第2節…アネモネ
花畑を歩いていると、この広大に広がる景色に似つかわしくない堅牢な門が立ちはだかった。
鉄で出来たこの門の両側には先が霞んで見えない程長い塀が続いている。
ここは関所の様で、門の前に甲冑を着た2人の兵士が構えていた。
まあ察しは付いていたがこの兵士たちの頭も花。
自分以外に人間は本当にいないみたいだ。
近付いてみて判ったが、ここの門番たちの頭はこのシロツメクサと違う花が咲いている。花の数だけそれぞれ個性があるという事か?
しかし…花、というより葉っぱ?
どうやら観葉植物や古い洋館などによく巻きついているアイビーと見て違いない。
その証拠に甲冑の関節にある隙間から、アイビーの蔦がはみ出る様に巻きついているのがわかる。
兵士達は私達に気づくと途端に槍を門の前に交差した。
まあ、こんな怪しい格好していちゃ、ね。
「僕だよ僕。」
彼が微笑しながらフードを取れば、兵士たちの槍を持つ手が緩む。
「「申し訳ありません。貴方でしたか。」」
やけに淡々とした口調に疎外感を感じた。事務的過ぎてまるでこの“ギミック”の様。
ここの兵士はこういう物なんだろうが、あまりにも感情が無い声に仕事とは別のものを感じる。
素早く槍を戻した兵士がシロツメクサに向かって敬礼をすると、ギギギと蝶番が軋んだ。
ゆっくりと開かれた門の隙間からザァと風が勢いよく此方に吹き込み、ぐっと喉が詰まる。
と同時に目を瞑ると、頭を抑えていたものが消えたのを感じた。
「あっ…!!」
手でサッと頭を抑えたが時すでに遅し。フードが飛ばされて頭から外れている為、捉えきれ無かった手はただ頭を抱えることしか出来なかった。
しかし、兵士たちはうんともすんとも言わない。私の方すら見ようとしなかった。
「あ…あれ…」
驚いた様に瞬きをした後シロツメクサを咄嗟に見やると、彼はこちらを見ながらトントンと自分の花弁を二回突いている。
そういえば頭を抑えているつもりがやけに纏まりがあってツルツルしている様な…。
鏡を鞄から取り出して見ると、なんと自分の顔が白い花に変貌しているではないか。
「!!!」
驚いて声も出ない。先程の身隠の聖声は世界によってこうも変化するのか。何時もなら姿が場合に応じて少し変わるくらいだ…そうか、向こうでは自然物でも此方では人間と同様なのだ。
私の聖声は自然物への変化で次元が交わっても法則とか理は変わってなくて…ええと。
ブツブツと考え事をしながら頭の花の感触を確かめる。
兎に角、分かったことは私の顔は此方ではスノードロップだという事だ。
だが触り心地から造花である事が分かる。
触れれば偽者なのがバレてしまうかもしれない。
ふと他の変化は無いかと手を見ると、先程迄していなかった手袋が嵌められており、足はマントで隠れていた。
身長のせいで隣に並ぶシロツメクサの子供の様な格好になっている事にどうも腑に落ちないが…。
それにしてもこのフード結構取れやすいな…気を付けなければ。
もう一度前を見据えると、噂の彼は既に門の奥に消えそうになっている。
慌てたリンカはしつこく確かめる様に頭に触れた後、後ろ姿を追って駆け出した。
”ザワザワ”
取り敢えず中に入ってみるともう外の閑散とした世界とは打って変わって、花の海でごった返している。
あちらこちらで客に声をかけている商花や通行花の話し声が絶え間無く城下町を賑やかしていた。
これでは背の小さい私なんて直ぐ様埋もれてしまう。
なんとかシロツメクサの背中から目を離さない様にするのが精一杯で、すみませんと誰にも届かず空に虚しく散って行く言葉の羅列を、リンカは張り上げながら進んだ。
彼を無我夢中で追いかけていると、あれ程までにギュウギュウに押し潰された商店街から打って変わって、今度は全く花通りのない小道に抜け出る。
思っていたより力が身体に入っていたのか行き場の無い手は空を掴み、身体が抵抗むなしく肩から崩れ落ちそうになる寸での所で足をふん縛った。
やっとの思いで抜け出たリンカはようやく一息つけそうだと足取りを緩める。
どうやら彼はこの小道の奥に用があるらしい。
頻りに辺りを見回しているのが数メートル後ろからでも見える。
と思えば彼は何処かの扉に消え入ってしまった。
「はあ、私には少しの休憩も与えられないって訳ね。」
そう嘆きつつリンカは再び足を進めた。
〜Een bibliotheek〜
図書館…。彼は一体何の用があってここに寄ったのか…。
しかしこの不思議な世界での歴史や本には、どんな魔法が隠されているのだろう?
