オープン・セサミ
騙された……っ!
「お綺麗ですわ、ユキさま」
口々に装いを誉めてくださる侍女さんたちのウットリな声も、今のあたしには届かない。
だ・ま・さ・れ・た……!!
サラリと薄絹のベールが軽い衣擦れの音を立てながら流れる。
裾の長い純白のドレスに細かく施された銀糸と金糸の刺繍が煌めいてまぶしい。
こんな精神状態じゃなけりゃ、自分の肌を滑る滑らかな感触にウットリしたのに。
だ〜ま〜さ〜れ〜た〜〜〜!
「さあ、六花。行こうか」
あたしの準備ができるまで、外で待っていた詐欺師…もとい、今日からあたしの夫になる青年が、満面の笑みで手を差し伸べてくる。
ギロリと彼を睨んでも、楽しそうに蒼い瞳を輝かせるだけ。
だまされたあああぁぁっっ…!!
*****
―――彼と出会ったのは、私がまだ大学生のとき。
ビックリするわよ、うちに帰ったら日本家屋に違和感ありありの金髪碧眼美青年がいるんだもん。
更に、このうちの主であるはずのおじいちゃんの、彼に対する態度が驚きだった。
どこのお偉いさんかと思ったもの。
あたしがお座敷を覗いたとき、彼を上座に座らせて、おじいちゃんは平伏―とまではいかないけれど、それに近い体勢で、いたから。
だから最初の印象は最悪。
おじいちゃんの前で偉そうにふんぞり返っているのも気に入らなかったし、ひとのことをジロジロ見るのも失礼だなと思った。
――日本の小娘がそんなに珍しいのかよ!
負けじとにらみ返すあたしに、おじいちゃんは苦笑、その青年は愉快そうに眉を上げた。
ム・カ・ツ・ク!!
「リンドウの自慢の娘はなかなか気が強いらしい」
「悪かったわね、不審人物かと思ってつい睨んじゃったわ、おじいちゃん、ただいま。この人誰?」
つい言い返すと、青年は意表を突かれたように瞬く。
なによ。そんなにあたしがそちらさんの言葉話せるのが不思議?
あいにく、おじいちゃんと小さい頃から遊びのように話していたから今ではネイティブよ。
活かせる場所がないのが残念だけど。
踵を返し、プリプリしながら台所へ行ってお茶を淹れる。
もてなしてる訳じゃないんだからね! おじいちゃんのお客様だから一応敬ってあげてんのよ!
取りあえずお茶を出したらお役ゴメン、夕飯の買い物に行こう…と腰をあげかけたとき、男はとんでもないことを言い出した。
「六花が私の言葉を解るのなら、丁度よい。案内をしてもらえるか」
「ハ?」
「おお、そうですな、六花ちゃん、お願いできますか」
いやおじいちゃん、何であたしが。
てゆうか何であたしの名前知ってんのよ、来やすく呼ぶな。
大体お前誰だ。
あたしの様々な文句や拒否は全く無視、何故か初対面の男と二人、ご近所探索に送り出されてしまったのだ。
男の名前はディハルト。
おじいちゃんの昔の知り合いの息子…らしい。
その息子が何でこう偉そうなの。
どんなに気にくわない奴でもおじいちゃんの大事なお客様、だからあまりツンケンするのもどうかと思ったけれど、相性が悪いのかついキツイ物言いをしてしまう。
だけどディハルトは愉快そうに笑うだけ。
その、余裕ぶった態度が余計ムカツク。
カッコいいとこがまたムカツク。
案内を、て言ってもこの辺りに観光するようなところはない。
そう言うと、六花やリンドウが暮らしているところが見たいだけだからと答える。
変な男。
それから年に2、3回の割合で顔を見せるようになった奴を、天敵扱いしながらも受け入れてきたのはおじいちゃんが楽しそうにしていたからだ。
あたしはおじいちゃんに返しきれない恩がある。
シングルマザーだった母が中学のとき亡くなり、母以外身寄りがなかったあたしは、路頭に迷う所だった。
それを、小さい頃から、本当の孫みたいに可愛がってくれていた、近所のおじいちゃんが引き取ってくれたのだ。
