来の元はは程遠い。本体はあの光の柱の穴底奥深く、私は私の体と力を取り戻してこの島を飛び立たねばいけないの。またこの世界に生まれて来てくれた彼に逢う為にね!」
「『彼』ねぇ…そういえば昼間から彼、彼ってその彼の名前とか知らないの?」
「知らない。私、人間にも個体名があるとか知らなかったよ。」
「ふ~ん…いや昔から人間にもある筈だけどね。『彼』ねぇ…よっぽど思い入れは強いみたいだけど命でも助けられたの?」
「うん!なんで知ってるの!?」
「当たってたの…。その位じゃないとそこまで入れ込む事も無いかなあって…。ま、その話は明日でもゆっくり聞くね。私はこれからこの島の長に挨拶しにいかないとだし。」
「ふ~ん、今からこっちから出向いて挨拶か。あっちはずーーーっと私達を監視しているけどね。」
メルバーシは部屋の窓から外の暗闇に目線を送る。彼女が言うオアキッパ・インズナの操る「遠の瞳術」は未だにこちらを睨みつけている様であった。ロンロの裸眼では全く確認は出来ないがメルバーシの瞳にはハッキリとオアキッパが操る巨大な目玉の浮遊体が暗闇に漂っているのを観測出来ていた。
「メルバーシがその監視する瞳を睨みつけているのはもうバレバレって訳かぁ。それはオアキッパと会話するに当たってはこちらも織り込み済みって事にしとかないと。…どうしよ?貴女は私の双子の妹という事にしておいて…魔女の才能でもあってそれで術に気づいた…という風にしとくかなぁ…。」
「私が人間の魔女ねぇ…ロンロの妹ってのは良いけどそこは気に食わな!けどまぁ良いか。クアン・ロビンの連中に感づかれない様に結界を解かなきゃいけないしね。あまり騒ぎ立ててもね~~~。本音を言えば一族全員噛み砕いて引き裂いてやりたいけどもね!この体じゃ無理だし。」
メルバーシは溜め息をついてベットに座り込んだ。
「当り前よ!!表向きはこっちは本土からのお仕事で来ているんだから!」
「わかってまーすわかってまあああす!!」
ケラケラ笑いながらメルバーシは座った姿勢からベットに仰向けで両手を広げて倒れ込んだ。それを見て溜め息を吐くロンロ。
「…もちろん直接あの光柱が沸き立つ穴の底で見た事や貴女、メルバーシ、竜の事を喋る訳にもいかないか。結構気を使うなぁ、はぁ~。」
「くやしいけど、この部屋でじっとしてた方が良いかな。クアン・ロビンの首領、この島の長に私が逢うのは控えてとく。折角2300年振りに仇敵が目の前にいるっていうのに…。」
さっきまで笑っていたメルバーシの表情が引き締まる。
「仇敵…?」
「うん……2300年前、あいつらは『彼』を殺し、眠る私をこの島の穴底に封じ込めた…!」
2300年前はこの島、ア・メサアは無人島であったという。
そこに当時、竜と戦ったクアン・ロビンと呼ばれた一族あり。
大陸の草原に住んでいた一族が竜との戦いの末、
弱ったかの竜を追いかけこの地に墜落するのを見つけた。
そして竜を封印するが為に、
島に民が上陸したのが、今のア・メサア島の始まり…
ロンロはア・メサア島に伝わる伝承の一説を思い出す。
「この島の昔話、その伝承は事実だったのね…、貴女の存在が既に証明しているけども…。」
「私はあの時、彼の再誕を願い、それを待つ為この地にて己の時を止めるべく力を使い切った。その後の事は良く知らない。目が覚めたのも15年前…。私の力が漏れ出す光をクアン・ロビンの連中は代を重ねて何かに利用している。それが何かは判らない、ロンロが夕飯前に推測で語ったこの島の人間が不老不死を目指そうとしているという事も何も判らない。だけど…だけど、その不老不死についてだけど、一つ引っかかることがあるの。」
「それは何?」
「あの夜るの空に浮かぶ大きな目ん玉!あれから発せられてる力には覚えがある!!」
「え?遠の瞳術から発せられる魔力の感じ?波動や規則性に覚えがあるって事かな…?」
ロンロは鞄から昼間に遺跡調査で使用した眼鏡式検査魔機を取り出して窓から身を乗り出して夜空を見つめる。するとそこにはロンロの肉眼では捉える事が出来なかった、遠くからで詳しくは判らないがメルバーシが言う通りの、奇妙な自分の頭程の大きさをしているであろう動物の目玉の様な存在がこちらを睨みつけていたのである。思わず「ひぃぃ!」と情けない声を上げてロンロは後ずさりをした。
「それでロンロも見える様になるの!?ほら!?ね?空に浮かんでるでしょ!目ん玉!!」
「う、うん!…なんて悪趣味なのクアン・ロビン一族……。」
すぐに呼吸を整えて冷静さを取り戻したロンロは眼鏡式検査魔機のフレームにあるボタンを操作して観測データをタブレットに転送した。そして部屋のテーブルに置いてあったタブレットを手に取り電源を入れてそのデータを受信して魔力の波長を解析し数値化して保存した。
「それ、何しているの?」
起き上がったメルバーシが不思議そうにタブレットを覗き込んできた。
「貴女がさっき言った覚えがあるってのに引っかかったの。魔力ってのは魔法使いや魔女といった特別な才能が無くてもどんな人間にも、いや人間以外の生き物の体と命に全て宿っているものなの。このタブレットも魔力で動いているけど電源を入れる際にはその微量な体に流れる魔力を感知して立ち上げる際の動力にしている。まぁそれは良いとして、その個人ごとの魔力の波長には個性があるの。」
「つまり?」