そもそもこの世界では何故植物が人間の様に闊歩しているのだろうか。
つまり自分の知らない物事が此処には息を潜めているやもしれない事に期待が高まった。
胸に騒ついた少しばかりの予感に気がかりな部分がまだ多いが、その不安がリンカの知識欲に勝ることは無かったのである。
キィ…
古い木製の扉を緩々《ゆるゆる》と開けば、外観からは想像もつかないほどの光景がリンカを圧倒する。
出迎えたのは古びた石を敷き詰めた道とそこらに咲く沢山の花々だった。
敷き詰められた様に存在する朝顔、ダチュラ、紫陽花、フクシア…
どうやらここには夏の花や木しか生えてない様に見える。
それに心なしか暑い。マントと手袋を嵌めてるせいではなく、気温が自体が茹だる様だ。
少し風が入ってきているお陰で多少は涼しいが、マントの中で汗ばみは止まらない。
あまりに耐えられず下を向いてマントの首元を掴みパタパタと仰いでいると、必然的に地面が目に付いた。
足元から伸びる道の石には苔が点在して生えており、其れが風に舞うことによって微妙に光に反射してキラキラと輝いていた。まるで妖精の粉の様な幻想さを醸し出している。
そういや一体何処からこの自然光は漏れてきているのだろう。
リンカが光の先を辿る様に上を見上げると、ドームを模した天井のかなり高い中央に、まるで太陽を象徴するかの如く真ん丸な穴が外の明かりを差し込んでいた。
そこに向かって聳え立つあまりにも仰々しい一本の花…此方からでは逆光と距離で花の種類までは見分けがつかない。
リンカは眩しく刺すような光から自分を隔離し目を逸らすかの様に、右手を額に掲げた。
しばらく花を見上げていると視界の端から誰かが話しかけてくる。
「いらっしゃいませ。此方は”Onontbeerlijke bibliotheek”です*」
*…時が進まない図書館
声のする方へ振り向いて見たが、やはり人ではない。一体何処から出現したのか不明なほど物音を立てず近づいて来た彼に一瞬身体が仰け反るが、とても心地の良い声とここの草木花の匂いが警戒心を少し和らげた。
彼の頭は…アネモネ。
静かな声に対照してとても情熱的な真っ赤な色をしている。花言葉は儚い夢、恋。
口にはとても出せないが、何故かこの人になんて似合う花なのだろうと思った。
それと同時に彼のツノも認識する。
長く少し緩やかなカーブで前に突き出した片方だけのツノ。
山羊の角の様だといえば分かりやすい。
顔は見えなくてもその背格好と出で立ちからとても繊細な姿をしているのだろうと想像できた。
頭の花はもしかして内面の性格に基づいているのかもしれない。
そう思ったリンカは先ず、この世界の人類に位置付けられる植物に関する書物を調べることにした。
「すみません、ここに花についての本はありますか?」――
――聞きたい事は尋ねたし、まずは一つ一つ確認しよう。
今いる石道の左側には蔦に巻かれたカウンターがあり、そこに先程のアネモネが鎮座して此方を向いていた。
私が入口の辺りで模索している間に移動していたのだろう。
警戒心が強いと自負している私が2度も気配に気が付けないのだから、最早常識は通用しないと言って良いだろう。
そして私が小一時間足留めしていたのは受付だった様だ。
花に埋もれていた看板には受付の文字が書かれており、少し離れた木には来た花を数える数取器らしき物が枝にぶら下がっていた。
そして石道の先にはいよいよ本が整列されているであろう、これ又蔦が巻き付いた木製の両開きの扉が控えており、其の儘足取りは緩やかに目線はその先を見据えたリンカによって遂に開かれたのだった。
するとリンカの足元から伸びる先へと続く道は無数に枝分かれしており、驚く事に数多の道を挟んで民家の様な朽ち果てた建物が並んでいた。
どうやらその民家の壁の至る所に本棚が埋め込まれている様だ。
先程通って来た路地裏にあったのは小ぢんまりした建物だったはず。
この様な民家が立ち並ぶ様な広さは外観からはとても信じ難い。
どう考えても聖声だよね…。
聖声の人類の理解に到底及ばない無限の可能性に強大さ…リンカはそれを考えようとしたが、拒否反応からか身震いがそれをさせてくれなかった。
リンカが周りを見渡しながら散策して気が付いた事がある。
どうやら民家に近寄ると、埋没した本棚自体は等間隔に上下綺麗に整列している様だ。
しかしこの道の苔もそうだが壁の所々が今にも崩れ落ちそうな上、窓が割れて破片が床に雑多に落ちているのが光の反射で分かる。
…館長の彼の几帳面さが浮き出ていると思いきや建物にはそれが見られない。
入口は全て本棚で埋まっているため中に入るのは到底無理だが、窓から中を覗き込むと食器などが床に散乱している為、生活していた跡の様なものが微かに感じられた。其れとも古民家カフェの様な拘りなのだろうか?
