愛しき殺意 2
鬼神の如く、夜叉の如く…魔に魅入られたような双剣の少女剣術士の正体は…
剣術士はソードブレーカーを地面に突き刺すとローブの袖口の中の仕込みポケットからネックレスを取り出した。錆銀の鎖に下げられた石、濃い紫に金の虎縞模様の水晶を将軍の前にじゃらりと突き出して命じる。
「…さぁ。今一度、約束してもらおうか。将軍。『領土を明け渡す』と」
「ぐっ。それか。…それだけは…できぬ」
苦痛よりも屈辱に顔を歪ませて拒否する。初老の将軍は目の前の凄腕の剣術士の目的を理解した。有り体に言えば博奕の取り立て。しかし、それには従う訳にはいかない。将軍は普段から命を遣り取りする者達特有のあまり誉められない性分の一つとして…博奕好きだった。それでも自身の信仰する宗教上の理由から色に溺れるよりはいいと勝手に決めつけて省みる事はなかった。
(あの賭けなぞに乗らねば…)
今思い出しても悔やまれる。
「…あれはただの戯れ言。従う謂はない」
「賭けの前に約束したのだろう? この世界では約束は絶対だ。違うか?」
それは事実。剣と魔法の渦巻くこの世界。今日の勝者が明日の屍ともなる戦乱の世で確かな物は『約束』。つまりは契約だけが世界の総てで通じる唯一の法だった。
それでも…逃れる術を思い描く。何故ならば…その賭けをした相手は敵。
賭けの後に身分を明かしたその相手が敵国、新進気鋭の軍事国家オーヴェマの戦略参謀の一人だったからだった。
(このままでは、我が武名に傷がつく…しかし…逃れる術は…)
博奕で国を滅ばした将軍。語り草になることは間違いない。…侮蔑の対象として。
(あの賭けに乗った…乗った事が総ての結末なのか…)
髪の中から剣術士の冷たい瞳が心を見透かすように見据えている。
「言え。言わぬと残りの腕も…刻むぞ」
剣術士の静かな脅しに覚悟を決めたのか、将軍は相手を睨みつけた。
「ふん。言わぬ。見事にこの胸をその剣で貫き、この老命を奪うが良い。時を置かずに逃げた者達の知らせで援軍も来よう。貴様の命もそれまでだ。自らの命が惜しくば、今すぐこの場を去るがいい!」
剣術士は凍りついた視線で身動ぎもせずに静かに冷たく詰寄り脅す。
「死をもって約束を違えるか? 無駄なあがきだ。さっさと言え。『約束に従う』と。或いは『領土を明け渡す』と」
「ぐぅぬぅ」
痛みよりも屈辱よりも己への憤怒で将軍は顔を赤銅と化していく。
「そうそう。さっさと言っちゃってくださいな。そうすりゃ斬り刻まれた腕も癒してさしあげられますよ。シュタイン将軍」
緊迫した空気に呆けた声を挟んだのは…森の影から現れた僧侶。薄汚れた僧衣を纏い、呪紋が刻まれた小さな木の箱を担ぎ、棒きれのような杖を引きずっている痩せた男だった。
「誰だ! 貴様は?」
シュタイン将軍が気丈にも太い声で尋ねる。問いに応えたのは、今、将軍に詰め寄っている剣術士だった。
「あいつはグレイ。ただの人形遣いだよ。将軍」
剣術士の呆れたような声を意に介さずに痩せた男は挨拶を返した。
「お久しぶりですね。またお逢いできるとは…これも神の思し召しでしょう」
杖を引きずりながら人形遣いは態とらしく天を仰ぎ、恭しく手を広げて感謝のポーズを取った。
「神だって? 神の意に反する人形遣いが何を言ってんだか。また邪魔しに来たのかい?」
「いえいえ。お邪魔はしませんよ。そちらの御老体に野暮用が在るだけで…」
人形遣いという言葉に将軍は動揺していた。魂を操り、思いのままに人の生死を、或いは意志を操るという人形遣いという下賤な輩を目の前にして平静を保てる者は少ない。将軍もまた普通の感覚の持ち主であった。
「に、人形遣い? 魂を盗りに来たのかっ!」
「やだなぁ。貴方様の残り少ない薄汚れた魂にも、かなり動きが鈍くなったその身体にも興味はありませんよ。ギルドに依頼したでしょう? 刺客に狙われているから助けになる者を…剣の警護は足りているから白魔術か黒魔術が使える者をよこせと。だから、私が来たんですよ」
人形遣いは杖を地面に引きずりながら近づいてくる。だが、剣術士が居る方向は避けて、ぐるりと血に染まった地面を回って将軍の背後に座り小声で促した。
「さぁ。さっさと言ってくださいな。そうすりゃ、彼女も引き下がりますから」
「貴様、助ける為に来たのだろう? ならばこの者を倒せ。さすれば褒美を…」
人形遣いは小さくにやりと笑う。
「お断りしますよ。例え私が如何なる高僧…いえ、白でも黒でも、考え得る最高レベルの魔導師、魔術師であろうともですよ、どんな障壁をも簡単に打ち砕く『闇の剣』の使い手に敵う訳がないでしょう? 博奕好きの将軍さま」
「闇の剣? あれが…すると、ヤツは…」
片腕を押えながら剣術士を睨む将軍。
「そう。あれが硬質化した幽体の刃を持つ闇の剣。そして彼女の通り名は『双鋼玉眼のエァリエス』。聞いたことがあるでしょう? 少なくとも暗闇の魔剣術士の名は?」
「う、ぐ…」
闇の剣…将軍ですら実在するとは思わなかった魔剣。
手にした者は魂を吸い取られ、ゾンビとして魔剣の意思のままにあらゆる者を斬り捨てるという…伝承の中でしか存在しないと思っていた魔剣。少なくとも自らの意志でその魔剣を振るう者が顕れるとは思ってもいなかった。
読んで下さりありがとうございます。
光と闇の挿話集としては短編の2作目になります。
これは2/16話目です。
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