「人間一人一人の声色や指紋が違う様に、また魔力痕も違うのよ。竜だってみんな同じ鳴き声はしていないでしょ!多分!知らないけど竜とか神話の世界のお話だから見た事も無いけど!…メルバーシ以外!」
「なーるほど…つまり私があの遠の瞳術の魔力に覚えがあるって事は…」
「そうよ、親子や血縁関係があれば多少は似てくるけど全く同じってパターンはありえないわ。それに2300年よ?首領だって今の時代で132代目でしょ?竜に比べて寿命のサイクルが短い人にとってはとてもとても長い時間なの。幾度も無い世代を超えているのに当時と同じって少し引っかかってね。今後に活かせるかもって調べておきました。」
「ははぁ…役に立つ時がくれば良いね?」
メルバーシはそんな事をして何か意味あるのか?と言わんばかりに首をかしげながら返事をした。
「リッターフラン対魔学研究所の仕事はこういう一つ一つの積み重ねが大事なのよ。比較するデータは無くてそこは貴女の直観便りだけどね…。」
そのまま近寄って来ていたメルバーシにロンロは手に持っていたタブレットを手渡した。
「それで漫画でも読んで暇つぶしでもしておいてね、そろそろ時間だからいってくる。」
「夜道に気を付けてね。あっちは監視している!こっちは島の秘密を知っている!お互いに腹の探り合いになるだろうけどニヒヒヒヒ!!」
タブレットを受け取ったメルバーシが嬉しそうにイヤらしく笑みを浮かべる。
「そうね、ありがと…夜遅くだから足元には気を付けるわ。一応本土の依頼で来ているからあっちも事を荒げるような乱暴な真似はまだまだしないだろうけど…。は~~~~!!!」
今日一番の大きな溜め息をロンロは吐き出した。
「何か結界を解く秘密でもあったら探っておいてよ!!」
「善処します……。でもただ挨拶にいって軽く会話する程度だろうから期待はしないで…。」
部屋にメルバーシを残してロンロはホテルの外に出た。
相変わらず島の中央から沸き立つ光の柱と、その柱が島中に漂わせる黄金の霧がア・メサアの夜を彩り幻想的な空気を醸し出している。ホテルの食堂は夜こそ本番だと言わんばかりに他の観光客の浮かれた騒ぎ声が漏れ出してホテルのロビーは忙しなく人が出入りしていた。
「本当に昼夜逆転しているんだなぁ、ここ。」
その騒ぎ声を背に受けながらロンロは今日上った坂道を上り島を北上していく。
この坂道をある程度上り切った所に道の分岐があり、上り坂になっている方向はあの昼間出会った老婆が仕事をしてた畑があり、そしてメルバーシと出会った遺跡がある場所に辿り着く。そしてもう片方の道の分岐は下り坂になっており、ここを歩いていくとア・メサア島の首領132代オアキッパ・インズナが住まい政を行う彼女の屋敷に繋がっているのである。
「はぁ、はぁ…。やっぱここの坂道は辛い……。観光客も多いんだからもうちょっと整備してくれないかな…。」
運動不足のロンロが息を切らしながら坂道を上り、分岐で昼間とは違う下り坂の方を選んで歩みを進める。屋敷までの地図は事前に確認していたが暗闇故に何分心細く、本当にこの道で大丈夫なのかと少し不安になりながらロンロは屋敷を目指した。
暗闇に不安になりながら歩いていくとやがて大きくて明るい灯りが見えてくる。
その灯りの周りにはぼんやりと大きな建物が聳え立っているのが判った。
まるで何かの施設の様な、大きな門にその奥に佇む大きな屋敷。本土では見る事が無い民族的な佇まいは明らかに何か特別な場所だというのをロンロに感じさせた。
「恐らくここね…。ここからホテルまでの距離は1.5km程…。魔学においてこの距離間で映像を送れるとなるとそれなりの設備や魔機が必要なんだけどな、オアキッパに魔女の資質があるとすれば魔学の常識では測れないものだけどさ、あの縁の瞳術は昼間話を聞いたお婆さんによれば島中を見渡せると言ってたし…。」
ロンロには『遠の瞳術』での監視をしているという事実もあり、首領オアキッパ・インズナに得体の知れない不気味さのイメージがついてしまっている。その彼女がこの目の前の普段本土では見られない様な屋敷に居るという事が今の状況に一層不気味さを醸し出していた。
「はぁ~~~、かといって本土からの仕事で来て、挨拶もせずに無断で島を歩き回るのもね…。ここは大人として建前は通しますか…しょーがないしょーがない!」
パン!と両手で頬を叩いたロンロは妙に力んだ歩みを持って屋敷の中に足を進めていった。
そして、その様子を上空から巨大な目玉で監視していたのはオアキッパであった。
「本土から随分可愛い調査員がいらっしゃった。出迎えてやらんとな………。」
オアキッパは片腕を上げて傍に座っていた女中に合図を送った。
それを見た女中は一礼をした後に立ち上がり、彼女がいる部屋から出ていく。
「あの娘…あともう一人居たか。我の『目』を察知して睨み返して来たのは…我が代ではそちらが初めてよ。島の中の人間も含めてな…。」
(警戒せよ…。)
(人の身で、我らの魔道を暴くとは…)
(魔女か…何かあったのでは遅い……。)
(我らが再び人の形を得よう、その時にまで…。)
(いかなる邪魔を排除しなければ…。)
(それが島の掟、クアン・ロビンの悲願……。)
「フン…!やかましいわ…。死にぞこないの悪鬼共、そんな事は判っておるわ。」
己の心の底から沸く無数の声に苛立ちを覚えたオアキッパは屋敷の中で一人で顔を歪めながら呟いた。