意識が戻ればナンダコリャ?
『 03 意識が戻ればナンダコリャ? 』
むせる。ゲホゲホと咳き込み、気がつけば俺は乱れ崩れた荷物の上に仰向けになっていました。
青い空が見えます。
あるはずの天井は無く、上には壁に縁取られた雲を浮かべた空が見えます。
いや! おかしいです。
なにかがおかしい、そう考えてやがてその違和感に気付きました。
天井が無いどころかその天井を支える鉄骨さえありません。
半身を起こし、周囲に目を向ければ埃に塗れ山となって乱れ崩れたダンボール箱の各種荷物の向こう側に見慣れぬ石壁がある事に気づきました。
「なんだこりゃあ?」
薄青灰色の石壁が連なっています。その壁の上に天井は無く、その石壁を眼で横に追っていけば先で直角に曲がり、そこからは石柱の連なる大きな開口部と外の景色が見えます。
まるで砂漠のような空の青と砂色の景観が眼に写りました。見慣れたあの職場のプラットホームではありません、何か別の大きな石造りの建物の中に居るのだと判ります。
そのような事を見定めていれば、「ううう…」と人のうめき声のような音がすぐ近くより聞こえてくるじゃないですか。
その音の出所を探せば乱れ積み重なる段ボール箱の隙間から突き出た人の腕が見えます!
こりゃぁ拙い!
急いで掘り起こします。幸い荷はみな軽く、放り投げるように荷を掻き分ければすぐに人の体が露になりました。
「大丈夫ですか! 怪我はないですか?」
そう相手に声を掛けます。大分埃に汚れた姿、相手も頷きながら、
「ああ、幸い体の方はなんともねえようだ。唐沢くんや、助けでくれであんがどな」
と聞いたことのある訛り言葉で返されたのですがそこに妙な違和感を覚えました。
その訛り言葉から思い浮かぶ相手を、
「班長…、ですよね?」
と、埃に汚れた顔に訊ねれば、それは間違いではなかったようで予想通りの名が返ってきます。
「んだ永倉だ。ああ、埃に塗れて誰だかわがんねがったか」
そう言いながら班長こと永倉がポケットから取り出したハンカチでその汚れた顔を拭います。
そんなやりとりをしていると、横より鋭く声があがりました。
「おめえ誰だ!」
声に振り向き見れば、そこには埃に汚れ定かではありませんがおそらく同じ支店の上尾先輩と、そしてその先!
先輩が誰何の声をあげた元凶が、その奇妙な姿がこちらも驚きの声をあげるところでした。
「だ、誰ってわからねぇのかよ。俺だよ俺、浅田だけど、わからねえか…」
浅田先輩だってぇ?
その言葉に俺は強い不審の念を抱かざるを得ませんでした。
その奇妙な“大男”は自分を浅田だと名乗りますがその姿は到底自分の良く知る浅田先輩のものではありません。
浅田先輩はたとえ埃塗れで汚れていようとすぐわかります。
チビでハゲで童顔。
しかし今、上尾先輩の目の前で浅田を名乗っている奇妙な大男はそのどの特徴も持ってはいないどころか異様でさえあります。
あの小場先輩よりも大きな、2mを優に超えていそうな筋肉隆々たる体つき、その体の上に乗る頭には腰まで届きそうな黒々とした髪がボサボサボウボウに生え流れています。
しかもその分厚い筋肉に覆われた体は裸体です。
きつきつの白いブリーフだけは履いていますが、どこからどう見ても自分が知るあの浅田先輩とこの奇妙な大男が被るところはありません。
いやむしろ対極の姿。
浅田先輩の姿を道端の石地蔵に例えるならば、目の前のソレは髪を無造作に伸ばした超人ハ〇ク、あるいは某格ゲーのブラ△カといったところでしょうか。
この騒ぎに周りより人が集まってきます。
怖いもの見たさで俺もその輪に加わります。
騒ぎの渦中のあの奇妙な、筋肉ダルマの大男はいまだに自分は浅田だと言い張っています。
「ホラ、これで誰だか判るだろう」
そう言いながら浅田を名乗る大男が長い乱れ髪を手櫛で後ろに撫で付けます。
彼が無造作に掻き揚げた髪の下より現れたその顔! それを見た瞬間、ピンと来るものがありました。
体はまるで別物ですが、その顔は確かに自分が良く知るあの浅田先輩の面影があります。
埃に塗れ長い髪に隠され気づきませんでしたがその顔にはあの年齢に似合わぬ幼さが、のっぺりとした見覚えのある目鼻が見えるじゃないですか。
それに気づき、思わず隣に立つ上尾先輩と顔を見合わせます。
そしてそこにも違和感が、汚れて判りづらいですけど上尾先輩の姿にもやや若返ったかのような感があります。
やや増えた髪の量、筋肉を増した体つき、くたびれた労働者というよりも鍛え上げられたスポーツ選手のような趣があります。
その上尾先輩が疑問を口にしました。
「で、でもよ。顔はそうでもその体はどうしたのよ? 前の体の三倍は大きくなってんじゃねぇのか、それよ」
「知らねえよ。気が付いてみりゃこうなってたんだから。それに多かれ少なかれ皆おかしくなってんじゃねえのか? ホラ、見たこともないヤツもいるし」
浅田を名乗る大男がそう言いながら一人の男を指差します。