まぁ、そんなに気にする事でも無いが…
ふとリンカは動き回った事でズレた眼鏡を片手で直す仕草をしたが、左手が空振り今の姿が人間じゃない事を思い出した。
ん…?この建物…なんだかこの世界の花達の住処にしては小さい気がする。
どう考えても私達人間が生活するくらいの大きさ…いや…子供くらいの大きさか…?
おっとやめよう、無駄に詮索し過ぎるのは。
長居する訳でもあるまいし。
リンカの警戒心の強さは好奇心と表裏一体にあるが、それが思慮深い彼女の良い所でもあるし悪い所でもあった。
それに図書館にしては不明瞭すぎてこのままだとこの世界に囚われそうになる。
リンカは、花弁の頭をバサバサと揺らした。
気を取り直して興味をそそる本を探ってみてはいるが…。
何処も彼処も不自然な程に普通の植物の本ばかり。
中には
<花に向かって風が吹いた場合に掛かる抵抗について>
など此の世界に合わせた作為的な、なんとも無理矢理感のある物理の本もあった。
先程アネモネの彼から聞いた住所は
”Witte bloemveld Staat Slapen in de sneeuw 3-2-16”だから…道の割いた至る所で無造作に刺さっているこの看板の通りに行けばこっちのはず。
ふと本を探して周りを散策していると、ある廃屋の角を曲がった奥方の一軒に、一際乱雑な形で埋め込まれた本棚を見つけた。
近づくとその廃屋の周りだけ妙に埃っぽく、普通に息を吸うだけで咳き込んでしまう程だ。
リンカは涙で潤んだ目を細めながら両手で空気に舞う埃を一心不乱に払う。
ある程度払い終えた手で口を抑え、其の儘中身が殆ど並んでない為数冊が横倒しになった本を眺めた。
<人間をお―――く――る方法>
と書かれている本が目に入る。
文字が掠れていてほとんど読めない…行間からして送る…では無い筈。
しかし漸く植物以外の本を見つけた。
が、この世界には人間は存在していないのでは…。
よく見ると同様に文字が掠れてはいるが、人間という字が背表紙に書かれている本が他にも数冊見つかった。
しかし是等の本の状態からして、此処の花達が人間に良い感情は抱いて居ないのが安易に想像できる。
通りでシロツメクサのあの言葉も頷ける。
リンカがそっと一冊の本に指を掛けた瞬間、手袋を篏めた手が伸ばした腕を掴んだ。
「お嬢様。あまり公に興味を持たれない方が良いかと。」
ハッと声の先を向くと、先程のアネモネが行儀よく側で佇んで居る。
この花に私は何度驚かされるのだろう。
「あ、えと。すみません…」
「いえいえ、好奇心を持つ子供は時に可愛いらしい生き物ですが、同時に最悪の事態も起こり得るのですよ。お嬢さん。」
「はい。お騒がせしました…」
「貴女はとてもお行儀が良い子ですね」
どうやら今は子供という事にしておいた方が都合が良さそうだ。
しかしこの花には正体は愚か、腹の底まで見透かされている気がする。
何処を目と認識したら良いかは分からないが、何となく目が逸らせずただじっと純白の花粉を纏わせた雌蕊を見つめる事しか出来なかったのだった。
第2節−fin−