大学まで行けたのも、おじいちゃんが出世払いしてくれたらいい、と、お金を出してくれたから。
おじいちゃんもひとりだったから、あたしと家族ごっこをしたかったのかもしれない。
本当の祖父と孫のように、暮らしてきたのだ。
働き始めたら、絶対恩返ししようって思っていたのに。
――おじいちゃんは、あたしが社会人になるのを見届けるかのように、大学を卒業した春、逝ってしまった。
もう二度と目を開けることがないおじいちゃんの枕元で呆然と座り込んでいたあたし。
お母さんが亡くなったあとも、挫けず頑張ってこれたのは、あたしを見守っていてくれたおじいちゃんが居たからなのに、今度こそ――ひとりぼっちになってしまった。
「六花」
おじいちゃんの死をどう知ったのか、遠い国にいるはずの彼がいつの間にか側にいて、あたしを抱きしめていた。
いつもの毒舌はなく、慰めるようにずっと頭を撫でてくれた。
ディハルトの前で弱いところなんて見せたくなかったのに。
気がついたら彼にしがみついてわあわあ泣いていた。
今思えば、たぶん彼は、おじいちゃんにあたしのことを頼まれていたんじゃないだろうか。
おじいちゃんはあたしに隠していたけれど、長い間病気を患っていたのだ。
残された家とか、貯えとか、全てあたし名義にして。
最後の最後まで、おじいちゃんはあたしを守ってくれようとした。
おじいちゃんの初七日が終わり、ようやくあたしがマトモにものを考えられるようになった頃。
彼が言った。
「六花。私の国に来い。
――花嫁として」
「…………………誰の。」
「私の」
「何で。」
「お前を愛しているからだ」
あ
い
?
?
「 っハアアァ!? 」
何言ってんだコイツ的なリアクションで仰け反るあたしを不機嫌に見つめる蒼い瞳。
こわ、無駄に威圧感あるんだから睨むんじゃないわよ。
てゆうか、今の何?
コイツ何言った??
大口をあけてひたすらアゼンとするあたしに、ふ、といつものイヤミな笑みを浮かべ、ヤツは手を伸ばしてくる。
指先で、頬を撫でられても反応が追いつかない。
いつもなら、触んなボケ、で手が出るのに。
「リンドウには許可を貰っているぞ? あいつもそのつもりでお前を育てていたんじゃないか、この世界では必要のない我が国の言葉を教えたりして」
お、おじいちゃん〜〜〜?!
「てゆうかバカ言わないで、希望の就職先に受かってこれからバリバリ働こうと思ってるのに!
第一、おじいちゃんの喪も明けてないのに不謹慎だっつの!」
きぃ、と噛みつくように言うと、いかにも外人らしくヤツは肩をすくめて。
「仕方ないな。しばらくは待ってやろう。お前も心の準備が必要だろうし、わたしもリンドウには義理がある。今日明日すぐになどとは言わん」
いやだから待て。
今日明日もなにも、あんたの国になんか行かないっつの。
と、反論するあたしの言葉は音になる前に消された。
ヤツの唇によって。
とっさに叩こうとする手を逆に掴まれて、更に深くなる、くちづけ。
「っん……、んんー!」
もがいても、暴れても、あたしが根負けしてフニャフニャになるまで離してくれなかった。
ヤツの腕の中でグッタリするあたしの耳元に囁きかけたことといったら。
「…あまり待たせるな。側に置いておかないとお前は危なっかしい」
なっ、何様ー!?
おじいちゃん、おじいちゃんっ、何であたしをこんな傲慢俺様男と出会わせたの――!!
うわああん!
あたしのファーストキス!!
絶対ヤダ、あんたなんかの嫁になんかならないもんね! とわめき倒すあたしをワガママを言う子どものように見つめ、彼はフフンと笑う。
「しかしお前は先ほどの私の求愛の言葉自体は拒否しなかったではないか。それが、答えだろう」
うが……!
