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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

赫々と燃える

作者: 野々

 どこからか音が聞こえる。壁一枚隔てた先から聞こえるような、何処か他人事のように響く轟音。それによって男は目覚めた。

 途端、体が発する痛みによって男は苦悶の声をあげた。右肩、右目が焼けるように痛む。それ以外の部位も今までに感じたのことない悲鳴をあげ、男に訴えかけてくる。

 男は歯を食いしばりながら、一度息を吐き出す。鼻に強烈な物の焦げる臭いが入ってきて、咳き込んだ。動かした体から悲鳴が再びあがる。

 男は痛みに支配されかけている脳で必死に思考する……今起きている状況は何なのか。

「俺は……そうだ、千穂とドライブをしていて……、そして」

 瞬間、男の頭に浮かび上がる光景、男の車の周りを駆け抜ける、大量の車……「随神(かんながら)」には映らぬ「存在しない車」。その中の一台……男の前を走っていた車が、カーブの途中でスリップを起こし……。

「……っ! そうだ、千穂は!」

 男は恋人の名を叫びながら、体の痛みに耐えて何とか助手席の方に向く、そこで見たものよって男の瞳が大きく開かれる。

 その先にあったのは車によって潰された助手席の姿だった。そして、こちらへ助けを求めるかのように右腕だけが飛び出していた。この腕を男は知っている……忘れるわけがない、つい先程まで笑っていた、彼女の腕。

「ち、千穂? 千穂……」

 男は引き絞るようにか細い声をあげ、右手を伸ばそうとする、その瞬間、気づいた。

 自分の腕が無い事を、そして自分の視界の右半分を失くした事を。

「あ、あぁ、あぁあ……」

 男の左目から涙が漏れ出し、完全に失くした右腕と、動かせば痛みが溢れる左腕を動かし、必死に千穂の右腕を掴む。そして、男は泣き続けた。






 数日後、男は病室の白いベットに体を預け、無気力に白い天井を眺めていた。その隣には桃色のスクラブを着た女性が男の事を身動き一つせずに見つめている。

 事故の後、車から自動で発信される救難信号によって救助され、病院へと搬送された。それにより男は何とか一命を取り留める事が出来た……男の右目の光と右腕、そして最愛の人を失くしたが。

 その事を医者から伝えられ、男は完全に意気消沈した。自分を見舞いに来た家族や友人たちの励ましも一切効果は無く。何も考えず、天井を見つめるだけの日々が続いていた。

「イワオカクト様」

 そんな男の様子を眺めていた女性が突然男の名前を呼んだ。それを聞き、男……巌赫人は右半分を包帯で巻かれた顔を向ける。

「……何だ」

「刑事のツクモ様が話を聞きたいとのことです。こちらへお通ししてもよろしいでしょうか」

「警察……分かった、通してくれ」

「畏まりました」

 女性はそう呟くと、物音ひとつ立てずに部屋から出ていく。その女性の後ろ姿を暫く眺めていたが、男は興味を無くしたかのように再び天井を眺める。


 数分後、女性に連れられ、二人の男が入ってきた。一人の男は四十代程であり、スーツも長い間着込んでいる事が直ぐに分かるほど年季が入っており、人が良さそうに笑顔を浮かべている……最初に言われなければ赫人は警察だと思わず、人のいいおじさんかと思う程である。もう一人は二十代半ばといった感じだが、さっきの男とは逆に一切表情を変えず、薄い鞄を手に持っている。

「どうも赫人さん。九十九です。ちょいっとお話し良いですかね」

「……けが人の病室に、アンドロイドですか? 随分と用心深いんですね」

「ハハハ、赫人さんお手厳しい。ですが、これがルールでしてね。勘弁してください。『補助と監視』あなたの隣の目麗しいその子と同じ理由ですよ」

 そう言いながら警官は女性へと目を向ける。彼女は警官の目を気にせず、赫人の方のみをじっと見つめている。

 彼女や、若い警官の顔は一見すると人間そのものだが、よく見ると肌や瞳などが人間とは違う、彼らは『二足歩行型自立行動機械』……端的に言うとアンドロイドと呼ばれる存在である。人間を仕事仲間として、家族として助けることを目的として作られた機械の人間であり、女性は病院で稼働しているアンドロイドであり、現在は赫人の体調管理を担当している。

「……聞いたことがある。警察官は仕事中、常にアンドロイドを行動するのが義務になっているとか」

「ええ、その通りです……では、そろそろ本題へと入って構いませんか?」

「……お願いします」

 九十九と名乗る警官は赫人の言葉を聞いた後、自分の同伴者へ目を向ける。それに反応してアンドロイドが鞄を開き、中から板状の端末を取り出し九十九へ手渡す。

 九十九はそれを受け取った後、電源を入れる。途端に端末から空中に立体映像が浮かび上がり、車の形となった。

 赫人はその車に見覚えがあった。

「これは……」

「ええ、赫人さん。あなたが乗っていた自動車です。至って普通の電気自動車。事故の後、我々が回収して、調査してみましたが、改造の痕跡はゼロ。不具合らしい不具合は一切ありませんでした。あなたはこの車で恋人であった高森千穂さんとドライブをしていましたね」