それは先ほど俺が助け出した永倉班長のハズですが、俺はその班長の顔を改めて見るうちに大きな違和感とその正体に気づいてしまいました。
「若返ってる…」
思わず口に出したその言葉に永倉班長がギョっとした顔を見せます。
その言葉を確かめる為、今度は永倉班長と上尾先輩が顔を見合わせますが、埃汚れを拭い落とした班長の顔を見つめる上尾先輩の口から言葉とともに笑い声が漏れ出てきます。
「なにこれ、本当に永倉班長かよ、ちょっと班長! 新人みたいに若くなってんじゃん!」
上尾先輩の言葉にそこかしこで社員が各々の顔を確かめ合います。
「ホラ、この水で汚れを洗い落とせよ」
「おめぇ、勝手に顧客の商品さ開けて…」
「非常時なんだから仕方ねぇべよ、何処に水道があるってんだ」
汚れで見た目の付きにくい顔を誰かが捜してきたミネラルウォーターで洗い落とすと、今度はさっぱりとした顔を指差し「なんだその顔は!」と皆が皆で指摘し笑いあっています。
一方別の場所ではこれは夢ではないかと互いに互いの頬をツネりあっている人もいます。
皆が皆ギャップのある顔姿に笑い転げていたその時でした。
先輩である楠木さんが俺にポーンと山なりにミネラルウォーターの箱を投げ渡してきます。
中身が入っているなら12キロを超えるソレを驚きの顔で受け取ると楠木先輩が俺に言います。
「気づいた?」
その言葉に俺は無事受け取ったミネラルウォーターの箱に目をやりました。
箱は空ではなくしっかり六本中身が入っています。
それを受け取ってもなんともないどころかまるで菓子の詰まった箱を手にするような手応えの無さ。
俺は楠木先輩に頷くと近くに転がっていた一斗缶に手を伸ばします。
液体洗剤の入ったソレはそのクソ重さゆえに皆がいやがる荷物。
それを試しに片手で持ち上げ、そのまま頭上にまで上げてみせますがいつもの重みが感じられません。
まるで中身を半分空けてしまったかのような、あるいは軽い固形燃料缶程度の手応えの無さにしか感じられません。
試しにそれを腰の高さから落としてみます。
ガンと音をたてて床に落ちますが一斗缶はその重みで角が潰れてしまいました。
その様子にはいつもと変わったところもありません。
これは力が強くなっているのか?
そう思ったその時でした。
「なにこれ! ヤバい!!」
沸き起こる驚きと歓喜の声に眼を向けると、そこには垂直に高く飛び跳ねる人の姿が!
ですが驚くべきはその高さ。
何も使わず1m以上も飛び上がれるなんてやはり俺は今も夢の続きにあるのかと自分の頬を思わずツネってしまいます。
でも痛みはきちんとあります。
ならばと試しに自分も軽く飛び跳ねてみますが、やはりというか冗談としか言えないような高さに飛び上がれました。
時代劇に出てくる忍者じゃないですが異常としか言いようがありません。
何がいったいどのようにしてこのようなことになったのやら。
皆が思い思いにそのような実験的なことを繰り広げている時の事でした。
「皆さん! これはたぶん異世界に飛ばされたのではないかと、僕はそう思います」
そのような声が聞こえてきました。
声の主は若い集配ドライバー、名前こそ知りませんがホーム上で見たことのある顔です。
彼はおそらく祝日配送を宛がわれたのだと思います。
それゆえこのような不可思議な現象に巻き込まれて災難かと思いきや、なぜかその顔には喜びの色を浮かべ眼をキラキラと輝かせています。
同じ集配職の…、たぶん高橋班長がその若い男に声を掛けます。
やべぇ、ジジイ連中若返っててわかんねーや。
「おい斉藤、異世界ってなんだ? おまえ何か心当たりがあるのか?」
斉藤と呼ばれた若い人がそれに頷くと応えます。
「はい、これはきっと異世界召喚ではないかと。その証拠にこの通り携帯の受信アンテナは1本も立っていません。そして此処はおそらく神殿、本来であるなら召喚を行う巫女か魔術師がいるはずなのですが…」
そう答えた斉藤が辺りを見回します。
もちろんここにあるのは埃まみれの荷物の山と女にモテないガテン系の男達ばかり。
神殿を司る巫女の姿も怪しげな魔法使いの姿も何処にも見えはしません。
高橋班長が尋ねます。
「おめえ、それ何の話よ?」
「え? 典型的なテンプレとでも言いましょうか。ファンタジー、あるいはRPGの世界ではお約束といった話ですよ」
途端にパスンと帽子で斉藤が叩かれました。
「それ漫画の話だろうよ!!」
「いえ! 漫画の話というよりむしろゲームの世界とでもいうべきでして」
高橋にツッコミを受ける斉藤は冗談など言ってはいないとばかりに自信満々の様子です。
「おめさんがた、アレが何を言ってるのか判るんだか」
そう若い顔姿の永倉班長が訊ねてきます。
それに俺達運行職、大型ドライバーの面々はほとんどの者が訳が分らないと首をかしげるばかりですが、ここで予想外というべきか小場先輩が自説を述べ始めたんです。
ヤバい、小場先輩も若返ってるよ。なんか高校生っぽいし…耳の先ちょっと尖ってね?