あきれてものが言えないあたしの唇をもう一度掠めてから、また来る、と言ってヤツは去っていった。
家の外で待機しているお付きの方々を引き連れ帰っていく背中にアカンベーして。
まだ熱を持った躰が悔しくて、しかめ面になる。
……おじいちゃんが亡くなってから、ずっと側にいてくれた。
いつも1日、長くて2日だけしか滞在しないのに、彼は1週間以上ここにいた。
以前、あんた何してるひとよ、と探りを入れたときに、「一国一城の主だ」なんて言ってたことから察するに、会社の社長とかしてるんだ。
だって偉そうだし。
いつも来るときおっかない護衛みたいな人たち連れてきてるし。
おじいちゃんは昔、コイツの父親の下で働いていたから、こんなムカツク奴でも敬ってんだわ、と納得したのよ。
だから、仕事だってそう簡単に休めるはずがないのに。
あたしが気持ちを立て直すまで、一緒に居てくれた。
そしてあたしが実はそれを嬉しく感じているなんて――口が裂けても言わない。
――希望の就職先に受かってこれからバリバリ働こうと思ってるのに――
――第一、おじいちゃんの喪も明けてないのに不謹慎だ――
拒否した理由がこじつけの言い訳だって自覚はある。
そう、ヤツの言ったことは当たっている。
冗談でも勢いでも、彼があたしを愛していると言った言葉を拒否したくなかった。
それが、どういうことかなんて、あたしが一番よく分かってるよ。
……だけどシャクじゃない!
そう簡単に、あたしを思い通りに出来ると思ったら大間違いなんだから!
絶対絶対にそう簡単にオーケーするものか、と決心したあたしと彼の攻防はそれから一年ほど続いた。
素直じゃないって?
だって、イキナリ全然知らない国に行くことに不安があったんだもん。
大学卒業したての小娘が、きっと国ではそれなりの地位にいる、ヤツの隣に寄り添うことにも。
意地をはって働き始めたのはよかったと思う。
ヤツの嫁が完璧に出来るとは思わないけど、ある程度一人で立てる自信がついたから。
月に一度顔を見せる彼と、嫁に来い・行かないのやり取りを、一年。
離れている時間が辛くて、そろそろ負けちゃおうかな、と思い始めた頃。
パタリとヤツの訪問が止んだ。
最初は、別に来なくてもいーよ、と意地をはっていたあたしだったけれど、それが2ヶ月、3ヶ月、半年立つ頃には怖くて仕方がなくなった。
思えば、あたしはヤツのことを何も知らない。
知っているのは名前と、歳と、意地悪で優しい態度だけ。
彼の国がどこにあって、どうやったら行けるのか、彼と連絡を取る術すら分からない――。
こうして彼が来なくなっても、どうしたのかさえ分からない。
何かあった?
忙しいだけ?
…もう、素直じゃない女のことなんてどうでもよくなった?
またひとりぼっちになる予感に、不安がつのり、夜も眠れなくなった。
口では強いことを言っていても、精神面ではとても弱いあたし、支えがなければすぐに揺らぐ――、
側に置いておかないと危なっかしい、なんて言ったくせに。
どうして現れないのよぅ……。
「 六花 」
縁側でボンヤリしていたあたしはその声に、視界を歪ませた。
「すまない、長い間放っておいて…少し国の方で揉め事があってな」
庭の垣根の向こうから、ゆっくり近づいてくる、会いたかった、会いたかった――彼。
「……もうヤダ…」
目の前まで来て立ち止まった彼が、疲労をその顔に滲ませて、それでも柔らかく笑う。
「もう、ヤダ…! 何でいないのよ、ひとりにするなばかあ…っ!」
だだっ子のように泣きわめくあたしをその胸の中に包んで。
私の国に来るな? という彼の問いかけを装った確認に、あたしはとうとう頷いた。
ムカツクけど、あんたがいないとダメみたいなんだもの。
見知らぬ遠い国へ行くのに不安がないとは言わないけれど、でも、あんたが側にいてくれるんでしょ?