「……はい」

 赫人が頷いた瞬間、立体映像の車が動き出す。

「そしてドライブをしていた途中……空中高速に入ってから約三十分後、あなたは前方でスリップした車と衝突した。間違いないですね?」

 そう呟いた途端、立体映像の車が左右に揺れだし、車のバンパーが勢いよく凹む。その後、大きくスリップ……助手席部分を大きく潰れて動きを止めた。

「はい、ですが不可解な事があるんです」

「ええ、赫人さん。それは私も一緒ですよ」

 九十九は赫人の言葉に同意する。そして端末を操作する。その直後大破していた車は元の形に戻り、車が大きく揺れる姿が再び映し出される。

「ここであなたの車は大きく左右に反応していますね。調査の結果、この操作はあなたのものではない……自動車に内蔵された自動運転ですね」

「もちろん……今の時代、手動で運転するほうが怖いですから」

「ハハハ、その通りですねぇ。私の頃にはもう『随神(かんながら)』との接続は義務付けられていましたから……話がずれましたね。はっきり言えば、この自動車の動きは異常です。ですが調査の結果、あなたの自動車には全くといっていい程異常はありませんでした。なので事故であなたにぶつかってきた車とあなたの車の『随神(かんながら)』の情報を国土交通省に請求。あなたの車と事故を起こした車の全情報を貰おうとしました……ですが、おかしいんですよ」

 そう言うと再び端末を操作する。浮かび上がる車の周りに白い長方形が幾つか浮かび上がり、車よりも遥かに速いスピードで駆け抜けていく。長方形の一つが車の前に出てくる。それに驚いたかのように車が少しスピードを落とす。――瞬間、目の前の長方形が滑り出し、勢いよく車とぶつかった。

「あなたの車のドライブレコーダーでは速度超過の車が何台も追い抜いていく映像が出てきました。けれども『随神(かんながら)』には『正体不明の障害物』として認識されていました。あなたのカーナビ、ガラスモニターも同様ですね?」

「……車としてではなく、高速で動く障害物として認識していました。だからそれを避けるために車の挙動が……」

「……やはりですか。赫人さん。そしてあなたと衝突した車ですが、『随神(かんながら)』への接続記録自体がありませんでした。今相手の車のほうを調査中です。ですが結果は直ぐに出ると思います。その時はもう一度こっちに報告に来ますよ」

「あの……」

 そう言うと九十九はタブレットをしまい、席を立つ。赫人はその背中に声を掛けた。

「はい? 何か質問でも」

「はい、聞きたいことが一つ……俺の車とぶつかった相手は……」

「ああ、容疑者ですね。残念ながらまだ個人情報をあなたに渡すことは許されていません……上の方で色々あるみたいですよ。ですが、今の状態ははっきりと教えられます……事故死ですよ。あなたとの事故で首が折れてました。救急車が来た頃にはもう手の施しようがなかったとのことです。」

「そうですか……」

 赫人は無意識に左手が握りこぶしを作る。赫人の体……右腕と右目、そして恋人を奪っていった者はとっくにいなくなった。その事実に何とも言えない気持ちの渦が赫人の胸をかき乱す。

「今のあなたの気持ちはお察しします。ですが、待っていてください。私達が今回の事件。必ず解決して見せます」

 九十九はそう言って、赫人の病室から立ち去った。赫人の残った目にはその姿は映っていなかった。




 数か月後、夜の星が見えない程に派手な灯りを纏う雑居ビルの群れ。あちこちの空で輝くホログラムの人間。嫌でも目に入るモニターには時間と料金の表示が所狭しと並び、そこを多種多様な人々がいる。仕事帰りの着崩したスーツの男達に対して、扇情的な衣装を着て、桃色の看板の前で道行く人に笑顔を向ける女性。汚れきったシャツだけという恰好で道行く人の尻ポケットを見る男。黒いスーツにサングラス……いかにもな恰好で周囲を威圧する男達。ここは首都の中でもひときわ昼夜逆転した街であった。この街から東へ進めば二駅もしない所にはビジネス街が群居しているが、この街から少しでも西へ離れればアンドロイドの発達によって職を失った者たちが暮らすスラム街へと変貌する。社会の勝ち組と負け組が交差する街として「混沌街(カオスシティ)」と呼ばれていた。そんな街の中に一人の男の姿があった。その男には右目と右腕が無く、周りの看板や客引きに興味を持つわけでもなく、虚ろな瞳で歩いていた。赫人であった。

 赫人は入院から一月ほどで退院した。だが、右腕と右目は戻らなかった。

「義手も義眼も不完全な技術だ。義手は一部で普及しているが、まだ保険の適用外。義眼はまだ臨床実験の段階だ。義手なら何とかしてやれないこともないが……」

 赫人の両親が医者に相談した時にそう言われた。そしておおよその値段を聞いたとき、義手を諦めるように勧められた。

 赫人はその事は大して興味を持たなかった。ただ自分の恋人であった千穂の死による喪失感がいまの赫人の全てであった。そしてそれは退院した後もずっと支配し続けた。

 大学に復学したが、暫くして大学には行かなくなった。一人暮らしのアパートに居るのも赫人は嫌がった。何をするにも静謐と無力感が赫人を蝕んでいった。

 「混沌街」を歩くようになったのはその影響であった。以前はこんな街には近寄ろうともしなかった。だが、今の赫人にはこの街の起こす空気が落ち着かせてくれた。まるで他人の失敗に共感を覚えるようなぬるま湯の心地よさだった。

 ふとビルとビルの間に目を向けた。明るすぎるネオンの灯りによって色を濃くした影の中。そこにはごみ箱に体を預ける青年や、地面に大型犬のように寝る中年男性の姿があった。奥にはよく見えないが、立っている人影が一つ見えた。

 その男と目が合った気がした。黒い影が揺らめく。赫人の足は完全に止まってしまった。その人影から目が離せなくなる。

「私に、何か用かな?」

 いつのまにか人影は赫人の前に来ていた。影は黒いスーツを着た男へと変わっていた。男は日本人とは思えない掘りの深い男であり、着こんでいるスーツは赫人が見ても高級な代物だと分かった。しかし、貰った服を着ているような感じでも、スーツだけが高級なわけでもない。日常的に高級なものを使っている気品のようなものを男から感じた。

