小さなキモチ
サキュバスにとって、一人旅はそう珍しいものではない。
他の冒険者や人間達は、女性が一人でいると油断する傾向にあるらしい。
理由はよくわからないけど、実際そうなんだから仕方がない。
こんな私も、数千年程前はお嬢様をやっていた。
暖かく幸せな家庭で、執事や使用人達と過ごしていた。確か15歳くらいの記憶だろうか。これは。
しかしいつしか、私の周りの人間達は皆死に、母親もどこかへ消えていた。
一人になってしまった私は、当て所なくどこかへ向かった。それがこの旅の始まりだった。
最初はそれこそ、本当に死ぬか生きるか、そんな危険な冒険だった。
箱入り娘だった私にとって、お屋敷の外は未知の領域。あっさり野犬に殺されかけたり、
魔核が見えるギリギリまで鳥の餌になっていた事もあった。
特に人間は下種が多かった。
幼い少女が一人で歩いているからか、金品を強奪したり、いきなり攫って強姦しようとしたり、
奴隷として売り飛ばそうとする奴。そんな奴は飽きるほど見てきた。
その時ほど、この種族であることに感謝した事はなかった。
人間の男は何故か知らないが、強姦しようとしたときあっさりと急所を差し出してくる。
それはサキュバスにとっては自殺行為、そのまま命ごと持っていって下さいと言わんばかりの愚かさだ。
そうして何人だろうか。100人、1000人、いや10000人は超しただろうか。
途中から数を数えなくなっていき、私はサキュバスの頂点に君臨していた。
――最も、君臨するほどサキュバスの数は残っていないのだが。
サキュバスは元々か弱い種族だ。武力も低く、魔術の能力もいまいち。
強みは随一の魅了と、男性型の人族や魔族からの吸収ができる事。
男がいる限り私達はとにかく生き残るのだ。
ただし、サキュバスは人間と同じ胎生。子供を生めるのも一度に1~2人が限界で、
卵生の魔物や、他種族のメスに生ませるタイプの魔族たちと違って、非常に効率が悪い。
サキュバスは人間の男の子を孕み、その子供は必ずサキュバスとなるのだ。
そうしてサキュバスが増えるよりも、王都が誇る『神聖騎士団』とやらが近年力をつけてきて、
『破邪』への耐性がないサキュバス達は次々と姿を消していった。
『魔族狩り』――人間達は闘牛やコロッセウムと同じように、スポーツ感覚で魔族を殺す。
どの様な魔族を殺したかを喧伝し、酒の肴にする。
私達からすれば腹の煮えくり返る話で、全くもって理解ができない行為だが、
人間を殺し食べている私達も、人間からすれば同じようなものなのかもしれない。
1800年が過ぎた頃、私は魔人十傑と呼ばれる程、強くなっていた。
世界のあらゆる魔道書を読み漁り、禁忌と呼ばれる場所にいくつも訪れ、
伝説と呼ばれる道具をいくつもこの手にしてきた。
未だに近接戦闘は強くならなかったが、それを補って余りある『困惑』がある。
私には誰も逆らうことができないのだ。
唯一の例外は魔王様だった。
彼の魔人は神からの加護を得ているらしく、流石に千年いくらのの鍛錬では神には勝てず、
自身の無力さを悟ったが、魔王様はそんな私を認めてくれ、十傑として誘ってくれたのだ。
うれしかった。
単純に誰かに認められる事が。
単純に誰かと共に戦えることが。
しかし魔王様はお忙しい方だった。
彼の魔人はその理想のため、日夜勤勉に業務をこなし、魂を削っていた。
私という魔族は一介の駒に過ぎず、特別な存在になれないという事は、
100年も経たぬうちに理解した。
結局私は一人なのだ。
誰かから搾取されるか、魔族狩りの標的にされるか、
それでなければ畏怖か、恭順か。
魔王様はお忙しい身。
きっとこの私に目を向けてくださる事はないだろう。
そうなれば、私はそもそも何のために生きているのだろう?
