Chapter 2
2
麻布のマンション。
洞穴のように薄暗い半地下の部屋。
私が2度目に目覚めたのは、シリカのチュートリアルで示された私の自宅だ。
コンクリート打ちっ放しの壁に、赤黒い飛沫が染みついているのが見えた。
「血だ…」
私の心の声がそう言っていた。
「あなたの血です」
もうひとつの声が、それに答えた。
シリカの声だった。
頭をもたげると、
八つ裂きにされ、屍と化した私の体が見えた。
とすると、いまの私のこの体は……。
「復旧までに15秒を要します」
と、またシリカの声が頭の中でこだました。
私の自我は、いまシリカの中に存在しているらしかった。
「あなたの脳データのパックアップは予めワタクシの中にダウンロードしてありました、運動機能をあなたの自我に移譲します」
何が起こったのか?
私は困惑のあまり、失神してしまった。
六本木の駅からほど近いカフェバーのオープンテラス。
私は、ある女性と向かい合わせに座っていた。
ずっと飽きもせずに彼女を見つめていた。
とても愛おしく思っていた。
彼女は濃い茶色の髪をして、
透き通るような白い肌で、深い緑色の瞳で、私を見つめ返しては、
照れくさそうに何度も目を逸らした。
その日も、当り前のように雨が降っていて、ビルの隙間から東京タワーが小さく顔を覗かせていた。
あの時の東京タワーは、ピンクとブルーとが縦縞になって、とても特別な感じがした。
私はあの時、彼女に大切な言葉を告げた。
「頭が、持ち去られている」
と言ったのは、警視庁捜査一課の磯川警部だった。
私は、と言うよりもシリカの体は、
六本木警察署の会議室に設けられた、捜査本部にあった。
磯川警部は、そこの捜査主任であった。
「NDR-777“シリカ”から提供された、事件時の画像です」
前方のプロジェクションモニターに私の遺体の画像と共に、黒いレインコートを着た犯人の画像が映し出された。
「動画はないのか、それに酷く不鮮明な画像だな…」
刑事たちから不満の声が聞こえた。
「犯人は何らかの方法で、外部からシリカにハッキングをかけ機能を停止しました、これは彼女のソナー機能のスキャンデータから解析した画像です、これが限界です」
科捜研職員が怪訝な表情で反論した。
「殺された、ベテルギウス社匿名社員、仮にA氏としますが、このA氏が、この数時間前にシリカと共に帰宅したのは、マンションエントランスの自動防犯カメラで確認済みです」
「この部屋はA氏の自宅なの?」
「はい、ベテルギウス社の名義ですが、
間違いありません」
磯川警部と刑事たちとの間で、私の個人情報がやりとりされているのを、私はシリカの目を通して複雑な心境で見つめた。
「そもそもだな……このA氏が先週消息を絶ってから、自宅に現れる迄の足取りに関しても、シリカのデータへのアクセスはブロックされている、おそらくベテルギウス社の意向なのだろうが……」
と言う、磯川警部の言葉に私はハッとした。
そうだったのか。
「A氏の身体には、傭兵並みの筋肉改造の跡が有りました、ベテルギウス社の一社員に、なぜそれほど改造が必要だったのでしょうか」
「ただの社員ではなかったと考えるのが妥当だろう、持ち去られた頭に何らかの鍵があるかもしれない」
「もしその頭が電脳であれば、捜査令状を取って、シリカからアクセスできないものか、ベテルギウス社へ許可を申請してみましょう」
刑事たちは口々に意見を述べ、磯川警部は、事件の核心めいたものを見いだしているようだった。
私は、シリカの意識を呼び出していた。
「こんな話を私へ聞かせるなら、君にもそれなりの目的があるのだろう」
「私はベテルギウス社の設定したプログラムに従って動いているだけです」
とシリカは答えた。
「ならばベテルギウス社の狙いは……」
「sacrificeに関わる組織を見つけ出し、
殲滅すること……」
磯川警部の号令で、刑事たちがシリカを取り囲んだ。
「シリカ、申し訳ないが特別措置として君を拘束する」
シリカは、刑事たちの顔を見渡し、
「拒否します」
と答えた。
「君はアンドロイドだ、人権もなければ、拒否権もない」
「ベテルギウス社の管理下にあります、先に令状を申請してください」
「あと数十分要する、それまで大人しくしててもらいたいんだよ」
磯川警部の眼の中に鈍く輝く光があった。
「磯川警部、彼はDark Seederです」
頭の中で、シリカが私へ話しかけて来た。
窓の外にカルマンギアが浮んでいるのが見えた。
「Dark Seeder ?」
私が聞き返すと、
シリカは何処から取り出したのか、
コルトガバメントの銃口を磯川警部へ差し向け、引き金を引いた。
銃弾は磯川警部を額を撃ち抜いた。
刑事たちが怯んだ隙に、シリカは2発、3発と刑事たちを撃ちながら、窓辺へと走り出した。
「追え、追跡ドローン……出せ」
刑事たちの悲痛な叫びをよそに、シリカは窓ガラスを蹴破ると、丁度ドアの開いたカルマンギアへ飛び乗った。
地上20階、60m上空。
軽やかに飛んだシリカは寸分違わず、運転席へ落ち着いた。
刑事たちの撃ち放った無数の銃弾のうち一発が彼女の脇腹を貫通したが、彼女は表情ひとつ変えなかった。
カルマンギアは極めて静かに、猛スピードで走り出した。