 そこで赫人は違和感を覚えた。「混沌街」はサラリーマンもスラムに潜む人間も混じる街。だが、本当の上流階級は別だ。サラリーマン程度ならともかく高級品を身に着ける男なんてこの街では目立つ。そしてこの街にはスリなどの犯罪目的の人間も多い。だから上流階級の人間はここには来ない。「遊び場」は彼らなら簡単にもっと素晴らしいものが用意できるからだ。

「ここで、何を……」

 赫人は男を不気味に思いながら尋ねる。男は一度、裏路地へ振り返り、そこで倒れるように寝ている人々を一瞥する。

「君は『蜂蜜』を知っているかな?」

「……合成麻薬の?」

「そうだ」

 「蜂蜜」。そう呼ばれている合成麻薬。赫人はそれを聞いたことがあった。最近ではテレビでもよく取り上げられており、赫人は事故の前にも後にもニュースで度々目にする機会があった。高い依存性と、高揚感をもたらすことで有名で、スラムだけじゃなく、学生や社会人の間でも服用する人が増えているという。だが、それだけなら他にも似たようなものは少なくない。「蜂蜜」の問題点はこれがスラムにいる反政府団体の資金源になっている点である。彼らは現在の日本に不満を持っており、様々な活動をしている……「テロ」と形容される行為さえも。その資金源となっている為、警察は彼らの根絶を目指して躍起になっている。

 男は赫人の前で手を開いた。中には黄色いカプセル状の錠剤があり、表面に正六面体のマークが描かれている。

「私は売人だよ。君のような若者は多く見てきた。君に必要なものはこれだ」

「……『蜂蜜』」

 前に出されたカプセルに赫人の目は釘付けになる。これさえあれば、逃げられる。右目も右腕も失くし……そして千穂を失くした世界から。そう思った瞬間、左手がカプセルを摘まもうと動き出す。

 しかし、「蜂蜜」を掴もうとした直前、赫人の頭に一つの光景が浮かんだ。スリップしこちらへと飛んでくる一台の車、その後に見た千穂の腕……。

「違う」

 思い出した途端、赫人の口は動いた。ハッキリと、事故の後の自分の声とは明らかに違った声をあげた。赫人の頭で何かが固まった気がした。夢現だった赫人の視界がクリアになる。脳が、心臓が……全身の部位が急速に動き出す。そして、激情が溢れる。

「俺が求めているのはコレじゃない」

「ほう……」

 赫人の言葉に売人の目が変わる。弱者を馬鹿にした(いつくしむ)眼から相手を推し量る眼へと。

「ならばお前は何を求める」

「力だ。そんな甘い蜜を舐めてるだけでは何も変わりはしない。俺は全てを叩き潰す。千穂を殺したあいつ等を……『存在しない車』をだ」

「成程……君の事情には詳しくないが、君の心は理解した。私は君の復讐を導く手助けができる。どうだね? 私と手を組んでみないか?」

 男はそう言うと手に持っていた「蜂蜜」を後ろに投げた。座り込んでいた中毒者達がそのカプセルの軌道に釘付けになった途端、薬を取り合って取っ組み合いへと変わる。

 男はそちらを見ずに左手を赫人に出す。手の中には何もなく、握手の形をとっていた。

 赫人はこの男に底知れない者を感じた。この男はただの売人ではない。巨大な樹木が地面の下に想像も尽かないような大きさの根を張るように、この男は莫大な闇を赫人に隠している。

 それでも、この男は復讐を確実にスムーズにしてくれる。赫人はそう確信し、左手を伸ばして男と握手をした。

「君の名前は?」

「巌赫人」

「ほう、良い名前だ。まるでこの一瞬の為に生まれたような名。では私はこう名乗ろう。私の名前はファリアだ」




 三日後、まだ太陽が空にある時に赫人は古錆びた門を見上げていた。門には「ニコニコ商店街」と書かれているが門の先には人の気配は無く、シャッターの閉まった店たちが並んでいる。

 ここは「混沌街(カオスシティ)」とは別のスラム街に程近い。しかし、スラムに住むような人の気配は存在せず、喧騒とは無縁の世界が広がっている。

 赫人はファリアに自分の現状を全て話した。「存在しない車」による事故。それによって失った恋人と右腕と右目。そしてそれの復讐を望むこと。

 それに対してファリアは「良い人物がいる」と言い残し、その日は別れた。次の日、ファリアから日にちと場所を指定され、この商店街の前にやってきた。

「君には珍しいかね」

 門を見上げていると、隣から声がした。赫人の隣にはファリアが立っていた。

「……商店街なんて中学の歴史の授業でしか聞いたことは無かった」

「そうだな。都市に住む人間からしてみればもう『歴史』という言葉で纏められるものか」

「で、なんでここに?」

 赫人はファリアに尋ねた。ファリアは「こっちだ」と呟くと、商店街の中へと歩を進め始める。赫人は少し後ろをついて歩く。商店街の看板には人の苗字とお店の種類が「田中精肉店」のように分かり易く書かれている。量販店かネット通販で食べ物を買うことが常識の赫人にとっては目新しく感じた。しかし、どの店も開いてはおらず、中を見ることは叶わなかった。

「ここはスラム街に隣接している。もうここに住民票を構えている『まともな』人は居ないだろう。だが、スラムに暮らす人も住み着いていない。何故だが分かるかね?」

 そう言われ、赫人は周りを見渡す。周囲は先ほどと同じく閑散としていて、人の気配は無い……異常なほど。赫人はスラムらしいスラムを「混沌街」しか知らない。だが、ここには何もない。街の陰で寝る男も、地面に転がる怪しげなカプセルも、屋根の下で寒そうに震える子供も居ない。恐らく建物の中にも人は殆どいないだろう。