サキュバス達の頭領を名乗ってはいるが、他の生き残り達とは殆ど接点もない。
この種族、滅んでもいいんじゃないかとさえ思い始めた。
生きるために必死だった2000年の後は、
なんのために生きてるかわからない数年が始まった。
サキュバスの寿命はおおよそ2000年と少し。もっともこれも、お父様から聞いたお話や、
本で読んだ事なので、正確な資料ではないと思うが、私にはわかる。もう私には後がないのだろう。
私の今までは何だったんだろうか。
そんな矢先である、『来訪者』の話を聞いたのは。
魔王様が感じたらしい。魔王様は神のご加護によって、大きな魔力のうねりを感覚で理解できる。
何でも、異世界召喚と呼ばれる神代の術式を検知したらしい。
久々に興味が沸いた。
異世界人、それは今まで出会ったことのない「未知との遭遇」
さっそく魔王様に場所を聞き、討伐という体でその場所へ向かった。
魔王様曰く、敵になった時に非常に厄介な相手であるとの事だ。
私ですら敵わなかった魔王様を脅かす相手、それは一体どのようなものだろう。
ここ千年くらいの間で、一番興味のある事だった。
――そうして出会った『来訪者』はお世辞にも強そうとは言えない、
どこにでもいそうな青年であった。
年齢は20後半か…東の方の出身なのだろうか、童顔ではあるががっしりとしており、
背が高い。顔がタイプかどうか聞かれたらまあタイプな方だけど、それでも私の期待からは外れていた。
ただ……。
「――大丈夫?」
童女のフリをしていたとは言え、こんなにかっこよく助けてもらったのは初めてだった。
あんな野犬程度、一ひねりで殺せる。魔術に頼らずとも、そのまま力を入れるだけで十分に殺せた。
彼は……迷わなかった。ほんの少しも。
単なるお人よしなのか、考え無しなのか、それは今となってはわからない。
ただ、このボロ布を被った小汚い少女を、一切の疑いもなく守ったのだ。
――不覚にも少し、数百年前に忘れてきた感情が舞い戻ってくる気がした。
いいや、これは気のせいだ。そう自分に言い聞かせ、彼に『困惑』をぶつけてやる。
しかし彼は意外にも、これを自我を持って受けきった。
……驚きだ。
この『惑わし』の二つ名を受けてから、私の『困惑』を耐え切った人間は……存在しない。
耐えられるはずがない。こいつはただの人間じゃない。
あわてて《捕縛》を、それでも解かれそうだったので《安息》を詰め込んで、
ようやく寝かせる事ができた。
心臓が早鐘を打つ。こんなキモチはいつ振りだろうか。私は今久しぶりに「戦っている」んだと理解できた。
自分よりもしかしたら格上となる相手とだ。
彼が眠った一瞬のスキに殺してもよかった。
しかしそれはできなかった。もっと楽しみたかった。きっと私の魔生で今が一番楽しいときなのだ。
この楽しみを、この胸のドキドキを、そんな簡単に手放してたまるか。
――私は想像以上に戦闘を楽しみすぎてしまったらしい。
睡眠から回復した彼は、拘束を破壊、困惑状態からも復帰した。
そして私に剣を向ける。そう、実質的な“詰み”だ。
楽しかった。こんなに心が躍ったのはいつ振りだろう。
戦いというよりも情熱的なダンスのようなそれの、余韻をゆっくりと味わっていた。
そして私は殺される。とてもすてきな幕引きだ。
「……殺せない、俺は、君を」
…………えっ?