だったら、平気。
頑張れる。
そうしてあたしは新しい世界に飛び込んだ―――。
*****
「……ホントに新しい世界だとは思わないじゃない」
彼に手を取られ、隣に並ぶあたしが鬱々と呟いた言葉に、うん? と聞き返す彼。
何なの、その上機嫌な、してやったり的笑顔は。
「この詐欺師っ」
「失礼な。詐欺など働いた覚えはない。――私はちゃんと言ったぞ、一国一城の主だと」
「それが比喩じゃなくマジだなんて思うわけないでしょ――!?」
……そう、彼は。
ディハルト・ウォレス・マイア・クロイツヘルムなんて長ったらしい名前を持つ彼は。
「陛下、妃殿下、お時間です」
侍従長が恭しくあたしたちを促す。
……彼は、その言葉の通り、一国の王だった。
あたしがディハルトについていくと決心してからのことはあっという間。
会社へ退職届を出し、思い出が残る家を処分して、あたしがバタバタしてる間に彼が母とおじいちゃんのお墓まで彼の国に移動させる手配までしていた。
そりゃ置いていくのはヤだったけど。
なんか、逃げ場を封じられている気がしないでもない。
一生泊まることなんかないと思っていたゴージャスなホテルで出発の朝を迎えたあたしに、ディハルトが告げた。
「取りあえず、戻ったらすぐ式だ」
「うえ!? ちょ、ココロの準備ってものが…、あ、あんたのご家族とかにもご挨拶してないのに」
「案ずるな。父は亡くなっているが、母は嫁が来るのを今か今かと待ちわびているし、民もそなたを歓迎している」
それにドレスとかエステとか、やっぱり一生に一度のことなんだから、最上の自分でいたいじゃない――と、ぶつぶつ言っていたあたしは、彼が付け加えた最後の一言に、む? と首を傾げる。
お父様は亡くなられているのか、ええっ、お母様待ちわびているって、お会いしたことないのに何故! ……たみ?
民って何。
「我が国では今も英雄として名高いリンドウ将軍の孫娘を王妃として迎えるんだ、既に国はお祭り騒ぎだぞ」
えーゆー? 携帯会社じゃないわよね。
脳内で翻訳された言葉にツッコミをいれて。
――え、おじいちゃん?
が、なに?
将軍?
……おうひ?
ハ?
「行くぞ」
混乱のただ中にあったあたしを抱き寄せて、ホテルの部屋の床にかかれた円の中に入る彼。周りを囲むようにお付きの人が続いて。その内の一人がどっからか長い棒みたいなものを取り出し、何か呟く。
光の幕みたいなものがあたしたちを包んで。
……ええええ?
瞬きのあと。
今の何、ここどこ、と叫ぶ暇もなく沢山の人に囲まれ、たぶん格好からしてメイドさん(あとで侍女だと言われた)たちに拉致されたあたしは身ぐるみはがされ磨きあげられ、
気づけば、神の御前で彼と誓いを交わしていたのだった。
異世界?
王様?
あたしが王妃ってナニソレなんの冗談?
しかし現実逃避も許されず、再度衣装を整えられたあたしは、沢山の人々を見下ろせるバルコニーに立って、彼と笑顔で眼下にひしめく民たちに手を振っているワケで。
こうなれば、「知らない! やっぱり結婚なんてしない!」と逃げることも出来ない。
大体、異世界じゃ逃げられない。
「ハメたわね、クソッタレ」
隣でニヤニヤ笑みを浮かべる夫に毒づく。
「何のことだ?」
この詐欺師。
あとで覚えてなさいよ。
クク、と喉の奥で笑ったディハルトは、あたしを引き寄せくちづけた。
どおっと歓声を上げる人々。
こ、この……っ。
「諦めるんだな。お前が初めて私をその瞳で見たときに、決まったんだ」
私の隣に立つ女はお前しかいない――。
ムカツク殺し文句だわ。
あたしは彼の襟首をひっつかみ、噛みつくようにお返しのキスをしてやった。
ひらけごま。
あたしは、あたし自身の意志で、この世界での新しい人生の扉を開ける―――
fin.
ハーレクイン(?)と見せかけて異世界トリップ物でした〜。こちら、続編や前日譚などネタはあるのですが、…なにしろ遅筆なもので。お気に召しましたら、感想・リクエストなどお寄せ下さいませ〜。