「……いや、分からない」

「……素直な返事だ」

 赫人の答えにファリアは微かに笑った。

「そうだな……巌赫人。君は熊の巣穴に入りたいと思うかね?」

「……は?」

 ファリアの唐突な質問に声が漏れた。

「君が兎であるならば例え住み心地が良かろうと入りたくはないだろう? ここはそういう所だ」

 ファリアの歩みが止まり、遅れて赫人も止まった。目の前には「シュウリヤ」と書かれた看板があるお店が一軒、そこだけはシャッターが下りていなかった。

「この店が?」

「ここはスラムの人間からすれば恐怖の対象だ。この辺りのギャングさえ商店街には入らない。何故ならここに『彼女』が住んでいるからだ」

「全然そうには見えないけど……」

「その印象は間違っていない」

 ファリアはそういうと「シュウリヤ」の方へと近づいていく。赫人もファリアの言葉に体を固くしながらついていく。




「いらっしゃーい」

 二人が店に入ると、如何にも「大量生産されてます」といった事務机と安物のソファが二つ、向かい合うように置かれているだけの部屋であった。部屋には他の物は置かれておらず、壁には時代を感じさえる染みが浮き出ている。この部屋以外にも部屋はあるようだが、扉は閉まっていた。そして片方のソファの真ん中に腰かけている女性が一人居た。彼女はTシャツとジーパンというラフな格好をしているが、後ろに纏めた長い黒髪によって赫人は「気楽な格好の女研究者」といった感想を持った。

 その女研究者は赫人達を視界に収めるとやる気のない声で挨拶をしてきた。

「何時も通りだな『人形の女王』」

「その呼び名は好きじゃないっての……名前は?」

「今はファリアと呼んでくれたまえ。こちらは私への依頼人。巌赫人だ」

 赫人はファリアと「人形の女王」と呼ばれた女性の会話に違和感を覚えるが、何故か納得してしまった。どうやらファリアは会う人によって名前をコロコロ変えているようだ。「人形の女王」は赫人の思考を無視して、赫人を眺める……いや、観察し始める。

「成程、右腕と右目をねぇ……赫人君? 話は大体ファリアから聞いたよ。そして復讐をしたいとか」

「……ああ」

「その体で?」

 赫人の体の動きが止まる。それを知ってか知らずか女性は話を続ける。

「あなたがファリアに話した『存在しない車』。あなたはそれを追いたいのよね。その体では無理ね」

「だから、君の元へ来たのだ『人形の女王』」

 女性の言葉にファリアが口を挟んだ。そして自分の腕を上げ、手を開いて閉じる。

「君は以前から義手の研究に独自で取り組んでいると聞いた。そしてある程度は実用化に到っている筈だ。『スズメバチ』が君の作品を自慢げに見せてくれたよ」

「……ああ、あなた『蜂蜜』の売人なんてやってたわね」

「そう、それに君の事だ。義眼の研究が始まったなんて聞いたら君も似たものを研究はしているだろう?」

「……それを依頼人に? ファリア、あなた随分雑な商売をするようになったわね」

「『人形の女王』。君の腕を見込んでだよ」

「呆れた」

 「人形の女王」はため息を一つつくと赫人へ向き直す。赫人は二人の会話の流れを理解できずに立ち止まっていたが何かが固まったらしい事は伺えた。

「……つまり、どういうことだ? 『人形の女王』」

「何かあなたに『人形の女王』って呼ばれるのは嫌ね」

 赫人の質問に女性は答えず、そう呟いた。それを聞いたファリアが愉快そうに肩を震わせる。

「成程、『人形の女王』。スラムの人間に呼ばれるのには慣れたが、一般人には何か屈辱だと?」

「どっちも屈辱ね」

「ならば、私が一時的に名を授けようか……エデなどは如何かな?」

 その言葉に女性の動きが一瞬止まる、そして、赫人とファリアの顔を一回眺めた後、露骨に嫌そうな表情へと変わる。

「それは私の趣味じゃない……そうね、オリヴィアとでも呼んで」

「じゃあオリヴィア……さんは一体何を」

 赫人が言い直すと、オリヴィアは口に煙草を入れ、火をつける。赫人は煙草を古い映画の中でしか見たことが無かったが、彼女のその姿はとても様になっているように思えた。

「まあ、分かり易く言うと、腕と目が無いと不便でしょ。作ってあげる。二つ合わせて一千万位でどう?」

 突然の内容に赫人の頭が固まった。腕と目を作る? 一千万? 彼女の口から続々と飛び出す、新たな単語についていけなくなる。しかしそれが赫人を無理矢理新たな展開へと手を引いているのは理解できた。

「どういう事だ、それ」

「言った通りの内容よ。残念ながらどちらも義手と義眼。更に義眼はまだ人間に試したことはない。それで良いなら私が付けてあげる。それで一千万。どう? 義眼の実験台になってくれたことも含めて分割払い、更に割引も考えてあげるけど」

 そうオリヴィアは言葉を付け足す。一千万という言葉に赫人は驚いた。高いという意味ではない。「安すぎる」から驚いたのだ。病院で医者に提示された義手の値段はこんなものではなかった。

「もちろん、質は一般企業とかの物と比べないでよ。スラムで集められる部品で最高の物を作ってもあっちには遠く及ばない。でも絶対に損はさせない物を作ってあげる……どう?」