「ファンタジー的な異世界召喚といったものがどのようなものかは判りませんが、要はなんらかの時空間移動に似た現象に巻き込まれたとでも言ったものでしょうか」
「時空間移動~? で、それって何よ?」
「例を挙げるならば自衛隊が戦国時代にタイムスリップする話。米軍でもかまいませんよ」
「おめえそれ映画の話だろうよ」
「ならばおおまかに神隠し、と捉えたならどうでしょうか」
神隠し、この言葉に主に元年配者達から「おおー」と感嘆の声が上がりました。
ヤベえ、小場先輩ってけっこうそっち系の人なのか? なんかあの斉藤とかいう若手とは別の方向で詳しそうだ。
ならばと俺は小場先輩に疑問をぶつけてみることにしました。
「先輩先輩、体の変化はどうしてこうなったかわかりますか? なんかこう、スーパーなんとか程じゃないけど強化されたって感じなんですが。しかもなんか皆若返ってるし、姿形がちょっと変わった人もいるみたいだし…」
「最初は低重力状態、重力の減少を考えたがそうではないようだ。重力の強さは以前と然程違いは無いように感じる」
そう言って小場先輩が近くにあった台秤に乗ります。200キロまで量れる古びた色合いのソレですが、アナログメーターのおよそ半分まで針が進み、数値で言うと大体95キロの辺りを指しています。
「フム、予想通り。しかしこれでは皆には判らないか」
そう呟くと今度は手近にあった荷物を手に取ります。
先ほど俺が手にしたミネラルウォーター六本入りの箱です。
その箱を台秤に載せると数値は12キロちょいを指しています。
次に先輩が床に転がる鉄パイプを手にしました。
台車の取っ手部分に使われているものです。
先輩がそのパイプを隣の近藤先輩に差し出すと話しかけます。
ヤっべぇ、近藤先輩体型でわかったよ。
「近藤先輩、これを曲げてもらえますか」
「んん! これをかい?」
近藤先輩が鉄パイプを受け取りました。
近藤先輩は背こそ高くは無いですが日本人離れしたがっしり太めの体格をしています。
その先輩が軽く力を加えただけではやはり曲がらないようですが、「なんでぇ、力無ぇなぁ」と誰かさんの野次が飛ぶと今度は本気で力を込めに掛かります。
すると頑丈なはずの鉄パイプが曲がりはじめました。
近藤先輩の顔が真っ赤に染まります。
そして終にはその鉄パイプをとうとうU字に曲げてしまいました。
その姿に触発されたものか、今度はあの異様な姿の浅田先輩が「どれよ」とその鉄パイプに手を伸ばします。
浅田先輩が力を込めるとパイプはグニャリとその姿を曲げます。
180度、まるで知恵の輪のように輪を作ると浅田先輩はポイと鉄パイプを投げ捨てて言います。
「こんなものか」
浅田先輩の顔にはどうだと言わんばかりの笑みが浮かんでいます。
その様子に皆が顔色を悪くしました。
この鉄パイプが強度があるのは皆が知っています。
強く締まりすぎたタイヤナットを外す時の延長ロッドとして、あるいは木製パレットの板を一部取り外す際のテコとして皆が愛用している程です。
到底人力で軽く曲げられる品では無いのです。
再び小場先輩が話し始めます。
「この通り、程度の差こそあれ皆が異常な力を獲得している。これを考えると理由はわかりませんが環境ではなく肉体の方こそが何らかの影響を受けたと考えるのが妥当でしょう。おそらくそれは若返りの件とも密接に関係しているはずなのですが、みなさん、体の古傷を確かめてはもらえませんか。ケガや手術の跡、あるいは抜けた歯がどうなっているかを確かめたいのですが」
小場先輩の言葉に話を聞く皆さん自分の体を探り始めます。
かくいう俺も裾をめくって火傷の跡を確かめたのですが。
あれ? 無い。傷跡が残って無い。
ならばと口内を舌で探ってみれば、こちらも一本抜けてるはずの前歯の場所に歯の感触があるじゃないですか!