この人間は何を言っているのだろう。
実質的な“詰み”である事は親切に説明してあげた。
もう私に手だてはない。ないと言い切ってしまうと嘘になるが、この綺麗な戦いを私の無粋な魔術で汚したくない。
それでもなお、私に情けをかけるというのか。
私が舐められている?そんなはずがない、彼から感じる魔力の残滓はあの煉獄のもの。
あいつの強さを知っておきながら、魔人十傑を舐めてかかるはずがない。
いくら加護のある人間といっても限界がある。
なんなら、私は相性としては最悪のはず。彼の職能はおそらく『聖騎士』。私のようなサキュバスとまぐわってしまえば、
その力はどん底まで落ちていき、村人より貧弱になってしまう。ここで殺すのが一番いい。次にいつ襲われるかわからないからだ。
異世界人というのは、皆こんなに非合理で、意味のわからない事をするのか?
私は彼の事がわからず、つい質問を繰り返す。
彼の口からついて出た言葉は……、
「君は……俺の希望なんだ」
希望……?全く、さっぱり、意味がわからない。
しかしその時、私の職能である『人格投影』が働く。
これは相手の性的な欲求をより完璧に満たすため、相手の思考、記憶の一部を読み取る事ができる能力だ。
そこに写った光景は、金属や土、そして不思議な形をした建物がたくさんある世界。
小さな少女達が遊んでいる。
彼はそれをみて微笑んでいた。まるで国の行く末を見守る国王のように。
そうして、気づいた。今この瞬間、私が女として見られていることに。
一人の少女として、扱われている事に。
彼の世界の言葉で表すならば、彼は小児性愛なのだろう。それ故、私の幼い体にも反応してしまっている。
私は何度も性的な目を向けられてきた。
何度も陵辱されそうになってきた。――しかし、これは違う。
私を魔人十傑と、恐ろしい魔族と理解して。
さらには性的に襲われかけて、なお、彼は自分を律したのだ。
この感情の混ざり方、もしかして、もしかすると、聖騎士の職能以外にも「私への遠慮」が混ざっているような気がする。
私はサキュバス。色香によって男を惑わす色欲の魔族。
それがなんだ、生娘のように、こんなに丁寧な扱いを受けたのは何百年振りだろうか。
もう、私のあらゆる興味は、この男に移っていた。
生も死もどうでもいい。ただこの男と遊びたい。からかいたい。
この男にえっちな悪戯をしたらどんな反応をするだろう。
自分の事を話したい、彼の話を聞きたい、一緒に過ごしたい。
願わくば、願わくば――
この男の子を孕み、彼との子に、看取られたい。
どうしたものか。
先日まであれ程意味のない魔生と言っていたものに、
突然価値が生まれてしまった。
やり遂げたい、なんとかして、頑張りたい。
そんなキモチが生まれてしまった。私はこの、非常に小さな、それでいて自分の全てをつき動かしてくれるこれに、
希望を見出せずにはいられなかった。
年甲斐もなく、駄々をこねよう。
初対面の相手に、わけのわからないわがままを言おう。
そうしてでも、手に入れたいものがそこにある。
「じゃ、連れてってよ」
その交渉に、あまり時間はかからなかった。
――それから。
彼との旅は平凡で、特に特別な出来事があったわけではない。
馬車に揺られ町へ行ったり、乗馬の練習をしたり、お買い物をしたり、その程度だ。
ただ、私は知らなかった。時間が経って固くなったパンや、保存食として味は二の次である干し肉が、
こんなにも、美味しいものだと。
なんでもない馬車での移動や、単純に疲れるだけの徒歩の移動が、こんなにも、楽しいものだと。
今私の世界には色がついた。
見るもの全てが美しく、聞く音全てが幻想的だ。
鳥のさえずりさえも、私達を祝福しているかのように感じる。
もう、私の心は決まった。
この男の子を孕み、母親として子供に看取られ死ぬのだ。
名前は何がいいだろう?確かお兄ちゃんの本名はソータ、とかいう名前だったと思うので、
それをもじった名前がいいだろうか。
――そうだ、今度彼に相談しよう。
きっと照れながら、真面目に考えてくれるはずだ。