「安心したまえ、赫人。彼女は私が知る中で一、二を競う優れた機械技師だ。彼女に手を出せばスラムの王様たちが襲い掛かってくるくらい彼女は重宝されている」

 オリヴィアの言葉にファリアが背中を押すように付け足す。

 ここで二人の言葉に頷けば、自分はもう戻れない。そういう状況にある事は赫人にも直ぐ理解できた。だが、少しでも躊躇しようとすると頭に赤い景色が――千穂の腕が浮かび上がる。

「それは、俺の復讐の手助けになるのか」

「勿論、あなたの言う『存在しない車』。それに復讐の仕方次第でもあるけど。絶対に損はさせないわ」




「どう? 右目の調子は」

 赫人が目を覚ますと右の視界に光が戻っていた。右半分の世界に再び見える世界。こうしてみると如何に隻眼の視界が不便であったかを赫人は実感していた。しかし右目の視界の中には至る所に、四角い枠が浮かんでいる。

 赫人が周りを見渡す。辺りには一見すると、古い銭湯を思わすタイルが貼られた部屋であり、その中心に適当な機材で作られたベッドに寝かされている事が分かった。たまたま壁に掛けられた鏡が目に入る。赫人の失った右目には小型のカメラを思わせるレンズがあり、そこから青い光が点灯していた。人間のものには思えない異形の目。しかし瞳は完全に世界を捉えていた。

部屋の隅には煙草を吸うオリヴィアの姿があった。彼女に視界を合わせると、右半分に浮かぶ四角い枠が彼女の全身を覆うように動いた。そして四角い枠の外側に大量の文字が浮かび上がる。

「これは……」

「アンドロイドに使われるカメラを私なりに改造してみたもの。四角い枠は人間や物体を捉えるセンサーよ。気になるなら、頭の中で消すように念じてみて」

 オリヴィアの言葉に従って、頭の中で枠を消すことを意識してみる。すると、四角い枠と文字はパッと消えていった。

「まあ、日常生活では、この機能は無駄に見えるかもしれないけど。あなたには絶対に役立つ。私が保証してあげる……はい、じゃあ次右手を上げて」

 オリヴィアはその一言で、赫人は自分の体へ視線を向ける。そこには事故によって失われた右腕が存在していた。右腕を上げようとする。当然かのように右腕は持ち上がった。赫人はそれに感動に近いものを感じるが、直ぐに違和感を覚える。

「何か、変な感覚だ……動かせるのに、腕に感覚がない」

「残念だけど、そこはこっちの限界ね。触覚とかの感覚はその義手には存在しないわ……。指の方は大丈夫?」

 オリヴィアの言葉に従って、赫人は開きっぱなしだった、指を動かす。完全に開ききった指を固め、握りこぶしにする。指と指が触れ合う感覚は無いが、完全に握りこぶしとなった。

 赫人が集中しているうちにいつの間にか近づいていたオリヴィアは義手に触りだす。

「人工皮膚もちゃんと貼れてるし……大丈夫ね。ちゃんと繋がっている。うん、おめでとさん。これで手術は終了ね」

 赫人がオリヴィアと出会ってから一週間後、赫人はオリヴィアの元で手術を受けた。そしてここは「シュウリヤ」の一室である手術室。手術がたった今無事に終わり、義眼と義手の調整をしている。

「ありがとうございます。オリヴィアさん、これで大分楽になる」

「……ん、そう?」

 赫人のお礼にオリヴィアは何処か気恥ずかしそうに返事をする。それに対して、赫人は首を傾げる。

「何か?」

「いや、普段の商売相手には君みたいなのは居ないタイプだからちょっとね」

 赫人には聞こえない大きさの声で「こんな子が復讐ねえ」と漏らした後、オリヴィアは「よし」と声を上げた。

「私の仕事はこれで九割方終わり。後はファリアの調査結果次第ね」

「ファリアが何かしてるのか?」

「勿論」

 赫人の言葉にオリヴィアは首を縦に振る。赫人はオリヴィアと初めて会った後、殆ど彼とは会っていない。だが、彼は彼なりに何かをしているようだ。

「あなたの復讐相手を捜しているのよ。彼、人間として信用するのはどうかと思うけど、彼の仕事は信用しても良いわ」

「俺の……」

「そう……復讐」

「分かるのか?」

「まあ、彼なら分かるわね……ところで、あなたに聞きたいのだけど……復讐って何をするの?」

「全てだ」

 オリヴィアの言葉に赫人は答えた。全部……「存在しない車」。赫人の事故に関わった全て。それを赫人は徹底的に……。

「とはいってもあなたの車と事故った相手は死んだのでしょ?」

「そもそも『存在しない車』が無ければ、あんな事故は起きなかったんだ……」

「極論ねぇ……あぁ、あいつが『ファリア』って名乗った訳が分かったわ」

 赫人の言葉にオリヴィアが呆れた様子を見せる。赫人としてもこれが少し間違っている事は理解している。でも、これをしなければならない。赫人の中にはその思いが渦巻いている。頭の中に染み付いた赤い景色。それが義務感のような強迫観念じみた思いを赫人の頭の中に、常にくすぶり続けさせていた。





「『存在しない車』。それの正体が分かった……とはいってもオリヴィア。君は赫人の話だけで大体仕組みは分かっていたな」

「仕組みだけね。誰が運転しているかは分からなかったわ」

 夜の商店街の中。暗闇の中に唯一灯りが灯る「シュウリヤ」の前に三人の人影がある。人影の一つ――ファリアは「シュウリヤ」の壁に背中を預け、二つの人影を見ていた。残る二つの人影……赫人とオリヴィアは暗闇の中にあるものに注目している。それは一台の二輪自動車……つまりバイクが置かれていた。