皆さん同様なのか、そこかしこで不思議がる声が上がっています。
ガヤガヤとざわめく中、小場先輩が話を再開します。
「どうやら皆、傷跡が消えているようで。ひょっとしたら持病も治っているかもしれませんね」
「持病って、それどういう事よ?」
上尾先輩ほか何人かが小場先輩に詰め寄りますけど、皆さん持病持ちなの? ああ! そういえば南野先輩、たしか去年痔で騒いでた…。
「これはあくまで推測に過ぎませんが、我々のこの体はなんらかの手段で新たに理想的な状態で再構築されたものではないかと考えます。例えば古典的なSFで蝿男の話がありますが、あれを上手く応用すれば若返りや体の治療も理論的には可能と考えます」
「蝿男ってなによ」
「ほらあれだ、映画で実験の失敗で蝿と人間が混ざるやつ」
「あぁ~、あれあれ、見たことある~」
先輩達が語り合うその傍で先ほど異世界云々で騒いでいた斉藤がなにやら首をかしげています。
斉藤は小声でしきりに何かを呟く様子。
その彼の背後へと回り聞き耳を立ててみれば…、彼は「メニュー」とか、「ステータス」といった言葉を呟いてはしきりにおかしい、と首をひねっています。
その様子をしばらく観察していると、斉藤が動作を変えました。
右手を親指と人差し指を立てた男チョキに形作ると一言。
「ファイア」
「うわお!」
斉藤の指先より勢い良く炎が伸びあがった!
それに皆が驚き、当の本人も驚き、もちろん俺も驚きに声を出し、そして斉藤が喜びの声をあげました。
「やったー! やはり魔法世界だ!! 魔法が使える!!」
皆が驚きの目で見守るその先、指先から炎を出して見せた斉藤が周りの目など気にならないとばかりに炎の魔法を連発します。
どうやら指先からほとばしる炎の大きさをなんとか調整しようと試みている様子。
その姿を見守る一人、運行職の南野先輩が、横で唖然とした顔で魔法を眺める白鳥を肘で突いて話しかけます。
「白鳥、おめえもアレやってみろ」
「そんな、いきなり魔法なんて無理っすよ」
「ならばおめぇはアレだ、カ〇ハメ波出してみろ」
「はいっ、やってみます!」
白鳥が先輩の言には従うべしと、体育会系のノリであの溜めの効いたポーズをとります。
セリフもそのままに「はー!」と最後の一声に合わせて両手を突き出した!
でも何も起こらない。
やはりというべきかあの光線技は再現できないのでしょうか。
「先輩無理っす。俺にはできませーん」
本気なのか冗談なのか。
だがそんなコントでも見せるかのような白鳥に斉藤が助言を与えます。
「先輩方、魔法はイメージです! 強く頭に使いたい魔法の姿を思い浮かべたならその形に発動できるようです」
「イメージ! ふむふむなるほど…」
皆がまるで童心に返ったように先ほど見た現象を、指先からほとばしる炎を再現しようと試みます。
でもやはりというか誰も成功しない。
やはりアレは手品…、そう思いかけたその時でした。
「〇ラッ!」
小場先輩の気合の篭った声が響きます。
懐かしい某国民的RPGでおなじみの攻撃呪文。
その瞬間、小場先輩の眼前には確かに魔法とでもいうべき現象が生じました。
「なによ、それ!」
横で見ていた南野先輩が笑い声をあげました。
確かに魔法らしき現象は発動しました。でもそれは一目で判る予想ならざるものだったのです。
小場先輩の目の前には懐かしいブラウン管型のテレビとゲーム筐体が姿を現し、その画面上にはあのRPGゲームの戦闘シーンが映っています。
そして画面上にはメ〇の呪文とそれを受けチープなエフェクトとともにダメージを受けるモンスターの姿が。
すると程なくしてそれがパッと幻の如くに掻き消えました。
先輩ひょっとして幻術使いですか?