「『存在しない車』……赫人君、『随神(かんながら)』は知ってるわね」

「『随神』……国土交通省が統括しているスーパーコンピューターだろ。免許取る時に教えられる」

 「随神」。現在日本の全自動車は自動運転の搭載が義務付けられている。しかし、それだけでは事故を完全には防げないという事で、全ての自動車を一台のスーパーコンピューターが支配と呼べる程に制御している。それが「随神」である。

「『随神』への接続は自動運転と同様。日本で運転する自動車には義務付けられている。それさえあれば、車間距離も、車の速度も目的地への進路も全部『随神』が操作してくれる。まあ、個人情報を保護していないって文句もあるけどこれのおかげで車の事故はほとんど減ったわ」

「だが、それに不満を持っている人がいるようだ」

 ファリアはそう言うと、バイクへと近づく。

「赫人、君は暴走族というのを知っているか?」

「暴走族? バイクとかで走り回るあれか?」

 赫人の頭に思い浮かんだのは派手な装飾をしたバイクで集団となって走り回る学ラン姿の男たち。だが、現実ではそんなものは見たことがない。漫画やゲームの中位でしか知らない。

「ああ、今となっては精々創作の題材にされる程度の存在だが……寧ろ創作でしか知らないからか、ああいったものに憧れる輩がいるようだ」

「それが『存在しない車』の正体……?」

「どうやらこの辺りには車で思いっきり速度をかっ飛ばしたいなんて輩がいるようだ……わざわざ完全自動化したというのに危険になりたいという救えない思想の人間の集まりだ。それが事故を引き起こした」

「恐らくその車には『随神』への接続も、自動運転の機構自体も無いんじゃないかしら。どちらかがあれば、スピードを上げることは制止されちゃうし」

 つまり、赫人と千穂に襲い掛かった「存在しない車」の正体は、「随神」に繋がらない、自動運転も搭載していない車ということである。「随神」が車を車と認識するには他の車も「随神」に繋がっている必要がある。「存在しない車」は「随神」とは繋がっていなかった……速度を出せないからそれだけの理由で。

「そして速度を出す相手は自動運転があることを前提で行う免許しか取っていない人間。それじゃ、ちょっと無茶な運転をすれば事故るのも当然ね」

「……そんな奴らに殺されたのか」

 暫くオリヴィアとファリアの会話に耳を傾けていた赫人が声を出した。小さく、それでいて二人にははっきりと聞こえる声。それを聞いたオリヴィアは黙り、ファリアは赫人へと目を向ける。

「その通りだ。君の恋人を殺した者はこの程度の人間だ。特別な意味などない享楽的な集団だ……さて、巌赫人。どうする?」

「決まっている」

 赫人はバイクに近寄ると、直ぐに跨る。バイクにはキーが刺さっており、キーを回すと直ぐにバイクは動き出し、ライトが点灯する。

 このバイクはオリヴィアが用意したものであった。赫人の復讐相手……「存在しない車」に対抗するためにスラムに売られていた部品で組み立てた電気動力のバイク。そしてこのバイクにも「随神」への接続と自動運転の搭載はされていない。

「忘れ物だ」

 ファリアは、バイクに跨った赫人に黒いものを手渡す。

「今夜、『存在しない車』が空中高速一六番……君が事故に遭った場所を走るという情報が入った。君の新しい門出には丁度いい」

「……ああ、ありがとう」

 赫人は黒いものを腰に用意したホルダーに突っ込む――バイクが静かながらも力強いモーター音を響かせ、一気に加速する……向かう先は自分の恋人を奪った者共の元へ、彼らの全てを奪うために。

 その後姿を二つの人影は暫く眺めていた。





 空中高速。首都から他の地方都市へと続く、新設された巨大高速道路。国の最新技術を投入し、道路を支える架柱が殆どないから「柱の無い高速道路」と一部では表現される。一説によるとスラム街に架柱を立てたくないからだと言われているが、真相は分からない。

 空中高速一六番……明かりで輝くその道路の上を法定速度を上回る速度で走る車の群れが有った。ファリアから「暴走族」と形容された集団である。彼らの主体は富裕層の大学生である。普段、大学などの勉強の鬱憤などを晴らすため、そして自動運転が当たり前だったが、車の本来の速さに魅入られたために、彼らは「随神(かんながら)」も自動運転もない車にこぞって乗りこんで走っていく。

 今日も彼らは好調に車を走らせていく。アクセルを踏み込めばどんどん自分の理想通りの速さを出してくれる愛車に興奮を覚え、運転席で悲鳴にも聞こえる歓喜の声をあげる。時には警察に追われることもあったが、警察は手荒なことはしない為、捕まった奴を笑う位の余裕はある。今ここは走り屋の世界であった。

 しかし、その天下は今夜にして終わる。

「あん?」

 最後尾にいた男がその異変に気付いた。自分の車の後ろから何者かが追いかけてきていることを。男は最初、警察を疑った。だがあの甲高い警告灯の音はしない。

「なあ兄貴。何か来まっせ」

「どうせ余所の車だ。放っておけ」

 男は外付けの通信装置で連絡するとそんな返事がきた。「そうかなあ」なんて独り言を男が漏らした瞬間。

 「しゅぽっ」という気の抜けた音がした後、男の視界が大きくブレる。車が大きく揺れ、ハンドルがいう事を利かなくなる。

「な、なんだあ!」

 スピードを出し過ぎていた男の車は大きくスピンする。その隙に後ろを走っていたものが追い抜いた。それは一台のバイクであった。

 バイクに乗っているのは赫人であった。彼はヘルメットを被らずに左手だけ運転しており、顔をスピンする車へ向ける。赫人の右手が素早く動く。右手には拳銃が握られており、赫人が狙いたい場所へ、義手が自動的に反応して弾丸を打ち出す。拳銃から放たれた弾丸はスピンする車の前輪に当たる。車は大きく体勢を崩し、横転しながら、壁に激突……沈黙した。

 赫人はそれを最後まで確認せず、拳銃を腰にあるホルダーに収め、右腕をハンドルに戻す。赫人が前を向くと、義眼はまだ小さな前の車を捉え、四角い枠で捉えている。

「見つけた……」

 赫人は思わずそう呟いた。ハンドルを握る手に力が入る。時速百キロを超える赫人のバイクは、義眼から放たれる青い閃光が尾を引きながら新たなる獲物へと一気に距離を詰めていった。





「い、一体何が起こってやがる!」

 暴走族の男が車の中でそう叫んだ。今夜のドライブは途中までは何時も通りだった。だが、途中から後続の仲間達からの悲鳴、恐怖の通信報告……そして度々後ろから聞こえる爆発音。これは明らかに異常だった。

「何なんだよ! おい!」

 男は不安を掻き消すように通信機器を弄り、仲間達と連絡を取ろうとする。しかし、返答は来なかった。

「……ああ、クソ!」

 男は悪態をつき、ハンドルを握る。その瞬間、男はサイドミラーに光が見えた。一瞬仲間のものかと思ったが、車のライトとは違う……ライトが一つだけ。

「ってバイクだと!」

 徐々に灯りが近づいてきて、それがバイクのライトだと気が付いた。逆光で乗っている人の顔は分からないが、男のメンバーにバイクに乗っている人間は居ない。

「お前! 俺の仲間に何しやがったぁ!」

 男が激昂する。バイクは車に近づき並走を始める。そこで男はバイク乗りの顔を確認しようとしたが、その前に男の顔が青ざめた。

「な、何だお前は……」

 バイク乗りの顔は男には良く見えなかった。だが、顔に浮かぶ青い閃光。それだけが、鬼火の様に浮いていた。

 赫人は義眼で男の顔に狙いを定める。右腕はそれに従って動き、正確に顔の位置に弾丸を飛ばす。しかし

「ひいぃぃ!」

 弾丸は運転席の男が恐怖によって思いっきりアクセルを踏んだことによって、目標を外す。車は先ほどまでよりも遥かに速くなり、赫人から徐々に距離を開いていく。

 これには赫人も焦りが滲む。どうやらこの男の車は赫人が先ほどまで壊してきた車とは性能が違うようである。自分のバイクでは追いつけない事を直ぐに悟った。

「させるかぁ!」

 赫人は思わずそう叫ぶ。すると、赫人の義眼は青から赤へと色を変える。赫人の視界も右半分が赤く染まり、モニターに「加速視界(アクセル・ヴィジョン)」という文字が浮かぶ。

 瞬間、世界は大きく変わる。目の前を走る車も、赫人の乗るバイクも急に止まったかのように速度を変える。赫人はそれに驚くが、直ぐにスローモーションに見えているだけだと理解した。

 「加速視界(アクセル・ヴィジョン)」これはオリヴィアが義眼に、赫人には「言わず」に勝手に搭載した機能である。人間は窮地に陥ったりすると、見るもの全てがゆっくりに感じる事がある。オリヴィアは義眼にそれを「強制的」に発生させる機能を搭載させた。視界をスローモーションにし、敵の動きをゆっくりと視認することが出来る機能。だが、視界がゆっくりになる程度では生身の体では追いつけず、何も出来ない。

 そう、「生身の体」では

 赫人はスローモーションになった世界で、狙いを定める。動きを止めることが出来る場所……それは勿論、車のタイヤ。

 狙いが定まった瞬間、赫人の右腕が動き出す。銃身が先程の射撃よりも遥かに速いスピードで動き、弾丸が二発放たれる。二つの弾丸は吸い込まれるように走る車のタイヤへと風穴を開けた。

 それを見届けた瞬間、赫人の視界は元の速さへと還って来る。右目と頭に激痛が走り、バイクのスピードを落とす。どうやらこの機能は人体に相当な負荷を掛けている様だ。義眼はまだ赤く光っており、視界には「充電必須」の文字が浮かんでいる。

 車は限界ギリギリのスピードで走っていたところに、後輪に弾丸が飛び込み穴を開けたため、摩擦による煙を吐きながら車は派手にスピンする。そして道路に対して垂直になった所で動きを止めた。車のエンジンからも煙が漏れ始めて、完全に動けないことを必死に訴えていた。

 赫人はバイクを車の近くで止め、車の中を見る。中に居た男は頭から血は出ているがエアバッグによって致命傷を免れていた。

 赫人は義手で力任せに運転席のガラスを割る。

「ひ、ひいぃ」

 中に居た男はガラスの割れた音に怯えた声を上げる。赫人はそれを無視して、右手で男の服を掴む。

「お前に聞きたいことがある」

「な、何だ、何だよ」

「お前たちの誰かがこの辺りで事故を起こしたか?」

「じ、事故?」

 男が声を上げた途端、赫人は義手の力で思いっきり手繰り寄せる。男は彼の赤い目に怯えきり、情けない悲鳴を上げる。

「し、知らねえ。俺たちはそんな事知らない!」

「本当か?」

「本当だ! 俺達みてえのは何チームも存在してる! 俺の知らないチームだってある!」

「……」

 赫人はその言葉を聞くと、腕を放す。男は目の前に居る恐怖から逃れようと車の奥へと情けない動きをみせながら這っていく。

 赫人はその姿を無視して、バイクへと戻る。そしてバイクを走らせて車の前に移動して動きを止める。

「残念だが、俺はお前たち全員を滅ぼすつもりだ……全員をだ」

 そう呟いて、弾丸は放たれた……行き先は今も煙を放つ車のエンジン。赫人は結末を見届けずに赤い光を放ちながらバイクを走らせる。数秒後に、高速道路で大きな爆発が発生した。





「そうそう、義眼のレンズを取り外したらすぐ出てくるからそれを充電すれば良いの。使ってるのは家庭用のだしね……にしても『加速視界(アクセル・ヴィジョン)』はやっぱり電力を大量消費しちゃうか。これは改良の余地有りね」

 廃れた商店街にある「シュウリヤ」。その中でオリヴィアはソファに座りながら電話をしていた。彼女の前のソファにはファリアが座っており、オリヴィアのアンドロイドが淹れた紅茶を飲んでいる。

「ふむ、おいしいな。これはアンドロイドの共通ソフトではない……自己学習の結果か。流石『人形の女王』のアンドロイド。あらゆる事に手を抜かないな」

 オリヴィアの傍に立つ女性にファリアは話しかける。その女性は金髪の十六歳程の見た目をしており、立っている姿は男性なら誰でも一瞬立ち止まってしまいそうな美人である。しかし、表情は一切変化せずに無表情のままファリアの言葉に頭を下げた。

「分かったわ……じゃあ、二週間後には整備の為にこっちに来てね。まだまだ試験段階なんだから。あ、支払いもよろしくね」

 オリヴィアはそう言った後電話を切る。そして手で持っていた通話機器をアンドロイドの方へ手渡す。

「彼は君の仕事に満足してくれたようだね」

「……そうね。満足してるみたいよ。あなたも自分の仕事をしたら?」

「ほう?」

 オリヴィアの言葉にファリアは眉を持ち上げる。

「彼、やる気満々よ。早く次の標的を探してほしそうだった」

「それは良い事だ。私も仕事の意欲が上がるというものだ」

「そういう風に彼を導いたのはあなたのくせに」

「もちろん、それが私の商売という奴だよ」

 オリヴィアはその言葉にため息を一つ返して、紅茶を飲み始める。オリヴィアはファリアがこういう男だと知っている。ファリアは他人の望むことを叶える……「望むことだけ」を叶える男だ。他人の弱っている所に入り込み、望みを表面化させ、望みをかなえる……その先に待っているものを分かっていても教えずに唆す。そういうプロだ。

 ある意味、これは詐欺よりもタチが悪い。ファリアは「他人が望んだもの」を渡しているに過ぎない。騙している訳では無い。ファリアがこれまで関わってきたものの大半はファリアではなく、突き進んだ先にいた障害に怨念を吐きながら死んでいった。ファリア自身は一切責任を負わずに。

「だが、君はそれに関わった。『人形の女王』、君も共犯だ」

「知ってる……でも、残念ながら私の関心は機械にしかないの。今回の仕事だって、義眼と義手の実験データが取れるから関わっただけよ」

「そうかな? 君はスラム側の人間にしては良心的すぎる。やはりスラム生まれではないからな。アンドロイド企業に夢を見た、学生の頃を忘れられないの――」

「ちょっと口を閉じなさい」

 「人形の女王」はファリアの言葉を遮り、怒気を孕ませながら言い放った。瞬間、辺りから金属音が鳴り響く。何時の間にかファリアの周りに一メートル程の蜘蛛形の機械が四台現れ、クモの胴体に搭載された機関銃がファリアの頭を狙っている。

「私達はビジネスパートナー。それだけの関係よ。私に深入りすれば、あなたの全てを奪ってあげるわ」

「……それもそうだな。失礼した」

 ファリアはそう呟くと、紅茶のカップを置いてソファから立ち上がる。蜘蛛形の機械たちに物怖じをせずに、お店から出ようと扉に手を掛ける。

「そうだ、『人形の女王』。少し聞きたいことがある」

「ここで質問するって本当に肝が据わってるわね。何?」

「君は私がエドと呼ぼうとしたのを拒絶したのを思い出してね。一体何故かと聞きたくなった」

「ああ、あれ。別に大した理由じゃないわよ」

 「人形の女王」はそう言うと、ファリアの目を見る。本当に大したことのないように……若干の呆れが混ざった調子で言葉を続ける。

「『ファリア』『エデ』……それってあなたの趣味でしょ。それに乗りたくなかったから私の趣味から引っ張ってきたの。SFの方が好みなのよ。私」

「『オリヴィア』……成程、あの名前はそういう事か」

 「人形の女王」の言葉に納得したようにファリアは呟き、ドアノブを捻った。





 赫人は歩いていた、異形の義眼は見えないように眼帯で隠し、手には花束を持って。横には……それどころかこの辺りには大量の墓石が立ち並んでいる……その一角で赫人の足が止まった。赫人の前の墓石。そこには「高森」……恋人の苗字が彫られていた。赫人は入院と精神的な影響で葬式には立ち会えなかった。

「千穂、悪い。待たせた」

 そう呟いて、墓石に花束を置く。辺りには誰も居らず、静寂に包まれる。暫く赫人は墓石を眺めていたが、直ぐに墓石の前から立ち去る。

「まだ俺には、あそこで泣く資格は無い」

 赫人はそう呟く。彼の瞳は死んではいない。千穂を殺した者達を……「存在しない車」を……暴走族を。奴らを全て叩き潰す。その思いを、怒りを燃やして動いていた。

 この怒りが全て無くなる時、自分がどうなるか……そんなのは些末事だと、赫人は一切気にせずに突き進む。

 例え、全てが燃え尽きようとも。


映画を見ていたら書きたくなったアクション系

バイクでの追いかけっことか好き

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